◆ドキュメント
作成日付:2023/12/10
更新日付:----/--/--
※事件数が多くなり、文字数制限を越えましたので分割しました。
※2023.12.10改題(旧題:犯罪者・犯人・被告人の出所予定データベース(パート6))

<目次>






名古屋立てこもり放火事件(別府昇元)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2003年(平成15年)9月16日に愛知県名古屋市東区東大曽根町本通(町名は事件当時)で発生し3人が死亡・41人が負傷した殺人・現住建造物等放火・強盗・人質強要・銃刀法違反などの事件。

2003年9月16日午前10時ごろ、運送会社「軽急便」の賃金不払いに抗議した社員 別府昇元(当時52歳)が愛知県名古屋市東区東大曽根町本通(2004年の町名変更により、同区矢田一丁目)の大曽根駅前に位置する「第一生命大曽根駅前ビル」4階にある軽急便名古屋支店名古屋営業事務所センター(当時女性社員22人・支店長と男性社員8人の31人在室)に出刃包丁・ポリ容器を持って侵入した。男は男性社員と揉み合いになり軽傷を負わせた後、女性社員22人と負傷した男性社員1人を解放した一方で店内にガソリンを撒き、支店長 吉川邦男さん(当時41歳)以下男性社員8人を人質に取って支店内に立てこもった。

その上で男は支店長以外の社員7人を解放した一方で13時ごろまでに残るポリタンクを倒して中身を撒き散らし、支店長に命じて軽急便本社(名古屋市中区錦)に電話をかけさせ「7月から9月分までの現金25万円を指定した銀行口座に振り込め」と電話させ、12時10分ごろに要求金額通りの現金を振り込ませた。

事件発生を受けて愛知県警察は加害者の説得に当たった一方、警察庁では事件発生の第一報が入った直後から応援部隊を派遣する準備を始め、大阪府警察の刑事部捜査第一課特殊犯捜査係(MAAT)に出動を準備するよう指示し、県警特殊部隊(SAT)に待機命令を出した。だが、現場の室内には揮発したガソリンが充満していたため、加害者の制圧に銃器や閃光弾を使用することができない状況であった。

警察はさらに加害者の説得を続けたが、最終的に加害者は支店長を残し人質7人を解放した直後の13時10分ごろにライターでガソリンに火をつけ自決した。この際に発生した爆発で加害者と人質の支店長が死亡し、加害者を制圧・逮捕するため現場階段付近にて待機していた県警の機動捜査隊隊員 村瀬達哉さん(当時31歳、巡査長)が一酸化炭素中毒で殉職したほか、ビル3階にいた警察官3名が熱風などで重傷を負い、ビルの外では爆発によって飛散したガラス片などで警察官・消防隊員・報道陣・通行人ら38名が軽傷を負った。

加害者・支店長の死因はいずれも焼死で、2人はそれぞれ出入り口から入った場所・事務所南東近くにて仰向けで倒れていた。
名古屋立てこもり放火事件(放火現場)
名古屋立てこもり放火事件(別府昇元)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 県警(捜査一課および東署)は2004年1月15日、殺人・現住建造物等放火・強盗・人質強要・銃刀法違反などの容疑で死亡した被疑者の男を名古屋地方検察庁へ被疑者死亡のまま書類送検した。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

ページ上に戻る

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1997年(平成9年)5月4日に奈良県添上郡月ヶ瀬村(現:奈良市月ヶ瀬嵩)で発生した殺人事件。

1997年(平成9年)5月4日、奈良県添上郡月ヶ瀬村の中学2年生 浦久保充代さん(当時13歳)の女子生徒Aが卓球大会の帰りに行方不明となった。

村人、警察が通学路を捜索していると、浦久さんのスニーカーが発見され、道路にはタイヤ痕、ガードレールには血痕が付着していた。近くの西部浄化センターの公衆トイレでは切り裂かれた浦久さんのジャージと、血だらけのダウンベストが発見された。

警察は浦久がひき逃げや事件に巻き込まれた可能性があるとして捜索を開始した。警察が聞き込み調査をしたところ、無職の丘崎誠人(当時25歳)が浮上した。丘崎は四輪駆動車三菱・ストラーダを乗り回しており、警察やマスコミは丘崎をマークし始めた。

7月25日、奈良県警は浦久さんに対する略取誘拐の容疑で丘崎を逮捕した。丘崎は当初容疑を否定していたが、犯行後に売却した丘崎の車の後部座席に被害者の血液、DNAなどが発見された事や、切り裂かれたジャージからは丘崎の車のタイヤ痕が発見され、それらを追及すると犯行を認めた。

丘崎は動機について、偶然見かけた浦久さんに”家に送ってあげる”と声をかけたが無視されたのがきっかけだった。加えて、村八分のストレスが原因で被害者を山中で首を絞めて石で撲殺したと供述した。

遺体を三重県御斉峠付近で捨てたと供述し、その供述をもとに、警察が付近を捜索したところ白骨化した遺体が発見された。

丘崎の両親は共に日本人と朝鮮人のハーフでした。

丘崎とその家族は、月ヶ瀬村で30年以上生活していたが、村八分にされていた。ずっとよそ者として扱われ、差別や嫌がらせを近所・集落の人から受けてきた。

月ヶ瀬村は自然に囲まれた小さな村で人の出入りがほとんどない状態でした。ただでさえ外部の者の出入りに敏感に反応する社会でしたが、そこに外国の血の入った人間が引っ越してきたのです。
奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件(丘崎誠人)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2000年6月14日、大阪高等裁判所は無期懲役の判決を下しこれが確定したが、丘崎は服役中の2001年9月4日に収監先の大分刑務所でランニングシャツを紐状にして窓枠にかけて首を吊って自殺している。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

ページ上に戻る

奈良自宅放火母子3人殺人事件(少年)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2006年(平成18年)6月20日の朝の5時頃、奈良県田原本町で少年(16歳)が自宅に放火して自宅を全焼させ、継母と異母弟妹を焼死させた事件である。

少年は、父(47歳)と、父の再婚相手である少年にとっての継母(38歳)、父と継母との間に生まれた異母弟(7歳)妹(5歳)の一家5人で生活していた自宅に放火し、継母と異母弟妹が焼死した。父は仕事の都合で自宅に不在だった。 少年は全焼した住宅に住んでいたが、焼け跡からは少年は発見されなかった。少年は放火後に自宅を脱出し行方がわからず電話連絡も通じない状況だったが、6月22日に京都市内で警察官に発見され、放火を認めたので逮捕された。

少年の父は、妻(少年の実母)に対する身体的または精神的なドメスティックバイオレンス、少年に対する身体的または精神的な児童虐待の常習者だった。少年の実母は、夫(少年の父)からの暴力に心身ともに耐えられなくなり、少年の実妹(当時3歳)を連れて別居し、少年が小学校1年の時に離婚が成立し、少年の親権と養育権は父、少年の実妹の親権と養育権は少年の実母が得た。実父母の離婚後は、実父の考えにより、少年は実母と実妹とは交流も連絡も遮断され、一度も会っていない。

少年の父は少年の実母と離婚後、同じ職場で働いていた医師と再婚した。少年は継母や異母弟妹とは円満な関係だった。少年は父との関係については、父の期待に応えて医師になろうとする気持ちと、父から医師になることを強要され、学校の試験の成績が父の要求よりも低いと身体的・精神的な虐待を受けることに苦痛や恐怖や屈辱を感じる気持ちの、両方の感情を抱いていたが、成長するにつれて苦痛や恐怖や屈辱を感じる気持ちが大きくなっていった。そして、ついには父が仕事で不在であることは分かっていながら、この苦痛や恐怖や屈辱にはもう耐えられない、自分の生活環境をすべて破壊してこの状況から脱出したいという感情により、自宅に放火した。
奈良自宅放火母子3人殺人事件(少年)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年(平成18年)10月26日、奈良家庭裁判所は、少年の精神鑑定により先天性の発達障害と異なる虐待による後天性の広汎性発達障害と診断されたこと、および、少年の生育環境や生活状況から、この事件の根本的原因は少年の父の考え方や言動が少年を精神的に追い詰めて、その状況に精神的に耐えられなくなった少年がその状況から脱出しようとして放火したものと認定し、少年の更生には刑事処分よりも保護処分が適切と判断し、少年を中等少年院に送致する処分を決定した。

❖出所予定(年齢)
 2009年10月頃、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)

ページ上に戻る

工事中



※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。