◆ドキュメント
作成日付:2024/10/12
更新日付:2024/10/14
更新日付:2024/10/14
<目次>
広島少女集団暴行殺害事件(野村美輝)
広島市の専修学校の女子生徒 黒瀬恵利華さん(当時16歳)が2013年6月28日未明に少年少女ら7人に暴行された末に殺害、遺棄された事件。
広島県広島市の専修学校の女子生徒 黒瀬さんが、無料通信アプリ「LINE」で書き込んだメッセージに友人の少女 野村美輝(主犯格、当時16歳)が立腹。仲間ら少年少女合計6人と共謀して2013年6月28日、黒瀬さんを集団暴行の末に殺害。遺体を同県呉市にある灰ヶ峰に遺棄した。
❖判決内容(判決内容・判決時期)◆2013年
10月15日 広島家裁は、荒当葉月(当時16歳)、河野那奈(当時16歳)の2人を中等少年院送致する事を決定。
10月17日 広島家裁は、主犯格 野村美輝(当時16歳)、成田奶哉(だいすけ・当時16歳)、持田竜也(当時16歳)の3人を逆送致する事を決定。
10月30日 広島家裁は、持田竜也(当時16歳)を中等少年院送致する事を決定。
◆2014年
10月24日 広島地裁は、瀬戸大平(当時21歳)に懲役14年の判決。
10月24日 広島地裁は、主犯格 野村に懲役13年の判決。
12月3日 広島地裁は、に成田に懲役10年の判決。
◆2015年
3月26日 広島高裁は、瀬戸の控訴を棄却。
3月30日 広島高裁は、主犯格 野村の控訴を棄却。
6月30日 広島高裁は、成田の控訴を棄却。
❖出所予定(年齢)
荒当葉月・・・2016年10月頃すでに退院、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)
河野那奈・・・2016年10月頃すでに退院、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)
河野那奈・・・2016年10月頃すでに退院、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)
野村美輝(主犯格)・・・2027年10月頃、29歳(懲役13年)
瀬戸大平・・・2028年10月頃、35歳(懲役14年)
成田奶哉・・・2024年10月頃、86歳(懲役15年)
持田竜也・・・2016年10月頃すでに退院、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)成田奶哉・・・2024年10月頃、86歳(懲役15年)
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広島タクシー運転手連続殺人事件(日高広明)
1996年(平成8年)4月18日 - 9月14日に広島県内(広島市およびその近郊)で女性4人が相次いで殺害された連続殺人事件。
◆A事件(第1の事件)事件発生:1996年4月18日22時50分ごろ(殺害時刻)
日高広明(当時34歳)は勤務中の1996年4月18日20時に流川・薬研堀一帯をタクシーで流し、売春・援助交際のメッカとして知られていた新天地公園を通りかかった際、公園で呉市の定時制高校1年の宮地里枝さん(当時16歳)を見つけ「遊ばないか?」と声を掛けた。
宮地さんが料金2万円で応じたため、日高は宮地さんをタクシーに誘い乗車させるとコンビニエンスストアで缶ビールを購入し、21時ごろに広島駅付近のラブホテルに入った。そのまま2人で缶ビールを飲み、日高はAに2万円を渡したが、宮地さんは身の上話として「行方不明になった父親の借金を返済するため大阪から広島まで働きに来た。あと10万円返せば完済できる。今日はその返済日だから10万円を用意して、広島駅から呉駅(呉市)に行く」と話した。
日高はこの話を聞いて内心「やられた」と思いつつも「なんか(セックス)するのは悪いね」と言って宮地さんに呉市まで送っていくことを約束し、宮地さんをタクシーの助手席に乗せ、呉市(広島市中心街から約20 km先)方面へタクシーを走らせた。
宮地さんが料金2万円で応じたため、日高は宮地さんをタクシーに誘い乗車させるとコンビニエンスストアで缶ビールを購入し、21時ごろに広島駅付近のラブホテルに入った。そのまま2人で缶ビールを飲み、日高はAに2万円を渡したが、宮地さんは身の上話として「行方不明になった父親の借金を返済するため大阪から広島まで働きに来た。あと10万円返せば完済できる。今日はその返済日だから10万円を用意して、広島駅から呉駅(呉市)に行く」と話した。
日高はこの話を聞いて内心「やられた」と思いつつも「なんか(セックス)するのは悪いね」と言って宮地さんに呉市まで送っていくことを約束し、宮地さんをタクシーの助手席に乗せ、呉市(広島市中心街から約20 km先)方面へタクシーを走らせた。
22時50分、宮地さんが身をかがめて後部座席に回ったところ、日高はネクタイを緩めて運転席を降り、背後から宮地さんに忍び寄るとネクタイを宮地さんの首に巻き付けて絞めつけ、宮地さんを窒息死させて絞殺した。
◆B事件(第2の事件)事件発生:1996年8月13日0時50分ごろ
1996年8月12日夜、日高は「自分と接点のない売春婦を殺害して所持金を奪おう」と計画した上で、再び新天地の繁華街をタクシーで流しながら次の標的として「男から声を掛けられるのを待つ売春婦」を物色した。「ホテルを出てから殺せばセックスもタダでできる」と考えていた日高は新天地公園で見つけた古月理江さん(当時23歳)に声を掛け乗車させた。
車中で現金3万円を渡して安心させた上でラブホテルに入ったが、古月さんは「自分の父親は暴力団組員だ。怒ると何をするかわからない」と話した。日高は「それは怖いね」と返しながら古月さんと性行為をし、翌日(1996年8月13日)になって2人でラブホテルを出るとコンビニに立ち寄り缶ビール・軍手を購入した上で山道に入った。
車中で現金3万円を渡して安心させた上でラブホテルに入ったが、古月さんは「自分の父親は暴力団組員だ。怒ると何をするかわからない」と話した。日高は「それは怖いね」と返しながら古月さんと性行為をし、翌日(1996年8月13日)になって2人でラブホテルを出るとコンビニに立ち寄り缶ビール・軍手を購入した上で山道に入った。
1996年8月13日0時50分ごろ、日高は「太田川橋」付近で突然タクシーを停車し、A事件の時と同じく燃料切り替えスイッチの操作でエンジンを停止させてエンストを装い、タクシーのエンジンの仕組みを知らない被害者Bを油断させた。
その上で古月さんに「(この車は)よく故障するんだよ」と言って床のシートをめくるよう頼み、軍手を嵌め古月さんの背後からネクタイで古月さんの首を絞めた。古月さんは咄嗟に自分の首とネクタイの間に右手を差し込んで抵抗し、「さっきの『父親がヤクザだ』という話は嘘だ。金は返すから許して」と命乞いしたが、日高はそれを聞き入れずに古月さんの首を絞め続けて古月さんを絞殺した。
その上で古月さんに「(この車は)よく故障するんだよ」と言って床のシートをめくるよう頼み、軍手を嵌め古月さんの背後からネクタイで古月さんの首を絞めた。古月さんは咄嗟に自分の首とネクタイの間に右手を差し込んで抵抗し、「さっきの『父親がヤクザだ』という話は嘘だ。金は返すから許して」と命乞いしたが、日高はそれを聞き入れずに古月さんの首を絞め続けて古月さんを絞殺した。
◆C事件(第3の事件)事件発生:1996年9月7日23時50分ごろ(殺害時刻)
1996年9月7日、日高は22時30分を過ぎても運賃収入が30,000円止まりで目標とした運賃収入50,000円に届かなかったため、不足分の運賃収入を補い、遊興費も稼ぐ目的で売春婦を殺害して金を奪うことを決意した。
23時ごろ、日高は広島市南区内の路上でいつも客待ちしていた藤山万里子さん(当時45歳)をタクシーに誘い入れ、藤山さんに「どこか遠くで遊ぼうか」と提案して3万円を渡し「タクシーの中でしてもいいかな?」と提案して承諾を得ると、途中でコンビニに立ち寄って藤山さんに缶ビールを買わせた。しかし日高は以前から遺棄現場として考えていた加計町方面へ向かった一方、なかなか藤山さんと性行為をする気にはならなかった。
23時ごろ、日高は広島市南区内の路上でいつも客待ちしていた藤山万里子さん(当時45歳)をタクシーに誘い入れ、藤山さんに「どこか遠くで遊ぼうか」と提案して3万円を渡し「タクシーの中でしてもいいかな?」と提案して承諾を得ると、途中でコンビニに立ち寄って藤山さんに缶ビールを買わせた。しかし日高は以前から遺棄現場として考えていた加計町方面へ向かった一方、なかなか藤山さんと性行為をする気にはならなかった。
1996年9月7日23時50分ごろ、日高は真っ暗な山道にタクシーを停車して藤山さんに「俺は後ろからするのが好きだ。四つん這いになってくれ」と後背位で性行為をするよう求めた。
日高からの申し出を承諾した藤山さんは後部座席で背を向け、下着を脱いで腰を突き出したが、日高はネクタイ・ズボンのベルトを緩めて唸り声を上げながら藤山さんにのしかかった。藤山さんは危険を察知して振り返り、日高に「何をするの!」と叫んだが、日高はベルトを引き抜いて被害者Cの首に回して絞め上げ、激しい抵抗にも躊躇せずCを絞殺した。
日高からの申し出を承諾した藤山さんは後部座席で背を向け、下着を脱いで腰を突き出したが、日高はネクタイ・ズボンのベルトを緩めて唸り声を上げながら藤山さんにのしかかった。藤山さんは危険を察知して振り返り、日高に「何をするの!」と叫んだが、日高はベルトを引き抜いて被害者Cの首に回して絞め上げ、激しい抵抗にも躊躇せずCを絞殺した。
◆D事件(第4の事件)事件発生:1996年9月14日2時10分ごろ(殺害時刻)
C事件から1週間が経過した1996年9月13日22時ごろ、日高は「3人殺そうが4人殺そうが大して変わらない」などと考えつつ、広島市中区内でタクシーに(ロマンス洋子さん(当時32歳)とは別の)女性客を乗車させた。
一方で洋子さんは同じく22時ごろに中区銀山町の路上で目撃された後、14日0時前後に近所の知人女性へ封筒に入れた現金数万円を「物騒だから預かってほしい。朝には受け取りに来る」と預けていた。日高は前述の女性客を約2時間待った末に見逃してしまったために売上金が少なく、目標の運賃収入に届かなかったため「今日中に売春婦を殺して金を奪いたい」と決意し、偶然見かけた洋子さんを新たな標的に決めた。
日高は一度洋子さんに声を掛けてタクシーに乗車させ、停車した車内で10分ほど話をしたが、缶ビールを購入するためにいったん車外に出てから車に戻ると洋子さんが姿を消していた。日高は「逃げられた」と舌打ちしたが、日付が変わった1996年9月14日0時すぎにホテルの前で再び洋子さんと邂逅し、4万円を提示して洋子さんから性行為をする了承を得ると、「今夜はちょっと遠くに行ってやろう」とタクシーを発進させ、殺害現場へ向かう途中でコンビニに立ち寄って洋子さんに缶ビール・つまみを購入させた。そして日高は洋子さんを交通量がほとんどない佐伯区のダム付近で殺害することを決意し、その近くのラブホテルで性行為をした。
一方で洋子さんは同じく22時ごろに中区銀山町の路上で目撃された後、14日0時前後に近所の知人女性へ封筒に入れた現金数万円を「物騒だから預かってほしい。朝には受け取りに来る」と預けていた。日高は前述の女性客を約2時間待った末に見逃してしまったために売上金が少なく、目標の運賃収入に届かなかったため「今日中に売春婦を殺して金を奪いたい」と決意し、偶然見かけた洋子さんを新たな標的に決めた。
日高は一度洋子さんに声を掛けてタクシーに乗車させ、停車した車内で10分ほど話をしたが、缶ビールを購入するためにいったん車外に出てから車に戻ると洋子さんが姿を消していた。日高は「逃げられた」と舌打ちしたが、日付が変わった1996年9月14日0時すぎにホテルの前で再び洋子さんと邂逅し、4万円を提示して洋子さんから性行為をする了承を得ると、「今夜はちょっと遠くに行ってやろう」とタクシーを発進させ、殺害現場へ向かう途中でコンビニに立ち寄って洋子さんに缶ビール・つまみを購入させた。そして日高は洋子さんを交通量がほとんどない佐伯区のダム付近で殺害することを決意し、その近くのラブホテルで性行為をした。
日高は1時50分ごろに洋子さんとともに2人でホテルを出ると、タクシーの後部座席にDを乗車させて廿日市市方面へ向かい、1996年9月14日2時すぎに人気のない田舎道(殺害現場)でタクシーを停車した。その上でA・B両事件の時と同じく燃料切り替えスイッチでエンジンを停止させてエンストを装い、タクシーのエンジンの仕組みを知らない被害者Dを油断させ、洋子さんに「足元のシートをめくってほしい」と申し出た。
そして洋子さんが屈みこんでいる間にネクタイをほどいたところ、洋子さんが顔を上げて「なんか怖い」と言ったため、日高は洋子さんに笑みを浮かべながらネクタイを座席に掛けた。しかし洋子さんが「一人で帰る」と言い出してタクシーのドアを開けて車外へ飛び出したため、日高は「警察に駆け込まれたら終わりだ」と思ってタクシーを急発進させ、洋子さんを追いかけながら「ちゃんと(家まで)送るから乗ってくれ」と声を掛けたが、洋子さんは走って逃げながらショルダーバッグから1万円札4枚(現金40,000円)を取り出し「もうお金はいらないから」と叫びながら日高に投げつけた。
これに逆上した日高はタクシーを加速させて洋子さんの前に回り込むと、車外に出て洋子さんの行く手を塞ぎ、立ちすくんでいた洋子さんの襟首を掴み、売春婦を脅すためにあらかじめ準備していた果物ナイフ(刃渡り約11 cm)を洋子さんに突き付けた。そして洋子さんを後部座席に連れ込み、右拳でDの顔面を計10発近く殴りつけて失神させると、洋子さんの首をネクタイで絞めて殺害した。
そして洋子さんが屈みこんでいる間にネクタイをほどいたところ、洋子さんが顔を上げて「なんか怖い」と言ったため、日高は洋子さんに笑みを浮かべながらネクタイを座席に掛けた。しかし洋子さんが「一人で帰る」と言い出してタクシーのドアを開けて車外へ飛び出したため、日高は「警察に駆け込まれたら終わりだ」と思ってタクシーを急発進させ、洋子さんを追いかけながら「ちゃんと(家まで)送るから乗ってくれ」と声を掛けたが、洋子さんは走って逃げながらショルダーバッグから1万円札4枚(現金40,000円)を取り出し「もうお金はいらないから」と叫びながら日高に投げつけた。
これに逆上した日高はタクシーを加速させて洋子さんの前に回り込むと、車外に出て洋子さんの行く手を塞ぎ、立ちすくんでいた洋子さんの襟首を掴み、売春婦を脅すためにあらかじめ準備していた果物ナイフ(刃渡り約11 cm)を洋子さんに突き付けた。そして洋子さんを後部座席に連れ込み、右拳でDの顔面を計10発近く殴りつけて失神させると、洋子さんの首をネクタイで絞めて殺害した。
❖判決内容(判決内容・判決時期)
2000年(平成12年)2月9日に判決公判が開かれ、広島地裁(戸倉三郎裁判長)は検察側(広島地検)の求刑通り被告人Hに死刑判決を言い渡した。
死刑判決を言い渡す際は判決主文を後回しにして判決理由から先に読み上げる場合が多いが、戸倉裁判長は異例の冒頭主文宣告を行った。広島地裁は主文言い渡し後に朗読した判決理由にて以下のように厳しく各情状を指摘した上で、量刑については「被告人Hは反省の情を示しているが刑事責任は極めて重い。死刑が人の命を奪う究極の刑罰であることを十二分に考慮しても、もはや極刑で臨むしかない」と結論付けた。
被告人Hは控訴期限の2000年2月24日0時までに広島高裁に控訴する手続きを取らなかったためそのまま死刑判決が確定した。
❖出所予定(年齢)
2006年12月25日に法務大臣長勢甚遠の発した死刑執行命令により収監先・広島拘置所で死刑囚H(44歳没)の死刑が執行された。
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※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。
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