親を亡くす1からの続き・・・

12月10日、私はいつものように会社で仕事をしておりました。

ふと、携帯を見ると、LINEトークで「今、電話かけていい?」と着信しておりました。

母が亡くなったと思いましたので、「大丈夫」と返信しました。

すぐにLINE音声電話がかかってきましたが、次の一言は予想外のことでした。

「お父さんが起きずに冷たくなっている。たぶん、死んでる。」と・・・。

LINEビデオ通話に切り替えて自宅の見せてもらいました。

父はソファーに寝ていましたが、医療に従事したことのない素人の私でも父が死んでいることがわかります。兄が「葬儀屋呼ばないと。」と言いましたが、私は「頬ひっぱだいて見て。」と言いました。

兄は父の頬を叩きましたが反応がありません。次に「脈をとってみて。」と言いましたが、兄は少し触ると、「もう冷たくなってる。」と言い「葬儀屋を呼ばないと。」といいました。

私は素人判断はまずいですし、「救急車。救急車を呼んで!」と兄に言い、兄は救急に連絡するので通話をいったん切りました。

もう亡くなっている場合は救急でなく警察を呼ぶという話もききますが、実際にそのような場面になると、そうはいきません。まだ、生きていて声が出せないだけかもしれませんので・・・。

その後、救急隊員が到着して確認したところ、死亡と判定されて、事件性がないか、警察に引き継がれることになりました。

兄によると、救急にかけてから、電話口で心臓マッサージの指示をされて、救急隊員が到着するまで、続けていたそうです。救急隊員が到着後に死亡判定がされて、警察に引き継がれました。

警察は兄を自室に誘導して「出ないように」と言ってから、現場の写真をとり、手紙や財布などの貴重品を証拠採取しておりました。押収はされなかったとのことでした。最後に父の亡骸を検視をおこなうために引き取っていきました。

私と言えば、函館の警察署から連絡があり、まずは父の死亡宣告、そして私の身元と家族との関係など聴かれました。特に印象に残っているのは「疎遠でしたか?」でした。どの程度が疎遠なのか?わかりかねますので「頻度は少ないものの電話はしていましたし、年に1回は北海道に行っていました。」との旨を答えました。

また、兄について、いつ電話があったのか?どんな会話をしたのか?その時間に何故家にいたのか?、また父との関係、「仲がよかったか?」や私と兄との関わりを聴かれました。他も沢山のことを聴かれましたが忘れました・・・。

警察が、既にかなり正確な情報を知っていてビックリしたことを覚えています。

実は父のほうが持病をいくつか抱えておりまして、『心臓が痛い。』とよく言っていました。「下肢動脈硬化症」にもなっていましたので、長時間は歩けませんでしたが、それでも家の周辺を散歩するぐらいには歩けていました。

父は母がもう長くないと病院から言われてましたので、母の葬儀の準備を葬儀社と打ち合わせをしようしましたが、車で向かっている途中で気分が悪くなり、兄に「引き返してくれ!」と言い、葬儀の準備はとまったままでした。

葬儀社から帰宅後してからは、1階のソファーで寝たきりになることが多くなりました。両親の寝室は2階でしたが、もう階段を上がることができなかったそうです。

父に「病院へ行ってくれ。」と勧めましたが重度の病院嫌いでしたので「行かない」と言って拒否の姿勢で、どうにもなりません。今回だけではなく、ずっとそのように生きてきた人ですので説得するのは難しかったです。

特に母が回復の見込みがなくなった時点で、だいぶ「生きる気力」が下がったようで「お母さんが可哀想だ。可哀想だ。」と繰り返し言っていたそうです。昭和気質で、母べったりの仕事だけの人でしたから、母のいない世界に絶望してしまったのかもしれませんし、以前からの病状からは自分が先に逝くと思っていたので予期せぬことかもしれません。

翌日、私は会社を休んで、北海道に向かいました。

書くのにちょっと疲れたので、またの機会に続きを書きます・・・。



※最後に
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