【速報】OSO18駆除と判明 釧路町でハンター駆除のクマ DNA鑑定で特定 知らずに駆除か(2023年8月22日)
OSO18
 北海道東部の標茶町などで4年前から牛60頭以上を襲ってきたクマ「OSO18」が駆除されたことが関係者への取材で分かりました。

関係者によりますと先月30日、北海道・釧路町でハンターに駆除されたクマ1頭がOSO18であると判明したということです。ハンターはOSO18と知らずに駆除したとみられ道が体毛をDNA鑑定したところこのクマがOSO18であることが特定されました。

OSO18は標茶町や厚岸町などで2019年から少なくとも牛66頭を襲ったとされています。

ことしも標茶町で乳牛1頭が死ぬ被害が確認されていましたが警戒心が強く捕獲が難航していました。


【詳報】OSO18を駆除…普通のヒグマかと思ったらDNA鑑定でオソと判明 体長は2メートル10センチ 痩せていた(2023年8月22日)
捕獲されたOSO18
 北海道東部の標茶町や厚岸町で2019年からウシ66頭を襲ってきた「OSO18」が駆除されていたことが分かったと北海道が8月22日発表しました。

22日午後に会見を開いた道釧路総合振興局によりますと、2023年7月30日午前5時ごろ、北海道東部の釧路町仙鳳趾村オタクパウシで、釧路町のハンターがクマ1頭を捕獲しました。

このクマは数日にわたり、農地に頻繁に出没していて、人を見ても逃げないことから、出動したハンターが"問題個体"として駆除しました。

当初は捕獲したクマがOSO18とは考えていませんでしたが、念のため捕獲個体の試料を標茶町を通して北海道立総合研究機構に送りDNA検査を依頼。8月18日に分析の結果、OSO18のDNAと一致したということです。

駆除されたOSO18の体長は2メートル10センチ。前足の幅が20センチ。推定体重は330キロ。痩せていたということです。

北海道釧路総合振興局の杉山誠一くらし・子育て担当部長は「OSO18が捕獲されたということで、地域の方々が安心して営農できる日常を取り戻せてほっとしています」と話しました。


<最凶ヒグマOSO18遂に>駆除したのは役場職員の鹿撃ち「怪我で弱ってたんじゃないか」「オソに手傷を負わせる強いクマがまだいる」お手柄にもかかわらず、役場も本人も諸手を挙げて喜べない理由(2023年8月24日)
クマの襲撃
 2019年7月ごろから、北海道の標茶町や厚岸町で牛66頭を集中的に襲い、北海道庁が特別対策班を設置するほど世間を騒がせた最凶ヒグマ「OSO18」。最後に見かけられた標茶町から40㎞以上離れた釧路町の牧草地で発見され、駆除された。OSO18を追い続けた男たちの証言を聞いた。
(中略)
そんな「OSO18」を捕獲したのは猟友会のハンターではなく、釧路役場の有害鳥獣駆除対応を担当する部署に所属する40代の男性職員だった。役場に勤務しながら鉄砲撃ちとしての顔も持つ珍しい役人ハンターだが、釧路役場に取材の旨を伝えると「男性職員への直接取材は避けていただきたい」とのこと。

それには深い理由があり後述するが、とりあえずは捕獲時の様子を釧路役場の農林水産課の林務係に話を聞いた。

「捕獲された2日前の7月28日、釧路町に2軒ある酪農家のうちの1軒からクマの目撃情報がありました。

私ら役人と酪農家は顔見知りなので、職員が『んなら、見とくわ~』という感じで29日と30日にパトロールすることとなり、30日の朝5時ごろ、釧路町仙鳳趾村オタクパウシの牧草地で横たわっているところを発見したようです。

職員を見ても逃げなかったらしく、まず首に1発、近づくと動いたために頭部に2発撃つと、まもなく絶命しました」

捕獲当初、このクマが「OSO18」だとは思わなかったという。そのため、軽四駆のジムニーに積んだが、そのままの走行は無理と考え、処理業者が持つ荷台のある車両に積み替えて運び、解体したという。
(中略)
猟友会標茶支部支部長の後藤勲さん(78歳)いわく、「OSO18」はわからないことが多すぎた、という。

「クマは一晩中歩いて40キロも移動するのはよくあることだけど、縄張りの中に他の個体が侵入するのを嫌うから、行動圏は互いに遭遇しないという特徴があった。でもオソはその縄張り意識がなく、縦横無尽に徘徊していたうえに日中はまず姿を見せなかった。
(中略)
後藤さんは、「実はオソを仕留めた釧路役場の職員は近所で幼少期から知ってる子。4、5年前から猟銃免許を取って鉄砲撃ちになってたのは知ってたし、エゾシカ駆除にもかなり貢献してた。

ガタイはいいけど大人しくて口数も少ないタイプでね。酪農家にとって数千万円以上もの被害を出したクマを倒したヒーローにもかかわらず、役場も彼本人も『名前を伏せたい』『取材を控えたい』と言っている」
(中略)
「OSO18」の駆除に成功したとはいえ、後藤さんいわく「こんなのは氷山の一角に過ぎない」という。

「オソを倒したとき、その顔には2箇所の傷があったと聞いた。そこから菌が入ってなんらかの病気になり、弱ってたんじゃないか。でなければ朝5時に牧草地で横たわってるなんてことはない。

おそらく繁殖期に別のクマと喧嘩してつけられた傷でしょう。ということは、オソに手傷を負わせるほどの強いクマが他にいるということ。まだまだ安心はできない」
(後略)


忍者クマ「OSO18」が食材に ジビエで食べられていた(2023年8月25日)
OSO18ジビエ
北海道で牛66頭を襲った忍者グマ、コードネーム「OSO18」。駆除されたのは、7月30日のこと。

その後、しばらくこのクマが「OSO18」だとは誰も気づかなかったことで、「OSO18」の肉を使った「ヒグマのみそ煮込み」となった。駆除したあと、解体され、北海道などの飲食店で提供されていた。

OSO18を食べた人「シカとはまた違う感じ」、「もっと硬いのかと思っていたがすごくやわらかい、おいしい」

一方、写真を撮っていた男性は「牛を66頭も殺したクマだから、その牛たちの供養もかねておいしく食べてあげないと」と話した。

「OSO18」の肉は、東京・日本橋人形町にあるジビエ料理店でも出されていた。内ももの柔らかい部位を使った炭火焼き。

ジビエ料理 あまからくまから・林育夫店主「『やわらかくておいしい』、『全然臭みがない』とみんな言っている」

「OSO18」だと判明すると、店には問い合わせが相次ぎ、内ももの部位を使った炭火焼きは、すぐになくなってしまった。

一方で、9月8日からはクマ鍋での提供がスタート。すでに予約が殺到しているという。


あの「OSO18」が返り討ちにあって逃走…!最凶ヒグマに勝った、伝説の乳牛「リオン」と牧場主の「知られざる秘話」(2023年8月27日)

乳牛リオン
 「ようやく駆除されました。少しばかりですが、うちのリオンも貢献しましたね」

こう笑って話すのは、北海道・厚岸町にある久松牧場の久松昭治さんだ。
(中略)
リオンの両肩には、鋭い牙の痕が刻まれていて、ぬかるみを引きずられたのか全身泥だらけでした。襲われた時間はわかりませんが、リオンの体についた泥の乾き具合から見て、夜中だと思います」(久松さん)

久松牧場では基本的に乳牛の角を切り落とさないため、リオンには先端が鋭く尖った角が生えていた。

「リオンはまだ若いので角はカーブしていませんでした。鬼の角のような感じです。その左の角に、ゴワゴワとした茶色の毛が3本残っていたのです。DNA鑑定したところ、OSO18の毛だと特定されました。

おそらくリオンは、横からOSO18に噛まれた拍子に首を振って抵抗したのでしょう。反撃されたOSO18はそのときにケガをしたと思います」

OSO18は牛の背骨を折り、身体を真っ二つに引き裂くほどの怪力を持っていた。そんなバケモノを返り討ちするのは簡単なことではない。

「リオンは同じ月例の牛と比べると少し小さいのですが、とにかく気性が荒い。言うことを聞かないので困るほどです。また首が太く、あの首と鋭い角で反撃されたら、OSO18といえど、アバラくらい折れたはずです。

例年、9月ごろまではOSO18による被害が出ましたが、この年は返り討ちに遭って以降、OSO18はぱったりと姿を現さなくなりました。OSO18は初めて牛に反撃されたのではないかな。賢いOSO18は、牛は反撃することもあると学んだのかもしれません。

農家は皆、困っていましたからね。これで牛を襲うのをやめてくれればいいな、とひそかに期待していました」

久松さんの言葉通り、リオン襲撃失敗以降、OSO18による被害は劇的に減った。今年6月24日、標茶町の牧場で生後14ヵ月の乳牛1頭の死骸が見つかったが、この一件だけだ。
(後略)

乳牛66頭を襲った最凶ヒグマのOSO18が駆除されました。

OSO18は、北海道で2019年から2023年にかけて獣害を引き起こしていたエゾヒグマにつけられたコードネーム(※)でして、2019年7月に人間による唯一の目撃を伴って白昼に被害が発生した標茶町下オソツベツの地名と、前足の幅が18cmであることにより命名されました。

※コードネームは、ある事物や人物などを指す、一般にごく短い別名であるが、関係者だけなどといった特に限定された範囲でのみ、そのことを知っているような運用を目的としたものを特に指すこともある。

コードネームは獣害をした全ての熊につけられる訳ではありません。特別な熊のみ名付けられます。

過去にどんなコードネームをつけられた熊がいるか調べてみました。

OSO18
OSO18(オソじゅうはち、2008年から2012年ごろ - 2023年7月30日)は、北海道東部の標茶町・厚岸町一帯において、2019年から2023年にかけて家畜(乳牛)を襲撃していた雄ヒグマ1頭のコードネーム。

2019年7月に人間による唯一の目撃を伴って白昼に被害が発生した標茶町下オソツベツの地名と、前足の幅が18cmであることにより命名された。

2019年から2023年6月末までに標茶町と厚岸町でOSO18に襲われたとみられる牛は、残された体毛のDNA分析などから合計66頭と推定され、うち32頭が殺された。

写真は夜間に自動撮影されるなどした3枚と、2023年6月に撮影されたカラー写真1枚のみ。足跡から行動ルートを推定して、ハンターが朝夕待ち伏せたが捕捉できておらず、ハンターは(夜間の猟銃発砲を禁じられている)鳥獣保護法を知っているような用心深さと評している。放牧牛を狙うが、2022年に入り襲撃場所が牛舎や民家に近づいている。

2022年7月の襲撃例では、殺した牛の内臓をその場で食べ、翌朝に約100 m離れた沢まで引きずって行って肉も食べるなど、餌に執着するヒグマならではの習性も見てとれる一方、2023年では牛のロースのみを食べる偏食パターンも見せ、混乱を生んでいた。

2023年6月25日、標茶町内の町有林にて初めて昼間のカラー撮影に成功し、体毛のDNA型鑑定により写真に写る個体がOSO18であると断定された。写真から分析された体格は体長約2.2m、体高約1.2mと、従来想定されていた体格とほぼ一致している。

北海道はハンターによる銃猟では察知されて逃げられる可能性が高いことから、罠による無人での捕獲を目指していたが、2023年7月30日に釧路管内釧路町の牧場でハンター(釧路町役場の農林水産課職員)によって駆除され、同年8月21日に広く報道。釧路総合振興局もOSO18と同一個体であることを確認したと同月22日に発表した。

スーパーK

スーパーK
本州最悪となった「十和利山熊襲撃事件」

2016(平成28年)5月下旬から6月にかけて、秋田県鹿角市十和田大湯の十和利山山麓で発生したツキノワグマによる獣害事件。タケノコや山菜採りで入山した4人が死亡、4人が重軽傷を負った。

記録に残るものでは本州史上最悪、日本史上でも3番目の被害を出した獣害事件と言われる。人を襲った熊、食害した熊が複数存在する非常に稀な事例である。

鹿角市の頭文字をとって「スーパーK」と名づけられた。

◆スーパーKの犠牲者

・5月21日 第1犠牲者
 鹿角市十和田大湯字熊取平くまとりたいの竹藪でタケノコを採集していた男性(79)が前日行方不明となり、この日の朝、遺体で発見される。遺体は食害されていた。無残で、左半身の肩や太もも、そして内臓まで食い尽くされていたことが後にわかった。

・5月22日 第2犠牲者
 朝、第1犠牲者発見現場から北西500mの地点でタケノコ採りをしていた夫婦が熊に襲われる。妻(77)は逃げて無事だったが、夫(78)は午後、遺体で発見される。遺体は咬み傷等で激しく損傷していた。頭には大きなひっかき傷が、額にはかみ痕、そしてあろうことか、脇腹は、肉がえぐれていたというのだ。

・5月30日 第3犠牲者
 タケノコを採りに田代平たしろたいを訪れ25日から行方不明になっていた男性(65)が、この日の朝、遺体で発見される。遺体は複数の熊に食害されていたと推測される。両手両足はほとんど骨だけとなり、内臓も失われていたという。

・6月10日 第4犠牲者
 6月7日から行方不明になっていた女性(74)が、朝、遺体で発見される。遺体は広範囲にわたって食害されていたと推測される。同日午後、付近にいた熊が1頭射殺される。

関係者は、この事件の対応に失敗し、加害グマの特定も行なわず、また完全なる収束も見ず、騒動に幕を降ろしてしまった。

4人の犠牲者が出てもなお、山に入る理由……それは、あのタケノコ、ネマガリダケだった。旬のネマガリダケは、業者に売れば1キロ350円。1日1万円以上稼ぐ業者もいたという。さらに、この年は不作でさらに高い値がついたと言われている。

このタケノコは、クマの大好物でもあったのだ。この年は不作で、ただでさえ山に生えているネマガリダケが少ないのに、さらに人間たちに奪われてしまう……。

山に入った犠牲者たちは、自分たちが採ったネマガリダケを身に着けていた袋に入れていたという。次から次へと自分たちの貴重な餌が入っていく袋を、どんな思いでやぶの中からにらみをきかせていたのだろうか。

「数頭以上、関わっているのではないでしょうか」
人肉の味を知ってしまったクマは5頭のうち、今年も3頭が生き残った可能性が高いとみている。そしてまだあのエリアに息を潜めている恐れがあるという。

97B-5

ソーセージ
コードネーム97B-5、またの名はソーセージ。初めて出会ったのは1997年秋、彼女は母親からはなれ独立したばかりだった。

翌年の夏、彼女はたくさんの車が行きかう国立公園入口近くに姿を現すようになった。その後すぐ、とんでもない知らせが飛び込んできた。観光客が彼女にソーセージを投げ与えていたというのだ。

それからの彼女は同じクマとは思えないほどすっかり変わってしまった。人や車は警戒する対象から、食べ物を連想させる対象に変わり、彼女はしつこく道路沿いに姿を見せるようになった。そのたびに見物の車列ができ、彼女はますます人に慣れていった。

我々はこれがとても危険な兆候だと感じていた。かつて北米の国立公園では、餌付けられたクマが悲惨な人身事故を起こしてきた歴史があることを知っていたからだ。我々は彼女を必死に追い払い続け、厳しくお仕置きした。人に近づくなと学習させようとしたのだ。しかし、彼女はのんびりと出歩き続けた。

翌春、ついに彼女は市街地にまで入りこむようになった。呑気に歩き回るばかりだが、人にばったり出会ったら何が起こるかわからない。そしてある朝、彼女は小学校のそばでシカの死体を食べはじめた。

もはや決断の時だった。子供たちの通学が始まる前にすべてを終わらせなければならない。私は近づきながら弾丸を装填した。スコープの中の彼女は、一瞬、あっ、というような表情を見せた。そして、叩きつける激しい発射音。ライフル弾の恐ろしい力。彼女はもうほとんど動くことができなかった。瞳の輝きはみるみるうちに失われていった。

彼女は知床の森に生まれ、またその土に戻って行くはずだった。それは、たった1本のソーセージで狂いはじめた。何気ない気持ちの餌やりだったかもしれない。けれどもそれが多くの人を危険に陥れ、失われなくてもよかった命を奪うことになることを、よく考えてほしい。



※最後に
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