◆ドキュメント
作成日付:2022/12/24
更新日付:2024/04/23

◆はじめに

 宮刑(きゅうけい)。

 宮刑は、去勢する刑罰です。この刑は世界的にみても実施例が数多くありますが、中国におけるものが最も有名です。男性器を機能不全にする刑で、家系繁栄を重んじる中国で子孫ができないことは重い恥辱でした。

現代でも、このような刑は存在しており、アメリカ合衆国の一部の州において、性犯罪者に対して、本人の希望により、あるいは懲役刑との自由選択の形で、去勢刑が行われています。

去勢の多くは薬物注射で睾丸を萎縮させる「化学的去勢」といわれる方法を取りますが、テキサス州においては、手術による睾丸摘出が実施されており、1997年と2007年に執行された例があります。

つい最近では、アフリカ最大の国ナイジェリアのカドゥナ州でこのほど、レイプが厳罰化され、有罪となった場合は、去勢(睾丸または卵管を摘除)された上に死刑または終身刑となることになった。同州知事が2020年9月11日に署名し、即日施行された。

いやー痛い!痛い!ですね。聞いてるだけで痛くなってきます。

現在の日本では、このような刑はありませんが、この刑に相応しい人間がいるのも事実です。


渡辺陽太(6度とも不起訴で釈放)
【氏名】
 渡辺陽太
渡辺陽太 (2)
【プロフィール】
 年齢 22歳(2020年逮捕当時)
 学歴 慶応義塾大学経済学部
 身長 182.5cm
 実家 土木業会社経営で総資産100億円

【生い立ち】
 高校に進学したころから素行が悪くなり、万引きで退学処分を受けました。そこで体面を気にしてスイス、ニュージーランド留学しました。
 そして、留学生枠を使用して慶応義塾大学で入学となりました。
 学生当時には2つの会社の取締役についており多額の報酬を受け取って悠々自適の生活でした。
 また、2016年ミスター慶応コンテストでファイナリスト5人に選出されてぐらいに容姿端麗でした。

【犯罪(容疑)内容】
❖逮捕1度目、2度目(昏睡強盗・準強制猥褻)
 2018年9月29日、渡辺陽太(当時22歳)は、神奈川県横浜市の路上で泥酔している女性のを発見し、暴行を加えられる前に、雑居ビル1階の踊り場で性的暴行した後に近くの路上に連れ出し女性の腹を蹴ったり、頭にかかと落としをするなどしていたところ警察官に発見され、その場で暴行罪の現行犯逮捕を現行犯逮捕されました(1度目)。取り調べで先の暴行も発覚して2度目の逮捕となりました。

◆サイン
 渡辺は、驚くべきことに犯行の様子をスマートフォンで撮影保存しており、警察は証拠として、過去の余罪、共犯者を追及しました。

❖逮捕3度目(昏睡強盗・準強制猥褻)
 2018年5月10日未明にナンパに成功してカラオケ店女性を酒に酔わせて酩酊状態にして下半身にさわる、わいせつな行為をし、さらに財布を盗んだとして、共犯の慶応大生 光山和希(当時22歳)、X(当時19歳)とともに3度目の逮捕となりました。
光山和希
❖逮捕4回目(強制性交・窃盗)
 2018年3月27日には、友人のマンションで、男女複数人で食事をしていました。そのうちの1人の女性を離れた場所に連れて行き、女性に性的暴行を加えた上で、現金6万円とキャッシュカードが入った財布を盗んだとし、強制性交と窃盗の疑いで4度目の逮捕となりました。

❖逮捕5回目(準強制性交未遂容疑)
 2018年9月1日に友人のマンションで女性にアイマスクを着け、両手首をひものようなもので縛った上で暴行しようとした準強制性交容疑で5度目の逮捕をされています。

❖報道と不起訴処分(1~5回目)
 報道されると窃盗と性犯罪を申し出てくる人が多数おりました(どうなったか不明です)。
 横浜地検が2019年1月25日に不起訴処分としました。理由はあきらかにしていません。

❖逮捕6回目(準強制性交未遂容疑)と不起訴処分
 2019年3月24日、JR大宮駅近くで女性に声を掛けて、埼玉県さいたま市大宮区カラオケ店とインターネットカフェでそれぞれ性的暴行を加えたました。20代の男性が解放されて泣いている女性を発見、事情をきいて警察に通報しました。
2020年11月21日に渡辺陽太(当時24歳)6度目、光山和希(当時24歳)2度目で逮捕されました。
2020年12月11日にさいたま地検が不起訴処分としています。理由はあきらかにしていません。

❖さいごに
 このように全てが不起訴処分で罪を免れている渡辺ですが、何度犯罪に手を染めても金の力で解決できると思い、悔い改めることはないと思います。

女性を酩酊状態にしてから性犯罪を犯していることが多いのが特徴ですのでご注意願います。

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丸田憲司朗(異例の10回逮捕)
【氏名】
 丸田憲司朗
丸田憲司朗
【プロフィール】
 年齢 31歳(2021年逮捕当時)
 学歴 甲南大学
 職業 リクルートコミュニケーションズの元社員(懲戒解雇)

【生い立ち】
 出身地の奈良県五條市にあると思われる、丸田の実家情報については不明のようです。
丸田は取り調べで「以前、交際していた女性に睡眠薬を飲ませてセックスしたときに、興奮を覚えたのがはじまりです。セックスしたい、動画を撮影して、後で楽しみたいと思った……」と述べています。

【犯罪(容疑)内容】
 丸田は2020年11月から2021年10月までの間に、準強制性交等、住居侵入、準強姦、準強制猥褻の罪で計10回の逮捕・起訴を受けている。事の発端は30代の知人女性に睡眠薬を飲ませ自宅に連れ込み、わいせつな行為をしたとして昨年11月12日に逮捕されたことでした。

丸田は2020年6月27日の夜に知人宅のホームパーティーで知り合った30代の女性に対し睡眠薬を飲ませたうえで、自宅に連れ込み性的暴行に及びました。翌日に女性が丸田被告の自宅で目を覚ました際、舌が真っ青になっており、体にも違和感を覚えたために被害届を提出。その後、女性の体内から睡眠薬の成分が検出され、丸田の逮捕につながりました。

押収されたスマートフォンからは40人近くの女性がこん睡状態で映った動画や画像が見つかり、ほかにも被害者が多数いることが明らかになりました。勾留中に余罪の捜査が進み、2020年12月に「OB訪問アプリ」を通じて知り合った就職活動中の女子学生に対して「資料作成を手伝う」と誘い出し暴行した件で再逮捕となりました。

丸田は就活アプリや出会い系アプリなど合わせて4つのアプリを使い分け、彼の自宅からは10種類合わせて約700錠もの睡眠薬が押収されており、複数の女性からの被害届が出ているといいます。

【逮捕歴】
 2020年11月12日・・・30代女性会社員(逮捕1回目)
 2020年12月03日・・・就活中女子大生(逮捕2回目)
 2021年01月13日・・・女子大生(逮捕3回目)
 2021年03月05日・・・20代女性(逮捕4回目)
 2021年05月06日・・・20代知人女性(逮捕5回目)
 2021年05月26日・・・10代女子大生(逮捕6回目)
 2021年06月23日・・・20代女子大生(逮捕7回目)
 2021年08月11日・・・女子大生(逮捕8回目)
 2021年09月01日・・・女子大生(逮捕9回目)
 2021年10月05日・・・知人女性(逮捕10回目)

 2020年7月と10月には、就活マッチングアプリを介して知り合った大学生のBさん、Cさんに対してもそれぞれ、同様の手口で抗拒不能状態に陥らせたうえ性交したとされている。また犯行時は、その様子をスマホなどで撮影していました。
 
 2020年7月に就活マッチングアプリで丸田と知り合ったBさんには「課題手伝おうか?」と声をかけ、都内のホテルで飲食したのち、予約していた客室に連れ込み「資料のアドバイス」をした。こうして頼れる社会人を装いながらも、客室でBさんの飲み物に睡眠作用のある薬物を混ぜ、意識を朦朧とさせた上で性的暴行を加えたとされています。

 2020年10月に就活マッチングアプリで丸田と知り合ったCさんにも「そろそろ本格的な就活対策しようか」とアドバイスを行う名目で食事に誘い、その後「バーテンやってたから、甘いカクテルとか作れるよ、眠くなったら寝ちゃっていいから」などと声をかけ、Cさんを自宅に誘い込んで性的暴行を加えたとされています。

 「丸田は自宅で自らカクテルを作るなどして飲酒する中、Cさんに悟られないよう睡眠作用のある薬物を飲み物に入れ摂取させた。その後突然Cさんに近づき『この後絶対記憶なくすから、キスしとこう』と言い、キスをした。その直後にCさんは熟睡した・・・」

【判決】
 公判中であり、余罪追及中でもあるので、判決は当面先と思われます。

【出所予定(年齢)】
 公判中

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植園貴光(6回逮捕)
【氏名】
 植園貴光
植園貴光
【プロフィール】
 年齢 36歳(2006年逮捕当時)
 学歴 中卒
 職業 解体工

逮捕容疑は「準強制性交の疑い」となっており、かなりの数の女性を毒牙にかけていたようです。

【生い立ち】
 知人によると、植園貴光は九州出身の父親と、地元出身の母親の長男として生まれ、両親と妹の4人で公営住宅で暮らしていた。地元の小、中学校を卒業後、父親の建設業などの手伝いをしていたという。「17、18歳の女の子の後を付け、家に入る一瞬を狙って押し入っていた。家人がいれば逃げるが、不在なら、わいせつ行為に及んでいた。同じような被害を受けたのは、たくさんいたが、田舎のことなので、みんな警察に届けるのを渋っていた」

また、別の関係者によると、同容疑者は約10年前、隣の家に侵入し、若い女性の部屋に侵入し、パンティーを被って部屋を物色していたところを、女性の家族に見つかったこともあるという。

【犯罪(容疑)内容】滋賀電車内駅構内連続強姦事件
❖事件その1(2006年8月3日午後9時20分頃)
 滋賀県湖南市石部南(当初の報道では大津市坂本)の男性解体工(逮捕時35歳)が、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線福井駅を出発した直後の富山駅発大阪駅行き特急「サンダーバード」車内で、大阪市内の女性会社員(当時21歳)の隣に座り「俺はヤクザだ」「逃げると殺す」などと脅し下半身を触るなどしたうえ、午後10時半頃から約30分間にわたりトイレに連れ込み強姦した(新大阪駅で下車した女性から被害届を受けた大阪府警が、2007年4月21日に逮捕した)。JR特急「サンダーバード」車内で女性に暴行。40人乗客制止できなかった。

❖日本人特有の資質が出てしまった「サンダーバード事件」

犯行が行われた当時、車内には約40名の乗客がいたとされています。

1車両に40名の乗客が乗っている特急の車両は、混雑しているとは言えませんが、そこそこに人がいる状態です。

被害者は前から3列目の席に座っていて、その隣に犯人が座ってきました。女性は泣いていたとのことですので、周囲の乗客は異変に気づいていました。

また、トイレに連れて行かれた時も女性は泣いており、不審に思う乗客はいたようです。

しかし、それらの乗客に対して、犯人は「何を見とるんじゃ!」とすごんだために、乗客は怖くなって何もできなかったとのこと。

被害者が泣いていたことに他の複数の乗客が気付いていながらも、誰も被害者を助けなかったし、それどころか車掌や警察に通報することもなかったそうです。

つまり、被害者はされるがままであり、犯人はやりたい放題だったということですね。
被害者は「声を出したら殺す」と脅されていたために、周囲の人に助けを求めることができませんでした。

被害を受けている女性が目の前にいるのに、乗客はみんな「見てみぬふり」。日本人のモラル・日本人の道徳観が問われることになり、「見てみぬふり」が糾弾されることになりました。

このサンダーバード事件を受けて、現在は多くの鉄道会社で女性専用席が導入されるようになりました。女性としては、やはり隣に見知らぬ男性が座るのはちょっと怖いですよね。

❖事件その2(2006年12月21日(2件発生))
 午後10時半頃、JR西日本湖西線堅田駅発京都駅行き普通電車の乗客のいない先頭車両で、大津市の女性パート店員(当時27歳)を脅し強姦した(滋賀県警が2007年2月13日に逮捕)。
その直後、京都駅で反対方向の電車に乗り換え、午後11時20分頃雄琴駅(現・おごと温泉駅)で下車、女子大生(当時20歳)を脅し駅構内の男子トイレに連れ込み強姦した(滋賀県警が2007年1月17日逮捕)。

【逮捕歴】
 1991年06月・・・傷害と公務執行妨害により懲役1年、3年間執行猶予保護観察付(その後執行猶予取消)
 1992年11月・・・暴行、脅迫、傷害、住居侵入、恐喝により、懲役1年10月
 1996年03月・・・覚せい剤取締法違反、毒物及び劇物取締法違反により、懲役1年
 1997年11月・・・強制猥褻により、懲役1年6月
 1999年12月・・・強姦、条例違反により、懲役3年6月
 2003年09月・・・暴行、強制猥褻により、懲役3年

【判決】
 2008年1月17日、大津地方裁判所は植園貴光に対し、懲役18年を言い渡した。
 何と16歳の頃の交通事故が原因で脳挫傷を負い、脳に障害(※)が残り性衝動が抑えられなくなった。弁護側は情状酌量の要求を行い、裁判所は求刑懲役25年に対して18年に減刑の判決を下した。

※高次脳機能障害といい、感情をコントロールできなくなるという社会的行動障害を引き起こす。治療はできるが完治100%とはならない。

【出所予定(年齢)】
 2026年1月頃、54歳(現役バリバリ!)で世に放たれる・・・。

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服部英之・国分榮太郎(福島県郡山市強姦事件)
【氏名】
 中島順司
 服部英之(写真左)
 国分榮太郎(写真右)
福島県郡山市強姦事件(服部英之・国分榮太郎)
【プロフィール】
 ❖中島順司
 年齢 34歳(2002年逮捕当時)
 学歴 -
 職業 新聞拡張員(勧誘)
 ❖服部英之
 年齢 15歳(2002年逮捕当時)
 学歴 中学生
 職業 -
 ❖国分榮太郎
 年齢 16歳(2002年逮捕当時)
 学歴 中学生
 職業 -

【生い立ち】
 -

【犯罪(容疑)内容】

 「宅配便です」
 2002 年9月2日の午後6時30分ごろ、ドアを開けた女性を、中島被告は一気に押さえ込んだ。その後、少年たちも侵入し、悲鳴をあげる女性を縛りつけた。目的はあくまでカネだった中島被告は、女性の財布からカードを抜き取り、キャッシングができるかどうか確認するために外出する。

「こいつ、やってもいいっすか」(国分榮太郎)

 強盗よりも強姦が目的だった少年たちは、無慈悲な言葉を吐いた。嫌がる女性を二人は怒鳴りつけ、「うるせぇ! 俺らを誰だと思ってんだ!」と脅迫したのだ。

「女性は、“地獄”を見た」

 事件後、女性を診察した警察医はそう証言している。まさに地獄だった。国分榮太郎は下半身を出したまま仰向けになり、女性に「上を跨またいで腰を下ろせ!」と命令。室内にあった包丁を服部英之に持ってこさせ脅迫し、強姦を始める。さらに部屋にインスタントカメラがあるのを見つけ、写真を撮って、女性が後で訴えられないようにした。女性を強制的に笑顔をさせたものもあった。

帰宅した中島順司も強姦に加わり強姦した。服部英之をそそのかし「一緒にやろうよ」と言って激しい強姦をさせ写真を撮った。続いて服部英之も、恐怖で抵抗することもできない女性を犯した。

女性は口内射精を無数にされた。「口でやれ飲み込め」とも言われた。混浴を強制されたりロフト上では3人が見てる前で浣腸させられて布団上に排泄させられて食べさせられた。浣腸は2回もさせられた。写真を多数撮られて一枚は被害者のパソコン内に壁紙に取り込まれていた。浴室では陰毛は完全に剃毛された。口封じのために頭髪もハサミで切った後カミソリで完全に剃毛された。肛門や膣に執拗に異物でかき回した。胸にも執拗に噛み付かれて噛み切られた。

その後も、浴室やロフトベッドで約22時間もの間、およそ12回に亘わたって代わる代わる女性を陵辱した。

「警察に言ったらわかってんだろうな。殺すからな……」

 中島被告もカネを手に入れた後、強姦。醜悪な欲望を満たした3人は、翌日の9月3日の午後4時ごろに女性の部屋から去る。女性は下着姿で縛られ、階段を外したロフトに監禁されたままだった。

 女性は肛門や女性器に執拗に異物でかき回されて、肛門は完全に裂けた状態であった。胸にも執拗に噛み付き乳房は傷だらけで乳首は噛み切られて断裂状態だった。女性器と肛門のケガは想像を絶するものであった。事件後歩行が困難になるほどであり、女性器の挫傷は婦人科で肛門の裂傷は肛門科で縫合手術をしなければならなかった。

結局女性は妊娠が判明し中絶手術を余儀なくされた。また性感染症にも多数うつされた。

【逮捕歴】
 -

【判決】
 2003年11月20日、福島地裁郡山支部で判決公判が開かれた。宍戸充裁判長は「犯罪の重大さ、被害感情の激しさ、少年らの関与度から刑事責任は極めて重く、保護処分では社会正義と著しく均衡を失する」として、服部英之に懲役3年6月以上6年以下、国分榮太郎には同4年以上7年以下の不定期刑(求刑はいずれも懲役4年以上8年以下)を言い渡した。

公判終了後、国分榮太郎の実家を訪ねてみた。出かけるところだった父親に声をかけると、記者をにらみつけてこう言い放った。

「何も騒ぐことではないでしょう。“未成年”なのに……」

それ以上は質問に答えず、自宅へ戻ってしまった。服部英之の実家にいたっては、玄関のドア越しに「取材はお断りします」と女性が答えるのみだった。

 2004年10月7日、最高裁第2小法廷は事件を主導したとして強盗婦女暴行、監禁、窃盗、詐欺などの罪に問われた住所不定(本籍・福岡県)、元新聞外交員、中島順司被告(当時35歳)の上告を棄却し、懲役11年の判決が確定した。

【出所予定(年齢)】
 中島順司・・・2015年10月頃、46歳(出所)
 服部英之・・・2009年11月頃、22歳(出所)
 国分榮太郎・・・2010年11月頃、23歳(出所)

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和田真一郎・小林潤一郎・沼崎敏行・藤村翔・小林大輔(スーパーフリー事件)
【氏名】・・・主犯5人のみ
 和田真一郎(スーパーフリーの代表者)
 小林潤一郎
 沼崎敏行
 藤村翔
 小林大輔
スーパーフリー事件(和田真一郎・小林潤一郎・沼崎敏行・藤村翔・小林大輔)
【プロフィール】・・・主犯5人のみ
 ❖和田真一郎
 年齢 当時28歳
 学歴 早稲田大学2年
 職業 -
 ❖小林潤一郎
 年齢 当時21歳
 学歴 早稲田大学4年
 職業 -
 ❖沼崎敏行
 年齢 当時21歳
 学歴 早稲田大学3年
 職業 -
 ❖藤村翔
 年齢 当時21歳
 学歴 日本大学3年
 職業 -
 ❖小林大輔
 年齢 当時20歳
 学歴 学習院大学1年
 職業 -

【生い立ち】・・・和田真一郎(スーパーフリーの代表者)のみ
 スーパーフリーの代表者 和田真一郎は1974年7月に生まれた。父親の教育方針はスパルタであった。代表者は、土建屋の長男として、小学生のときからクレーンや重機の使い方を教えられた。襟が曲がっていたり人前であくびをしたりすると代表者は殴られた。8歳の時には新潟から北海道まで一人旅をさせられ、幼い代表者が一人で長距離切符を買う姿を見て心配した周囲が連絡をしてきたという。代表者の小学校での成績はクラスで1、2番であった。代表者は中学高校時代には父親とほとんど口を利かなくなった。代表者が通った高校の校長は、事件後のインタビューにおいて、父親が変わり者だったようだと話している。

大学受験の際、三国志が好きだった代表者は文学部史学科に進学を当初希望していた。しかしそれでは就職が難しくなると考え直し、経済学部を受験した。そして現役合格した中央大学経済学部に1993年4月に入学した。大学では遊びたいという願望があったが、八王子の山の中で過ごすキャンパスライフは理想とは程遠く、別の大学への再受験を考えた。ゲームセンターでバイトして得た給料で予備校に通い、都心の大学を受験した。早稲田大学の政経学部に合格し、1994年4月に入学することとなった。尚、代表者は中央大学時代、交際した女性に対して童貞を喪失した。

早稲田大学入学直後の代表者が高田馬場の駅前を歩いていると、スーパーフリーに所属していた先輩が偶然声をかけた。これが代表者とスーパーフリーの出会いである。スーパーフリーは早稲田大学に1982年に設立された老舗のイベント系サークルであった。代表者は、男1人を華やかな女子4~5人が囲むスーパーフリーの飲み会を理想の場と感じ、スーパーフリーに居つくことになる。代表者が入った時点では飲み会を月1回開くのが主な活動であり、輪姦などは横行していなかった。早稲田大学の2年生になった1995年6月頃に第15代の代表の座に就いたが、その時点では中心スタッフが男3人だけの小規模なサークルであった。

1995年9月から代表者は六本木のヴェルファーレでバイトを始め、大学にはほとんど行かなくなった。スーパーフリーも新歓の時期以外は活動しない半ば休眠状態のサークルとなった。代表者はヴェルファーレのバイトを2年半続けた。「LADY JANE」というサークルのスタッフも務め、サークル運営のノウハウを学んだ。

ヴェルファーレのバイトを辞めて時間が出来た1998年4月に、代表者はスーパーフリーのイベントを六本木のクラブで開いた。500人以上が集まる「大成功」[2]となった。代表者はこの「大成功」を機にイベントにのめり込むようになる。また、この「大成功」のイベントに早稲田大学以外の学生も関与したことで、スーパーフリーはインカレサークルとなった。この1998年4月にスーパーフリーが変質し、輪姦を行うようになった。

最初の輪姦は、輪姦が既に活発に行われていた明治大学のイベントサークル(サイドキックス)とスーパーフリーを掛け持ちしているスタッフ(未逮捕者)から、「スーフリでもマワし(輪姦)をやりましょうよ」と代表者が提案されたことが契機であった。その提案時の飲み会にはお酒をよく飲む女性が2人いた。代表者らは泥酔した2人を自宅に連れ込み、5~6人で輪姦した。特にトラブルなく終了した。その後、逮捕されるまでの5年間、輪姦の手口は洗練されていった。代表者が作り上げた輪姦のシステムにより、具体的な指示がなくとも、代表者の後輩が勝手に輪姦の流れを作っていくようになった。

【犯罪(容疑)内容】
 早稲田大学のインカレサークル「スーパーフリー」のメンバーは、女子大生らへの輪姦を1998年4月頃から常習的に行っていた。輪姦された女性の数は数百人以上に上る。2003年5月18日に警察に被害届が出されたことで発覚した。早稲田大学の他にも東京大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、学習院大学、日本大学といった首都圏の有名大学出身の学生ら合わせて14人が準強姦罪で実刑判決を受けた。この事件は重大な社会的波紋を呼び、2004年の集団強姦罪・集団強姦致死傷罪の創設につながった。起訴されたのは3件の輪姦のみであり、関与した多くの者が未逮捕のままとなった。輪姦を幇助した女性も多数存在したが、女性は1人も逮捕されなかった。スーパーフリーはスーフリと略称されることもある。

 1.2001年12月19日、東京都豊島区高田のスーパーフリー代表者の自宅兼事務所における鍋パーティで、当時19歳の女性を泥酔させ、3人で輪姦した事件

 2.2003年4月27日、東京都港区六本木ロアビル12階の居酒屋における二次会で、当時18歳の女子大生を泥酔させ、人通りのない11階のクリニック入口の玄関マットに寝かせ、1時間半にわたり13人で輪姦した事件

 3.2003年5月18日、東京都港区六本木ロアビル12階の居酒屋における二次会で、当時20歳の女子大生を泥酔させ、人通りのない11階のクリニック入口の玄関マットに寝かせ、5人で輪姦した事件

捜査のきっかけになったのは、3番目の事件の被害者が被害当日に警視庁麻布警察署に被害届を提出したことである。2003年6月19日、3番目の事件で輪姦を行ったスーパーフリーの代表者及び男子大学生メンバー4人の計5人が強姦容疑で麻布署に逮捕されたことが報道され、本件は世間に知られるところとなった。

当初容疑者らは「合意の上」と容疑を否認したが、非常階段踊場付近の玄関マットの上で初対面の男たちに輪姦されることが合意だったという主張には無理があった。6月22日にはスーパーフリーが解散し、6月30日には東京地検が容疑者のうち2名を準強姦罪で起訴した。その後、1番目の事件について2003年7月31日に元男子大学生1人が新たに逮捕された。さらに、2番目の事件について2003年11月14日までに男子大学生ら9人(未成年を2人含む)が新たに逮捕された。

【逮捕歴】
 -

【判決】
 2004年11月2日、代表者に対し懲役14年の実刑判決が下った。被告人側は判決を不服として同年11月17日に控訴。2005年6月2日に東京高裁(仙波厚裁判長)は控訴を棄却。2005年6月16日には最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)に上告したが2005年11月1日付で棄却され、代表者を懲役14年の実刑とした1、2審判決が確定した。代表者を除く13人には懲役10年〜2年4ヶ月の実刑判決が確定した。

❖実刑判決を受けた人間
 和田真一郎(スーパーフリー代表者)・・・懲役14年
 小林潤一郎・・・懲役10年
 沼崎敏行・・・懲役2年10箇月
 藤村翔・・・懲役6年
 小林大輔・・・懲役6年
 岸本英之・・・懲役7年6箇月
 若松直樹・・・懲役2年6箇月
 関本雄貴・・・懲役2年8箇月
 吉野豪洋・・・懲役2年6箇月
 高山知幸・・・判決2年6箇月
 小泉創一郎・・・懲役2年8箇月
 吉村直・・・懲役2年4箇月
 関本隆浩・・・懲役2年4箇月

【出所予定(年齢)】・・・主犯5人のみ
 和田真一郎(スーパーフリーの代表者)・・・2018年6月頃、42歳(出所)
 小林潤一郎・・・2014年6月頃、31歳(出所)
 沼崎敏行・・・2007年4月頃、23歳(出所)
 藤村翔・・・2010年6月頃、27歳(出所)
 小林大輔・・・2010年6月頃、26歳(出所)

❖和田真一郎の刑務所生活と出所
 代表者は千葉刑務所で懲役刑に服した。雑居房では10人の受刑者で共同生活を行ったが、代表者に絡む受刑者は滅多におらず、イジメも全くなかった。

服役中はまず印刷工場に7年勤め、次に炊事工場に5年勤めた。空いた時間は勉学に打ち込み、千葉刑務所で取れる簿記一級などの資格はすべて取得し、刑期後半には山口刑務所で職業訓練を受けて2級ボイラー技士免許や「簡単なワードやエクセルの資格」を取得したという。

歴史書を大量に読むこともでき、史学科に行こうと思っていた高校時代の夢をかなえたような気持ちになった。母親とは月1回程度手紙をやり取りしていたが、その手紙で父親が暴行事件の被害者となったことを知って腹を立てたことがあり、その時に輪姦被害者の感情に気づいたという。

出所前には6ヶ月間の再犯防止プログラムを山形刑務所で受けた。2018年6月29日に刑期を終え満期出所した。服役中の就労支援が縁で、出所2日前に決まった週休1日の仕事に現在は就いている。仕事上では別名を名乗っている。


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高山正樹(仙台女児連続暴行事件)
【氏名】
 高山正樹
仙台女児連続暴行事件(高山正樹)
【プロフィール】
 年齢 当時26歳
 学歴 -
 職業 ニート

【生い立ち】
 1975年に宮城県仙台市内に誕生した高山正樹(逮捕当時26歳)ですが、父親が中国人の日中ハーフでした。高校に進学していますが、2年時に「旅に出る」との理由で中退をしています。
 高校を中退後の高山正樹については、アルバイトをすることもなく基本的にニートでありました。

【犯罪(容疑)内容】
 2000年の宮城県仙台市内各区では女児強姦事件が多発しており、被害届が出ているものだけでも60件以上に及んでいた。

警察は同一犯の犯行と見て厳重な警戒態勢を敷く。2000年8月8日、1~2週間前から発生していた女児暴行事件のアパート付近で張り込みをしていると、アパート入り口で目撃証言と一致する不審な男(高山)が何かを物色していた。警察官は男(高山)に職務質問をすると、男(高山)はアパートに住む友人と会う約束であると主張。しかし、男(高山)は訪問先の友人の部屋番号や名前を言わず、更に自分の名を名乗ろうとしなかった。男(高山)はアパート近くのコンビニエンスストアに駆け込み、警察からの任意同行を求められた際には弁護士に連絡したいなどの抵抗を見せた。警察官はその場で高山を強制わいせつ容疑で緊急逮捕した。後にそのやりとりの一部始終がテレビ番組で放送されている。

その後、高山への家宅捜索で45人の女児への犯行をビデオに撮影していたことも発覚した。高山が襲った女児は約100人以上と推測された。高山は女児暴行の容疑を認めた。高山が初めて犯行に及んだのは1997年頃で「小学校高学年くらいのきれいな顔立ちをした女の子を人に見つかりにくい場所に連れて行き、服の上から胸を触ったのを覚えている」とされる。その後、高山は「4日に1回程度の割合で好みの女の子を捜しにいってはセックスを試みようとするようになった」とされる。

高山の犯行は、8ミリビデオカメラやデジタルビデオカメラを携えたり、性交がしやすくなるようにローションを準備したりするなど、計画性があった。そして、起訴された11の犯行のうち、10の犯行で犯行の様子を撮影したビデオテープが発見され、高山の住居から発見されたビデオテープの中には、起訴された被害女児以外の多数の幼女に対するわいせつ行為が撮影されていた。また、犯行現場を被害女児の姉が目撃するなどの例もあった。そして犯行後には、被害女児に対して「言ったら殺しに行く」といって口止めをし、被害女児の中には両親にさえも被害を打ち明けずにいた者もいた。

【逮捕歴】
 なし

【判決】
 高山に対する起訴内容は、1999年3月10日から2000年8月1日にかけ、仙台市内の3歳から10歳の女児11人に対し強姦をしようとしたとして、4件の強姦未遂、5件の強制わいせつ、2件の強姦致傷事件である。強姦未遂といっても、男が結果的に姦淫できずに口淫させるなどしている。検察は、起訴された11件以外にも、男が3年間で約100人の女児に乱暴し、うち45人を犯行時にビデオ撮影していたことなどを指摘した。

高山は、第1回公判では公訴事実につき「間違いないと思います」と述べていたが、一転して第2回公判では車椅子で入廷してから閉廷するまでの間、首をうなだれたまま、黙して何も語らず、公訴事実についても何も陳述しなかった。そして弁護側は、高山が犯行時、精神分裂病の症状により心神耗弱下の状態にあったものであり、刑の減軽が図られるべきである旨主張した。

検察側は論告で「わが国の性犯罪史上、類がない卑劣な犯行。最高刑をもって臨むしかない」として、無期懲役を求刑した。

2002年3月29日、仙台地裁は、医師の鑑定結果から、精神分裂病その他の精神病に罹患している疑いはないとして弁護側の主張を退け、高山に無期懲役判決を言い渡す。被告は控訴したが、2004年5月に最高裁で無期懲役判決が確定した。死亡者がいない性犯罪で前科がない人間が無期懲役となるのは極めて異例。

【出所予定(年齢)】
 2033年3月頃、56歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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未公表:100人以上の強姦魔(北九州)
何で未公表なんでしょうね。怖いですね。
100件以上の強姦を供述の現役ミュージシャン
「1年くらい前に住居侵入の容疑で逮捕された北九州市在住のミュージシャン(起訴状では音楽教室経営)の男がいるんですけど、いま、10件あまりの強盗、強姦(現:強制性交等)、窃盗、強姦未遂の罪で起訴されていて、100件以上の強姦の余罪を自供しているそうなんです……」

福岡県警担当記者の友人から驚きの情報提供を受けたのは、2004年12月のこと。その男、武藤博之(仮名、逮捕時36)が福岡県警に逮捕されたのは2003年11月で、時間こそ経ってはいたが、強姦の余罪100件以上という尋常ではない数字のインパクトから、取材を開始することになった。

すぐにわかったのは、武藤はアコースティックデュオでメジャーレーベルからアルバムを出したこともある、現役ミュージシャンだということ。さらには、有名歌手や有名グループにも楽曲を提供しており、なかにはオリコンチャートのトップ10以内に入ったCDもあったのである。

関係者をあたり、彼を知る音楽仲間に辿り着いたところ、一緒にユニットを組んでいた相手への取材をしないことを条件に、話を聞くことができた

「ある日を境に、突然連絡が取れなくなり、しばらくして知り合いから連絡があって、初めて事件について知ったんです。本当に寝耳に水の話で、とにかく驚きました。武藤は曲作りの才能が有り、彼の生み出すメロディーはメジャーで通用するものでした。××(有名歌手)に彼の書き下ろし曲を提供することが決まったときは、『とうとう(依頼が)来たよ』と、かなり嬉しがっていました」

武藤はインディーズで3枚のアルバムと、メジャーで1枚のアルバムを出したが、1999年に活動拠点を実家がある北九州市に移したのだという。

「メジャーアルバムがぱっとせず、地元に戻ってもう1回頑張ろうとの思いで帰郷したんです。ライブハウスや路上で音楽活動を続ける傍ら、自宅で個人経営のボーカルスクールをやっていました」

生徒は10人ほどいて、「優しい先生」と評判だったそうだ。だが、そんな彼には周囲の誰ひとりとして想像できない”裏の顔”があったのである。

起訴された事件の1つは、以下のような犯行内容だ。

午前8時45分頃、女性宅の無施錠のベランダ窓から室内に侵入し、就寝中の彼女に対し、その顔面をタオルで目隠しし、両手首をカーディガンで緊縛。「静かにしろ、言うことを聞けば何もないから」や「おカネはあるか。どこかに隠し持っていても見つけるぞ」などと語気鋭く脅迫し、それから午前11時10分頃まで女性を強姦し、現金約4万円とパンティ2点を強取した。

この件では無施錠のベランダ窓からの侵入であるが、ほかにも無施錠の玄関から室内に入ったケースも数多い。時間帯はほとんど未明から朝にかけてで、就寝中の女性ばかりを狙っていた。また、女性を脅す際には、「声を出したら殺すぞ」や「騒ぐと殺すぞ」、さらには「叫ぶな」や「顔を上げるな」といった言葉も使っている。

犯行時は常に被害者に目隠しをしており、タオルのほかにキャミソールやワンピース、カットソーなどで顔を覆っていた。同時に、ベルトやタオル、シャツなどを使って両手首を縛り、自由を奪った。そのうえで相手を強姦し、金品やパンティなどを奪っていたのだ。

福岡県警担当記者は言う。

「武藤が侵入したのは無施錠の部屋ばかり。犯行については強姦や強盗だけでなく、寝ている女性の下着を刃物で切断したこともあると供述しているようです。また、強姦の最中に写真を撮影することも多かったようで、逮捕後の家宅捜索では、部屋のパソコンから大量の”強姦写真”が発見されています」

被害者が暮らすのは、おもに大学や短大が集中する地域で、単身者用のアパートやマンションばかりが狙われていた。私がその地域で聞き込み取材を行ったところ、友人が同様の被害に遭ったという女子大生に出会った。彼女は語る。

「去年(2003年)の夏だったんですけど、1人暮らしをしている友だちが朝方、人の気配で目を覚ましたら、目の前に布で顔を隠した男の人がいて、写メで寝顔を撮ろうとしていたらしいんです。悲鳴を上げたら相手は慌てて逃げていったそうなんですけど、彼女はいまだに傷ついていて、夜とか怖くて寝られないって言ってます」

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一部未公表:100人以上の強姦魔(大阪)
2004年7月9日、大阪市内を中心とした連続強姦(ごうかん)事件で逮捕されたゼネコン大手「鹿島」の元営業所課長代理 桑田秀延容疑者(当時36歳)=懲戒解雇=が100件以上の犯行をノートに記録していたことが、大阪府警捜査一課の調べで分かった。

同日、大阪地検は強盗強姦と住居侵入の罪で桑田容疑者を起訴した。
大阪府警は今後、桑田被告を再逮捕する方針。

調べでは、犯行を記録していたノートは逮捕時に持っていたもので、場所や女性の特徴などが書かれていた。ほとんどは大阪府内だったが、兵庫県内での犯行もあった。

桑田被告は調べに「深夜や早朝が多いが、仕事中に抜け出してやったこともある」「繁華街のきれいなオートロック式マンションには一人暮らしの女性が多い。必ず下見し、無施錠の部屋を狙った」などと供述。

動機については「仕事などでストレスがたまった。奪った金は風俗店や飲食に使った」と話しているという。

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工事中



※最後に
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