※2023.5.24改題(旧題:【いばらの道か、修羅の道か?】西武・山川穂高選手を書類送検 当時20代の知人女性に強制性交等の疑い 警視庁)

【速報】西武・山川穂高選手を書類送検 当時20代の知人女性に強制性交等の疑い 警視庁(2023年5月23日)

 プロ野球・埼玉西武ライオンズの山川穂高選手(31)が東京都内のホテルで女性にわいせつな行為をした疑いで、23日朝、警視庁が書類送検したことがわかった。

捜査関係者によると山川穂高選手は2022年11月、東京・港区のホテルで、知人女性(当時20代)に対してわいせつな行為をした強制性交等の疑いがもたれている。

知人女性が被害届を提出したことを受け、警視庁は、女性と山川選手の両者から任意で事情を聴くなど慎重に捜査していたが、きょう23日、書類送検に踏み切った。

山川選手は昨シーズン、パ・リーグのホームランと打点の2冠を達成。今年3月のWBC=ワールド・ベースボール・クラシックでは、侍ジャパンのメンバーとしてチームの優勝に貢献した。

現在、西武の出場選手登録は抹消されている。
山川穂高
※書類送検とは
  書類送検とは、刑事手続において,司法警察員が被疑者を逮捕せず,また逮捕後,釈放した後に身柄を非拘束のまま,事件を検察官に送致することをいいます。したがって,書類送検された場合,基本的には身柄非拘束のまま検察官からの捜査を受けていくことになります。

書類送検とは、被疑者(犯罪の疑いのある人)で、身体拘束されていない者の事件記録や捜査資料を検察官に送る手続のことをいいます。書類送検された場合は、身柄非拘束のまま検察官からの捜査を受けていくことになります。

一方逮捕は,罪証隠滅のおそれや逃亡のおそれ等を理由に身柄を拘束される手続です。

書類送検されると検察官が被疑者を起訴するか不起訴にするかを決めます。起訴されてしまうと有罪率の極めて高い刑事裁判にかけられますので、前科を避けることは極めて難しいと言わざるを得ません。

西部ライオンズの山川穂高選手が書類送検されました。この時点では、まだ起訴されたわけでも有罪か無罪かを判断されたわけではありませんので、事態を見守るしかないと思います。

書類送検は、警察での捜査が終了したので、捜査書類を検察庁に送るだけの手続きであり、刑事裁判として起訴されたわけでも、有罪と判断されたわけでもありません。それはこれから検察官が起訴するかどうかを決めることです。弁護士としては、認めであれば、示談して不起訴にできないか行動する時期なのです。

西武ライオンズという球団から、度々聞こえてくる「書類送検」という言葉。西部ライオンズは教育機関ではありませんが、何か一般社会の人間と常識がかけ離れている感じがします。

過去、西部ライオンズで「書類送検」されて、起訴、不起訴となった選手たちをご紹介します。

東尾修(1987年・不起訴)
現在は娘の東尾理子や娘婿の石田純一、孫の理汰郎くんとイベントに出演することもあるなど、良いおじいちゃんというイメージが定着している東尾修さん。その東尾さんが賭け麻雀で問題となったのは、現役時代の1987年オフのことでした。

西武ライオンズに所属していた37歳の東尾は、同年に「15勝9敗・防御率2.59・85奪三振」といった成績を残しチームの3年連続パ・リーグ優勝、2年連続日本一に貢献。リーグMVPも受賞するなど、個人、チームともに最高のシーズンを過ごしていました。
東尾修
しかし同年オフ、東尾が無免許営業の雀荘で賭け麻雀をしていたことが発覚。東尾は東京・麻布十番にあったヤミ雀荘に通っていたようです。レートは1000点1000円の〝デカピン〟で、約3時間で10万円ほど負けたことがあったそうです。

東尾は書類送検され不起訴にはなったものの、球団からは「半年間の出場停止+2500万円の減俸」という重い処分を受けたのです。

なお、東尾はこの件について会見を開き「全て私の不徳の致すところ」と謝罪しているが、その中では暴力団関係者が同卓していたことも明かしています。
賭けマージャン
処分を受けた東尾は心を入れ替えたのか、オフシーズンは例年欠かさずに行っていたゴルフを絶ち、自主トレ先の沖縄で走り込みを重ねるなど徹底的にトレーニング。しかし、慣れない調整で調子が狂ったのか、翌1988年シーズンは「6勝9敗・防御率4.85・30奪三振」と成績が大幅に下落。同シーズン限りで現役を引退したため、賭け麻雀が引退の引き金を引いた形になりました。

引退後、東尾は野球解説者として活動した後西武(1995-2001)の監督を務め、在任中に2度のリーグ優勝を達成。2010年には野球殿堂入りを果たしたが、当時は賭け麻雀問題がなければもっと早く殿堂入りできていたのではとの見方もありました。

前身球団も含めライオンズ(1969-1988)一筋で20年間の現役生活を送り、「251勝247敗・防御率3.50・1684奪三振」といった通算成績を残しました。しかし、賭け麻雀をしていなければ、もう少し長く現役生活を送れていたのかもしれなかったのです。

❖東尾修の小話「球界初の1億円プレーヤー」

 「1億円プレイヤー」といえば、1980年代の野球選手にとって最高のステータスでした。打者で初は落合博満(中日)、投手は東尾修(西武)です。

1986年、2年連続三冠王を達成した落合博満(ロッテ)はオフに中日へのトレードが決まりました。このときの年俸1億3000万円(推定)が「日本球界最初の年俸1億円超え」と言われています。

東尾の場合、1億円に到達した1986年の契約更改で、球団から最初に提示された額は9800万円でした。それに対して、「200万円は自分で払うから1億円と発表したい。俺にもプライドがある」と交渉。その意気や良しとして、当時の球団代表・坂井保之が1億円で再提示、合意した経緯があります。

相内誠(2020年・証拠不十分で処罰なし)
2012年ドラフト2位の相内誠は相内誠はプロ8年で、通算0勝7敗。ケガもあって大成できない選手でした。そしてトラブル続きの野球人生でした。

有名なのが、2012年ドラフト2位で指名されたときです。ドラフト2位指名後は児童養護施設出身であることが話題になりましたが、大騒ぎになったのがドラフト指名直後の12月に起こした事件です。高速道路でスピード違反で捕まり、無免許運転だったことが発覚。前代未聞の『入団凍結』という処分になりました。

相内は8年間に5度の不祥事を起こしてしまうのです。

そして、2020年は1軍登板はなく、イースタンでは13試合登板、0勝0敗、防御率2.13でした。
相内誠
2020年4月12日、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、球団が全チーム関係者に自宅待機および不要不急の外出禁止と定めていた期間中にも関わらず、チームメイトの佐藤龍世が運転する車に乗り、千葉県内のゴルフ場でゴルフをするために外出しました。

そ法定速度60キロの首都高速道路中央環状線山手トンネル内を、89キロオーバーの149キロで走行し、速度違反取り締まり装置により検知されました。2人はその後、ゴルフ場でプレー。5月に佐藤のもとへ違反通知が届き、警視庁による事情徴収を受けました。

球団への報告は2020年8月17日になってからでした。8月18日に佐藤、8月19日に相内からヒアリングをし詳細を確認し、8月20日に佐藤とともに球団から無期限の対外試合出場禁止およびユニホーム着用禁止の処分を受けました。

9月28日に開かれた佐藤に対する東京地方裁判所の初公判で、佐藤が「同乗していた先輩の相内さんの指示に従った」と語っていたことが10月1日に報じられ、それに反応してか、2日未明に自身のInstagramのストーリー機能に、真っ暗な背景で「あきれる。」とだけ書いた投稿を行いました。意味はわかりません。そして11月3日に戦力外通告を受けました。
2015年に2軍イースタンの最多勝に輝きましたが、その翌年に右ヒジを痛め、ブレイクのチャンスを失ったのが大きかったです。その後も、2軍ではそこそこのピッチングをするものの、1軍に上がると制球が定まらず、四球でランナーをためて、勝負所で打たれることの繰り返し。本業で結果をだしていないうえに、トラブル続きとあって、いくらドラフト2位入団でも、高卒8年目で0勝は我慢の限界となり、戦力外通告を受けたと思われます。

❖佐藤龍世内野手の小話

2020年10月8日に佐藤龍世内野手(23)はスピード違反の裁判で懲役3か月、執行猶予2年の判決の有罪判決を受けました。
しかしながら、謹慎のあけた後は埼玉西武ライオンズ (2019 - 2021)、北海道日本ハムファイターズ (2021 - 2022)でプレーした後に、埼玉西武ライオンズ (2023 - )に復帰しています。

松坂大輔(2000年・身代わり出頭)
1998年ドラフト1位指名の松坂大輔です。

西武時代は「平成の怪物」と呼ばれました。21世紀初の沢村栄治賞受賞者でもあります。ゴールデングラブ賞をパ・リーグ投手最多記録となる7回受賞し、3年連続ベストナインにも輝きました。そして2006年と2009年のWBCではエースとして日本代表に貢献しました。
東尾修と松坂大輔
松坂は、2000年8月に愛車『セルシオ』で、制限60km/hの首都高速を134km/hで走行し、期間2カ月の免停処分を科せられていました。

その免停中にもかかわらず2000年9月13日にハンドルを握って当時交際中だった元日本テレビアナウンサーの柴田倫世さんのマンションに密会しに行ってしまいます。当日は松坂の20歳の誕生日で翌日にシドニー五輪への出発を控えていました。五輪へむけての記者会見前のわずかな時間を縫って、恋人と誕生日を過ごしていたものと思われます。

しかし当時は免許停止中。さらにあろうことか、松坂が車を停めた場所は文京区の駐車禁止区域の路上。1時間半の逢瀬を終え、松坂さんがマンションから出て来た時にはすでに車はレッカー移動されていました。
松坂と柴田倫世
すでに無免許運転、駐車違反と罪を重ねていたわけですが、さらに驚くことに事態を重く見た球団幹部の黒岩彰課長が身代わり出頭します。

黒岩彰課長はカルガリー冬季五輪スピードスケート500メートルの銅メダリストで有名な方です。

当初警察は黒岩の駐車違反としていましたが、松坂と柴田の交際をスクープしたフライデーが報道したため、改めて二人に事情聴取をし道路交通法違反の疑いで松坂選手を、犯人隠避の疑いで黒岩彰課長を書類送検しました。

松坂は
「違反は申し訳ない。黒岩さんの出頭は後で知った」
黒岩彰課長は
「車が球団所有で自分が管理しているため出頭した」
と語り、その結果略式起訴により松坂選手は罰金19万5000円、黒岩課長は罰金10万円の略式命令が下されました。

当時の球団社長の小野賢二および黒岩は責任を取って辞表を提出する事態になり、松坂は当時埼玉県警察から交通安全キャンペーンのイメージキャラクターに起用されていたこともあり、この件は世間から激しく批判されました。球団側は松坂を無期限の自宅謹慎処分としたものの、謹慎処分は1か月足らずで解除されました。



※最後に
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