万博建設費増額、甘かった協会の見通し 各方面から批判噴出(2023年10月20日)

大阪・関西万博(基本構想)
 大阪・関西万博の会場建設費が、これまでの1850億円から500億円増の最大2350億円となることが20日、正式に報告された。日本国際博覧会協会は資材費や人件費の高騰を増額の理由とするが、これらへの懸念は昨年時点で経済界などから指摘されていた。ぎりぎりまで増額の判断をしなかった協会の見通しの甘さに、各方面から批判が噴出している。

「1850億円の範囲内で建設を行うミッションを与えられ努力してきたが、不十分ということで苦渋の決断をして(増額を)お願いしている」。建設費増額の報告後に大阪市内で記者会見した協会の石毛博行事務総長はこう釈明した。

建設費は政府、大阪府市、経済界の3者が等分負担する。これまで1者あたりの負担は617億円だったが、増額により単純計算で160億円超の追加負担が発生する。

増額の報告を受けた大阪府の吉村洋文知事は「説明は不十分だ。協会に改めて質問し、回答を踏まえて判断したい」と厳しい表情で語った。

建設費が令和2年12月に1250億円から1850億円に引き上げられた際、井上信治万博担当相(当時)は「新型コロナウイルス禍で負担を強いられている中だが、国民が盛り上がる万博にするのがわれわれの責任」と言及。吉村氏は「コストを上げるのはこれが最後だ」と述べていた。

その後、ロシアによるウクライナ侵攻の影響などで資材や燃料価格の高騰が続き、予算は逼迫(ひっぱく)。経済界で寄付集めの旗振り役を務めてきた関西経済連合会の松本正義会長は昨年11月の会見で「以前から(1850億円で)足りるのかと何度も言ってきた」とした上で、建設費の上振れを容認する考えを示した。

それにもかかわらず、協会は「ただちに見直し議論が必要な状況ではない」などと従来の主張を崩さなかった。その根拠として、協会は最初に増額した際に物価上昇分を織り込んでいることなどを挙げていた。

実は協会内でも、想定を上回る物価上昇などで「増額は避けられない」との意見も出ていたが、予算膨張の批判を避けたいトップの判断が遅れた。石毛氏は20日の会見で「昨年段階で(増額を)お願いするという認識はなかった」とした。

松本氏は産経新聞の取材に対し、「協会は土壇場で(1850億円では)できないと言ってきた。負担する国民に対する説明が不足しているし、不誠実な態度だ」と批判した。
大阪・関西万博(工事中)

2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)が、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、2025年4月13日 から10月13日までの183日間、大阪市の人工島「夢洲」で開催されます。

その会場となる大阪市の人工島「夢洲」ですが、建設費が当初の1,850億円から500億円増えて最大2,350億円となることが20日に正式報告されたそうです。

毎度の事ですが、五輪にしても万博にしても事前からこうなるとは皆が思っています。

そして近年の五輪や万博は開催自体に反対する人が多いです。過去のようには経済効果は期待できないことを分かっていることに税金を投入するならば、少子化や高齢化など難題への税金投入してほしいですし、給料も増えないので、減税してほしいというのが、国民の願いなのではないでしょうか。

五輪も万博も国民の了承など取らずして、ほぼ決定事項になっているのが、どうも気になります。
五輪や万博など、多額の税金を投入する祭典は国民投票で決めるよう法律を改正してほしいところです。

大阪・関西万博の会場となる大阪市の人工島「夢洲」ですが、物理的な悪条件が重なっています。

夢洲は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンがあることで有名な此花区(このはなく)の埋め立て地です。 広さは約390ヘクタールで、そのうち約170ヘクタールが万博・IR の開発対象となっています。

夢洲の土は、海や川の底を掘り起こしたいわゆる浚渫土(しゅんせつど)なので地盤がとても軟弱です。建物を建てると地盤沈下や液状化現象が発生してしまうで、そのままでは建物が建てられないため、大規模な地盤改良がおこなわれています。

また、1970年からゴミ処理場として焼却物や建設残土で埋めたれられたこの土地は、土壌汚染の問題が指摘されています。

そして、建設費を押し上げているひとつの理由として挙げられているのが、開催地・夢洲へのアクセスの悪さです。実際に地図を見ると一目瞭然ですが、夢洲へアクセスできる陸路は「夢咲トンネル」と「夢舞大橋」の2つしかありません。

建設資材を運ぶトラックなどのルートも限られます。多くの海外パビリオン担当者はこの交通事情を理解しておらず、通常の万博と同じペースでの発注を想定しているとのこと。多くの建設会社は建設が間に合わない「責任問題」を押し付けられることを恐れ、海外パビリオンの工事に関わらないように立ち回っています。

こうして建設が遅れて人件費が上振れしています。2024年問題(※)もありますので、このままではすまないでしょう。

※物流・運送業界の「2024年問題」とは、働き方改革法案によりドライバーの労働時間に上限が課されることで生じる問題の総称のことです。 具体的には、ドライバーの時間外労働時間が年間960時間に制限されることで、一人当たりの走行距離が短くなり、長距離でモノが運べなくなると懸念されています。
2023年大阪万博
それでも、2023年10月12日に札幌市と日本オリンピック委員会(JOC)は11日、2030年冬季五輪・パラリンピック招致の断念をやっと表明した次第です。。

2014年から招致を続けてますが、東京大会汚職でオリパラのイメージが悪化した結果、当然ですが市民の支持率は高まりません。2034年以降の招致の可能性を探るといいますが「超高齢化社会」に突入していく札幌で開催する「大義」はどこにあるんでしょうか?

それでも、五輪、万博、W杯を誘致して利権に群がりたいハイエナのような連中が虎視眈々とタイミングを伺っているのです。

利権にまみれた過去の祭典や大会を振り返ってみましょう。意外にも黒字である祭典や大会が多いです。ただし、その後のレガシー(遺産)の維持管理では、ほぼ赤字垂れ流しになります。

東京五輪(2020年が1年伸びて2021年)・・・赤字2兆円超え

東京五輪
コロナ禍に行われた東京五輪です。いわくつきの五輪となりましたね。

最初は2015年に日本中が大騒動となった「五輪エンブレム(ロゴマーク)問題」です。

最初に発表されたエンブレムが「盗作疑惑」にさらされ撤回されたことで、公募されたイラストの中から大会組織委員会が選出した3つの作品を最終候補作品として発表し、これを全国1万6,769校の小学生の投票にて決定となりました。もう、どんなエンブレムかも忘れてしまいました。

東京五輪の主会場、国立競技場の建て替えには紆余曲折(うよきょくせつ)がありました。

整備主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は2012年11月、ザハ・ハディド氏のデザインを最優秀賞に決定しました。8万人収容で、完成予定は19年3月、総工費は1300億円程度とされていました。

しかしながら設計段階で工費が約3500億円まで膨らみ、政府は計画を縮小として。2015年7月、工費2520億円とする計画を決定しましたが批判が収まらず、安倍晋三首相が2015年7月、白紙撤回を表明した。

そして、大成建設・梓設計・建築家の隈研吾氏で構成するチームにより、新しい国立競技場は2019年11月に完成しました。ただし、旧計画ではこけら落としになるはずだったラグビーワールドカップ(W杯)には間に合わいませんでした。コンセプトは木をふんだんに使った「杜(もり)のスタジアム」であり、約6万の観客席は5色でモザイク状に彩られました。そして周辺を含めた整備費は1569億円でした。

白紙撤回を巡り、ザハ・ハディド氏の事務所に約14億円払ったと発表しました。

JSC(日本スポーツ振興センター)によりますと、白紙撤回となった当初の新国立競技場にかかった費用は約68億6000万円でした。このうち、デザインしたザハ氏の事務所に支払ったのは、デザインの作成にかかった費用や人件費などを合わせて約13億9000万円でした。違約金などは発生しませんでした。

そして、2019年11月、東京五輪のマラソン・競歩の開催地が札幌に変更されることが正式に決まりました。

これは2019年9月にドーハで行われた女子マラソンは暑さを避けて真夜中にスタート時間を設定したものの、高い気温と湿度で参加者の40%が途中リタイヤと、異常事態が発生しました。それが影響したのか、突然の開催地変更が翌10月に公表されたのです。

IOCによる急な決定は開催地の都知事ですらかやの外でした。そして札幌市長がマラソン・競歩開催に関し「光栄です」と発言したことで一部の都民から反感を買い、札幌市にはのべ200件を超える抗議が殺到したと伝えられています。

もう一つの都市で五輪の大会運営をするのは限界がありますので、東京五輪とかではなく、日本五輪とかにすればいいのにと思います。

そして、東京五輪・パラリンピックについて、会計検査院は2022年12月21日、大会経費は計約1兆7千億円に上るとする検査結果を国会に報告されました。 大会組織委員会(解散)の最終報告で公表された経費は約1兆4千億円でしたが、検査院は国の負担した「直接経費」が約2800億円多かったと結論づけました。

また、会計検査院は大会経費の調査報告を発表しました。道路整備など関連経費も加えた総額は3兆6845億円に上った。立候補時に見積もった7340億円に比べ、5倍の費用がかかった計算だ。

予算なんてあってないようなものですね。

オリンピックの平均費用はいくらかといいますと、英オックスフォード大の研究では、1960年から2016年までの夏季五輪の平均開催費用(パラリンピック含まず)は60億ドル(約6600億円)で、年々増加傾向にあるとしています。

東京五輪で使われた税金は、東京都と国の「大会経費」 と「関連経費」の合計額は、都が1兆4千519億円、国が1兆3千59億円でした。この金額は都と国の一般会計から支出されており、財源はいずれも税金になります。いやー凄い金額ですね。

組織委員会の算定には甘さがあったと言わざるを得ませんね。

無駄遣いも目に余る。選手村の料理が175トン、大会関係者用の弁当が30万食分も廃棄され、感染対策のマスクやガウンなど医療用品も大量に処分されていたそうです。これは氷山の一角と言われています。

大会関連事業も経費全体を膨張させました。検査院によると、14府省などの329事業で1兆3002億円の国費が投じられた。テロ情報の収集や道路の暑熱対策、競技会場周辺のバリアフリー化など数々の事業が実施されたためです。

2034年以降に冬季大会の開催に札幌市が名乗りを上げています。市は改めて住民に賛否の意向を調査する方針ですが、東京五輪の徹底した検証がなければ、招致に理解は得られないでしょう。

組織委員会の収支では、新型コロナウイルスの影響で多くの会場で無観客での開催となり、900億円を見込んでいたチケット収入がほどんど得られなかったことなどから、収入が2020年12月時点に公表した7210億円を806億円下回って6404億円だったそうです。

東京五輪・パラリンピック組織委員会、および東京都、国の赤字の総額は約2兆3713億円になる試算も出ています。

❖五輪の費用比較
 ・東京夏季五輪(2021年、280億ドル/約3兆1000億円)
 ・平昌冬季五輪(2018年、129億ドル/約1兆4000億円)
 ・リオデジャネイロ夏季五輪(2016年、137億ドル/約1兆5000億円)
 ・ソチ冬季五輪(2014年、219億ドル/約2兆4000億円)
 ・ロンドン夏季五輪(2012年、150億ドル/約1兆6500億円)
 ・バンクーバー冬季五輪(2010年、25億ドル/約2800億円)
 ・北京夏季五輪(2008年、68億ドル/約7500億円)
 ・トリノ冬季五輪(2006年、44億ドル/約4900億円)
 ・アテネ夏季五輪(2004年、29億ドル/約3200億円)
 ・ソルトレークシティ冬季五輪(2002年、25億ドル/約2800億円)
 ・シドニー夏季五輪(2000年、50億ドル/約5500億円)
 ・長野冬季五輪(1998年、22億ドル/約2400億円)
 ・アトランタ夏季五輪(1996年、42億ドル/約4650億円)
 ・リレハンメル冬季五輪(1994年、22億ドル/約2400億円)
 ・バルセロナ夏季五輪(1992年、97億ドル/約1兆1000億円)

日韓ワールドカップ(2002年)・・・共催も60億円黒字

日韓W杯
2002年日韓ワールドカップ(W杯)は、サッカー関係者やファンには、悲願の招致となった大会です。
フランスワードカップでは、日本は初出場を果たしたものの、グループステージでは3連敗でした。

特にW杯開催国はグループステージ敗退なしという神話(その後、2010年の南アフリカ、2022年のカタールはグループステージ敗退)があり、開催国がグループステージで敗退するのは不名誉な記録であり、当時の弱小アジアの開催では、日本がグループステージ敗退の可能性があり、危ぶまれていました。

しかしながら、開催国として日本はグループステージを突破しました。ノックアウトステージのラウンド16でトルコに負けてしまいましたが、開催国の責任は果たしたと思います。

日韓ワールドカップは、開催されるまでの紆余曲折を覚えている人も多いのではないでしょうか。

開催国決定は当初、1996年6月1日のFIFA臨時理事会で会長、副会長を含む理事21人の投票によって決定される予定でした。しかし、時期を同じくしてFIFA会長選挙を控え、一貫して日本を推していたFIFAのアヴェランジェ会長の会長派と欧州のFIFA理事派の勢力が次期会長職を巡って対立し始めます。

そして、アヴェランジェ会長の会長続投を阻止しようと反会長派の欧州理事たちは日本と韓国の共同開催(日韓共催)を強く推進し、次第に日韓共催案が現実味を帯び始めます。

しかし直前になって欧州理事たちが、欧州の各国サッカーリーグに選手を受け入れてもらう立場にあるアフリカ理事の票を押え多数派となりました。その為、開催国を決定する投票日前日の定例理事会前に行われたパーティー会場でアフリカ理事らとの歓談から趨勢を悟ったアヴェランジェ会長は定例理事会で日韓両国による共同開催案を自ら提案、満場一致の拍手の賛成決議で定例理事会は幕を閉じたのです。

結局、投票を待たずして1996年5月30日FIFA理事会は「ワールドカップは単独開催」という規則を無視し、FIFA事務局長のジョセフ・ゼップ・ブラッターの名でホテルで投票を待つ日本招致委員会に対し日韓共催を打診する文書を送り、欧州アフリカ理事らの動向を掴めなかった日本は想定外となる共同開催決定に苦渋の決断で受け入れを表明したのです。

日本ではグループステージ、ノックアウトステージで使用される15の競技場を新設及び一部は改修する費用だけで、4500億円が投資されました。 これに交通基盤整備や競技場周辺のインフラ整備などを加えると総投資額は約9000億円となりました。

大会後、日本は2002年日ワールドカップ(W杯)サッカーの開催で132億8300万円(1億1070万ドル)の収益を挙げたことが明らかになりました。

そして日本ワールドカップ(W杯)組織委員会(JAWOC)が日韓ワールドカップサッカーで60億円以上の黒字を記録する見通しだと報じられました。

ラグビーワールドカップ(2019年)・・・W杯史上最高の68億円黒字

ラグビー2019W杯
日本でラグビーワールドカップ(W杯)が行われました。2019年9月20日から11月2日に開催されました。第9回ラグビーワールドカップでアジア初、またティア1以外の国における初の開催でした。

日本、今まで決勝トーナメントに進出したことがありませんでしたが、地の利を生かして、プールステージを4勝0敗で突破しました。決勝トーナメントでは南アフリカ共和国に敗れてしまいましたが、開催国の責任は果たしたと言えるでしょう。

このワールドカップ費用は、全体としては約420億円で、内訳、大会運営費全体で約180億円、大会開催のための会場改修費用が約100億円、そして、何よりも大きな負担となったのが、大会主催者であるワールドラグビー(WR)への負担金の支払いでした。その額、約130億円(9,600万ポンド)でした。

そして、大成功を収めたラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会が新たな「史上最高」を記録しました。大会組織委員会が2020年3月10日に発表した実質的な黒字は68億円程度と、W杯史上最高額になったとみられる

過去のW杯で開催国に入った剰余金をみると、2015年のイングランド大会で2600万ポンド(約34億円)でしたので、その2倍に達したのです。

黒字の立役者は、もちろん史上初のベスト8進出を果たした我らがジャパンでした。ジャパンの5試合の総入場者数は24万9750人。チケットは全て完売でした。

それだけではありません。大会を通じたチケット完売率は過去最高の99%。チケット収入は389億円を記録し、これが牽引役となって68億円の黒字を計上しました。

大阪万博(1970年)・・・日本初の万博で大成功の198億円黒字

1970年大阪万博
2025年の大阪・関西万博は「2匹目のどじょう」を狙っているといってもいいです。

1970年、183日間で6421万人以上が訪れた日本万国博覧会の入場者数は2010年の上海万博に抜かれるまで、万博史上の最高記録を保持しました。

日本にとって国際博覧会の開催は悲願でした。明治期に構想は2度あったが実現せず、1940年開催予定の「紀元2600年記念日本万国博覧会」は前売券まで販売されたものの、日中戦争により延期という名の中止に追い込まれました。

終戦後、高度経済成長を遂げていた日本は、甲子園球場83個分に及ぶ約330ヘクタールの会場で、「戦後復興の総仕上げ」に挑んだのです。

当初、客足は鈍く、開幕日には53万人の入場者が予測されたが、27万4124人に留まり、その週は1日20万人に届かない日々が続きました。しかし、徐々に口コミで面白さが伝わっていったのです。高度経済成長期中の日本の万博には「未来の日本」を写し出していたのです。

国内外のパビリオン数は計116でした。電気通信館には携帯電話やテレビ電話が並び、人々はその目新しさの虜になりました。アメリカ館は空気膜構造を応用し、柱のないエアドームを作りました。この工法は、後の東京ドームなどに取り入れられています。

動く歩道やモノレール、10分200円で乗れる電気自動車などの移動手段も物珍しく、パビリオンが見せる近未来像とともに会場は新しいものに溢れました。そして77か国が参加する万博は「世界の祭り」でもありました。リオのカーニバルなどの催しや、各パビリオンのレストランで供される異国の料理も人々を魅了しました。

閉幕直前の9月5日には最多の83万5832人を動員。総入場者数は6421万を超え、当時の万博史上最多を記録したのです。

そして877億円という莫大な予算を掛けて赤字を危惧されましたが、最終的には192億円もの黒字を生み出しました。後世に語り継がれる大成功を収め、「太陽の塔」の岡本太郎、「カプセル建築」の黒川紀章、服飾デザイナーのコシノジュンコなどの芸術家は国際的にもその名を轟かせました。

愛知万博(2005年)・・・開催決定後のに会場変更もあったが130億円黒字
愛知県長久手町(現在は市)を主会場に、2005年に開かれた愛知万博(愛・地球博)。開催決定後の会場変更といった曲折を経て、会期中は2200万人の来場者でにぎわいました。多くの県民の記憶に残り、収支も黒字を確保しました。

愛知万博開催が決まったのは1997年。主会場に想定した瀬戸市の「海上(かいしょ)の森」には貴重な動植物が生息し、決定前から市民団体などの反対運動が続きました。

1999年5月、県は絶滅の恐れがあるオオタカの営巣を確認する。「衝撃的なことだった」。当時の愛知県知事、神田真秋・愛知芸術文化センター総長(67)は振り返っています。

2000年1月には、博覧会国際事務局(BIE)が跡地を研究施設や宅地に利用する計画に懸念を示していたことが判明しました。見直しを迫られ、県は「検討会議」を何度も開催しましたが、瀬戸市の会場を縮小し、長久手の愛知青少年公園を主会場にして開幕に間に合わせました。

愛知万博の会場建設費は、会場内で催しを開く催事場や緑地や道路、それに会場のシンボルとなる「大屋根」の建設などに使われました。 当初の計画では1,250億円でしたが、2020年、来場者の暑さ対策や「大屋根」の設計変更などを理由に600億円増やして1,850億円に引き上げられました。

結局、目標の1500万人を大幅に上回る2204万9544人が足を運びました。地元の数多くのリピーターが支え、約130億円の剰余金(黒字)をもたらしたのです。

長野五輪(1998年)・・・大成功の45億円黒字

長野五輪
20世紀最後の冬季五輪。1972年札幌オリンピック以来となる冬季五輪に、日本中はもちろん、地元である長野は大きな熱狂に包まれました。

20世紀最後の冬季オリンピックとなった長野オリンピックの開会式は、善光寺の鐘の音で始まりました。世界72の国や地域から2300人を超すアスリートが集まり、日本はスキージャンプの船木和喜さんやスピードスケートの清水宏保さんらが獲得した金メダル5つを含む10個のメダルを獲得しました。

長野は、開催地を獲得すべく、ライバルのソルトレークシティを引き離すため、「全選手団の交通費・宿泊費・食費を全て負担する」と、直前に文章に付けたし、プレゼンテーションしたのである。 結果、僅差でソルトレークシティを振り切り、オリンピック開催地は長野に決定した。

長野五輪の大会運営費の内訳は。映像の制作、競技会場の仮設施設の建設、広報・報道、式典などに使われました。1988年の段階では400億円の予定でしたが、1991年の誘致段階で、760億円、1995年6月の試算では1500億円を超えました。1996年には切りつめて945億円という予算に減額しました。そして1997年3月には1030億円に最終決定されました。このように大会運営費が膨れ上がったのは実施競技数の増加、会場の広域化などのためでした。

日本勢が冬季五輪史上最多の10個のメダルを取った長野五輪は運営面でも大成功でした。スポンサー収入や関連グッズの売り上げが予想以上に伸び、黒字額は45億円を超えました。そのうち40億円強がスポーツ振興のために使い切る方式の基金として積み立てられたのです。

長野五輪点火
昭和世代の私は、これを見てから「日本で祭典や大会はやんない方がいいかも」と思いました。

世界都市博覧会(東京・1994年)中止・・・開催なら800億、中止で600億捨てる

都市博中止
世界都市博覧会(以降、都市博)構想の発端は、1985年(昭和60年)の世界テレポート連合創立総会にて東京都知事・鈴木俊一都知事が「東京テレポート構想」を発表したことに始まります。

都市博は事業費3兆9.000億円という巨額を投じた湾岸開発・臨海副都心を内外にアピールする起爆剤として、鈴木俊一都知事が推進していました。

鈴木俊一都知事は、1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会において事務総長理事を務めた経験がありました。万国博の会場選定において、当初からは首都圏開催を主張しており、最後まで東京にこだわったものの、政府内での「東京はオリンピックをやった、その次は大阪でないとまずい」という流れに押され、結局「首都圏での博覧会開催」という本人の夢は果たせぬまま時は流れていきました。

そんな鈴木俊一都知事も高齢となり、知事在職中に、果たせぬ夢だった「首都圏での博覧会開催」をどうしても実現させたいという強い希望もあり、1988年(昭和63年)2月、東京での万国博覧会開催に意欲を見せると、当時徳川家康江戸入府400年事業を検討していた東京ルネッサンス企画委員会で議論が重ねられ、同年9月の最終報告に(国際博覧会ではないものの)国際的イベントとしての「東京世界都市博覧会(仮称)」開催の提案が盛り込まれることになりました。

1990年4月にまとめられた『東京フロンティア基本計画』は以下のとおりです。

 ・名称:東京フロンティア
 ・開催期間:1994年(平成6年)3月 - 12月(300日間)・・・その後2年延期
 ・主催:財団法人東京フロンティア協会
 ・会場:東京テレポートタウンを中心とした東京臨海副都心全体
 ・目標来場者数:3,000万人

改めて世界都市博覧会として再浮上したのは、1993年に泉真也氏や木村尚三郎氏などが総合プロジューサーに就任したころからです。その間、パブルの崩壊、臨海開発と併せて都市博の見直しも行われ、鈴木俊一都都知事も計画の縮小、2年延期など開催に向けて執念を燃やしました。

ところが1995年の都知事選に勝利した無党派の青島幸男都知事が、都市博中止を公約の一つとして当選、政策の継続性を重視されてきた都政を打破して公約に応えようと、悩み、迷い抜いた末、最終決断を迫られた5月31日、遂に中止と発表しました。

「青島は約束を守る男か、守れない男か、信義の問題だ」と、就任早々、大見得を切って登場した青島幸男都知事、それが1995年4月11日には「中止したほうがいいという姿勢は変わっていないが、断固中止というまで意固地ではない。規模を3割縮小したほうが財政負担が軽いということになれば、やってもよい」とやや軟化したと思うと、その3日後にはまた「このまま進めても都民の利益は一つもない」として、規模を縮小しての開催でなく、あくまで中止する考えを示しました。

それに対してマスコミは、都市博の開催、中止には賛否両論でした。1995年5月18日の東京都議会では異例の記名投票が行われ、賛成100、反対は23という結果、またまた青島都知事の決断を鈍らせました。

1995年5月末になって開催まで10カ月と近づく。当初25の企業グループが参加予定していたが、東京はイベントの競合も厳しく、パブルの崩壊、地域活性化のイベントも見直しの時期として、12の企業グループに半減しました。それでも出展企業の多くは総事業費20~30億円を投資して、1日も早く決定してほしいと、苛立ちを募らせました。そして悩み迷い抜いた青島都知事は1995年5月31日、遂に中止の決断を下しました。公約を果たしたとはいえ、青島幸男都知事の都政運営(※)には暗雲がたちこめていました。

※都知事としての青島は、都市博中止以外には特に目立った施策はなく、他の公約を守ることもないまま官僚・役人任せの行政に終始する。このため、徐々に青島に対する批判は高まった。もっとも、オール野党であったために独自色を出すことができなかったという見方もある。1期務めた1999年、任期満了で都知事の職を退任した。この時、2期目に立候補をするかどうか直前まで決めておらず、態度表明の記者会見の直前でも都政担当記者はおろか、ナンバー2である副知事でさえも退任するかどうかを知らなかった。

1996年4月22日、東京都から最終財政影響額が発表された。これによれば、青島幸男都知事に事務局側が「中止した場合、東京都に982億円(誤差は50億円)程度の損失が出る」と伝えていたのに対し、実際の損失額は610億円にとどまった。開催されていた場合に予定されていた支出である約830億円よりも220億円も下回ったこととなる。

従って、都市博を開催していれば830億円で済みましたが、開催中止にしたことにより600億円を捨てたことになります。これをどう捉えるかです。



※最後に
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