西武・山川穂高はどうなる? プロ野球界「強制わいせつ」過去2例は逮捕即解雇(2023年5月14日)
再びプロのグラウンドでプレーする姿は見られるのか──。ホームラン王を3度も獲得し、3月のWBCでは侍ジャパンの一員として世界一に貢献した西武の主砲・山川穂高(31)に強制わいせつ致傷疑惑が持ち上がっている。5月11日配信の文春オンラインの記事によれば、昨年11月に20代の女性と都内で食事をした後、ホテルで女性を無理やり押し倒し、下半身から出血する怪我を負わせたという。警察は強制わいせつ事件として被害届を受理し、山川はWBC終了直後に事情聴取を受けた。文春の取材に対し、山川はホテルに行って女性に怪我を負わせたことは認めたものの、無理やり行為に及ぼうとしたことは否定している。
(中略)
山川の行為が事実だと認定されれば、この件よりも重く、解雇になる可能性は十分あるでしょう。もちろん被害者の心情を考えると、事件の程度に大小はありません」(野球担当ベテラン記者)
解雇の根拠は、統一契約書の第17条にあるという。
〈第17条 (模範行為) 選手は野球選手として勤勉誠実に稼働し、最善の健康を保持し、また日本プロフェッショナル野球協約、これに附随する諸規程ならびに球団の諸規則を遵守し、かつ個人行動とフェアプレイとスポーツマンシップとにおいて日本国民の模範たるべく努力することを誓約する。
(中略)
別に山川は運が悪かったわけではない。自らの行為を猛省しなければならない。
捜査の行方がどうなるかまだわからないが、山川の野球人生が今後も続くのかどうか、大きな岐路に立っていることは間違いないだろう。

再びプロのグラウンドでプレーする姿は見られるのか──。ホームラン王を3度も獲得し、3月のWBCでは侍ジャパンの一員として世界一に貢献した西武の主砲・山川穂高(31)に強制わいせつ致傷疑惑が持ち上がっている。5月11日配信の文春オンラインの記事によれば、昨年11月に20代の女性と都内で食事をした後、ホテルで女性を無理やり押し倒し、下半身から出血する怪我を負わせたという。警察は強制わいせつ事件として被害届を受理し、山川はWBC終了直後に事情聴取を受けた。文春の取材に対し、山川はホテルに行って女性に怪我を負わせたことは認めたものの、無理やり行為に及ぼうとしたことは否定している。
(中略)
山川の行為が事実だと認定されれば、この件よりも重く、解雇になる可能性は十分あるでしょう。もちろん被害者の心情を考えると、事件の程度に大小はありません」(野球担当ベテラン記者)
解雇の根拠は、統一契約書の第17条にあるという。
〈第17条 (模範行為) 選手は野球選手として勤勉誠実に稼働し、最善の健康を保持し、また日本プロフェッショナル野球協約、これに附随する諸規程ならびに球団の諸規則を遵守し、かつ個人行動とフェアプレイとスポーツマンシップとにおいて日本国民の模範たるべく努力することを誓約する。
(中略)
別に山川は運が悪かったわけではない。自らの行為を猛省しなければならない。
捜査の行方がどうなるかまだわからないが、山川の野球人生が今後も続くのかどうか、大きな岐路に立っていることは間違いないだろう。

野球どころじゃなかったのだと思います。
2023年の今シーズンは開幕から不調が続き、17試合出場で打率.254、ホームラン0本でした。
西武ライオンズの山川穂高選手が「強制わいせつ」の容疑がかけられております。警察による捜査中ですので、容疑がどうなるかは静観するしかないと思いますが、プロ野球選手としてプレー続行は容疑が晴れたとしても、少なからず影響を受けると思います。
2022年は2冠王で、今年2023年にFAを取得する予定でしたので、そうなると争奪戦は必至でして国内でもソフトバンクや巨人が参戦して30億、40億ともいわれるお金が動くと言われていましたから、お金だけではありませんが、これを棒に振ってしまったことで、何とも残念な容疑であります。
山川穂高選手の野球人生が大きな岐路にたっておりますが、地位も名誉も経済力も全て棒に振ることになりますので、繰り返しますが何とももったいない事件であります。
過去にも「強制わいせつ」事件を起こしてしまった野球選手は2人おり、その2人とも即解雇されております。世間的にも非常に冷たい目をみられることから、再就職もままなりません。
横浜大洋ホエールズ 中山裕章選手
最初のころはプロの厳しさからかなかなか勝ち星に恵まれなかったもののプロ入り3年目に10勝6敗24セーブと大きく飛躍します。
そして事件を起こした1991年までの6年間で算32勝53敗44セーブの成績を残す大活躍を見せるのです。そして1990年と1991年には球団からの期待もあり開幕投手に抜擢されていた当時のエースでした。

1991年シーズン後の11月12日午後、神奈川県横須賀市内の球団練習所から車で帰宅途中、 横浜市金沢区の11歳の小学5年生の少女のスカートの上から体を触り、その直後にも帰宅途中の6歳の幼稚園女児に、下着を脱がせるなどのわいせつな行為をしました。
神奈川県警が11月12日の事件を同一犯人の仕業と見て張り込み捜査を続けていたところ、2日後になって高級外国車に乗った中山が女子に声をかけるなどの不審な挙動を獲ったため追跡捜査し、ナンバーなどから中山選手とわかりました。
12月25日朝から警察の任意同行を求められ追及を受け、11月12日の事件を2件とも自供したため神奈川県警捜査一課と金沢署は12月25日夕、強制わいせつなどの疑いで中山を逮捕しました。住宅地は練習場から車での帰宅路に当たり、「小さい女の子なら自分の顔を知らないと思った」と供述したそうです。
球団側はセ・リーグ連盟へ「中山を無期限謹慎処分に処した上で、著しい反省の色・社会情勢の変化などを見て処分を有期限に緩和する」案を打診しました。
これは当時の須藤監督自身が中山の更生を望んでいたことに加え、大洋球団にとっても中山は「故障が治れば2桁勝利(10勝)できる投手」だったため、試合に出場できない身分の中山に対し月額約53万円の保留手当を支払うことになってでも、将来的に復帰させることを目論んでいたためでした。しかし連盟は「球団の処分は甘すぎる。社会的な償いを受けることは避けられない」として処分差し戻しを求め、須藤監督も最終的には連盟の対応に従い、中山の契約解除に至りました。
婚約者の女性(事件当時22歳)は事件後、「健気に中山を支えた」として一部マスメディアから「美談」として報道さました。しかし1992年2月6日付で、婚約者は中山に「婚約不履行となった場合は慰謝料5,000万円を支払う」という内容の書面を書かせたほか、中山が後述のように運送会社で働き始めて以降は次第にすれ違うようになり、別居するようになりました。
当時婚約していた婚約者とは泥沼の裁判劇に発展しました。中山選手の自業自得とはいえ、婚約者側の「手のひら返し」の方が有名だったのではと思います。
1992年5月ごろ、中山選手が電話で婚約者と会話していた際に「こちらに来てくれないなら別れよう」と言ったところ、婚約者の母親が電話に出て「別れるなら慰謝料を払え」と迫り、6月には婚約者側が横浜市内の中山選手宅を売買できないよう、仮処分申請を出しました。その後も中山選手側・婚約者側双方の対立は続き、同年11月には婚約者側が東京地方裁判所へ「婚約不履行」を主張して中山選手を提訴しました。
この民事訴訟合戦は1993年末になって中山選手側が2,500万円の慰謝料を支払う形で和解しました。中山選手の知人は『週刊新潮』記者からの取材に対し「本来なら離婚訴訟でさえ慰謝料の相場は500万円程度だが、中山は『裁判が長引くのは困るし、彼女に持ち逃げされた500万円・ベンツなど計約5,000万円の被害はなかったことにする』として和解金額2,500万円を提示した」と証言した一方、元婚約者は1994年8月に同誌記者からの取材に対し「自分の尻ぬぐいさえ満足にできないような中山が再びマウンドに立ったことだけは許せないし、自分も信じられない思いだ。事件の被害者・家族は見ていられないだろう」とコメントしたそうです。
しかし野球の神様はまだ中山選手を見捨ててはいませんでした。
横浜市内の財界人グループ・中山の母校である高知商高のOBらが「中山裕章君の復帰を願う市民の会」を結成し、1993年1月7日から中山の球界復帰を嘆願する署名運動を開始しました。
1993年3月には当初目標の倍以上となる約22万人の署名・嘆願書が解雇直後に声明でNPB全12球団に中山選手との無期限契約回避を申し出ていた川島セ・リーグ会長に手渡されて、復帰に向けて球界が動き始めます。
1993年12月16日午前、川島は渋沢良一セ・リーグ事務局長・児童心理学専攻の大学教授とともに横浜市内のホテルで中山と面接し、現在の心境・生活状態などを聴いた上で、中山選手の球界復帰を承認することを決定しました。
声明解除が正式に通達されたことを受け、以前から中山に関心を示していた中日ドラゴンズ(監督:高木守道)は中山との契約に向けて動き出し、1993年12月27日には中山を打撃投手(球団職員身分・1年契約)として採用したことを発表しました。
中継ぎとして1991年10月10日以来の一軍登板を果たし、1イニング1被安打0失点に抑えました。中山選手本人は前日から野次を飛ばされることを覚悟していましたが、中山選手が登板した際には多少の野次こそあったものの、拍手や声援が多かったそうです。
1996年にはセ・リーグ代表監督・野村克也(当時・ヤクルト監督)の推薦によりサンヨーオールスターゲーム全セ(オールセントラル・リーグ)に選出され、大洋時代の1989年以来7年ぶりの代表選出を果たしました。
そのオールスターゲームでは第3戦(7月23日・富山市民球場アルペンスタジアム)で先発投手・斎藤隆(横浜)の後を継ぎ、3回表に二番手投手として登板。イチロー(オリックス・ブルーウェーブ)・村松有人・秋山幸二(ともに福岡ダイエーホークス)・清原の計4人と対戦し、同回の先頭打者(1番打者)イチローに右中間三塁打を打たれると、続く2番打者・村松の中犠飛で球宴初失点(1点)を喫しましたが、2死で迎えた清原を145 km/hの速球で空振り三振に打ち取り、1回1被安打2奪三振1失点の成績を残しました。
そして2001年までに中日でプレーしたものの、戦力外通告を受けて12球団合同トライアウトには計2回参加しましたが、獲得に手を挙げるNPB球団はなかったため、台湾プロ野球・韓国のKBOリーグへの移籍を視野に現役続行を目指しました。
そして台湾プロ野球の中信ホエールズ に現役引退となりました。
復帰した中日では1994年から2001年まで中継ぎやリリーフとして活躍、通算で19勝18敗18セーブという成績を残しました。
多くの人に支えられて復帰、更生したプロ野球人生だったのです。
1987年のドラフト会議で読売ジャイアンツから6位で指名され、1988年に入団した杉山直樹選手です。
1991年シーズン後の11月12日午後、神奈川県横須賀市内の球団練習所から車で帰宅途中、 横浜市金沢区の11歳の小学5年生の少女のスカートの上から体を触り、その直後にも帰宅途中の6歳の幼稚園女児に、下着を脱がせるなどのわいせつな行為をしました。
神奈川県警が11月12日の事件を同一犯人の仕業と見て張り込み捜査を続けていたところ、2日後になって高級外国車に乗った中山が女子に声をかけるなどの不審な挙動を獲ったため追跡捜査し、ナンバーなどから中山選手とわかりました。
12月25日朝から警察の任意同行を求められ追及を受け、11月12日の事件を2件とも自供したため神奈川県警捜査一課と金沢署は12月25日夕、強制わいせつなどの疑いで中山を逮捕しました。住宅地は練習場から車での帰宅路に当たり、「小さい女の子なら自分の顔を知らないと思った」と供述したそうです。
球団側はセ・リーグ連盟へ「中山を無期限謹慎処分に処した上で、著しい反省の色・社会情勢の変化などを見て処分を有期限に緩和する」案を打診しました。
これは当時の須藤監督自身が中山の更生を望んでいたことに加え、大洋球団にとっても中山は「故障が治れば2桁勝利(10勝)できる投手」だったため、試合に出場できない身分の中山に対し月額約53万円の保留手当を支払うことになってでも、将来的に復帰させることを目論んでいたためでした。しかし連盟は「球団の処分は甘すぎる。社会的な償いを受けることは避けられない」として処分差し戻しを求め、須藤監督も最終的には連盟の対応に従い、中山の契約解除に至りました。
婚約者の女性(事件当時22歳)は事件後、「健気に中山を支えた」として一部マスメディアから「美談」として報道さました。しかし1992年2月6日付で、婚約者は中山に「婚約不履行となった場合は慰謝料5,000万円を支払う」という内容の書面を書かせたほか、中山が後述のように運送会社で働き始めて以降は次第にすれ違うようになり、別居するようになりました。
当時婚約していた婚約者とは泥沼の裁判劇に発展しました。中山選手の自業自得とはいえ、婚約者側の「手のひら返し」の方が有名だったのではと思います。
1992年5月ごろ、中山選手が電話で婚約者と会話していた際に「こちらに来てくれないなら別れよう」と言ったところ、婚約者の母親が電話に出て「別れるなら慰謝料を払え」と迫り、6月には婚約者側が横浜市内の中山選手宅を売買できないよう、仮処分申請を出しました。その後も中山選手側・婚約者側双方の対立は続き、同年11月には婚約者側が東京地方裁判所へ「婚約不履行」を主張して中山選手を提訴しました。
この民事訴訟合戦は1993年末になって中山選手側が2,500万円の慰謝料を支払う形で和解しました。中山選手の知人は『週刊新潮』記者からの取材に対し「本来なら離婚訴訟でさえ慰謝料の相場は500万円程度だが、中山は『裁判が長引くのは困るし、彼女に持ち逃げされた500万円・ベンツなど計約5,000万円の被害はなかったことにする』として和解金額2,500万円を提示した」と証言した一方、元婚約者は1994年8月に同誌記者からの取材に対し「自分の尻ぬぐいさえ満足にできないような中山が再びマウンドに立ったことだけは許せないし、自分も信じられない思いだ。事件の被害者・家族は見ていられないだろう」とコメントしたそうです。
しかし野球の神様はまだ中山選手を見捨ててはいませんでした。
横浜市内の財界人グループ・中山の母校である高知商高のOBらが「中山裕章君の復帰を願う市民の会」を結成し、1993年1月7日から中山の球界復帰を嘆願する署名運動を開始しました。
1993年3月には当初目標の倍以上となる約22万人の署名・嘆願書が解雇直後に声明でNPB全12球団に中山選手との無期限契約回避を申し出ていた川島セ・リーグ会長に手渡されて、復帰に向けて球界が動き始めます。
1993年12月16日午前、川島は渋沢良一セ・リーグ事務局長・児童心理学専攻の大学教授とともに横浜市内のホテルで中山と面接し、現在の心境・生活状態などを聴いた上で、中山選手の球界復帰を承認することを決定しました。
声明解除が正式に通達されたことを受け、以前から中山に関心を示していた中日ドラゴンズ(監督:高木守道)は中山との契約に向けて動き出し、1993年12月27日には中山を打撃投手(球団職員身分・1年契約)として採用したことを発表しました。
中継ぎとして1991年10月10日以来の一軍登板を果たし、1イニング1被安打0失点に抑えました。中山選手本人は前日から野次を飛ばされることを覚悟していましたが、中山選手が登板した際には多少の野次こそあったものの、拍手や声援が多かったそうです。
1996年にはセ・リーグ代表監督・野村克也(当時・ヤクルト監督)の推薦によりサンヨーオールスターゲーム全セ(オールセントラル・リーグ)に選出され、大洋時代の1989年以来7年ぶりの代表選出を果たしました。
そのオールスターゲームでは第3戦(7月23日・富山市民球場アルペンスタジアム)で先発投手・斎藤隆(横浜)の後を継ぎ、3回表に二番手投手として登板。イチロー(オリックス・ブルーウェーブ)・村松有人・秋山幸二(ともに福岡ダイエーホークス)・清原の計4人と対戦し、同回の先頭打者(1番打者)イチローに右中間三塁打を打たれると、続く2番打者・村松の中犠飛で球宴初失点(1点)を喫しましたが、2死で迎えた清原を145 km/hの速球で空振り三振に打ち取り、1回1被安打2奪三振1失点の成績を残しました。
そして2001年までに中日でプレーしたものの、戦力外通告を受けて12球団合同トライアウトには計2回参加しましたが、獲得に手を挙げるNPB球団はなかったため、台湾プロ野球・韓国のKBOリーグへの移籍を視野に現役続行を目指しました。
そして台湾プロ野球の中信ホエールズ に現役引退となりました。
復帰した中日では1994年から2001年まで中継ぎやリリーフとして活躍、通算で19勝18敗18セーブという成績を残しました。
多くの人に支えられて復帰、更生したプロ野球人生だったのです。
読売ジャイアンツ 杉山直樹選手
1995年には大久保博元、吉原孝介の不調もあり、村田真一に次ぐ2番手の捕手として一軍に定着。この頃、13歳年上の女性と結婚して話題となりました。1996年には最多の66試合に出場しました。特に1995年はルーキー河原純一、1996年は新外国人バルビーノ・ガルベスの専属捕手として、勝利に貢献した将来を嘱望された捕手でした。
2000年には読売ジャイアンツがリーグ優勝を決めた試合で先発マスクを被るなど、長嶋茂雄監督など首脳陣からの評価も高かったのです。

2000年10月25日、日本シリーズに備えて宮崎で行ったミニキャンプ中、宮崎市内のスナックで同席した女性の胸を触ったほか、近くの路上で無理やりキスをし、「いい加減にして」などと言われたことに腹を立てて、履いていた靴で女性の頭を3回殴り5日間のけがをさせたとして、強制わいせつ致傷の疑いで逮捕されました。
プロ野球の現役選手が逮捕された事例は当時、1991年に横浜大洋ホエールズ(2000年当時は「横浜ベイスターズ」)の所属選手だった中山裕章(2000年当時は中日ドラゴンズ所属)が強制わいせつ・公然わいせつ容疑で逮捕された事件以来でした。その後、被害者女性とは示談が成立し、社会的制裁を受けていることもあって、起訴猶予となりました。
プロ野球の現役選手が逮捕された事例は当時、1991年に横浜大洋ホエールズ(2000年当時は「横浜ベイスターズ」)の所属選手だった中山裕章(2000年当時は中日ドラゴンズ所属)が強制わいせつ・公然わいせつ容疑で逮捕された事件以来でした。その後、被害者女性とは示談が成立し、社会的制裁を受けていることもあって、起訴猶予となりました。
逮捕に際しては、逮捕当日の午前中、「プロ野球選手のまま逮捕されるのは嫌だ」という杉山の意向もあって、事情聴取される直前に球団に退団願が提出され、それを受けて球団が解雇しました。そのため、日本テレビ『NNNきょうの出来事』、『読売新聞』や『朝日新聞』は、元プロ野球選手、元巨人として報道されました。
巨人の私設応援団が復帰嘆願の署名を集めましたが、約2万人でした。中山さん選手の10分の1であり、これは選手の実力、知名度と世論の後押しがあるかないかで復帰できるかできないかの異なる例になります。
※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。
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