サッカーワールドカップの2022年カタール大会のグループリーグの抽選がありました。日本は、スペイン、ドイツ、コスタリカとニュージーランドの大陸間プレーオフの勝者の組に入りました。

過去に優勝したことのあるチームであるスペインとドイツがおりますので、この2チーム中心にグループステージの戦いが繰り広げられることになります。

1993年に始まりましたJリーグとともに1994年アメリカ大会のドーハの悲劇から見始めたミーハーな人間ですが、1998年あたりのフランス大会含めて、予選を見ていて、まだ1対1でもガンガン抜かれていく日本代表でしたので、ディフェンダーが抜かれて突破されるのをヒヤヒヤしながら見ておりました。

2002年の日韓大会を挟んで、徐々にレベルが上がってきたのと、本大会のアジア枠が増えたこともあって、アジア予選のドキドキ感がなくなっていきます。ワールドカップの連続出場を重ねていく中で本大会のグループステージが、以前のアジア予選のドキドキ感を味わえる場所になっていくのです。

以前であれば、本大会のグループリーグで、強豪国のブラジル、アルゼンチン、ドイツ、イタリア、フランス、スペイン、イングランドあたりは当たってほしくない、決勝トーナメントに行くにはできるだけ弱い国(実際は1ヶ国もないのです)との組み合わせを望んでいましたが、それは前回のロシア大会でコロンビア相手に勝利して決勝トーナメントに進出してベスト16に敗れはしましたが、再び見方が変わりました。

それは、コロンビアに勝利したといっても前半早くにコロンビア側が1人退場しての棚からぼた餅的な勝利、1勝1敗1分での決勝トーナメント進出、そして決勝トーナメントでベルギーに最初2点を奪い勝利を期待させた後の逆転勝ちといったことからきていると思います。

そこで2022年カタール大会で強豪国のスペイン、ドイツとの組み合わせです。これはとても楽しみであり、ワールドカップで強豪国とガチンコ勝負ができる為、ワクワク感しかありません。

過去の大会で強豪国は2006年ドイツ大会でのグループステージ第3戦のブラジルであり、この時は4点取られての大敗(ブラジル 4対1 日本)でしたが、あの頃とは違い、今の日本代表は外国のリーグでもまれている精鋭達でありますので『どれくらい戦えるのか?』『もしかしたら勝てるかも?』という期待と、外国のリーグでもまれているもののレギュラーである選手は一部であり、まだまだ世界との差があるので『ぼろ負け?』『前線しての敗退』という複雑な心境であります。

2022年カタール大会で日本の入ったグループを「死の組」と呼ばれておりますが、「死の組」とは実力が拮抗してどこのチームが決勝トーナメントに進出するのかわからない状態のことであり、日本のグループは2強(スペイン、ドイツ)2弱(日本、プレーオフ勝者)というのが現実的だと思います。

たぶん、日本にとっての『死の組』という言い方なんですね。

実際は2022年カタール大会は「死の組」はないとの見解が大方の見解となっています。

「死の組」自体は各ワールドカップの大会で存在しますが、私自身が実際に「死の組」を感じたのは1994年アメリカ大会のグループEです。

1994年アメリカ大会グループE

❖アメリカ大会とは
FIFAがアメリカでの新たなサッカー市場を開拓するために開催されたのが、このアメリカ大会です。

アメリカは「サッカー不毛の地」と呼ばれていました。

「ペレ」「ヨハン・クライフ」や「ベッケンバウアー」などスーパースターを掻き集めて鳴り物入りで立ち上げられたアメリカの北米サッカーリーグ(プロ・リーグ)は不人気で早々と崩壊しました。

サッカーがメジャーリーグ(野球)、アメリカン・フットボール、バスケット、アイスホッケーの人気に対抗できなかったのには、いくつもの理由が考えられます。

 ・アメリカのスーパースターがいなかった(育たなかった)
 ・45分間CMを入れられずテレビ向きとはいえない
 ・引き分けや1~2点しか点が入らない盛り上がりの少ない
 ・メジャーリーグ(野球)、アメリカン・フットボール、バスケット、アイスホッケーが最高のスポーツである国民の意識。

しかし、FIFAにとってアメリカの巨大市場にどうしても参入したくなるほど魅力的なものでした。1990年代のアメリカはIT産業を中心に好景気だったこともありました。

なんとかアメリカでのサッカー人気を盛り上げようと、様々な条件を持ち出して開催にこぎつけました。FIFA側が招致を誘導して、数々の条件を譲歩する大会は非常に珍しい大会だったといえます。

北米リーグの失敗や前回イタリア大会の反省も生かし、アメリカの観客が楽しめるように大きなルール改正がされました。それは予選リーグでの勝ち点の変更です。前回のイタリア大会、勝ち点を確実に確保するために引き分け狙い(グループFが6試合中5試合引き分け)の試合が激増しました。そのため、ワールドカップ史上最も面白くない大会と言われることになりました。

そこでこの大会から、勝ったチームに与えられる勝ち点はそれまでの2から3に変更されました。そうなると、引き分け2試合では勝ち点2にしかなりませんが、1試合勝てばそれで勝ち点3となるので、引き分けを狙うより勝ちを狙う方が予選リーグでは有利になるのは明らかでした。

この変更に対応し各チームもこの大会では常に勝利を目指すようになり、前回イタリア大会に比べこの大会は総得点が大幅に増える(※)ことになりました。

※1990年イタリア大会 総得点115点(1試合平均 2.21点)
 1994年アメリカ大会 総得点141点(1試合平均 2.71点)

当然、試合内容も面白くなり、その結果としてこの大会の観客数もまた大きく伸びることになりました。最大で10万人を収容できるローズボウル・スタジアムをはじめ、野球やアメフト用の巨大スタジアムを使用したせいもありますが、平均で7万人の観客を動員できたのは明らかに成功だったといえるでしょう。

そして、アメリカ代表チームの躍進も大会を盛り上げた一つの要因となりました。
それまではホスト国で予選リーグ敗退は一度も前例がないのですが、実力が劣っていると前評判では決して期待されておらず、大会前は盛り上がりに欠けておりました。

しかしながら、知将ボラ・ミルティノビッチを招聘したアメリカ代表はグループリーグで強豪コロンビアを退け、開催国のノルマである決勝トーナメント進出に成功しました。アレクシー・ララスやトニー・メオラのような人気選手も生まれ、国民の声援も高まっていきました。決勝トーナメント1回戦では7月4日の独立記念日に王国ブラジルと対戦し、0-1で敗れるも善戦しました。

この大会の成功をステップにして、1996年には新たなプロリーグ、メジャーリーグサッカー(MLS)が創設された次第です。

❖グループE
1994年アメリカ大会のグループEは、準優勝のイタリア、メキシコ、アイルランド、ノルウェーの4ヶ国です。どちらかというと結果的な感じな「死の組」という感じもしますが、全チーム勝ち点4であり、紙一重であったことがわかります。

先に言った結果的なということと、まだ当時は24チームでしたので、グループステージ3位のチームでも6チーム中4チームが決勝トーナメントに進出と、グループ2位以上の12チームとワイルドカードの4チームの16チームがファイナル16に進めた時代で、準優勝のイタリアはワイルドカード6チーム中4位とギリギリでファイナル16に進めたわけです。

準優勝のイタリアは名将サッキ監督のもと、GKジャンルカ・パリュウカ、リベロで主将のフランコ・バレージ、左サイドバックのパオロ・マルディーニ、右ウイングバックのロベルト・ドナドーニ、終盤の指揮官デメトリオ・アルベルティーニ、そして前年のバロンドール受賞者でありトップ下で輝きを放つワールドカップで最後のスーパースターといっていいFWロベルト・バッジョと、いずれも世界的な名手が揃っていました。

1994年アメリカ大会のイタリア代表
1994W杯グループEイタリア

ワールドカップでの最後のスーパースター「ロベルト・バッジョ」
1994W杯グループEイタリア_バッジョ

メキシコはFWもできる伝説的なGKカンポス中心とした守りのチーム、伝説的な闘将で問題児ロイ・キーンのいるアイルランド、中盤でハードワークを見せながら、チームで数少ない、テクニックでアクセントをつけられる存在としても期待され、本大会の初戦では優勝候補イタリア相手のジャイアントキリング達成に貢献しました。ノルウェーはオルセン監督率いられて、1994年、1998年と連続出場した黄金世代(以降はヨーロッパ予選敗退)でした。

メキシコ代表ゴールキーパーの「ホルヘ・カンポス」
1994W杯グループEメキシコ_カンポス

この後、イタリアは決勝トーナメントでも苦労しながら、なんとか不屈の精神で勝ち上がり、決勝戦のブラジル(イタリア 0対0(PK2対3)ブラジル)でPK戦の上に敗戦となります。

優勝したブラジル代表。ワールドカップトロフィーを持っているのは「ドゥンガ」。
1994W杯ブラジル

❖ワールドカップらしい最後のワールドカップ
自分が生きている時代もありますが、ワールドカップらしさが残っていたのは「1994年アメリカ大会」が最後となりました。特にFWやMFのスーパースター、いわゆる「10番」が中心となって輝きを放っていました。

イタリア「ロベルトバッジョ」、アルゼンチン「マラドーナ」、ブルガリア「スト一コフ」、メキシコ「カンポス」、ドイツ「マテウス」、そしてブラジル「ロマーリオ」「ベベット」の最強2トップ。「マラドーナ」は大会中のドーピング検査に引っかかって失格となり、その後、アルゼンチンは失速して16強で敗退しました。

スーパースターたちの競演があった大会は、むろん、この後の大会でもありますが、古きよきワールドカップは、この大会が最後だったと思います。

アルゼンチン代表「マラドーナ」。
1994W杯アルゼンチン_マラドーナ



※最後に
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