山中の骨、不明女児と断定 鑑定でDNA型一致―事件、事故両面で捜査・山梨県警(2022年5月14日)

山梨県道志村の山中で見つかった人の肩甲骨について、県警は14日、DNA型が一致したとして、2019年9月に近くのキャンプ場で行方不明となった小学1年の小倉美咲さん=当時(7)、千葉県成田市=のものと断定した。事件と事故の両面から美咲さんが死亡した経緯を調べる。

山梨県警は、肩甲骨が生命維持に欠かせない部位であることを理由に、美咲さんは死亡したと判断した。

捜査関係者によると、鑑定に際し、家族から美咲さんのへその緒などの提供を受けていた。先月発見された頭骨は、ミトコンドリアDNA型鑑定で母親との血縁関係に矛盾がないとされたが、個人を特定するDNA型が検出できていなかった。

2019年(令和元年)9月21日に山梨県南都留郡道志村のキャンプ場で当時小学1年生の小倉美咲さん(当時7歳)が行方不明になりました。


❖当時の事件の概要としては以下の通り

2019年9月21日、道志村の「椿荘オートキャンプ場」に子育てサークルで知り合った7家族27人が遊びに来た。昼12時15分ごろキャンプ場に到着。15時35分ごろに9人が約150メートル離れた沢に遊びに行き、女児は15時40分ごろに1人で後を追った。その10分後に大人が迎えに行ったが、16時ごろにAがいないことが判明した。

17時ごろに警察に連絡。警察と消防が捜索を開始したが発見には至らず、22時にその日の捜索を終了。翌日以降は自衛隊や捜索ボランティアなども加わり、東西15キロメートル、南北8キロメートルにわたってのべ約1700人で捜索するも手掛かりは見つからず、山梨県警察は同年10月6日に大規模な捜索を打ち切った。


❖どのような形で失踪してしまったのか?(憶測)

当時は大々的な報道がされて、連日、大量の捜査員で山狩りのごとく捜索範囲を拡げて捜索しましたが見つからず、ワイドショーやニュースでは、識者をよんで事件、事故の両面からの検証を行いながらの報道でしたが、見つからずに捜索は打ち切りとなりました。

当時よりは報道はされなくなりましたが、何かにつけて報道されており、失踪者の事件として、大々的に扱われて、皆さんの記憶に残っている時間だったかと思います。

それが3年が経過して残念な形にはなりましたが、ようやく親元に帰ってこれたということになりました。

最後に目撃された場所から、わずか600m先で骨の一部が発見されました。この場所は当時も捜索されたとの事ですので残念でなりません。

ここで気になる記事があります。女児は行方不明になってからまもなく死亡したとみられることです。

【独自】行方不明からまもないうちに死亡か 事故と事件の両面で捜索続く 山梨・道志村(2022年5月15日)

山梨県・道志村で見つかった骨とDNA型が一致した千葉県の小倉美咲さんは、行方不明になってからまもないうちに死亡したとみられることが捜査関係者への取材でわかりました。
(中略)
死因や行方不明後の足取りは明らかになっておらず、警察は事故と事件の両面で捜索を続けています。


ここからは素人の憶測でしかないのですが、これらの報道だけで推察してみました。


❖(死因)転んで、石や岩にぶつかり脳挫傷で亡くなる

岩や石、樹の根などに引っかかって転んでしまい、運悪く頭を打ち亡くなってしまうということです。この場合であれば、捜査員の声に反応することができないと思います。

❖(死因)捜査員の『〇〇ちゃん』は怖い為、出てこれず衰弱死

捜査員の『〇〇ちゃーん』という掛け声をきいて、本人からは知らない人がたくさん呼んでいると思い、草むらなどに逆に隠れてしまい、そのうちに衰弱して死んでしまったというものです。

❖(死因)現場は険しい場所であるが、自分で行ってしまった

何で行ってしまったかはわかりません。例えば、綺麗な蝶が飛んでいて追いかけてしまった。他にキツネ、タヌキ、野ウサギを見つけて追いかけてしまった。いずれも気がついたら、森の奥に入り込んでしまい、どこだかわからなくなってしまったというものです。

道志村の生き物

自ら行ってしまったというのは、もうひとつあります。

北海道で不明の7歳男児、無事に発見(2016年6月3日)

北海道・七飯町で行方不明となった男児が無事保護された陸上自衛隊「駒ケ岳演習場」の宿泊施設内部。左のマットを使っていたという。

3日午前7時50分ごろ、北海道鹿部町の陸上自衛隊「駒ケ岳演習場」で、5月28日から七飯町の山林で不明になっていた北斗市の小学2年、田野岡大和君(7)が6日ぶりに無事保護された。軽い擦り傷はあるが、命に別条はない。

道警などによると、演習場の建物の中で、隊員が発見した。行方が分からなくなった場所から演習場まで約6キロ。大和君はヘリコプターで午前9時すぎに函館市内の病院に搬送された。両親が病院で身元を確認した。軽い脱水症状と低栄養状態だが歩行は可能という。詳しい健康検査を受けるため入院する。

建物は演習時に隊員の宿泊施設として使われていた。大和君は不明になった5月28日夜に演習場に着き、建物の中にあったマットを使って寒さをしのいだという。建物の外には水道の蛇口があり、「水を飲んで過ごした」と話している。
(後略)

もちろん両者と状況は違いますし地形も違います。そして建物があるなど、森深くではないと思います。ただし、男子と女子の違いがありますが年齢は同じです。そして特筆すべき点としては、行方不明になった場所から6キロ先にいたということです。

今回は椿荘オートキャンプ場から骨が発見された場所はキャンプ場から2つの峰を超えた枯れ沢というところですが、最後に目撃された場所から600mしか離れておりません。

枯れ沢とは、山と山の間の低い土地は山の水が流れ込んで小川や湿地になっています。その水を含んだ土地を「さわ(沢)」と言いますが、降水が少ない時期は、その沢の水が干上がり、ただの谷の底の草地のように見えます。そこを枯れた沢と表現しています。

女性でも7歳であれば、十分に「枯れ沢」のあたりに行くことはできると思います。ただし、現在は枯れ沢でも小川が流れていたと思われますので、上流から流れてきています。その証拠に、最初は頭蓋骨(4月23日)、運動靴(4月28日、29日)、肩甲骨(5月4日)、2つの骨の様なもの(5月11日)と登れば登るほど見つかっています。

❖ツキノワグマに襲われた

道志村にはツキノワグマがおりますので襲われてしまった可能性もあります。力は強く500kgくらいの物は動かしてしまうので、7歳の女児であれば、軽々引っ張っていくと思います。

十和利山熊襲撃事件(とわりさん くましゅうげきじけん)

2016年 (平成28年) 5月から6月にかけて、秋田県鹿角市十和田大湯(とわだおおゆ)の十和利山山麓で発生した熊害。ツキノワグマがタケノコ採りや山菜採りに来ていた人を襲撃し合わせて4人が死亡、4人が重軽傷を負ったほか、5人がクマを撃退して無傷であった。日本では記録に残るものでは史上3番目の被害を出した獣害事件と言われているほか[1]、本州においてはやはり記録に残るものでは最悪と言える獣害事件である。被害者を襲ったクマや食害したクマを複数確認しており、クマによる襲撃事件では稀なケースである。鹿角市の頭文字をとって「スーパーK」と名づけられた。



※最後に
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