玄倉川(くろくらがわ)で男性がおぼれ死亡 友人らと遊泳中(2023年7月30日)
30日午後4時半ごろ、神奈川県山北町玄倉の玄倉川の立間堰堤(えんてい)付近で「人がおぼれた」と119番通報があった。
小田原市消防本部や県警によると、20代の男性が川でおぼれ、意識不明の状態でドクターヘリで神奈川県伊勢原市内の病院に搬送された。約2時間後に死亡が確認された。
男性は友人と3人で遊びに来ており、高さ約6・6メートルの堰堤から飛び込んだところ、浮かんで来なかったという。水中にいる男性を友人らが発見し、岸に引き上げた。
現場の玄倉川の立間堰堤付近では、1999年8月に、大雨による増水でキャンプ中の家族ら18人が流され、このうち13人が亡くなった事故が起きている。

30日午後4時半ごろ、神奈川県山北町玄倉の玄倉川の立間堰堤(えんてい)付近で「人がおぼれた」と119番通報があった。
小田原市消防本部や県警によると、20代の男性が川でおぼれ、意識不明の状態でドクターヘリで神奈川県伊勢原市内の病院に搬送された。約2時間後に死亡が確認された。
男性は友人と3人で遊びに来ており、高さ約6・6メートルの堰堤から飛び込んだところ、浮かんで来なかったという。水中にいる男性を友人らが発見し、岸に引き上げた。
現場の玄倉川の立間堰堤付近では、1999年8月に、大雨による増水でキャンプ中の家族ら18人が流され、このうち13人が亡くなった事故が起きている。

2023年7月30日に、玄倉川で男性が溺れて亡くなりました。ご冥福をお祈り申し上げます。
現場の玄倉川の立間堰堤付近では、1999年8月に、大雨による増水でキャンプ中の家族ら18人が流され、このうち13人が亡くなった事故が起きています。
あまりにも有名な『玄倉川水難事故』ですね。
今は何と『DQNの川流れ』と呼ばれているそうですね。これは知らなった・・・。
この事故は、あちらこちらのプログやYoutubeなどの動画で詳しく解説されておりまして、周囲の忠告を無視して、中州に取り残されて、増水により、リーダーである人間の実名は晒されておりまして、デジタルタトゥー(※)として永遠に残り続けるであろう事故となりました。
この事件が起きたのが1999年ですので、今は2023年ですから、24年前の事故であり、10歳ぐらいの子なら覚えているとして、2023年で34歳ぐらいから歳が上の人なら記憶にあるかもしれません。
※インターネット上で公開された書き込みや個人情報などが一度拡散してしまうと、完全に削除するのが不可能であることを、「入れ墨(タトゥー)を完全に消すことが不可能」であることに例えた比喩表現である。
テレビのニュースを見た時に正直に『こいつらは助けなきゃいけない人間なのか?』と思いました。
それほど、いろいろな意味で人々の記憶に大きなインパクトを残した事故でありました。
細かくは、他のサイトに任せるとして、簡単に事件を振り返ってみます。
玄倉川水難事故(1999年8月14日)
❖事故概要
1999年(平成11年)8月13日より、玄倉川の中州でキャンプをしていた横浜市にある廃棄物処理会社に勤める男性社員ら、子供6人を含む彼らの家族、さらに社員の婚約者・女性の友人を含む18人が翌日の熱帯低気圧の大雨による増水によって流され、社員5名と妻2名、1歳から9歳の子供4名、社員が連れてきた女性の友人2名の計13名が死亡した。
❖気象状況
この当該事故の原因となった大雨をもたらした熱帯低気圧も、8月13日に紀伊半島の南海上で発生したものである。14日には関東南岸へ、15日には本州を縦断して能登半島付近へと進んだが、特に雨雲が発達した関東地方では、所により1時間に30から50ミリの強い雨になった。
事故現場近くにある丹沢湖のアメダスには、事故前日13日の20時ごろから1時間あたり10ミリを超える大雨が、断続的に降り続いていたことが記録されている。増水が著しくなった8時までの総雨量は114ミリで、特に救助活動が開始された10時には、1時間に38ミリという土砂降りになっていた。雨が上がるまでの累計雨量は、最終的には29時間で349ミリが記録されている。ただし事故現場周辺は地理的条件から恒常的に雨量の多い地点で、29時間で349ミリという値は決して珍しいものでない。
❖玄倉ダム放流操作
このダムは、下流にある玄倉第一発電所(水力発電所)への発電用水を取水するために設けられている。河川法第44条1項に於けるダムの基準「高さ15.0メートル以上」の規定より50センチ低いためダムとしては扱われず、堰(せき)として扱われる。また、この玄倉ダムは一般的に想像されるダムのように水を溜め込んで洪水を防ぐようなダムではなく、貯水容量が極めて小規模な取水堰である。
このような小規模な発電用ダムや堰の場合、増水(洪水)時には速やかなゲートの開放が要求される。洪水調節を目的に持つダムの場合は、あらかじめ雨季の前に貯水池の水位を下げ、洪水が起きても貯水池に水を蓄える機能を持っているが、玄倉ダムの場合は洪水調節機能を持たないばかりか、貯水池自体もきわめて容量が小さいため、洪水が起これば空の状態から数時間も待たずに満水となる。
玄倉ダムにおいては、貯水池への流入量が毎秒50立方メートルを超えた状態を「洪水」として放流を含めた操作を規定しているが、事故当時の流入量は毎秒100立方メートルであり、流入量と貯水容量の比から満水までの時間を算出すると、仮に貯水池が空であったとしても約7分程度で満水となる計算となる。従って、事故当時はこれより短い時間で満水になったことが推測される。
❖事故の経過
▼1999年8月13日
15時ごろ:降水が始まる。当時隆盛しつつあった「オートキャンプ・ブーム」に加え、ペルセウス座流星群の極大、さらにお盆休みの時期にあたり、遭難した横浜市内の一行を含め、玄倉川ではこの日、キャンプ指定地外の6か所に50張ほどのテントが張られていた。
15時20分ごろ:ダム管理職員が1回目の巡視を行い、ハンドマイクで行楽客に増水と水位上昇の危険性を警告し、退避を促したところ、大部分の行楽客はこの警告に従って水際から退避した。一方で、事故に遭った一行からの反応は冷ややかだった。
16時50分:神奈川県に大雨洪水注意報が発表される。
19時ごろ:一行25人のうち4人は日帰り参加のため、幕営地を離れて帰宅した。
19時50分ごろ:ダム管理職員が2回目の巡視を行い、一行に直接、中州から退避するよう勧告するが、拒否される。
❖あまりにも有名な暴言(その1)
ダム職員、警察に対して「早く失せろ、殴るぞ」「放っておいてくれ、楽しんでるんだよ」などの暴言、更に退避を呼びかけた地元住民に対しても「地元の人は臆病ね」「田舎者はプライバシーを侵すのが趣味」などの暴言を吐いています。
ダム職員、警察に対して「早く失せろ、殴るぞ」「放っておいてくれ、楽しんでるんだよ」などの暴言、更に退避を呼びかけた地元住民に対しても「地元の人は臆病ね」「田舎者はプライバシーを侵すのが趣味」などの暴言を吐いています。
▼1999年8月14日
5時35分:降雨は激しさを増し、気象庁は神奈川県に大雨洪水警報を発表した。
6時ごろ:前夜に撤収したメンバーが、川を渡って中州のテントに残っている仲間に中洲から避難するよう呼びかけるが、反応は無し。まだ水流は膝下ぐらいの深さで、辛うじて渡渉可能だった。
8時30分ごろ:すぐ下流の立間堰堤の水深が普段より85センチ高い1メートル程度となり、中州も水没する。膝越し以上の水位の渡渉は、通常の流れであってもザイルがないと大人でも危険であり、増水して急流となった現場は、自力での退避が不可能となった。既にテントは流され岸からの距離は80メートルほどになっており、中洲で野営した横浜市内の一行はパニック状態になった。
10時ごろ:レスキュー隊員11名のうち2名が断崖伝いに対岸に到着。放送局のテレビカメラも現地に到着し、取材を開始する。
10時30分ごろ:レスキュー隊が対岸に救命索発射銃で救助用リードロープの発射を試みるが、対岸の樹木に引っ掛かった。15分後に再びロープが発射されるが、一射目のロープが絡まり、水圧と流木に妨げられてメインロープが遭難者に届かなかった。既にテントは流され、3本のビーチパラソルの支柱を中心に、男性たちが上流側で踏ん張って水流を和らげようとし、中央部に女性や子どもが寄り添って雨風を避け、下流側で乳幼児を抱いた男性が佇んでいる様子の映像がテレビで速報される。
11時ごろ:玄倉ダムが警察からの要請を受け放流中止。しかし玄倉ダムは発電用ダムで貯水能力に乏しいため、すぐに満水となりダム崩壊の危機に直面した。やむなく崩壊防止のため5分で放流を再開。
11時38分:水深が2メートル近くになった。水位は胸にまでも達し、救援隊や報道関係者の見守る前で18人全員がまとめて濁流に流された。甥である1歳男児を抱いていた伯父が、咄嗟に子どもを岸に向かって放り投げ、別グループのキャンプ客(東京都鳶職の男性)が危険を顧みず救い上げる。この子どもの父親と姉を含む大人3名、子供1名も対岸に流れ着くが残りの13名はすぐ下流の立間堰堤から流れ落ち、以後は姿が確認できなくなる。
❖あまりにも有名な暴言(その3)
救助後、救助隊には「テントを回収したら返してほしい」という自分勝手な発言をしています。普通であれば死ぬか生きるかのところで、更に周りの人も亡くなっているのにテントの心配なんてしている状況ではありません。
救助後、救助隊には「テントを回収したら返してほしい」という自分勝手な発言をしています。普通であれば死ぬか生きるかのところで、更に周りの人も亡くなっているのにテントの心配なんてしている状況ではありません。
▼1999年8月15日
7時ごろ:警察、消防、自衛隊の救助チームが対岸に流れ着いて夜を過ごした4名(31歳男性と5歳の娘、31歳男性と29歳男性の兄弟)の救助を開始。
8時30分ごろ:救助チームが対岸の4名を救助。
❖あまりにも有名な暴言(その4)
善意からおにぎりを差し入れた住民に対しては「まずい」と発言し、その後そのおにぎりを地面に叩きつけるという行動をしています。
善意からおにぎりを差し入れた住民に対しては「まずい」と発言し、その後そのおにぎりを地面に叩きつけるという行動をしています。
▼1999年8月29日
自衛隊による捜索活動の打切り直前になって、最後まで行方不明だった1歳女児の遺体が発見された。これで13名全員の遺体は丹沢湖から収容された。
❖救出・捜索費用
救助や捜索に要した費用のうち、地元自治体である山北町が負担した額は4,800万円、神奈川県警察が要した費用は同日道志川で発生した別件の水難事故1件と合せて人件費のみで1億円となった。これらの費用は全て公費負担となった。
事故を振り返ると・・・
どうしても亡くなられた13人の方に、ご冥福をお祈り申し上げます、とはならない自分がいますね。
この事故は社会的にも大きな影響を与えました。当時、テレビでリアルタイムに見ていた、そして事件の経緯などのニュースを見た人の心に強烈な印象を与えているんではないでしょうか。
それは何なのか?振り返ってみます。
自己責任論、自業自得論
雨の日の中州は、災害に対する意識が向上した今に比べて低かった当時でも『雨が降ったら河原にいてはいけない』という教育はされていたはずですので「雨が降っているのに、それも大雨なのに、何でそんな所でまだキャンプしていたの?」という感情が芽生えるのは至極当然の思いです。
自己責任論は1990年代中盤から後半にかけて浸透してきましたが、たしか最初は「阪神淡路大震災」で次に、この「玄倉川水難事故」だったんじゃないかなと思います。
自業自得であり暴言を吐き続ける人を救助チームが命を懸ける虚しさ
こんな人たちでも職務を全うして、そして命を懸けてまで助けようとする救助チームを見ていて「これは報われる仕事なのか?」「救助チームは死なないでください!」と正直に思ったものです。
この元凶を作ったリーダーが数少ない生存者であったこと
18人のうち、13人の犠牲者を出した水難事故でしたが、この元凶を作った張本人である本名『加藤直樹』は2人の子供とともに生き残ったのです。ただし、奥さんは、あの世に行ってしまいました。子供と奥さんの手を握っていたそうですが、子供の命を優先したのでしょうか?『加藤直樹』は、奥さんの手を放してしまい、奥さんは濁流に飲み込まれていったそうです(娘さんと思われるプログより)。
◆生存者と死亡者
▼生存者
加藤直樹(31歳) 富士繁社員。リーダー。
加藤朝香(5歳) 加藤直樹の娘。
加藤一樹(1歳) 加藤直樹の息子。叔父の咄嗟の判断により救助。
平野嗣富(31歳) 富士繁社員。平野幸男と兄弟。
平野幸男(29歳) 富士繁社員。平野嗣富と兄弟。
▼死亡者
松尾利美(31歳) 富士繁社員。加藤美江さんの実兄と言われている。
松尾理恵(30歳) 主婦。松尾利美の妻。
松尾歩(9歳) 松尾夫妻の娘。
松尾駿兵(5歳) 松尾夫妻の息子。
加藤裕二(33歳) 富士繁社員。加藤直樹の実兄。
加藤美江(28歳) 主婦。加藤直樹の妻。松尾利美さんの実妹と言われている。
加藤優香(1歳) 加藤夫妻の娘。
梶ヶ谷剛(25歳) 富士繁社員。
織立亜希子(25歳) 梶ヶ谷剛の婚約者。
高橋直人(26歳) 富士繁社員。
小野崎恵子(27歳) 高橋直人の恋人。
原田敬介(48歳) 富士繁社員。
原田千香(9歳) 原田敬介の娘。
▼生存者
加藤直樹(31歳) 富士繁社員。リーダー。
加藤朝香(5歳) 加藤直樹の娘。
加藤一樹(1歳) 加藤直樹の息子。叔父の咄嗟の判断により救助。
平野嗣富(31歳) 富士繁社員。平野幸男と兄弟。
平野幸男(29歳) 富士繁社員。平野嗣富と兄弟。
▼死亡者
松尾利美(31歳) 富士繁社員。加藤美江さんの実兄と言われている。
松尾理恵(30歳) 主婦。松尾利美の妻。
松尾歩(9歳) 松尾夫妻の娘。
松尾駿兵(5歳) 松尾夫妻の息子。
加藤裕二(33歳) 富士繁社員。加藤直樹の実兄。
加藤美江(28歳) 主婦。加藤直樹の妻。松尾利美さんの実妹と言われている。
加藤優香(1歳) 加藤夫妻の娘。
梶ヶ谷剛(25歳) 富士繁社員。
織立亜希子(25歳) 梶ヶ谷剛の婚約者。
高橋直人(26歳) 富士繁社員。
小野崎恵子(27歳) 高橋直人の恋人。
原田敬介(48歳) 富士繁社員。
原田千香(9歳) 原田敬介の娘。
生き残り後も暴言の数々、悪態の数々を聞きますと『神様は本当に不公平だな』と感じました。人が救助されると、それが他人でもニュースでもよかったという感情が芽生えるものですが、この時ばかりは全くそんな感情は芽生えませんでした。
❖注意されて意地になってしまったのか?
当時はかなりの雨でした。キャンプをしているにしても食事作るのも大変だったろうし、トイレするにも一苦労だったと思います。
小さい子供がいれば尚更だと思うのです。
テントなどを片付けて避難するのも大変でしょうが、あの場にそのまま居続ける方がもっと大変だったんではないか?と思うのです。
警告に対して『意固地』になってしまったようにも感じてしまいます。
例えて言うなら、よく学校とかでありがちな不良が先生に注意されてそれに謝るのはカッコ悪い・・・みたいな感じにも思えるのです。
真相は当人たちしか知らないことですし、これから語られることもないでしょう。
ただ、案外、注意せず放っておけば「雨もひどいし帰るか」となっていたかもしれません。
当時はかなりの雨でした。キャンプをしているにしても食事作るのも大変だったろうし、トイレするにも一苦労だったと思います。
小さい子供がいれば尚更だと思うのです。
テントなどを片付けて避難するのも大変でしょうが、あの場にそのまま居続ける方がもっと大変だったんではないか?と思うのです。
警告に対して『意固地』になってしまったようにも感じてしまいます。
例えて言うなら、よく学校とかでありがちな不良が先生に注意されてそれに謝るのはカッコ悪い・・・みたいな感じにも思えるのです。
真相は当人たちしか知らないことですし、これから語られることもないでしょう。
ただ、案外、注意せず放っておけば「雨もひどいし帰るか」となっていたかもしれません。
※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。
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