ロシア軍は4日未明、ザポロジエ原発の一帯を攻撃し、原発の近くにある訓練用建物で火災が発生。その後、原発はロシア軍に占拠されたました。

先にロシア軍がチェルノブイリ原発を占拠していたので気にはなっていましたが「核攻撃」でなく「核施設」の攻撃により、メルトダウンを引き起こして放射能汚染という、これまた最悪なシナリオにつきすすもうとしています。

メルトダウンとは?
そもそも、メルトダウンは炉心溶融(ろしんようゆう)とも呼ばれる原子炉の重大事故の一つ。原子炉の中心にある炉心が、冷却系統の故障により炉心の温度が異常に上昇し、核燃料が融解(ゆうかい)すること。

これでもよくわかりませんよね?

分解していきましょう。

まずは、炉心融解(ろしんゆうかい)です。

炉心(ろしん)とは『原子炉の核分裂連鎖反応が起きてエネルギーを発生する部分。燃料集合体・制御棒・冷却材などのある所。』という意味だそうです。

融解(ゆうかい)とは『物理学で固体が液体に変化すること。また、そうさせるために加熱することである。』だそうです。

原子炉(げんしろ)って?となるので、

原子炉(げんしろ)とは『火力発電所のボイラー(水を沸かし湯や水蒸気をつくりだす設備や装置のこと)にあたるものが原子炉で、この中でウラン燃料が核分裂を起こして熱をつくっています。 この熱により水を水蒸気に変え、タービンを回し、電気をつくっているのです。 わずかな量の燃料で大量のエネルギーを生み出し、一度燃料を入れると、少なくとも1年間連続運転ができます。』となります。

ウランは中性子にぶつかると分裂する性質で、核分裂して熱を発生させます。この時に放射線が発生します。中性子を入れた鉄の棒を制御棒といい、これを近づけたり遠ざけたりすることで核分裂の量を調整します。

ウラン燃料は焼き固めた小さい固形物でペレットと呼ばれており、これを複数入れた燃料被覆管と呼ばれる金属の棒に入れています。

核分裂は、とても高温となるので、ウラン燃料を入れた燃料被覆管や中性子を入れた制御棒は冷却水に浸かっており、原子炉内から放射性物質が漏れださないように管理されています。

そして、何らかの原因で冷却水が供給されなくなりますと、ウラン燃料を入れた燃料被覆管が溶けだして漏れ出します。そして原子炉、正確にいいますと原子炉格納容器内の底にこぼれおちて、放射性物質が大量に発生して原子炉格納容器に圧力がかかり破裂して、原子炉格納容器がある原子炉建屋に充満していき、原子炉建屋から放射能が漏れ出します。

これがメルトダウンです。

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スリーマイル島原子力発電所事故
1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故。国際原子力事象評価尺度(INES)※においてレベル5の事例です。

定期メンテナンス時のトラブルにより、水が原子炉内の設備に漏れ出して、給水排水設備とタービンが停止しました。

トラブルが進むにつれて、水位計も故障したため、正確な水位をオペレーターが判断できなくなりました。

また、オペレーター達は原子炉通常運転時は冷却水過剰による燃料棒表面での核沸騰停止(これによる熱交換性能低下)は絶対避けるよう教育されていました。上記の誤った情報から炉内は冷却水過剰気味と考え、核沸騰停止に近いと考え、緊急給水ポンプを停止してしまいました。

そしてメルトダウンが発生となりました。

※国際原子力事象評価尺度(INES)
h28kiso-02-02-01

チェルノブイリ原発事故
1986年4月26日午前1時23分(モスクワ標準時)に、ソビエト社会主義共和国連邦(旧ソ連)の構成国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故です。国際原子力事象評価尺度(INES)※においてレベル7の事例です。

・根本的設計の欠陥
・運転員の教育不足
・試験準備が遅れて、試験短答が早番から遅番担当になったが運転試験に関して十分な教育や引き継ぎがなされていなかった。
・特殊な運転を行ったために事態を予測できなかった。
・低出力では不安定な炉で低出力運転を続けた。
・計画とは異なる状況になったが実験を強行した。
・実験のために安全装置を無効化した。

上記に複合的な要因にも関わらずに、試験を進めた結果、発生した事故となっています。

福島第一原子力発電所事故
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波により、東京電力の福島第一原子力発電所で発生した原子力事故。1986年4月のチェルノブイリ原子力発電所事故以来、最も深刻な原子力事故となりました。国際原子力事象評価尺度(INES)において、7段階レベルのうち、当初はレベル5に分類されましたが、のちに最上位のレベル7(深刻な事故)に引き上げられました。

2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒[17]に、日本の三陸沖の太平洋を震源として発生した超巨大地震が発生しました。

地震の規模はマグニチュード (Mw) 9.0から9.1で、日本の観測史上最大規模でした。また宮城県栗原市で最大震度7が観測されました。

地震により一部電源設備が損傷しましたが、地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機(略称:DC)が起動しました。

そして地震の約50分後、遡上高14 m~15 mの津波が発電所を襲いました。この津波により非常用ディーゼル発電機が津波の海水により故障しました。さらに電気設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷するか、または流出で失うかしたため、全電源喪失(ステーション・ブラックアウト、略称:SBO)に陥りました。このため、ポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や使用済み核燃料プールへの注水が不可能となったことで、核燃料の冷却ができなくなりました。



※最後に
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