◆ドキュメント
作成日付:2022/10/17
更新日付:2023/01/31
※事件数が多くなりましたので、プルダウンメニューに対応しました。
※事件数が多くなり、文字数制限を越えましたので分割しました。
※2023.08.05改題(旧題:犯罪者・犯人・被告人の出所予定データベース(パート1))
※2023.08.09改題(旧題:犯罪者・犯人・被告人の出所予定データベース(目次あ~お))


<目次>







2016年愛知県稲沢市殺人放火事件(菅井優子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2016年10月に角田幸司さん(当時60歳)が殺され、自宅が放火され全焼した事件。被害者は、結婚相談所の紹介で知り合った菅井優子(当時54歳)と2015年7月に結婚したが、その7か月後に殺された。結婚の翌月に、妻菅井優子(当時54歳)を受取人とした生命保険がかけられていた。

 2019年9月18日、愛知県警は菅井優子(当時54歳)およびその交際相手の男で美容院を経営する浅野勉容疑者(当時65歳)を殺人容疑で逮捕した。
菅井優子被告(54)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 名古屋地裁の裁判員裁判で、検察側は2022年3月17日、無期懲役を求刑した。名古屋地裁は、2022年4月14日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2052年4月頃、84歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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2015年愛知県春日井市ラーメン店殺傷事件(宮地良多)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2015年9月24日に愛知県春日井市のラーメン店で発生した殺傷事件。

 2015年9月24日朝、宮地良多(当時27歳)は愛知県春日井市のラーメン店に鉄パイプのようなものを持って押し入り、店員2人の頭部を複数回殴った。従業員の荻原典章さん(当時35歳)は頭の骨を折り死亡、もう1名の従業員(当時39歳)は顔面骨折の重傷を負った。店の金庫からは売上金250万円がなくなっていた。

 県警によると、2015年9月27日、大阪府内にいた宮地容疑者から任意で事情聴取。その後、春日井署に任意同行した。28日夜、宮地良多(当時27歳)が任意聴取を拒否して署を出たため、捜査員1人が追いすがって戻るよう説得を続けたが、29日午前2時ごろ、同容疑者が突然走り出し、姿を見失ったという。

 県警は2015年9月29日、宮地良多(当時27歳)を全国に指名手配し、6時間後に大阪府岸和田市の実家付近で発見して身柄を確保した。
宮地良多被告
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2017年2月27日に名古屋地裁(奥山豪裁判長)は、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。「無防備な被害者を襲う甚だ危険な犯行で結果は誠に重大。奪った現金も高額」と述べた。

❖出所予定(年齢)
 2047年2月頃、57歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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愛知県蟹江町母子3人殺傷事件(林振華)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2009年(平成21年)5月1日深夜から翌5月2日昼にかけて愛知県海部郡蟹江町の民家で発生した強盗殺人・同未遂事件である。

 林振華(りんしんか・当時25歳・三重大学在学の中国人留学生)は万引きにより罰金刑を受ける見込みとなったことから、その支払いのために盗みを企て、侵入先の民家で遭遇した家人3人を殺傷した。

 被害者の山田喜保子さん(当時57歳)を鉄製のスパナで頭蓋骨(ずがいこつ)が割れるほど頭を何度も殴り撲殺、次男の山田雅樹さん(当時26歳)を台所にあった包丁で雅樹さんを刺殺、三男の山田勲さん(当時25)は首などを刺されて重傷であった。

 2012年(平成24年)10月に窃盗容疑で三重県警察に逮捕され、その際に採取された唾液のDNA型が事件現場の遺留品と一致したため、同年12月に本事件の被疑者として逮捕され、起訴された。
2015年愛知県春日井市ラーメン店殺傷事件_林振華
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2018年9月6日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人L側の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Lの死刑判決が確定することとなった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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愛知交際2女性殺害事件(兼石幸男)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年8月15日、愛知県海部郡蟹江町において、兼岩幸男(当時44歳)は借金の返済資金を調達できなかったことで不倫関係にあった渡辺愛子(当時49歳)さんからなじられてビールの缶を投げ付けられたことに腹を立てた。そのことがきっかけで、借金とともに渡辺さんを消し去ろうとして殺意をもって、頸部を両手でしめて窒息死させた。

 2003年5月25日には、愛知県一宮市において、不倫関係にあった村井栄子(当時43歳)さんも窒息死させた。兼岩は村井さんから結婚を求められており、不倫関係を妻に暴露するといわれており、また、兼岩の行っていた会社との背信行為についても公表すると言われていた。その後、カッターナイフで四肢などを六つに切断し、黒色ビニール袋にいれて岐阜県柳津町(現在は岐阜市)の境川に遺棄した。27日にも河川敷の雑木林の土に埋めるなど損壊・遺棄した。
愛知交際2女性殺害事件_兼岩幸男
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2011年11月29日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は、弁護側の上告を棄却して死刑判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(名古屋拘置所収監中、死刑未執行)

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愛知長久手町立てこもり発砲事件(大林久人)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年(平成19年)5月17日から5月18日にかけ、愛知県愛知郡長久手町(現:長久手市)で元山口組系暴力団組員 大林久人(当時50歳)が元妻を人質に取って民家に立てこもった事件のこと。発生から解決まで約29時間に及び、特殊急襲部隊(SAT)の林一歩警部(当時23)が銃撃されて殉職、また、男の妻子と警察官1人が負傷した。

この事件はSAT初の殉職者を出す事件となった。
愛知長久手町立てこもり発砲事件(大林久人)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2011年3月22日、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2041年3月頃、80歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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会津若松母親殺害事件(少年K:栗田恭平)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年5月15日午前7時ごろ、福島県会津若松市の会津若松警察署で、同市の県立高校3年の男子生徒 栗田恭平(当時17歳)が「母親を殺害しました」と言って自首する。栗田は切断された女性の頭部を通学用の黒い布製ショルダーバッグに入れて持ってきていた。その際応対した女性警官は生首と目が合い卒倒して医務室に運び込まれたという。

 署員が少年の自宅アパートに駆けつけたところ、布団の上で母親が頭部を切断されて死んでおり(5月15日午前1時30分ごろ寝ている母親を包丁で刺殺)、同署は少年K(実名報道で栗田恭平(当時17歳)と判明)を殺人容疑で緊急逮捕する。翌5月16日、殺人と死体損壊の疑いで少年を送検した。
会津若松母親殺害事件(少年K:栗田恭平)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2008年2月26日、福島家庭裁判所会津若松支部(裁判長・増永謙一郎)は、少年の完全責任能力を認定したうえで「充分な治療と教育が必要」と判断し、成人と同じ公開の刑事裁判につながる検察官送致(逆送)ではなく、医療少年院送致という保護処分を決定した。

❖出所予定(年齢)
 2009年2月頃、18歳、すでに退院(医療少年院は12ヶ月が標準期間)

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秋田園児殺害事件(進藤美香)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2006年10月23日、秋田県大仙市で男子保育園児の進藤康介ちゃん(当時4歳)が他殺体となって発見された事件。加害者は進藤美香(当時31歳)と交際相手の畠山博(当時43歳)だった。

「(男児が)うるさい」、「言うことを聞かない」と供述。
道の駅に駐車中の車内において、実母と交際相手が性交渉を行おうとしたところ、男児が声を上げて反対したため、凶行に及んだ。
秋田園児殺害事件(進藤美香)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 実母は、一審(秋田地方裁判所)で殺人罪で懲役14年の実刑判決を受けた。判決直後は控訴しない考えを示していたが、判決から8日後、仙台高等裁判所秋田支部に控訴手続きを取った。

2007年8月27日、秋田刑務所を通して、控訴を取り下げる文書を秋田地裁に提出していたことが判明した(懲役14年の刑が確定)。

❖出所予定(年齢)
 2021年8月頃、45歳(出所)

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秋田児童連続殺害事件(畠山鈴香)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2006年に秋田県山本郡藤里町で2人の児童が殺害された事件。
 2006年4月10日に小学校4年生の畠山彩香ちゃん(当時9歳、娘)が、自宅から10キロ離れた藤琴川の中洲で水死体となって発見され、さらに5月18日午後に被害女子児童の2軒隣の近所に住む米山豪憲君(当時7歳)が約12キロ離れた米代川の川岸で遺体で発見された。

 畠山彩香ちゃん(当時9歳、娘)を、自宅近くを流れる川の橋の欄干の上から転落して溺死と判明、米山豪憲君(当時7)の死因は、首を絞められたことによる窒息死と判明した。

 1件目の事案について秋田県警察は発覚直後は捜査本部を設置し、事件・事故の両面で調べるとしていたが、早々に事故と断定して捜査を打ち切った。しかし、2件目の事象発生から1件目についても再捜査を始め、6月4日に女子児童の母親である畠山鈴香(当時33歳)を事件の被疑者として逮捕した。
秋田児童連続殺害事件(畠山鈴香)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2009年3月25日 - 控訴審判決が仙台高等裁判所秋田支部であり、竹花俊徳裁判長は地裁判決を支持し、弁護・検察双方の控訴審を棄却。弁護側のみ上告。
 2009年5月19日 - 弁護側が上告を取り下げたため、地裁が下した無期懲役判決が確定。

❖出所予定(年齢)
 2039年3月頃、63歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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秋葉原通り魔事件
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。

 加藤智大(当時25歳)が2トントラックで赤信号を無視して交差点に突入し、通行人5人を次々とはねた上、降車して通行人や警察官ら17人を次々とダガーナイフで刺した。一連の犯行によって7人が死亡、10人が重軽傷を負った。警視庁や裁判所、報道、更に犯人自身からは主に、秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれている。犯人の加藤は2015年(平成27年)に死刑判決が確定し、2022年(令和4年)に東京拘置所で死刑を執行された(執行時39歳)。
秋葉原通り魔事件(加藤智大)
◆被害者
被害者 負傷詳細
無職男性 左背中刺創・死亡
男子学生 腹部打撲・死亡
男子学生 全身打撲・死亡
女子学生 大動脈及び肝臓の損傷・死亡
無職男性 背部刺創・死亡
調理人男性 背部刺創・死亡
男性会社員 胸部貫通刺創・死亡
秋葉原通り魔事件被害者
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2015年(平成27年)2月2日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)は「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるを得ない」として、一、二審の死刑判決を支持して加藤被告人、弁護人側の上告を棄却する判決を言い渡した。

 加藤は判決を不服として最高裁第一小法廷判決の訂正を申し立てたが、同月17日付で同小法廷の決定により棄却されたため、同日付で死刑が確定判決となった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2022年(令和4年)7月26日午前、東京拘置所で絞首により死刑執行(当時39歳没))

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足立区首なし殺人事件(小野悦男)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1996年1月に発覚した殺人事件。

 犯人の小野悦男(当時59歳)は過去に殺人事件で起訴されたが無罪を勝ち取った冤罪のヒーロー的存在となった男であった。

 1996年1月9日、足立区の駐車場で布団に包まれた女性(当時41歳)の首なし焼死体が発見された。女性死体は陰部が切り取られていた。警察は被害者が41歳女性であり、当時同居していた人物が小野 悦男だったことをつきとめた。

 小野悦男は、1968年から1974年にかけて首都圏(東京、千葉、埼玉)で発生した一連の連続殺人事件「首都圏女性連続殺人事件」の犯人ではないかと疑われた男だった。

 1986年9月4日に、無期懲役の第一審判決が下されたものの、1991年4月23日に東京高裁での控訴審で逆転無罪が言い渡され確定している。

 1996年5月2日、小野の家宅捜索で、裏庭の地中から首なし遺体と切断面が合致する頭蓋骨と遺体切断に使われたノコギリ、さらに切り取られた陰部を冷蔵庫から発見。これにより小野が殺害を自供した。
足立区首なし殺人事件(小野悦男)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 1999年2月9日、小野に対して殺人罪で有罪とし、無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2029年2月頃、89歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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足立区女性整体師刺殺事件(藤井勝吉)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2009年5月に東京都足立区で発生した殺人事件。日本で初めて裁判員の参加する刑事裁判に関する法律に基づく裁判員制度が適用された事件である。
2009年5月1日11:50頃、無職の藤井勝吉(当時71歳)は、東京都足立区の路上で、自宅近くに住む女性整体師の文(ぶん)春子さん(当時66歳)と自宅前の路上で口論となった末に胸などをサバイバルナイフで数回刺した。被害者は病院に搬送されるが15:15頃に死亡が確認された。警視庁西新井警察署は殺人事件で捜査を開始。被疑者は現場近くに凶器のナイフを捨てて逃走するも、事件発生から約8時間後に足立区内で発見、警察は男を殺人の疑いで逮捕。

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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2010年5月31日に最高裁が被告側の上告を棄却し、懲役15年の判決が確定。

❖出所予定(年齢)
 2025年5月頃、86歳(懲役15年)

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尼崎事件(角田美代子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2012年(平成24年)10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人・死体遺棄事件。1987年(昭和62年)ごろに発生した女性失踪事件を発端に、主に暴行や監禁などの虐待により死亡したとされる複数名の被害者が確認されている。報道では尼崎連続変死事件などとも呼ばれることが多い。

 この事件の主犯格とされる角田美代子(当時64歳)は、少なくとも25年以上もの間、兵庫県尼崎市南東部で、血縁関係に無い人物を多く集め、疑似家族を築きながら共同生活を営んでいた。そして、角田美代子(当時64)の周辺では、1987年ごろに当時、角田美代子(当時64歳)と同居していた女性が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり、事件が表に出ることはなかった。

 しかし、2011年(平成23年)11月に角田美代子(当時64歳)らに監禁されていた40代女性が監禁状態から抜け出し警察に駆け込んだことで、40代女性に対する傷害容疑で逮捕され、次いで、その女性の母親の死亡事件が発覚する。さらに、この事件を端緒に捜査は進められ、2012年10月に別件(C・Cの母年金窃盗事件)で逮捕されていた従犯者が全面自供したことにより、ようやく一連の事件が明るみに出ることになった。この直後の2012年12月、角田美代子(当時64歳)は、事件について多くを語らないまま、兵庫県警本部の留置場で自殺した。
尼崎事件(相関関係図1)
尼崎事件(相関関係図2)
❖判決内容(判決内容・判決時期)・・・主犯格のみ(共犯者大杉!)
 裁判前に自殺

❖出所予定(年齢)・・・主犯格のみ(共犯者大杉!)
 死亡(自殺)

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安室奈美恵実母殺害事件(平良譲二)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年3月17日午前10時40分ごろ、歌手の安室奈美恵(当時21歳、以下安室と表記)の実母 平良恵美子(当時48歳)が再婚相手の弟である義弟 平良譲二(当時44歳、安室との血縁関係はない)に車で轢かれたあとにナタで殴られる事件が発生。実母は病院に搬送されたが、午前11時48分に死亡が確認された。殺害を犯した義弟は事件から4時間後に山中で死亡しているところを発見された。農薬による服毒自殺だった。
安室奈美恵実母殺害事件(平良譲二)1
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 裁判前に自殺

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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淡路島5人殺害事件(平野達彦)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2015年(平成27年)3月9日早朝に兵庫県洲本市中川原町中川原の集落(淡路島中部に位置する)で発生した大量殺人事件。
平野達彦(当時46歳)は2015年3月9日、洲本市の自宅近くの平野浩之さん宅と平野毅さん宅を襲撃し、男女5人(当時59~84歳)をサバイバルナイフで刺殺した。

◆被害者
・平野浩之さん(当時62歳) 両側性血気胸・死亡
・平野方子さん(当時59歳) 心臓・胸大動脈貫通刺創・死亡
 ※浩之さんの妻
・平野静子さん(当時84歳) 心臓・胸大動脈貫通刺創・死亡
 ※浩之さんの母
・平野毅さん(当時82歳) 多発性胸部大動脈刺創・死亡
・平野恒子さん(当時79歳) 心臓・上行大動脈多発刺創・死亡
 ※毅さんの妻
淡路島5人殺害事件(平野達彦)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 最高裁第三小法廷(林景一裁判長)は2021年1月22日付で被告人側の上告を棄却する決定を出したため、平野達彦(当時46)の無期懲役判決が確定することとなった。第一審(裁判員裁判)で言い渡された死刑判決が控訴審で破棄自判され、最高裁で無期懲役が確定する事例は7例目となる。

❖出所予定(年齢)
 2051年1月頃、76歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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飯塚事件(久間三千年)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1992年(平成4年)2月20日に福岡県飯塚市で2人の女児が行方不明になり、翌21日に同県甘木市(現:朝倉市)の八丁峠で他殺体となって発見された事件。事件から2年後の1994年(平成6年)、久間三千年(事件発生当時54歳、逮捕当時56歳)が殺人などの被疑者として逮捕された。
飯塚事件(久間三千年)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 略取誘拐・殺人・死体遺棄の罪で被告人として起訴された久間は、一貫して無実を主張したが、2006年(平成18年)に最高裁で死刑判決が確定(10月8日付)。

 一部報道は冤罪疑惑を採り上げ、翌2009年(平成21年)に久間の妻が1度目の再審請求をしたが、2021年に再審請求棄却が確定した。現在は2度目の再審請求中である。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2008年(平成20年)10月28日、福岡拘置所で死刑執行(当時70歳没))

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池袋通り魔殺人事件(造田博)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年(平成11年)9月8日に東京都豊島区東池袋で発生した通り魔(無差別殺人)事件。

 白昼の繁華街で通行人が次々と襲われ、女性2人が死亡したほか、通行人6人が負傷した。

 1999年9月8日11時35分 - 40分ごろにかけ、豊島区東池袋の東急ハンズ池袋店前で、加害者 造田博(当時23歳)が、包丁(刃体の長さ約14.4 cm)・玄能(重さ約270 g)で通行人を無差別に襲い、2人(66歳女性と29歳女性)を殺害し、6人に重軽傷を負わせた。

 造田博(当時23歳)はサンシャインシティの地下通路からエスカレータで東急ハンズ正面入り口前に出た後、「アー!むかついた。ぶっ殺す」と大声で叫んだ。まずサンシャインシティのエスカレーターをのぼってきた夫婦2人を包丁と金槌で襲い、66歳女性を殺害した。包丁は心臓に達していて、ほぼ即死。

 次に東急ハンズ前に差し掛かった夫婦2人のうち29歳女性を包丁で刺し、女性は同日16時20分ごろ、肝臓、腎臓等損傷による出血性ショックにより死亡した。輸血された血液は1万3千cc。全身の血液が3回入れ替わる量に相当する。

 その後、60階通りを池袋駅方向に走り、その途中で私立高校の1年生4人グループのうち3人を切りつけ、さらに2人に切りつけた。その後、Zは池袋駅前で通行人たちに取り押さえられ、その場で現行犯逮捕された。
池袋通り魔殺人事件(造田博)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)は2007年(平成19年)4月19日に原判決(第一審判決)を支持し、造田博(当時23歳)および弁護人による上告を棄却する判決を言い渡した。造田博(当時23歳)は訂正申立期限内に判決への訂正を申し立てなかったため、2007年5月2日付で死刑判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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池袋本町三丁目アパート内殺人事件(小林一生)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2001年に発生した殺人事件である。警視庁の特命捜査対策室による初の摘発事件。

 2001年4月28日、東京都豊島区池袋本町3丁目のアパート二階に居住していた矢萩昭造さん(当時66)が殺害されているのが見つかった。男性は死後1週間以上経過していると見られ、背中に傷跡があったことから池袋警察署は殺人事件として捜査。その後、2009年11月に警視庁の未解決の殺人事件などを専門に扱っている特命捜査対策室が設置されると最新技術を用いて再捜査された。その結果、現場に遺留された血痕のDNA型を調べると、アパート隣の住宅に住む小林一生(逮捕当時56歳)のDNA型と一致したため、警視庁捜査1課は2010年9月28日に殺人容疑で男を逮捕。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 小林一生(逮捕当時56歳)は初公判では無罪を主張したが、その後の公判で一転して罪を認めた。被害者の矢萩昭造さん(当時66歳)が部屋で飲酒して騒ぐことがあったといい、騒ぎ声に腹を立てたのが動機で2001年4月15日に部屋に侵入して心臓と背中をナイフで刺して殺害したと供述した。2011年10月7日、東京地裁(伊藤雅人裁判長)は、懲役12年(求刑懲役15年)の実刑判決を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2023年10月頃、68歳(懲役12年)

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石井紘基(いしいこうき)刺殺事件(伊藤白水)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2002年10月に発生した、民主党所属の衆議院議員・石井紘基が殺害された事件である。

 2002年10月25日、民主党の衆議院議員・石井紘基(当時61歳)が、世田谷区の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺され死亡した。翌10月26日、右翼団体『守皇塾』代表の伊藤白水(当時48歳)が警察に出頭し逮捕される。

 伊藤は「生活に困窮し家賃の工面を断られたため、仕返しでやった」と供述したが、石井が国会議員や官僚の腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」との見方もある。10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言したという事実などが挙げられている。
石井紘基(いしいこうき)刺殺事件
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2004年6月18日、東京地裁で無期懲役の判決が言い渡され、判決では被告が主張する「金銭トラブル」という動機を信用することができないとした。2005年11月15日、最高裁で無期懲役の判決が確定した。なお、公判では伊藤は一貫して事件の犯人は自分1人の単独犯であり、金銭苦による犯行であるという主張を変えなかった。

❖出所予定(年齢)
 2035年11月頃、78歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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石巻3人殺傷事件(千葉祐太郎)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2010年(平成22年)2月10日、宮城県石巻市清水町一丁目で発生した殺人事件(少年犯罪)。

 千葉祐太郎(事件当時18歳)が、かつて交際していた南部沙耶さん(当時18歳)の家に押し入り、少女の親族・知人3人を殺傷した。

 南部かつみさん(当時46歳)方で、千葉祐太郎(事件当時18歳)が南部さんの2階で寝ていた少女の姉(長女)、南部美沙さん(当時20歳)と友人の高校生、大森実可子さん(当時18歳)=石巻市を刃渡り約18 cmの牛刀で複数回刺して殺害した。同じく友人の建設作業員男性(当時20歳)=石巻市=を刃物のようなもので刺した。

 3人を目の前で殺傷されて恐怖に怯えるる元交際相手の次女、南部沙耶さん(当時18歳)の左脚を刺して全治1週間の軽傷を負わせ、無理矢理、車に乗せて拉致した。

 事件発生を受け、宮城県警察は石巻警察署に捜査本部を設置。加害少年2人は、途中で車を乗り換えて逃走したが、同日13時ごろ、同市内の友人宅で身柄を確保され、県警捜査一課と石巻署により、未成年者略取と監禁の現行犯で逮捕された。南部沙耶さん(当時18歳)は保護された。
石巻3人殺傷事件(千葉祐太郎)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2016年6月16日、最高裁第1小法廷は死刑とした一・二審判決を支持し、千葉祐太郎(当時24歳)の上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった。裁判員制度が2009年(平成21年)に導入されて以降、裁判員裁判で死刑判決が言い渡された少年事件で死刑判決が確定するのは史上初である。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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伊勢崎市同居女性餓死事件(金井幸夫)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 同居女性を餓死させた殺人事件である(2001年11月10日に餓死)。加害者の家庭が劣悪な環境であることも話題となった。

 金井幸夫(当時37歳)は1964年生まれで、年子の姉と2歳年下の妹がいた。母親による長男 金井幸夫(当時37歳、主犯の男)に対する態度は一貫したものではなく、ひどく甘やかす側面がある一方で、近所に金井幸夫(当時37歳)の泣き声が響き渡るほどの身体的虐待も加えていた。このような不安定な環境の中、金井幸夫(当時37歳)は周囲に対して内気な態度を見せながら、自分より弱い者に対しては徹底的に痛めつけるという嗜好を育てていった。

やがて、金井幸夫(当時37歳)は家庭内暴力を振るうようになり、姉や母親の悲鳴が近所に響き渡った。思春期に差しかかる頃になると、姉の悲鳴は何かを拒否するようなものに変わった(週刊誌などでは近親姦が行われていたのではないかと疑われた)。

さらに、金井幸夫(当時37歳)は自分が借りた金を払えないため、姉の身体を身代わりとして少年たちに姉を性暴行させた。両親はその間、庭に佇んでいたという。姉は精神を患い、精神病院へ入院する。この後、姉の障害者年金が一家の収入源の1つとなった(父親はアルバイトに従事していた)。

金井幸夫(当時37歳)は定職に就かないまま2回結婚し、被害者を含め4人の女性と同居していた。主犯の男は他の3人の女性に対しても日常的に暴行を行い、食事を与えないなどの虐待を行っていた。また、最初の妻との間に長女を儲けていたが、学校にはほとんど通わせていなかった。

幸夫の家には、6畳に4畳半、キッチン、バス、トイレという間取り。そこに、幸夫の父(当時72歳)、母(当時65歳)、姉(当時38歳)、そして長女(当時14歳)が暮らしていた。

2001年11月12日夕方、伊勢崎市消防本部に、金井幸夫(当時37歳)が119番通報する。この時の声は落ち着いたものであったという。救急隊員が現場に駆けつけてみたところ、長谷川三根子さん(当時36歳)の遺体は仰向けに寝かされ、毛布がかけられていた。司法解剖では、彼女は身長158センチに対し26キロの体重しかなかった。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2002年11月25日午後3時に前橋地裁で判決。主犯の男は懲役12年、姉と母親は懲役8年の実刑判決を受けた。

❖出所予定(年齢)
 2014年11月頃、49歳(出所)

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市川一家4人殺害事件(関光彦)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1992年(平成4年)3月5日夕方から翌6日朝にかけ、千葉県市川市幸二丁目(行徳地区)にあるマンションで発生した強盗殺人事件(少年犯罪)。

 少年 関光彦(事件当時19歳)が3月5日夕方、会社役員の男性A(当時42歳)宅に侵入し、翌朝までに一家5人のうち、4人を次々に殺害した。関光彦(事件当時19歳)は2001年(平成13年)12月に最高裁で死刑判決が確定し(少年死刑囚)、2017年(平成29年)12月19日に東京拘置所で死刑を執行されている(44歳没)。10歳代の少年による残忍な犯行として社会に衝撃を与え、その重大性から少年法の在り方などに論議を呼んだ事件でもある。

 犯人の関光彦(事件当時19歳)は、暴力団と女性関係を巡るトラブルを起こし、現金200万円を要求されたため、その金を工面する目的で、3月5日夕方に雑誌出版・編集会社役員A(当時42歳)宅へ侵入。
 留守番していたAの母親C(83歳)に金品を要求したところ、警察に通報されそうになったことから電気コードで絞殺し、次いで帰宅してきたAの妻D(36歳)、A本人、次女E(4歳:保育園児)の一家4人を相次いで柳刃包丁で刺殺したほか、長女B(当時15歳:高校1年生)も包丁で斬りつけて負傷させた。

この間、関光彦(事件当時19歳)は長女Bを連れ出し、A夫妻が経営していた会社にも金品を奪いに行ったほか、長女Bを現場の一室や、連れ出したラブホテルで複数回にわたって強姦した。翌朝、関光彦(事件当時19歳)は現場に駆けつけた千葉県警の警察官により、銃刀法違反で現行犯逮捕された。
市川一家4人殺害事件(関光彦)
◆一家4人殺人事件に至った流れ
 フィリピンパブの女性2人を監禁・暴行(1992年2月6日)
 店先の経営者が激怒し、暴力団を雇い賠償金を関光彦氏に請求(1992年2月)
 通行人の少女(長女)を誘拐・強姦(1992年2月12日)
 計画的犯行を目論んで、少女の家族を4人殺害(1992年3月5日)
 再度少女(長女)を強姦・次女を殺害(1992年3月6日)加害者・関光彦を逮捕(1992年3月7日)

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2001年12月3日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)は原判決を支持し、被告人 関光彦(判決当時28歳)側の上告を棄却する判決を言い渡した。Sは判決への訂正を申し立てたが、2001年12月20日付の第二小法廷決定[事件番号:平成13年(み)第7号、平成13年(み)第9号]で棄却された。このため、同月21日付で関光彦(判決当時28歳)の死刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2017年(平成29年)12月19日、東京拘置所で死刑執行(44歳没))

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一関市住職親子強盗殺人事件(千葉正子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年(平成19年)6月11日に岩手県一関市で発生した強盗殺人事件。
 加害者の女 千葉正子(当時46歳)が金銭強奪を目的として顔見知りの住職親子を殺害した。

 2007年6月11日夜、千葉正子(当時46歳)は2週間前に一関市東山町田河津の遠應寺で父親の墓参りをした際に、被害者 鈴木ウメ子さん(当時81歳 / 鈴木秀良さんの実母)が自分に話しかけてくれたことを思い出し、被害者 鈴木秀良さん(当時59歳 / 同寺住職)がパチンコを趣味としていて金銭を所持していると思えること、2人暮らしであることなどから寺に強盗に入り、2人を殺害することを決意した。

 2007年6月11日午後8時30分頃、千葉正子(当時46歳)は寺の庫裏で鈴木ウメ子さん(当時81歳 / 鈴木秀良さんの実母)、鈴木秀良さん(当時59歳 / 同寺住職)と共にこたつを囲み、話をしていたが、ウメ子さんが席を離れた直後に手提げ鞄から包丁を取り出して秀良さんの腕を掴んで引き寄せ、殺意を持って秀良さんの前胸部を包丁で刺した。秀良さんは深さ約13cmもの傷を負い、倒れ込んだ。

 その後、千葉Cは、部屋にあった灰皿を戻ってきたウメ子さんの後頭部に複数回振り下ろし、逃げ回るウメ子さんを執拗に追いかけ回した。

 負傷しながらも反撃をする秀良さんを千葉は叩き払い、必死に逃げるウメ子さんの前に回り込んで、殺意を持って抵抗するウメ子さんの首や胸、背中を繰り返し包丁で刺して、左総頚動脈・椎骨動脈等損傷による失血により死亡させて殺害した(強盗殺人罪)。胸への刺突行為で瀕死状態の秀良さんが、最後の力を振り絞り、受話器に手を伸ばしていることに気づいた千葉は、受話器を取り上げ、とどめとして再び秀良さんの左側胸部を突き刺して、秀良さんを肝刺創による出血性ショックで死亡させて殺害した(強盗殺人罪)。

 2007年12月5日、岩手県警が千葉正子(当時46歳)を本事件の被疑者として強盗殺人容疑で逮捕した。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2008年10月8日に判決公判が開かれ、盛岡地方裁判所(佐々木直人裁判長)は検察の求刑通り被告人 千葉正子(当時46歳)に死刑判決を言い渡した。弁護側は判決を不服として仙台高裁に即日控訴した。

 死刑判決を受け、千葉正子(当時46歳)は2008年11月中旬に宮城刑務所に隣接する仙台拘置支所に移送された。

 移送から約1ヶ月後の2008年12月28日午前11時35分ごろ、仙台高裁に控訴中で仙台拘置支所に収容されていた被告人 千葉正子(当時46歳)は、同所の独居房において窓枠にシーツを括り付け縊死して自殺した(46歳没)

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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一斗缶事件(藤森康孝)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2011年に大阪府大阪市天王寺区の公園で2人分の遺体がバラバラにされた状態で入れられた一斗缶が発見されたことにより発覚した殺人・死体遺棄事件である。

 2011年8月14日朝、大阪市天王寺区の公園で清掃活動をしていた男性が人の足首や頭部が入った一斗缶を発見。一斗缶は植え込みに立てかけるように置かれ、ビニールテープでふたが固定されていた。同日午後に近くの路上で手首などが入った第二の一斗缶が、翌15日には近くのゴミ捨て場から左足首が1つ入った第三の一斗缶が発見された。

 一斗缶には、バラバラにされた2人分の遺体が入っており、DNA鑑定したところ2人が母子関係にあったことが判明。その後の調べで母子は2006年から行方不明になって失踪届けが出されていた母親 充代(あつよ)さん(2006年当時46歳)、大学生の長男 庸了(のぶあき)さん(2006年当時21歳)であることがわかり、8月23日に母親の夫である男 藤森康孝(2011年当時57歳)が死体遺棄罪容疑で逮捕された。
一斗缶事件(藤森康孝)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2013年7月17日の地裁判決では「遺体を解体した上で一斗缶に入れて遺棄するという異常な行動を取るのは、死なせたことを隠すためと考えなければ合理的に説明がつかない」として、藤森康孝(判決当時59歳)が2人の死に関与したことを認定した。殺意については、「現場に長男の大量の血痕があったことから、長男への殺意を認定できるが、妻については暴行の態様を推認させる証拠はほとんどなく、殺意があったとは断定できない」として、長男には殺人罪としたが、妻には殺人罪ではなく傷害致死罪を適用し、懲役28年が言い渡された。また、犯行の動機や経緯は「不明」とされた。藤森康孝(判決当時59歳)は上訴したが、2014年4月24日に控訴棄却され、同年10月15日に最高裁で上告棄却されて判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2041年7月頃、87歳(懲役28年)

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伊東市干物店強盗殺人事件(肥田公明)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2012年(平成24年)12月18日に静岡県伊東市八幡野の八八ひものセンター内で発生した強盗殺人事件である。

 2012年12月19日午前8時30分ごろ、静岡県伊東市八幡野の干物販売店「八八ひものセンター」で、同店社長の清水高子さん(当時59歳)と男性従業員の小淵慶五郎(当時71歳)が遺体で発見された。朝出勤してきた女性従業員が店内に設置されたプレハブ型業務用冷蔵庫の中で血を流して倒れている被害者を発見した事で発覚。冷蔵庫の外側には扉が開かないようにテーブルが置かれていた。

 2人の死因は刃物のようなもので首を刺されたことによる出血性ショックであると判明。警察は、同店での当日までの売り上げ金と釣り銭の保管状況から、現金約29万円が奪われたと判断し、強盗殺人事件として対策本部を立ち上げて捜査を開始した。

 2013年6月4日、静岡県警伊東署捜査本部は、2009年5月から2010年10月頃までの約1年5ヶ月間同店に勤務していた元従業員 肥田公明(事件当時60歳)を強盗殺人容疑で逮捕した。
伊東市干物店強盗殺人事件(肥田公明)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2021年1月28日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(深山卓也裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人 肥田公明(判決当時68歳)の上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑が確定することとなった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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茨城女子大学生殺人事件(ランパノ・ジェリコ・モリ)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)1月30日の深夜から翌早朝にかけて、茨城県稲敷郡阿見町のアパート居住の茨城大学の女子大生 原田実里さん(当時21歳)が殺害され、美浦村舟子地内の清明川(河口付近)において遺体で発見された殺人事件。

 2004年1月31日午前0時頃 原田実里さん(当時21歳)が一緒にいた男子学生宛に「明日の朝には戻る」とメモを残し、阿見町の自宅から外出。行方がわからなくなる。

 女子大生が家からいなくなる前に、2人は喧嘩をしていた。どちらかが散歩に出掛けるというのが、2人が喧嘩をした際の習慣となっていた。

 2004年1月31日午前中 男子学生は原田実里さん(当時21歳)が帰宅していないことに気付く。テーブルにはメモが残されていた。原田実里さん(当時21歳)は視力が0.1程度しかなかったが、眼鏡もコンタクトレンズも室内に残し、携帯電話や財布も自宅に置いたままだった。

 2004年1月31日午前中午前9時頃 原田実里さん(当時21歳)が自宅から6キロ離れた美浦村舟子地内の清明川で遺体で見つかる。

 事件発生から13年を経て、遺体に付着した微物のDNA型がフィリピン国籍のランパノ・ジェリコ・モリ(犯行当時22歳、逮捕当時36歳)と一致。情報提供や関係者への聴取などから、当時茨城県土浦市に住んでいた容疑者が浮上、共犯関係とみられる知人の男B(不明・Cの2人を特定した。全員女子学生と面識はなかった。

 本件に共謀した疑いで、事件当時に少年だったフィリピン人B(不明)・C(不明)の逮捕状を取り、国際刑事警察機構を通じて国際手配をしている。しかし、2人は事件後に帰国しており、日本とフィリピンとの間には事件捜査の協力を要請できる「刑事共助協定」がなく、容疑者の身柄引き渡しに関する条約もないため、フィリピン政府に引き渡しを求めることができない為に、立件の見通しは立っていないが、B(不明)については日本に入国したところを逮捕された。
茨城女子大学生殺人事件(ランパノ・ジェリコ・モリ・無期懲役)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2019年(平成31年)1月16日に東京高裁にて判決が言い渡され、犯行の状況やランパノ・ジェリコ・モリ(犯行当時22歳、逮捕当時36歳)の役割から刑事責任は重大で、量刑が重すぎることはないとして控訴を棄却し、無期懲役を支持した。ランパノ・ジェリコ・モリ(犯行当時22歳、逮捕当時36歳)は上告せず確定し、B(不明)の裁判は2021年2月に水戸地裁で無期懲役の判決が言い渡され、控訴せず確定した。

❖出所予定(年齢)
 2039年1月頃、66歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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岩手県種市町妻子5人殺害事件(加鬮山秀武)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1989年(平成元年)8月9日朝に岩手県九戸郡種市町(現:洋野町種市)[注 2]の民家で発生した殺人事件。

本事件の加害者 無職の加鬮山秀武(かくちやま ひでたけ)(事件当時42歳)は漁船員として働いていたが、船主・船頭との関係がうまく行かなかったことなどから漁船を下り、そのことを咎めた妻に暴力を振るったことがきっかけで離婚話が浮上した。その後は一時期こそ真面目に働くようになったが、再び仕事の不満から漁船を下りて妻と喧嘩になり、「このままでは妻は4人の子供を連れて実家に帰ってしまう」と考えた。そこで「このまま1人になるなら、いっそ妻子を皆殺しにしよう」と決意し、日本酒を多量に飲んだ上で、就寝中の妻子5人をマキリ(漁業用の刃物)で刺殺した。その後、自殺を考えたが決行できず、事件4日後に自首して逮捕された。
岩手県種市町妻子5人殺害事件(加鬮山秀武・病没)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 弁護人・服部耕三は判決後、「死刑を違憲とするこちらの主張が認められず残念だ」と述べ、加鬮山秀武(かくちやま ひでたけ)(事件当時42歳)は翌日(6月5日)に最高裁へ上告した。このため、事件の決着は死刑制度の是非論も含めて最高裁の判断に委ねられることとなったが、1992年10月6日夜に拘置先・宮城刑務所仙台拘置支所で体調を崩して国立仙台病院(宮城県仙台市)へ入院し、同月16日午後に同病院で死亡した(45歳没)。このため、刑事訴訟法に基づき本事件は公訴棄却されることとなった。

❖出所予定(年齢)
 死亡(病没)

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宇治学習塾小6女児殺害事件(萩野裕)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 京都府宇治市の学習塾で2005年(平成17年)12月10日に発生した殺人事件である。

 被害者である小学6年生の女児 堀本紗也乃ちゃん(当時12歳)の母親が、講師との関係が上手くいっていないと塾に繰り返し相談した結果、犯人のアルバイト講師 萩野裕(当時23歳)が担当する国語の授業を受講させないことになったため、講師は女児に対して恨みの感情を抱くようになった。しかし、女児と講師との関係が上手くいっていないことに関しては塾側にも問題があったという向きもある。

 犯行当日、萩野裕(当時23歳)は模擬試験の監督を外されており、勤務予定はなかったが包丁とハンマーを用意して出勤した。模擬試験を受けに来た児童に「別室で国語のアンケートを取りたい」と言って退室を命じ、国語の授業を受けていない被害女児 堀本紗也乃ちゃん(当時12歳)と2人になったところを包丁で刺殺した。犯行後、警察に電話で自供し、駆け付けた宇治警察署の警察官によって殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。
宇治学習塾小6女児殺害事件(萩野裕・懲役15年)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2009年3月24日に大阪高等裁判所にて言い渡された控訴審の判決では、萩野裕(当時23歳)の心神耗弱状態を認定し一審判決を破棄、懲役15年が言い渡された。同年4月8日、大阪高等検察庁・弁護側とも上告せず、判決が確定した。

 この事件で殺害された女児の両親が、犯人の講師が勤務していた学習塾・京進を相手取り京都地裁に慰謝料1億3000万円などを求める訴訟を提起し、京都地裁は使用者責任を認め、2010年3月31日、京進に約9800万円の支払いを命じる判決を言い渡した(民事訴訟)。

❖出所予定(年齢)
 2024年3月頃、38歳(懲役15年)

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宇都宮実弟殺害事件(長谷川静央)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2005年(平成17年)5月8日に栃木県宇都宮市御幸町で発生した殺人事件。過去に別の殺人事件を起こして無期懲役刑に処された前科を有する長谷川静央(事件発生当時は62歳・仮釈放中)がホストクラブ勤務・鈴木克己(逮捕当時32歳)に栃木県宇都宮市で親から相続したアパートを経営する実弟の統康さん(事件当時60歳)殺害を2000万円の報酬で依頼し、貸家業者の実弟 統康さん(事件当時60歳)を殺害させた。

 長谷川は、統康さん(事件当時60歳)が父親から相続したアパート収入のうち1000万円は自分の権利であると主張しトラブルになっていた。そこで、統康さん(事件当時60歳)を殺害して財産を独り占めにしようと計画。そこで、知人である鈴木に殺人の依頼をしたのだった。
宇都宮実弟殺害事件(長谷川静央)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2007年8月16日に東京高等裁判所(阿部文洋裁判長)は第一審・死刑判決を支持して被告人 長谷川および弁護人の控訴を棄却する判決を言い渡した。長谷川は同判決を不服として同日中に最高裁判所へ上告したが、2008年(平成20年)3月17日に上告を取り下げ、死刑が確定した。

 2007年2月13日付で最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)から上告を棄却する決定を受け、被告人 鈴木の懲役30年の刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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宇都宮宝石店放火殺人事件(篠沢一男)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年6月11日に栃木県宇都宮市江野町にあるジュエリーツツミ宇都宮店で、産業廃棄物処理会社相談役を自称する男 篠沢一男(事件当時49歳)が指輪など293点約1億4000万円相当を奪った上、店長を含む当時店内にいた従業員全員を拘束した上で店内に放火し、6人全員を殺害した事件。

店長の荒井紀美子さん(当時49歳)、松山名美子さん(当時51歳)、堀美知子さん(当時51歳)、久野みち子さん(当時41歳)、立川正恵さん(当時24歳)、浅沼祥子さん(当時22歳)の5人の店員がこの取引のため残業をしていた。

2000年6月11日午後7時30分頃、栃木県宇都宮市のジュエリーツツミ宇都宮店に自称産業廃棄物処理会社相談役の篠沢一男(当時49歳)が入店してきた。篠沢は以前同店で貴金属を購入した実績があり店長や店員らと面識があった。

店長の荒井紀美子さん(当時49歳)は、以前も同様の取引を篠沢から持ちかけられたが、その時は篠沢がいう産業廃棄物会社の実体が無かったことから取引には至らなかった。だが、今回は現金で購入するという篠沢の言葉を信じて取引に応じた。

荒井店長は1億円以上の商品を揃えるには時間がかかるため、改めて7時30分頃に来店して欲しいと篠沢に伝えた。このため、篠沢は改めて指定時間に再び同店を訪れたのだった。この時、荒井店長の他、松山名美子さん(当時51歳)、堀美知子さん(当時51歳)、久野みち子さん(当時41歳)、立川正恵さん(当時24歳)、浅沼祥子さん(当時22歳)の5人の店員がこの取引のため残業をしていた。

篠沢は、大きなブランドのバックを持参して「この中に1億5000万円が入っている」と荒井店長らを騙して、バックの中に1億4000万円余りの貴金属類を入れさせた。その後、荒井店長ら6人を粘着テープで縛り上げ店舗奥の休憩室に押し込んだ。

すると、篠沢は持参したオイル缶からガソリンを6人の全身や付近の床などに撒いて放火して逃走した。同店はたちまち猛火に包まれた。通報で急行した消防車17台が懸命の消火作業を行ったが鎮火したのは翌日の午前0時15分頃だった。直後、消防署の現場検証で炭化した男女の区別もつかない6体の焼死体を発見。更にオイル缶が発見されたことで放火と断定した。直ちに栃木県警は放火殺人事件として捜査を開始した。
宇都宮宝石店放火殺人事件(篠沢一男)

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2003年4月23日、東京高等裁判所は「犯罪史上まれにみる凶悪な事件」として控訴を棄却し、2007年2月20日、最高裁判所は上告を棄却して死刑が確定する。確定死刑囚として東京拘置所に収監された篠沢は、2008年に死刑廃止団体が行ったアンケートに「死刑になるのか、きもちの整理がつきません。死刑とはざんこくなものです」と答える。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2010年7月28日、東京拘置所で死刑執行(当時59歳没))

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宇都宮・猟銃殺傷事件(高橋卓爾)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 この事件では、加害者 高橋卓爾(当時62歳)宅と被害者 田中道雄さん(当時60歳)宅とのちょっとしたトラブルから両家の隣人戦争が勃発。約20年間続いた。

ある日、高橋の妻が田中さん宅の布団を叩く音に不快感を示したのに気づいた高橋が散弾銃を持ち出し、田中さんの妻 田中公子(当時60歳)さんに向けて散弾銃の引き金を引いた。被弾した彼女がベランダに倒れた。さらに散弾でガラス戸を破って高橋は田中家に浸入。2階に上がると、ベランダで苦悶する公子さんに向かって、さらに5発を発射して殺害した。

隣に住む田中さんの義理の妹 海老沼志都子さん(当時57歳)ゴミを外に出すために家の裏口から外にでていたは急に近くで鉄砲の音が聞こえ、びっくりして声を上げてしまい、高橋に気づかれ、田中さんの義理の妹 海老沼志都子さん(当時57歳)にも銃撃を加えて重傷を負わせた。

その後、高橋は自宅に戻り、室内で散弾銃を口にくわえて自殺した。 この事件は、銃規制の厳しい日本で隣人戦争の末に加害者が銃を用いて、一人を射殺したという衝撃的な事件として社会に受け止められ、日本における銃規制の強化につながった。(これまでに、日本において隣人トラブルが殺人事件に発展することはあったが、ほとんどの場合凶器は包丁などの刃物であり、散弾銃などの銃を凶器として使用した例はなかった。)
宇都宮・猟銃殺傷事件(高橋卓爾・死亡)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 被疑者死亡のまま、書類送検された。
 田中さんは、高橋に銃所持を許可したのは違法として、7,700万円の損害賠償を求めて栃木県を訴えた。平成20年5月16日、東京高裁において、県が4700万円を支払うことで和解が成立した。しかし、海老沼さんの治療費は、時効ということで認められなかった。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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宇土市院長夫人殺害事件(田尻賢一)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年3月13日に熊本県宇土市にある診療所で院長夫人が刺殺された殺人事件。

2004年3月23日、ゴルフの練習を終えて帰宅した中津卓郎さん(当時54歳、夫)が、自宅の玄関先で妻 千鶴子さん(49歳)が血まみれになって倒れているのを発見し通報した。犯行時刻は夫が自宅を留守にしていた午後2時から3時半ごろとみられる。

◆熊本夫婦強盗殺傷事件
 田尻賢一(当時39歳)は2011年2月23日午後6時10分頃、熊本市に住む会社役員の右田孝治さん(当時72歳)宅で「車を家の壁にぶつけた」などとうそを言って、男性の妻 美子さん(当時65歳)に玄関のドアを開けさせ、美子さんの顔や首、背中などをバタフライナイフで刺して殺害。現金10万円や商品券2万円分を強奪した。さらに午後6時30分頃、帰宅した孝治さんの胸や脇腹などを複数回刺して、全治1か月の重傷を負わせた。

その後、宇土市の現場付近で目撃された車と同じ緑色系の乗用車に田尻が当時乗っていたことが判明。二つの事件の手口が似ていることから、県警が田尻を追及したところ、3月23日になって殺害を認めた。
宇土市院長夫人殺害事件(田尻賢一)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2012年4月11日に福岡高等裁判所で控訴が棄却された。同年9月10日に最高裁への上告を取り下げ、田尻の死刑が確定した。一審が裁判員裁判だった被告の死刑確定は3件目で、九州・沖縄地方では初となる。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2016年11月11日、福岡拘置所で死刑執行(当時45歳没))

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江田島中国人研修生8人殺傷事件(陳双喜)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2013年3月14日、遼寧省大連市出身(後述)の中国人研修生 陳双喜被告(ちんそうき、当時30歳)が工場の従業員を襲撃、工場の男性経営者社長川口信行さん(当時55歳)と女性従業員 橋下政子さん(当時68歳)の2名が死亡、工場の従業員合わせて6名が重軽傷(6名のうち1名は2013年3月14日報道によると重体)を負った。研修生は現場にて現行犯逮捕された。経営者は胸などに多発刺傷、多発外傷があり、スコップで頭を何回も殴られ殺害、女性従業員はスコップで頭を殴られて殺害された。

日中友好経済協同組合(江田島市大柿町)に紹介されて来日した研修生は日本語が理解できず、周囲から孤立しており、殺害された経営者と日頃から言い争いが絶えなかった[4]。広島県警への取材によると、研修生は経営者からの叱責や、低賃金に恨みを募らせていたと供述[5]。研修生は体調不良と称して怠業し、無断外出しようとしたところを経営者に叱責され逆上し、その直後に犯行に及んだ[6]。犯行時は激高してではなく、無言で被害者を襲撃した[7]。

事件の背景には過疎化、高齢化が進む同島内で、カキ工場等における労働力の調達を外国人研修生に依存していたことがあると見られている。
江田島中国人研修生8人殺傷事件(陳双喜)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2015年3月13日、広島地方裁判所(裁判員裁判)は被告人に無期懲役判決を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2045年3月頃、60歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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恵庭OL殺人事件(大越美奈子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年(平成12年)3月に北海道恵庭市で発生した殺人事件。

2000年3月17日午前8時頃、恵庭市の人気のない農道の路上に焼死体があるのを幼稚園バスの運転手が発見した。遺体はタオルのようなもので目隠しされ、後ろ手に縛られており完全に炭化していた。死因は頚部圧迫による窒息死で、絞殺後に灯油をかけられたものと見られた(確定判決では、犯行時刻は3月16日の午後9時半から11時5分頃とされている)。

この焼死体は苫小牧市在住で千歳市に勤務する橋向香さん(当時24歳)の遺体と判明。女性従業員は3月16日に同僚と退社して午後8時半頃に自宅に電話した後は行方不明となっていた。女性従業員の家族によって3月17日午後1時頃に捜索願が出され、同日午後3時頃に勤務先2階の女子更衣室ロッカーから女性従業員の携帯電話が見つかっていた。

同年5月、恋愛問題のもつれによる犯行として、同僚の女性 大越美奈子(当時29歳)が逮捕・起訴された。

手前の方の大柄の女性が、被害者。橋向香さん(当時24歳)/ 奥に写っている、小柄な優しそうな女性が、冤罪となっている大越美奈子さん(当時29歳) 
恵庭OL殺人事件(大越美奈子)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年9月25日、最高裁は上告を棄却した。同年9月29日、被告人は最高裁に異議申し立てを行ったが、10月10日に棄却され、一審の懲役16年が確定した。大越は刑務所にて服役後、2018年に刑期満了。

◆冤罪を主張
 被告人側は事件発生時に購入した灯油については「社宅の片付けのための暖房用」と主張した。また、「女による単独犯は不可能」「真犯人は男性による強姦目的の複数犯」として冤罪を主張している(検死における司法解剖で強姦の有無を調べられなかった)。

❖出所予定(年齢)
 2018年10月頃、46歳(出所)

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大分一家6人殺傷事件(高校1年生15歳)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年8月14日午前2時50分、大分県大野郡野津町(現:臼杵市)で発生した事件であり、当時15歳の少年による隣家殺傷事件。

隣家に住む当時15歳の少年は、兄の部屋からサバイバルナイフを持ち出して被害者 岩崎さん一家にあった農機具を入れる小屋に隠れていました。そして一家が寝静まるのを待ち、母屋の風呂場の窓を割って被害者宅に侵入し殺戮にいたる。

頬を刺された祖父(当時66歳)の傷は脳に達し、一命は取り留めたものの寝たきりとなりました。次男(当時11歳)はナイフが心臓に達していましたが、10時間に及ぶ手術に耐えて元気に回復しました。しかし長女(当時16歳)は背中に受けた傷が深く、その後車いすの生活を余儀なくされました。

祖母(66歳)、母(41歳)、長男(13歳)は即死。

「被害者宅の風呂を覗いた」との疑いをかけられ、父親に厳しく注意されたり被害者宅全員から無視されたりするなどの屈辱を受けた。このことを恨んでの犯行とされる。実際に風呂を覗いたかどうかは不明で、少年は「(風呂は覗いておらず)煙草を吸っていただけ」と自供している。
大分一家6人殺傷事件(高校1年生15歳)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2000年11月の少年法が厳罰化(14歳以上から刑事責任)される直前の事件であったため、刑事責任は問われませんでした。
家庭裁判所の非公開審理のため公にならず、重度の行為障害があると判定され、医療少年院に送致され、7年後に別の少年院を退院しています。
少年法の理念
少年法とは元々
戦後の食糧難などの混とんとした時代にどうしようもなく犯罪に手を染めてしまう子供達を事情を鑑みて守るためにできた法律

民事訴訟を起こして以下の条件で和解。
 ・少年が35歳までになるまで半年に1度、職業と住所、反省状況を遺族に伝えること
 ・賠償金を毎月6万円支払うこと

しかしながら、これまでに少年から遺族に連絡は一切ありません。
約束を反故にしてのうのうと生きている少年を罰する法律はありません。

❖出所予定(年齢)
 2007年頃、22歳、すでに退院(医療少年院と少年院で7年)

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大分夫婦殺傷事件(安・青年A・張・朴・金)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2002年に大分県速見郡山香町(現・杵築市)で起こった中国人留学生らによる強盗殺傷事件である。

別府大学の留学生、元留学生であった安逢春(当時23歳)、青年A(当時19歳)、張越(当時23歳)、朴哲(当時21歳)と韓国人 金玟秀(当時26歳)の5名は共謀し、留学生の身元保証人の建設会社社長 吉野諭さん(当時73歳)から現金やキャッシュカードを盗み、監禁して暗証番号を聞き出そうと計画。2002年1月18日未明、5名が被害者夫婦宅に押し入り、2階で寝ていた妻 恵美子さんを脅して腹部等を刺して1ヶ月の大けがを負わせ、妻を助けようと2階に上がってきた夫 諭さんを刺し身包丁で刺殺した。

その後、金、安、青年Aの3名が大分県警に逮捕されたが、主犯格 張と朴の2名は中国へ出国したため、大分県警が国際刑事警察機構を通じ、国際手配した。
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◆大阪事件
この国際指名手配となった朴と、19歳の少年は、吉野さん方を襲撃するわずか3週間ほど前、大阪で35歳の女性を強盗目的で殺害していた。

2001年12月26日16時30分。
大阪市北区のホテルで、派遣型風俗店従業員の女性(当時35歳)が刃物でめった刺しにされて殺害されているのが発見された。
女性はクラフトテープで両手足を縛られ、その上で心臓、首などを十数回刺され、心・肺刺創による失血死であった。
その後の調べで、女性は2枚のキャッシュカードを抜き取られており、強盗目的で呼び出されたのち、殺害されたとみられている。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2009年に最高裁判所第一小法廷はこれを棄却し、青年Aを無期懲役(求刑・死刑)、金を懲役15年(求刑・無期懲役)、安を懲役14年(求刑・懲役15年)とした二審判決が確定した。

2013年に、国際手配されていた張と朴が中国国内で身柄を拘束された。日中間には犯罪人引き渡し条約がなく、日本国内で処罰することができないため、日本側は中国側に対し代理処罰を要請するとみられると報じられている。

2017年3月に中国の裁判所で張越(判決当時38歳)に執行猶予(2年)付きの死刑判決、朴哲(変血当時37歳)に懲役15年がそれぞれ言い渡され、控訴せず確定した。

❖出所予定(年齢)
 安・・・・・2023年9月頃、37歳(懲役14年)
 青年A・・・2039年9月頃、49歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)
 金・・・・・2024年9月頃、38歳(懲役15年)
 張・・・・・死刑判決(中国・執行状態は不明)
 朴・・・・・2023年3月頃、52歳(中国で懲役15年)

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大口病院連続点滴中毒死事件(久保木愛弓)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 神奈川県横浜市神奈川区の大口病院(当時、現・横浜はじめ病院)で2016年(平成28年)9月に発覚し、2018年(平成30年)7月、同病院で当時勤務していた看護師の女が逮捕された連続殺人事件。事件の名称について、神奈川県警察は「大口病院入院患者殺人事件」、『神奈川新聞』は「大口病院点滴連続殺人事件」としている。

被害者として立件された死亡者2人のほか、同時期に死亡していた別の2人の入院患者の遺体からもヂアミトールが検出された。事件発覚前の7〜9月の82日間で48人の患者が死亡し、その後の約70日間の間は死亡者がゼロということから、4人以上の被害人数が疑われたが、発覚以前の死亡者は医師の診断により“自然死”扱いで火葬されていたため、既に証拠は失われていた。

事件は2016年9月、最初に判明した被害者の容体が急変した際、看護師が投与中の点滴袋をベッドに落とし、袋内の輸液が急激に泡立ったことから偶然にヂアミトールの点滴混入が発覚した。さらに調べると2日前に同じ部屋で死亡した別の患者の遺体からも同成分が検出された。ナースステーションに残されていた未使用の点滴袋約50個を調べると、10個ほどの点滴袋でゴム栓部分に封をする保護フィルムに細い針で刺した穴が見つかった。そして、同じフロアで亡くなった患者の数が、事件発覚までのおよそ3か月の間に48人に上ることが明らかになった。

神奈川県警察は、当時担当していた看護師全員の看護服を調べたところ、被疑者の服からのみ、ポケット付近からヂアミトールの成分が検出された。他にも、被疑者が事件発覚直後の夜勤中、投与する予定のない製剤を手に院内を歩き回る姿が県警の設置した防犯カメラに映っていたことや、被害者の病室に1人で入っていくのを同僚が目撃していて、そのおよそ5分後に容体が急変し死亡していた、といった状況証拠から絞り込んでいった。

2018年6月末、県警は状況証拠を踏まえ被疑者の看護師に任意の事情聴取を開始。この看護師は消毒薬(ヂアミトール)を注入したことを認めたうえで、「入院患者20人ぐらいにやった」との趣旨の話をした。7月7日、神奈川県警は被疑者 久保木愛弓(当時34歳)を殺人容疑で逮捕した
大口病院連続点滴中毒死事件(久保木愛弓)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2021年(令和3年)10月1日、横浜地裁(家令和典裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、被告人の元看護師は起訴内容を全面的に認めた一方で、弁護側は「被告人は犯行当時、統合失調症により心神耗弱の状態だった」と主張した。

同年10月22日に論告求刑公判が開かれ、横浜地検は元看護師に死刑を求刑した。

同年11月9日に判決公判が開かれ、横浜地裁は被告人の責任能力について、「犯行時は(発達障害の一種の)自閉スペクトラム症の特性があった」と認定[32][33][34]。その上で、弁護側が主張した統合失調症の影響については否定し、「違法な行為であることを認識していた」として完全責任能力があったと認めた上で、元看護師に無期懲役を言い渡した。

同年11月22日、検察側と弁護側の双方が一審の無期懲役判決を不服として東京高等裁判所に控訴した

❖出所予定(年齢)
 公判中(高裁に控訴)

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大阪2児餓死事件(下村早苗)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2010年7月30日に発生した大阪府大阪市西区のマンションで2児(桜子ちゃん(当時3歳女児)と楓ちゃん(当時1歳9ヶ月男児))が母親 下村早苗(当時22歳)の育児放棄によって餓死した事件。

2010年7月30日、「部屋から異臭がする」との通報で駆け付けた警察が2児の遺体を発見。死後50日 ほど経っていた。なお遺体が発見されるまで「子供の泣き声がする」と虐待を疑う通報が児童相談所に何度かあったが発覚しなかった。同日に風俗店に勤務していた2児の母親 下村を死体遺棄容疑で逮捕し、後に殺人容疑で再逮捕した。

2010年6月9日頃、居間の扉に粘着テープを張った上に玄関に鍵をかけて2児を自宅に閉じ込めて放置し、同月下旬ごろに餓死させた。7月29日、勤務先の上司から「異臭がする」との連絡を受け、約50日ぶりに帰宅した際に子供の死亡を確認した。死亡を確認した母親は「子供たちほったらかしで地元に帰ったんだ。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1ヶ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった」と上司にメールを送信するも、その後はそのまま交際相手と遊びに出かけてホテルに宿泊し、翌7月30日に逮捕されるまで過ごしていた。
大阪2児餓死事件(下村早苗)_大阪2児餓死事件(桜子ちゃんと楓ちゃん)

◆生い立ち
 被疑者は三重県四日市市に生まれた。両親の離婚などで中学生時代は家出を何度も繰り返していた。

 2006年12月、当時大学生だった男性(その後大学を中途退学し就職する)と結婚。2007年5月、20歳になった直後に第1子の長女を出産。2008年10月に第2子の長男を出産し、2009年5月に離婚した(自らの不倫が原因)。

 被疑者もまた幼少期に実母からネグレクトを受けていたうえ、中学生で輪姦体験での性被害もあり解離性障害の傾向もあったという。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 裁判は最高裁まで争われ、2013年3月25日に懲役30年が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2040年3月頃、52歳(懲役30年)

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大阪愛犬家連続殺人事件(上田宜範)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1992年に大阪府で発生した殺人事件である。警察庁広域重要指定事件120号。

犯人である自称「犬の訓練士」の上田宜範(当時39歳)は犬好きであり、ある日かかりつけの獣医師が子犬に筋弛緩剤(塩酸スキサメトニウム)を注射して安楽死させているのを見て、獣医師から口実をもうけて筋弛緩剤を入手した。

犯人は十分な知識も持たずに長野県塩尻市内の土地を借り、犬の訓練所を開業。上田は知り合った人に対し、犬関連ビジネスの話を持ちかけ金を騙し取っていた。

1991年夏頃から、半年ほど物流会社のアルバイトをしたが、そこで同僚の瀬戸博さん(当時23歳)とよく仕事のことで衝突した。

1992年4月ごろ、瀬戸博さん(当時25歳)と散歩中に偶然再会、しかしそのうち口論などのトラブルにより筋弛緩剤を注射して最初の殺人を犯す。他にも1992年から1993年にかけて出資上のトラブルから計4人の男女を筋弛緩剤で相次いで殺害、遺体は訓練所の敷地内に埋めて遺棄した。

◆殺害された4人
 大阪市東淀川区の藤原三平さん(33歳)・・・共同経営の開業資金をせかされる
 アルバイト仲間の柏井耕さん(20歳)・・・犬の施設予定地の整地作業の作業料未払い
 行きつけの獣医で住吉区の主婦・高橋サチ子さん(47歳)・・・犬の共同経営で犬の仕入れ進まず
 堺市の主婦・志治信子さん(47歳)・・・犬の施設の共同経営で1000万円支払い後建設計画進まず
大阪愛犬家連続殺人事件(上田宜範)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2005年12月15日、最高裁は上告棄却。死刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(大阪拘置所収監中、死刑未執行)

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(小林正人、小森淳、芳我匡由・死刑判決(未執行))
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
1994年(平成6年)9月28日 - 10月8日にかけて大阪府・愛知県・岐阜県の3府県で発生した不良少年らによる連続殺人事件である。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(小林正人、小森淳、芳我匡由)
※他にも余罪があるが大阪・愛知・岐阜連続に絞り記述

◆大阪事件(殺人・死体遺棄事件)
 1994年9月28日に大阪府で発生。主犯格3人 (小林正人(犯行時19歳)、小森淳(犯行時19歳)、芳我匡由(犯行時18歳)) +共犯少年(暴力団の仲間)1人の計4人で大阪市中央区道頓堀一丁目の繁華街で、被害者・男性とその友人男性(いずれも当時26歳)の2人とトラブルになった。小林、芳我は2人を何度も殴りつけ、小突きながら事務所前まで連れて行ったが、Aの友人は隙を見て逃げ出したため、残る1人を拉致・監禁した。

事務所で19時間にわたって監禁・暴行を繰り返し、最後はベルトを使って絞殺した。遺体にタバコの火を押し付けて死んだ事を確認した後、暴力団員に遺体の処分を相談。結果、高知県安芸郡奈半利町の山中に遺棄した。男性の遺体には凄まじい暴行の痕があり、鎖骨・肋骨三本の骨折、及び内臓破裂していた。

◆木曽川事件(傷害・殺人事件)
 1994年10月6日深夜に発生。大阪事件後に発覚を恐れて愛知県稲沢市(主犯3人のうち1人「小林」の出身地)へ逃亡した主犯格3人は小林正人が所属していたグループと行動を共にしていたが、小林の不良仲間だった家でシンナーを吸引していたところ、少年グループの1人である型枠大工の男性(当時22歳)が訪れた。

男性の彼女は小林に強姦されていたため、トラブルとなり喧嘩となる。

小林は小森や芳我ら仲間7人と共に、男性をビール瓶や鉄パイプなどで約八時間にわたって激しく暴行。リンチはビール瓶などで殴打し、傷口をフォークで突き刺す・または面白半分で傷口にシンナーや醤油をかけて反応を笑うといった陰湿・凄惨なものだった事が判明している。

翌日未明には愛知県尾西市の木曽川河川敷で瀕死の男性を堤防から突き落とし、更に雑木林へ引きずりシンナーをかけた上で火をつけて殺害した。

遺体は1994年10月13日に同場所で発見されるが、火傷の痕はあまりにも痛々しいものであった。

第一審では「傷害致死罪」と認定され3人中2人 (小森淳、芳我匡由) への死刑適用が回避されたが、控訴審では一転して「殺人事件」と認定され、3人全員に死刑が適用されることとなった。

◆長良川事件(監禁・強盗殺人・強盗致傷事件)
 木曽川事件の翌日(1994年10月7日深夜)に発生。彼らは愛知県稲沢市のボウリング場の駐車場で物色しており、たまたま鉢合わせとなった20歳の男性2人、19歳の男性1人を襲って金品を奪った上に拉致する。

車の後部座席に押し込み連れ回し、現金11,000円を強取。その後、岐阜県安八郡輪之内町の長良川河川敷で会社員の男性一人(当時20歳)とアルバイトの男性(当時19歳)の2人を鉄パイプなどで執拗に暴行・殺害した。

2人がぐったりするとやはりタバコの火を押しつけ死亡確認したが、その後も遺体に暴行を加え続けている。一旦はその場を離れた少年たちだったが、「ツルハシでとどめを差しておけばよかった」と現場に戻っている。

遺体は翌日に同場所で発見されたが、両者の遺体は頭蓋骨や腕など全身骨折の上、身体の血管の大部分が損傷を受けて大量出血しているという無惨なものだったという。身を守ろうとしたのか両腕の骨は砕けてボロボロになっていた。

その際、少年グループはもう一人の20歳男性は解放している。この男性の供述から犯行が明らかとなり、警察は少年グループを指名手配する。

このため、小林は10月12日に出頭、10月14日に小森も出頭した。芳我は逃亡したが、1995年1月19日に大阪で逮捕され、他のメンバーも逮捕された。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
・主犯格3人 (小林正人(犯行時19歳)、小森淳(犯行時19歳)、芳我匡由(犯行時18歳)) 
 刑事裁判では強盗致傷罪・傷害罪・殺人罪・監禁罪・強盗殺人罪・死体遺棄罪・恐喝罪・暴力行為等処罰ニ関スル法律違反に問われ、死刑囚3人では唯一、第一審・控訴審ともに死刑判決を受けた。

 共犯2人とともに2011年3月10日に最高裁判所で上告棄却の判決を受け、同判決に対する異議申し立ても同月30日付の決定で棄却されたため、2011年4月1日付で死刑判決が確定した。

・男T(大阪事件・事件当時45歳)
 小林・少年U・小森・芳我の4人(大阪事件の加害者)を順に暴力団の配下として加え、大阪事件の現場となったアジトを提供し、加害者KMらと共謀して殺害された男性Aの遺体を遺棄した。
大阪事件の死体遺棄罪に問われ、1995年4月21日に大阪地裁から懲役1年8月の実刑判決(求刑:懲役2年6月)を受けた。

・少年U(大阪事件・事件当時18歳)
 暴力団組員で、大阪事件では小林・小森・芳我の3人とともに男性を暴行し殺害した。10月2日に別の強盗致傷事件で南警察署(大阪府警察)に逮捕され、大阪家庭裁判所送致を経て保護観察処分になった。その後は行方を晦ましていたが、11月26日午前に両親に付き添われて南署へ出頭し大阪事件の殺人・死体遺棄容疑で逮捕された。1995年9月12日に大阪地裁から懲役4年~8年の不定期刑に処する判決を受けた。

・男V(木曽川・長良川事件・事件当時20歳)
 大阪府松原市内で大阪事件を起こし逃亡中だった3人 (小林・小森・芳我) と出会い、運転手として彼らの配下に加わった。そして木曽川・長良川事件に加担して10月15日に逮捕され、1996年3月19日に名古屋地裁で傷害致死幇助罪により懲役3年・執行猶予4年(保護観察付き / 求刑:懲役7年)の有罪判決を受けた。

・少女W子(木曽川事件・事件当時18歳)
 加害者小林とはかつてシンナー仲間で、事件当時はXたちとシンナー仲間だった。
木曽川事件の殺人容疑で逮捕されたが、同事件の直後にはXとともにグループから別れており、長良川事件には関与していなかった。傷害致死罪に問われた少年審判の結果、1994年11月25日に名古屋家裁一宮支部で少年院送致の決定がなされた。

・少年X(木曽川事件・事件当時19歳)
 W子とはシンナー仲間でKMとも面識があった。
木曽川事件の殺人容疑で逮捕され、同年12月1日には殺人罪・傷害罪で名古屋地裁に起訴された。1995年7月6日に名古屋地裁で殺人罪により懲役4年~8年の不定期刑に処する判決を受けた。

男Z(木曽川・長良川事件・事件当時21歳)
 シンナー仲間の古株で、1997年3月5日に名古屋地裁で殺人幇助罪により懲役3年・執行猶予4年の有罪判決を受けた。

❖出所予定(年齢)・・・主犯のみ
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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大阪個室ビデオ店放火事件(小川和弘)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2008年(平成20年)10月1日に大阪府大阪市浪速区難波中の個室ビデオ店で発生し、16人が死亡した放火事件である。

被疑者となった小川和弘(逮捕時46歳)は2014年(平成26年)に死刑が確定したが、冤罪を主張しており、日本弁護士連合会の支援対象事件になっている。

2008年10月1日午前3時ごろ、大阪市浪速区難波中3丁目の南海電気鉄道難波駅前商店街の一角にあった、7階建て雑居ビル1階の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」から出火し、約1時間40分後に鎮火した。同店には32室の個室があり、出火当時26人の客と3人の店員がいたが、15人が一酸化炭素中毒で死亡し、10人が重軽傷を負った。なお、10月14日朝には意識不明の重体だった男性客が入院先の病院で死亡し、事件による死者は計16人となっている。

「白い肌着とトランクス姿で避難していた小川は、現場から立ち去ろうとしたところを、『あの男が犯人や』と客から聞いた店員に止められ、追及されると、『すいません。弁護士もつけるんで。保証もしますんで』と口にしていた。

その後、火災現場に駆けつけた警察官に対し、『ごめんなさい。煙草を吸った』と話したため任意同行され、事情聴取で『死にたかった。火をつけて怖くなり逃げ出した』と容疑を認めたことで逮捕されました。逮捕後の警察で逮捕翌日の10月2日の取り調べでは、「生きていくのが嫌になり、持参したキャリーバッグ内の新聞紙と衣類にライターで放火した」ことを供述している。

そんな小川が否認に転じたのは、すでに警察での調べを終え、検察での聴取が行われている最中のことだった。

10月17日の弁護士との接見では翻して「火をつけていない」と放火を否認。10月20日の検察官の聴取にも「火をつけていない」と否認し、翌21日の検察官の聴取では「火をつけていない。たばこの失火と思い認めてしまった」との供述を調書にしている。
大阪個室ビデオ店放火事件(小川和弘)

大阪個室ビデオ店放火事件(店の中)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2014年(平成26年)3月6日、最高裁判所第一小法廷(横田尤孝裁判長)は被告人 小川の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人 小川の死刑が確定した。死刑囚 小川は2022年(令和5年)1月1日時点で大阪拘置所に収監されている。

死刑囚 小川の弁護団は2014年5月に大阪地裁へ再審請求を行い、死刑囚 小川は2014年9月に日本弁護士連合会(日弁連)へ本事件の再審請求支援を求めた。

2019年11月、第2次再審請求が行われ、2021年(令和3年)1月12日までに弁護団が火元が異なる可能性を示す燃焼実験の結果を大阪地裁に提出した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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大阪市イタリア語講師殺害事件(亀山翔一郎)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2003年(平成15年)6月7日14時40分頃、大阪府大阪市淀川区在住のイタリア語講師、高知県出身の真辺愛子さん(当時26歳)が、自宅マンションを訪ねた友人らによって遺体となって発見された。真辺さんは布団にあおむけの状態で寝かされており、首に黒と赤の布製のベルトが巻かれ、口に粘着テープが張られていた。顔には殴られたような跡があり、両手には皮下出血がみられた。着衣についてはTシャツがめくれあがっていた(暴行については新聞各紙で記事の有無がわかれている)。死因は首を絞められたことによる窒息死で、死亡推定時刻は5日午前5時頃。

6月26日、長崎県出身、住所不定無職の亀山翔一郎(当時21歳)が被害者の預金口座から預金を引き出した窃盗の容疑で逮捕され、逮捕後の供述から強盗殺人容疑での再逮捕となった。

被害者 真辺さんは高知県出身でフリーのイタリア語講師として活動しており、2003年7月からイタリア語教室を開講する予定だった。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2004年2月4日、大阪地方裁判所での判決公判で「被害者の尊厳をじゅうりんした短絡的な犯行に酌量の余地は全くない」と求刑通り無期懲役が言い渡された。

❖出所予定(年齢)
 2034年2月頃、51歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)

◆事件の背景
 加害者の男 山地悠紀夫は、中学卒業後の2000年7月29日、山口市内の自宅アパートで金属バットを使い母親を殺害した(山口母親殺害事件 事件当時16歳)。この際、「返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた」と姉妹殺害事件の大阪地検検事にのちに述べている。

山地は同年9月に中等少年院送致の保護処分を受けたあと、2003年10月に仮退院、2004年3月に本退院したが、この際精神科医師は、山地が「法律を守ろうとはそんなに思っていない」と話していたことなどから、更生に疑問を抱き意見を提示していた

山地悠紀夫(当時22歳)は、2005年11月17日午前2時半ごろ、まず飲食店での仕事を終えて帰宅した姉 上原明日香さん(当時27歳)がドアを開けた瞬間に背後から襲撃。ナイフで胸を突き刺し、片足のズボンと下着を脱がせ強姦、跡を残さないための工作を行った。

約10分後に妹 上原千姫路さん(当時19歳)が帰ってくるとナイフで胸を突き刺し、姉のすぐ側で強姦した。その後、ベランダで煙草を吸ったあとに姉妹の胸を再び突き刺して殺害、室内に放火し現金5000円や小銭入れ、貯金箱などを奪った上で逃走した。2人は病院に運ばれたが搬送先で間もなく死亡した。

大阪府警は同年12月5日、建造物侵入容疑で山地を逮捕。12月19日には強盗殺人容疑で再逮捕した。
大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫)

大阪姉妹殺害事件(被害者)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年12月13日午前、大阪地方裁判所(並木正男裁判長)において、死刑判決が下された。死刑判決の瞬間も、山地はまっすぐ前を見据えたまま微動だにしなかった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2009年7月28日午前、大阪拘置所で死刑執行(当時25歳没))

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大阪心斎橋通り魔殺人事件(礒飛京三)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2012年6月10日午後1時頃、大阪府大阪市中央区東心斎橋の路上で礒飛京三(当時36歳)が包丁で通行人を襲い、2人を殺害した。路上に倒された南野信吾さん(当時42歳)は礒飛に助けを求めたが、礒飛は無言のまま何度も刺し続けた。続いて、礒飛は逃げる観衆の中から自転車に乗っていたスナック経営 佐々木トシさん(当時66歳)を何度も刺し、被害者佐々木さんが動かなくなると、再び南野に馬乗りになって刺し続けた。

駆けつけた府警南署員が現場にいた礒飛に事情を聴いたところ、2人を刺したことを認めたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、その後、殺人容疑に切り替えた。礒飛は「誰でもいいから刺したかった」という趣旨のことを話していたという。
大阪心斎橋通り魔殺人事件(礒飛京三)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2017年3月9日、大阪高等裁判所(中川博之裁判長)は自己中心的ではあるものの精神障害の影響を認めると共に、これまでに死刑判決が適用された無差別通り魔殺人とは異なるとして、一審の死刑判決を破棄し、被告人Iに無期懲役を言い渡した。この判決に対し、検察側に同席していた遺族はぼうぜんとして頭を抱え、傍聴席からはブーイングのようなどよめきが起きた。

2019年12月2日、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は、検察・弁護側双方の上告を棄却した。これで礒飛の無期懲役判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2049年12月頃、66歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件(鈴木勝明)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)12月3日に大阪府和泉市府中町に在住していた織物製造・販売会社の元社長夫婦が殺害されたのち遺体をドラム缶詰めにされ、同府阪南市新町の貸しガレージ内に遺棄された強盗殺人事件。

鈴木勝明(当時43歳)は2003年(平成15年)9月、大阪府泉南市内の建設会社に入社した。

この会社は、大阪府和泉市府中町内の、織物製造・販売会社の元社長である、被害者男性(事件当時74歳)宅の新築工事を、過去に手掛けたことがあった。

鈴木は、集金した工事代金を会社に振り込まないことがあった上、会社事務所・会社社長宅から、高級腕時計・多額の現金がなくなることが頻発したため、建設会社の社長が、金銭トラブルを理由に、社長は2004年6月、鈴木を解雇した。

2004年12月3日午後7時40分頃から、翌4日8時30分頃までの間に、当時消費者金融などに数百万円の借金があった鈴木は、和泉市府中町の元カーペット製造販売会社社長、浅井建治さん(当時74歳)と妻のきよさん(当時73歳)の敷地内にある会社事務所にて、夫婦をそれぞれ、男性は1回、妻は2回、重量のある棒状の鈍器で、頭を殴って殺害した。

鈴木は、遺体の腐敗が進行するなどしたため、妻の遺体のみ、右脚部を切断しただけで、バラバラに切断することを断念し、ドラム缶2個に夫婦の遺体を詰めた上で、事件から4日後の12月7日、夫婦宅から直線約20kmの距離にある、阪南市新町の、シャッター付き貸しガレージを借りる契約を結び、ガレージまで運転してきた夫婦の乗用車を駐車、遺体入りのドラム缶をガレージ内に放置し、シャッターの鍵を返却しないまま、ガレージの管理者との連絡を絶った。

夫婦が失踪してから5年後の2009年(平成21年)11月21日午前、月極駐車場の屋根付きガレージの管理者が「もう1台分借りたい」という、月極契約者からの申し出を受けた。そのため、過去に鈴木が借りて以来、借り手がおらず未契約状態となっていたガレージのシャッターを開けたところ、ガレージ内に所有者不明、未契約の、銀色の乗用車が駐車してあり、これに加え、水色のドラム缶2個が前述の乗用車とともに放置されているのも発見された。同23日午前11時15分頃、管理者は大阪府警泉南警察署に「不審な車とドラム缶2個がある」と通報した。

これを受け11月25日午後1時半頃、泉南署員が現場を確認し、泉南署員がドラム缶を開けたところ、ドラム缶の中から成人の男女とみられる遺体各1体が発見された。

大阪府警は、5年前に契約し保証金・1か月分の賃料を払って以降連絡を絶ち、鍵も返却していなかった最後の借り主である鈴木が何らかの事情を知っている可能性が高いとみて、2009年11月26日午後、重要参考人としてSを事情聴取した。

事件発生から丸6年となる2010年12月3日、大阪府警は、鈴木が夫婦を殺害したとして、強盗殺人容疑で再逮捕した(2009年12月7日に窃盗容疑で逮捕)。
大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件(鈴木勝明)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2017年12月8日、上告審判決公判が開かれ、最高裁第三小法廷(戸倉三郎裁判長)は、一・二審の死刑判決を支持し、鈴木の上告を棄却する判決を言い渡した。これにより、鈴木の死刑が確定することとなった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(大阪拘置所収監中、死刑未執行)

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大阪養子縁組連続殺人事件(宇野和馬、宇野ひとみ)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 宇野和馬(当時39歳、以下、和馬)はスナックの従業員 宇野ひとみ(当時35歳、以下、ひとみ)と知り合い2003年に結婚。和馬とひとみは内装業の傍らで知人ら10名前後と共に詐欺グループを結成。詐欺グループは6年間で約20件の交通事故に遭ったとして保険金6000万円を得ており保険金詐欺を繰り返していた。詐欺グループは、短期間に何度も保険金を請求しても不審に思われないために養子縁組や結婚、離婚で名字を変えていた。

また、詐欺グループの周辺では和馬が保険金受取人となる交通事故や死亡事件が相次いでいた。

◆養父殺害未遂事件(和馬は計約4000万円の保険金受け取り)
 2007年5月11日に宇野ひとみは知人2人と共同して、元大工の養父 宇野昭二(当時57歳、以下、昭二さん)に対して酒や睡眠薬を飲ませて泥酔させた上で大阪府柏原市の路上で交差点で車道に突き飛ばすことで、走行中のトラックとの交通事故を装って養父を保険金目的で殺害しようとした事件。トラックにはねられた養父 昭二さんは重傷を負った。

◆実母死亡事件(和馬は計約2300万円の生命保険金受け取り)
 2008年、宇野ひとみが所有する飲食店で働いていたBの実母が大阪府豊能郡豊能町の店舗兼住宅内の階段で転落して死亡した事件。この事件は刑事事件になっていない。

◆養父殺害事件
 2009年3月3日に、和馬は知人の暴力団組員2人と共謀して大阪府豊能郡豊能町の店舗兼住宅内で養父 昭二さんを殺害した上で、養父 昭二さんの両手首をナタで切断して、遺体と歯を山林に、手首を和馬の居酒屋兼住宅の敷地に埋めた事件。養父 昭二さんは行方不明と扱われていたが、実行犯の供述によって2011年2月に養父 昭二さんの遺体が発見された。

◆養女殺害事件
 2010年4月28日に和馬がひとみや知人らと共謀し、大阪府豊能郡能勢町の路上に止めた乗用車内で、養女 宇野津由子さん(当時36歳、以下、津由子さん)の首に針金を巻いて殺害した事件。和馬と養女 津由子さんは3歳しか年の離れていない養父子であった。また、和馬の妻にあたるひとみは、養女 津由子さんにとっては1歳年下であった。
翌29日に大阪府高槻市の淀川堤防で養女 津由子さんの絞殺体が発見された。養女 津由子さんの体内からは睡眠導入剤の成分が検出された。
養女 津由子さんはインターネットのゲームサイトでひとみと知り合い、2010年1月から和馬の家に移り住んで、住み込みで和馬の会社で働いていた。

養女 津由子さんは2010年2月に和馬との間に養子縁組を結び、同年3月に和馬を受取人とする生命保険が2100万円かけられていた。

◆逮捕・起訴
 2010年4月に和馬の養女 津由子さんが他殺体で発見されたことで津由子さんの養父 和馬のグループに対して警察の捜査が始まる。

 2010年5月17日から事件のキーマンと目された和馬と連絡が取れなくなり、翌19日に京都府舞鶴市の道脇で駐車している軽乗用車の中で和馬が死亡しているのが発見された。車内に七輪などがあった状況等から、警察では自殺と判断された。

2010年9月にひとみと和馬の知人らの計9人が交通事故に絡んで540万円の保険金詐欺を犯した詐欺罪で逮捕された。

その後、ひとみは2011年5月に養女事件に絡む殺人罪と死体遺棄罪で逮捕され、同年6月に起訴された。また、捜査の過程で和馬らによる養父殺害未遂事件と養父殺害事件が浮上し、和馬の知人6人も養父殺害未遂事件、養父殺害事件、養女殺害事件で殺人罪、殺人未遂罪、死体遺棄罪の罪状で逮捕・起訴された。

左上は宇野津由子さん、右上は宇野和馬、左下は宇野ひとみ、右下は佐々木一幸(懲役20年(犯罪内容は省略))
大阪養子縁組連続殺人事件_
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2013年に養女殺害事件の準首謀者であるひとみに懲役23年の有罪判決が、一連の事件で重要な役割を担った和馬の知人4人に懲役16年から懲役22年までの有罪判決が、養父殺害未遂事件の従犯である和馬の知人に懲役6年の有罪判決が、養女殺害事件の死体遺棄に関与した和馬の知人に懲役3年4ヶ月の有罪判決がそれぞれ言い渡された。なお、これらの裁判で死亡した和馬が一連の事件の首謀者であると認定された。

❖出所予定(年齢)
 宇野和馬・・・死亡(自殺)、宇野ひとみ・・・2036年、58歳(懲役23年)

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大阪連続強盗殺人事件(加賀山領治)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年(平成12年)と2008年(平成20年)に大阪府大阪市で連続して発生した強盗殺人・同未遂事件である。

◆中国人留学生殺害事件
 2000年(平成12年)7月29日午前1時頃、大阪府大阪市中央区上本町西2丁目の路上で帰宅途中だった被害者・中国籍の女性 韓穎さん(当時24歳)に加賀山領治(当時50歳)が近付き、拳骨で韓穎さんの顔面を殴り、現金6000円や財布の入ったバッグを強奪した。その後、加賀山は自転車に乗って逃走を図ったが、追いかけてきた韓穎さんに対して同バッグを取り返されることを防ぎ、逮捕を免れるため、加賀山は韓穎さんの腹部などをナイフで刺して、韓穎さんを腹部刺創により失血死させて殺害した(強盗殺人罪)。

現場を自車で通りかかった際に、自転車で逃走を図る加賀山を韓穎さんが追いかける様子を目撃し、車から降りて加賀山を取り押さえようと試みた男性(当時34歳)に対しても、加賀山は殺意を持って男性の腹部に骨削ぎナイフを突き立てた。しかし、男性が左足を踏み出していたため死亡させるに至らず全治10日間を要する左大腿部切創の傷害を負わせた(強盗殺人未遂罪)。

◆商業施設男性殺害事件(DDハウス事件)
 2008年(平成20年)2月1日午後10時頃、大阪府大阪市北区の複合商業施設「DDハウス」に強盗目的で侵入した加賀山領治(当時58歳)は犯行に使用する道具を点検するため、2階共用トイレに入った。その後、被害者 森永彰さん(当時30歳)がトイレに入ってきた。加賀山は「金を出せ。早く出せ。」と言って金品を要求したが、森永さんはこれに応じなかった。加賀山は森永さんに「泥棒でもするんか」と見咎められたため、警察に突き出されることを恐れて、殺意を持って男性会社員の胸部をナイフで刺して、胸部刺創により失血死させて殺害した(強盗殺人罪)。

◆逮捕と起訴
 2008年(平成20年)2月8日、加賀山は事件について大阪府警此花署に出頭した。そのため大阪府警曽根崎署捜査本部はKを殺人容疑で逮捕した。その後Kは殺害行為は強盗目的であることを認めたため、大阪地検は同年2月29日に強盗殺人罪で加賀山を大阪地裁へ起訴した。

大阪府警はKの余罪を調べるうちに、中国人留学生殺害事件の現場に残されていた犯人の血液のDNAが加賀山と一致していたため、同年3月21日にKを強盗殺人容疑で再逮捕した。
DDハウス殺人事件(加賀山領治)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2012年(平成24年)7月24日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人 加賀山の上告を棄却する判決を言い渡したため、2012年(平成24年)8月4日付けで被告人加賀山の死刑が正式に確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2013年(平成25年)12月12日、大阪拘置所で絞首により死刑執行※(当時63歳没))
 ※死刑確定から執行までわずか1年4ヶ月と異例の早期執行であった。

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大阪連続バラバラ殺人事件(鎌田安利)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1985年(昭和60年)5月から1994年(平成6年)3月までのおよそ9年間、大阪府大阪市で4人の女性と1人の少女が殺害された事件。少女以外の遺体はすべてひとつにされた(バラバラ殺人)。

◆A事件
 第1の被害者は大阪市東住吉区西今川二丁目在住の主婦 東富佐枝さん(当時46歳)で、東富は夫と子供3人がいたが、1985年5月14日に家出してから西成区内の立ち飲み店で偽名で働いていた。加害者 鎌田安利(当時44歳)は1985年5月下旬ごろに被害者Aが働いていた立ち飲み店を客として訪れ、東富さんを食事に誘い2人で店外に出たが、自宅マンションで東富さんに飲酒を注意したところ、反抗されたため絞殺した。被害者Aの遺体は被疑者 鎌田の逮捕後(1995年5月29日)に兵庫県神戸市西区平野町の雑木林(国道175号から西へ入った林道沿い)でバラバラ遺体として発見された。

◆B事件
 第2の被害者は大阪府富田林市の知的障害者施設寮生 知念みどりさん(19歳)で、鎌田は東富さん殺害から1か月後となる1985年6月16日に通天閣付近で被害者 知念さんと出会い、同日14時ごろに2人で浪速区内の寿司店を訪れた。その後、鎌田は知念さんを自宅へ連れ帰り関係を持ったが、被害者 知念さんから小遣いとして10,000円を要求されたことに立腹し、15時ごろに室内で馬乗りになって知念さんの首を両手で絞め殺害。室内にカーペット・ビニールシートなどを敷き、部屋にあったのこぎり・包丁などで被害者 知念さんの遺体をバラバラに切断し、段ボール箱に入れてレンタカーで運び遺棄した。

◆C事件
 1987年(昭和62年)1月22日17時30分ごろ、加害者 鎌田はそろばん塾から帰宅途中の大阪市住吉区在住・大阪市立墨江小学校3年生 辻角公美子さん(当時9歳)を見かけ、わいせつ行為目的で誘拐した。鎌田は自宅に辻角さんを連れ込んでわいせつ行為をしようとしたが、辻角さんが泣き叫んだために犯行の発覚を恐れ、18時ごろに辻角さんを絞殺した。殺害後、鎌田は女児 辻角さん遺体を山中に遺棄したほか、辻角さんの自宅や辻角さんが通学していた墨江小学校に対し、計5回]にわたり「3,000万円用意しろ」などと電話して身代金を要求した。

◆D事件
 1993年(平成5年)7月24日ごろ、加害者 鎌田は自宅アパートでスナック従業員の大阪市西成区天下茶屋東一丁目に在住 須田和枝さん(当時45歳)から金銭支払いを求められ、両手でDの首を絞めて絞殺。被害者 須田さんの遺体をのこぎりなどで切断し、大阪府箕面市上止々呂美の山中に遺棄した。

◆E事件
 1994年(平成6年)3月下旬ごろ、鎌田は自宅アパートで飲食店員女性 大阪市中央区在住 中野喜美子さん(当時38歳)から体の関係の後、金銭支払いを求められ絞殺。中野さんの遺体をバラバラにして箕面市上止々呂美の山林(大阪府道4号茨木能勢線沿いのヒノキ林斜面)に遺棄した。

◆逮捕・起訴
 加害者 鎌田安利(当時54歳)は1995年(平成7年)2月23日に大阪市中央区内の倉庫で段ボール箱に入った衣類を盗み、同年4月に窃盗容疑で逮捕され、容疑を否認したがそのまま起訴された。鎌田はB事件の被害者が訪れた寿司店周辺の土地に詳しかったことに加え、事件当時借りたレンタカーの走行距離も知念みどりさん(19歳)の遺体発見現場までと一致していたため、大阪府警が指紋を照合したところ、B事件の犯人から奈良県警宛に送られてきた挑戦状から検出されたものと一致した。

さらに被疑者 鎌田は仕事上 須田和枝さん(当時45歳)・中野喜美子さん(当時38歳)両被害者との接点が疑われたほか、B事件と須田さん・中野さん両事件はいずれも被害者女性の遺体がのこぎり・鋭利な刃物で頭部・胴体・両手・両脚とほぼ6つに切断された状態で遺棄されていたため、1995年5月10日に大阪府警・奈良県警は連携して捜査に当たるため連続女性バラバラ殺人・死体遺棄事件の合同捜査本部を箕面署に設置した。

合同捜査本部が追及したところ、被疑者 鎌田は「知念みどりさん(19歳)を殺して遺体をバラバラにした」と自供したため、捜査本部は1995年5月12日に被疑者・被告人Kを殺人容疑で再逮捕した]。その後、鎌田は辻角公美子さん(当時9歳)・須田和枝さん(当時45歳)・中野喜美子さん(当時38歳)の各被害者のほか、まだ判明していなかった被害者 東富佐枝さん(当時46歳)の殺害・遺棄も自供した。
大阪連続バラバラ殺人事件(鎌田安利)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2005年6月6日に最高裁第二小法廷(福田博裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人は「共犯者がおり、全て被告人 鎌田安利(当時64歳)の単独犯と認定した原判決は事実誤認」「操作段階の自白は警察官の暴行によるもの」などと主張して死刑回避を求めた。2005年年7月8日、同小法廷は控訴審判決を支持して被告人鎌田の上告を棄却する上告審判決を言い渡し、死刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2016年(平成28年)3月25日、大阪拘置所で絞首により死刑執行(当時75歳没))

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岡山駅突き落とし事件(少年19歳)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2008年3月25日、岡山県岡山市(現在の岡山市北区)のJR西日本・岡山駅のホームで大阪府に住む19歳少年が、帰宅途中の岡山県職員の38歳男性を線路に突き落とした。38歳男性は電車にはねられ、翌3月26日に死亡した。事件直後に鉄道警察隊が駆けつけた時に、少年が犯行を認めたため、逮捕された。また、JR西日本は、発生直後から当駅を通る列車の運転を見合わせた。

少年は事件当日朝に家出していたため、両親が同日夜に大阪府四条畷警察署に家出人捜索願を出していた。また、少年は、「ホーム下に人を落とせば、電車にはねられて死ぬ。人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」と供述した。また刃渡り約12センチの果物ナイフを所持していた。

少年は大阪府池田市内の高校に進学。高校時代の少年は成績優秀で、高校1年で東大農学部、高校2年で京大を希望していた。少年はクラスでは上位の学力を有していたが、東大や京大に行けるほどではなかった。

また、家庭が学費を払えないことから進学を断念せざるを得なかった(少年の父は大工であったが不況で大工の仕事が減り、約6年前に派遣社員になっている)。実父からの「好きなところに行って鍛えろ」と突き放すような一言が、少年を「殺人しかない」と追い込む絶望的な心境に追い詰められた。
岡山駅突き落とし事件(少年19歳)
岡山駅突き落とし事件(新聞)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 岡山地方検察庁による簡易精神鑑定では広汎性発達障害と診断された。2009年(平成21年)6月17日、岡山地方裁判所は、少年に対して懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。佐賀少年刑務所に収容された。

◆不定期刑(平成26年改正)
 刑を言い渡す際に刑期を定めず、執行の状況によって釈放の時期を決める自由刑。刑期の範囲内で釈放の時期を決める相対的不定期刑を意味する。日本では少年犯罪で採用されており、不定期刑の判決は、例えば「被告人を懲役10年以上15年以下に処する。」など。

不定期刑の長期及び短期の上限について、それぞれ15年及び10年に引き上げ、少年に対して科すことのできる最も重い有期刑は10年以上15年以下の懲役となっている。

※上記の平成21年では、最も重い有期刑が5年以上10年以下の懲役

❖出所予定(年齢)
 2019年6月頃、29歳、すでに出所(不定期刑で最も重い懲役の10年と仮定 )

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※最後に
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