◆ドキュメント
作成日付:2023/12/10
更新日付:2024/05/20
※事件数が多くなり、文字数制限を越えましたので分割しました。
※2023.12.10改題(旧題:犯罪者・犯人・被告人の出所予定データベース(パート6))

<目次>






名古屋立てこもり放火事件(別府昇元)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2003年(平成15年)9月16日に愛知県名古屋市東区東大曽根町本通(町名は事件当時)で発生し3人が死亡・41人が負傷した殺人・現住建造物等放火・強盗・人質強要・銃刀法違反などの事件。

2003年9月16日午前10時ごろ、運送会社「軽急便」の賃金不払いに抗議した社員 別府昇元(当時52歳)が愛知県名古屋市東区東大曽根町本通(2004年の町名変更により、同区矢田一丁目)の大曽根駅前に位置する「第一生命大曽根駅前ビル」4階にある軽急便名古屋支店名古屋営業事務所センター(当時女性社員22人・支店長と男性社員8人の31人在室)に出刃包丁・ポリ容器を持って侵入した。男は男性社員と揉み合いになり軽傷を負わせた後、女性社員22人と負傷した男性社員1人を解放した一方で店内にガソリンを撒き、支店長 吉川邦男さん(当時41歳)以下男性社員8人を人質に取って支店内に立てこもった。

その上で男は支店長以外の社員7人を解放した一方で13時ごろまでに残るポリタンクを倒して中身を撒き散らし、支店長に命じて軽急便本社(名古屋市中区錦)に電話をかけさせ「7月から9月分までの現金25万円を指定した銀行口座に振り込め」と電話させ、12時10分ごろに要求金額通りの現金を振り込ませた。

事件発生を受けて愛知県警察は加害者の説得に当たった一方、警察庁では事件発生の第一報が入った直後から応援部隊を派遣する準備を始め、大阪府警察の刑事部捜査第一課特殊犯捜査係(MAAT)に出動を準備するよう指示し、県警特殊部隊(SAT)に待機命令を出した。だが、現場の室内には揮発したガソリンが充満していたため、加害者の制圧に銃器や閃光弾を使用することができない状況であった。

警察はさらに加害者の説得を続けたが、最終的に加害者は支店長を残し人質7人を解放した直後の13時10分ごろにライターでガソリンに火をつけ自決した。この際に発生した爆発で加害者と人質の支店長が死亡し、加害者を制圧・逮捕するため現場階段付近にて待機していた県警の機動捜査隊隊員 村瀬達哉さん(当時31歳、巡査長)が一酸化炭素中毒で殉職したほか、ビル3階にいた警察官3名が熱風などで重傷を負い、ビルの外では爆発によって飛散したガラス片などで警察官・消防隊員・報道陣・通行人ら38名が軽傷を負った。

加害者・支店長の死因はいずれも焼死で、2人はそれぞれ出入り口から入った場所・事務所南東近くにて仰向けで倒れていた。
名古屋立てこもり放火事件(放火現場)
名古屋立てこもり放火事件(別府昇元)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 県警(捜査一課および東署)は2004年1月15日、殺人・現住建造物等放火・強盗・人質強要・銃刀法違反などの容疑で死亡した被疑者の男を名古屋地方検察庁へ被疑者死亡のまま書類送検した。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1997年(平成9年)5月4日に奈良県添上郡月ヶ瀬村(現:奈良市月ヶ瀬嵩)で発生した殺人事件。

1997年(平成9年)5月4日、奈良県添上郡月ヶ瀬村の中学2年生 浦久保充代さん(当時13歳)の女子生徒Aが卓球大会の帰りに行方不明となった。

村人、警察が通学路を捜索していると、浦久さんのスニーカーが発見され、道路にはタイヤ痕、ガードレールには血痕が付着していた。近くの西部浄化センターの公衆トイレでは切り裂かれた浦久さんのジャージと、血だらけのダウンベストが発見された。

警察は浦久がひき逃げや事件に巻き込まれた可能性があるとして捜索を開始した。警察が聞き込み調査をしたところ、無職の丘崎誠人(当時25歳)が浮上した。丘崎は四輪駆動車三菱・ストラーダを乗り回しており、警察やマスコミは丘崎をマークし始めた。

7月25日、奈良県警は浦久さんに対する略取誘拐の容疑で丘崎を逮捕した。丘崎は当初容疑を否定していたが、犯行後に売却した丘崎の車の後部座席に被害者の血液、DNAなどが発見された事や、切り裂かれたジャージからは丘崎の車のタイヤ痕が発見され、それらを追及すると犯行を認めた。

丘崎は動機について、偶然見かけた浦久さんに”家に送ってあげる”と声をかけたが無視されたのがきっかけだった。加えて、村八分のストレスが原因で被害者を山中で首を絞めて石で撲殺したと供述した。

遺体を三重県御斉峠付近で捨てたと供述し、その供述をもとに、警察が付近を捜索したところ白骨化した遺体が発見された。

丘崎の両親は共に日本人と朝鮮人のハーフでした。

丘崎とその家族は、月ヶ瀬村で30年以上生活していたが、村八分にされていた。ずっとよそ者として扱われ、差別や嫌がらせを近所・集落の人から受けてきた。

月ヶ瀬村は自然に囲まれた小さな村で人の出入りがほとんどない状態でした。ただでさえ外部の者の出入りに敏感に反応する社会でしたが、そこに外国の血の入った人間が引っ越してきたのです。
奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件(丘崎誠人)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2000年6月14日、大阪高等裁判所は無期懲役の判決を下しこれが確定したが、丘崎は服役中の2001年9月4日に収監先の大分刑務所でランニングシャツを紐状にして窓枠にかけて首を吊って自殺している。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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奈良自宅放火母子3人殺人事件(少年)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2006年(平成18年)6月20日の朝の5時頃、奈良県田原本町で少年(16歳)が自宅に放火して自宅を全焼させ、継母と異母弟妹を焼死させた事件である。

少年は、父(47歳)と、父の再婚相手である少年にとっての継母(38歳)、父と継母との間に生まれた異母弟(7歳)妹(5歳)の一家5人で生活していた自宅に放火し、継母と異母弟妹が焼死した。父は仕事の都合で自宅に不在だった。 少年は全焼した住宅に住んでいたが、焼け跡からは少年は発見されなかった。少年は放火後に自宅を脱出し行方がわからず電話連絡も通じない状況だったが、6月22日に京都市内で警察官に発見され、放火を認めたので逮捕された。

少年の父は、妻(少年の実母)に対する身体的または精神的なドメスティックバイオレンス、少年に対する身体的または精神的な児童虐待の常習者だった。少年の実母は、夫(少年の父)からの暴力に心身ともに耐えられなくなり、少年の実妹(当時3歳)を連れて別居し、少年が小学校1年の時に離婚が成立し、少年の親権と養育権は父、少年の実妹の親権と養育権は少年の実母が得た。実父母の離婚後は、実父の考えにより、少年は実母と実妹とは交流も連絡も遮断され、一度も会っていない。

少年の父は少年の実母と離婚後、同じ職場で働いていた医師と再婚した。少年は継母や異母弟妹とは円満な関係だった。少年は父との関係については、父の期待に応えて医師になろうとする気持ちと、父から医師になることを強要され、学校の試験の成績が父の要求よりも低いと身体的・精神的な虐待を受けることに苦痛や恐怖や屈辱を感じる気持ちの、両方の感情を抱いていたが、成長するにつれて苦痛や恐怖や屈辱を感じる気持ちが大きくなっていった。そして、ついには父が仕事で不在であることは分かっていながら、この苦痛や恐怖や屈辱にはもう耐えられない、自分の生活環境をすべて破壊してこの状況から脱出したいという感情により、自宅に放火した。
奈良自宅放火母子3人殺人事件(少年)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年(平成18年)10月26日、奈良家庭裁判所は、少年の精神鑑定により先天性の発達障害と異なる虐待による後天性の広汎性発達障害と診断されたこと、および、少年の生育環境や生活状況から、この事件の根本的原因は少年の父の考え方や言動が少年を精神的に追い詰めて、その状況に精神的に耐えられなくなった少年がその状況から脱出しようとして放火したものと認定し、少年の更生には刑事処分よりも保護処分が適切と判断し、少年を中等少年院に送致する処分を決定した。

❖出所予定(年齢)
 2009年10月頃、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)

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習志野市茜浜女性殺害事件(楊暁春)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2013年(平成25年)6月23日夜に千葉県習志野市の遊歩道脇で発生した殺人事件。

2013年6月24日午前10時40分ごろ、千葉県道千葉船橋海浜線遊歩道脇の緑地帯内において、谷津在住で人材派遣会社社員の広畠かをりさん(当時47歳)が倒れているのを清掃員が発見し110番通報した。

広畠さんの首には圧迫された痕があり、激しく争った形跡もあることから千葉県警習志野警察署は殺人事件と断定、同署に捜査本部を設置した。

事件発生から3年近くが経過した2016年3月3日、捜査本部は別の窃盗事件で府中刑務所に服役していた中国籍の楊暁春(当時50歳)が本事件に関与した可能性が高まったとして、男の出所当日に殺人容疑で逮捕した。

県警によると周辺の防犯カメラの画像の解析や遺留物の分析などを続けてきた結果、楊が浮上。また、広畠さんの体に付着していた微量のDNA型が楊のDNAと一致したため、逮捕に踏み切った。楊は事件当時現場近隣に住んでいたが、事件後に転居していた。楊と被害者の女性との間に面識は無かった。前述の通り財布から現金が盗まれていたため、捜査本部は強盗の容疑でも男を追及している。事件解決までには延べ5万6千人の捜査員が投入されていた。
習志野市茜浜女性殺害事件(楊暁春)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2014年3月24日、楊を処分保留で釈放するとともに、在留資格が切れているとして身柄を東京入国管理局に引き渡した(中国に退去強制)。千葉地検は処分保留とした理由について「起訴に至るまでの証拠が集まらなかった」としており、6月には嫌疑不十分で不起訴処分となった。

❖出所予定(年齢)
 不起訴(無罪放免)

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奈良小1女児殺害事件(小林薫)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)11月17日に日本の奈良県で発生したわいせつ目的の誘拐殺人事件。

犯人の小林薫(事件当時35歳)には本事件前にも、女児への強制わいせつ致傷事件などを起こして懲役刑に処された前科があった。2004年11月17日、小林は奈良市内で帰宅途中の女児A(事件当時7歳:市立富雄北小学校1年生)を強姦目的で誘拐し、生駒郡三郷町の自宅マンションで殺害した。その後、小林はAの遺体から歯をえぐり、遺体を生駒郡平群町内に遺棄したほか、女児の携帯電話を使って女児の両親に対し「次は(女児の)妹だ」などと脅迫メールを送信した。

奈良県警捜査本部(奈良西署)は、被害者女児の携帯電話から発信された複数回のメール・電話などの記録を解析した。その結果、すべて河合町周辺の基地局経由での発信であることを把握し同町周辺を重点捜査していた。また「犯人は奈良県西部の土地勘のある人物」として聞き込み捜査などを行った結果、「犯行に使用された乗用車は加害者が借りていた緑色のトヨタ・カローラIIである」「加害者は犯行当日、週1回の休日(水曜日)で事件当時のアリバイがない点」「小林が飲食店で被害者女児の写った携帯電話の画像を客らに見せるなどしていた点」などが判明した。

そのため、12月30日の、捜査本部は被疑者小林を西和警察署に任意同行して事情聴取を行った。また、小林宅を家宅捜索したところ、被害者女児のランドセル・携帯電話などが見つかり、同日中に小林を誘拐容疑で逮捕した。取り調べに対し、小林は殺害・死体遺棄などについて容疑を認め、Aの母親へ遺体写真を送信した理由について「結果を知らせてやりたかった」と供述した。

2005年(平成17年)1月19日には殺人・死体遺棄の容疑で再逮捕されたほか、奈良地方検察庁により同日付でわいせつ目的誘拐の罪により起訴された。
奈良小1女児殺害事件(小林薫)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年6月5日、奈良地裁(奥田哲也裁判長)にて論告求刑公判が開かれ、検察官は被告人小林に死刑を求刑した。同日の公判中、小林はあくびをして傍聴人を驚かせた。

2006年9月26日、判決公判が開かれた。奈良地裁(奥田哲也裁判長)は奈良地検の求刑通り被告人小林に死刑判決を言い渡した。判決宣告前、小林はガッツポーズや、ほくそ笑む態度をとった。

弁護人は判決を不服として大阪高等裁判所に即日控訴したが、2006年10月10日正午過ぎ、小林(奈良少年刑務所在監)が自ら控訴を取り下げ、控訴期限の切れる2006年10月11日0時をもって死刑が確定した。

2013年(平成25年)2月21日、法務省(法務大臣:谷垣禎一)が発した死刑執行命令を受け、収監先である大阪拘置所にて死刑が執行された(44歳没)。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2013年(平成25年)2月21日、大阪拘置所で死刑執行(当時44歳没))

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成田ミイラ化遺体事件(高橋弘二)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年(平成11年)11月11日、千葉県成田市のホテルで発生した殺人・保護責任者遺棄致死事件。

自己啓発セミナー団体であるライフスペースの高橋弘二(年齢不詳)は、頭部を手で軽く叩く「シャクティパット」と呼ぶ方法で病気を癒すことができると喧伝していた。これを信じた男が、高齢の家族を病院から連れ出し、成田市のホテルで高橋によるこの治療法を試みた。この家族はそのまま死亡したが、高橋はこの家族はまだ生きていると主張し、男をはじめとした周囲もこれを信じた。

1999年11月11日、ホテルから「4ヶ月以上も宿泊している不審な客がいる」と通報を受けた成田警察署署員が、ホテルの部屋を捜索してミイラ化した遺体を発見した。

事件の異常さや、高橋が記者会見で「定説」として「(被害者は)司法解剖されるまで生きていた」などと主張したことから、ワイドショーなどで大きく報道された。
成田ミイラ化遺体事件(高橋弘二)
成田ミイラ化遺体事件(ミイラ)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 裁判でライフスペース側は無罪を主張して争ったが、高橋は2001年9月28日に懲役2年6月・執行猶予3年の判決。高橋は、裁判でも「定説」を訴えて争ったが、1審で懲役15年、2審では不作為犯と認定され懲役7年の判決を受けた。高橋は上告したが、最高裁判所は2005年7月4日に上告を棄却し、懲役7年の判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2012年7月頃、年齢不詳(懲役7年)

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南幌町家族殺害事件(女子高生)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2014年10月1日に北海道空知郡南幌町で発生した、女子高生が母親と祖母を殺害した事件。

2014年10月1日深夜1時、地元の薬局に勤める長女(当時23歳)が帰宅した際に、1階の寝室で佐竹和美さん(母親、当時47歳)が、2階の寝室で佐竹須三代さん(母方の祖母、当時71歳)が寝間着姿のまま死亡しているのを発見した。和美さん(母親)は喉仏から頸動脈まで切り裂かれ、須三代さん(祖母)は頭と胸を中心に7か所刺され、二人とも失血性ショック死だった。警察の事情聴取に対し、三女(当時17歳)は「寝ていたのでわからない」と答えたが、のちに犯行を認めた。凶器は台所の包丁で、軍手や衣類とともに、自宅から5km離れた公園内の小川で発見された。この証拠隠滅には姉も関わっていた。

取り調べに対し、少女は犯行の動機を「しつけが厳しく、逃れたくて殺した」としている。

報道されている虐待の目撃談は以下のとおり。

・頻繁に雪かきや草むしりをさせられていた。
・祖母の飼っている犬の散歩をするため、毎日夕方5時までに帰るよう命じられており、学校から走って帰っていた。
・冬に車庫の前に立たされていた。
・少女だけ表玄関の使用を禁じられ、勝手口を使っていた。
・生垣の手入れを全部させられていた。祖母は窓から杖で指示していた。
・小学生時代、ランドセルを買ってもらえず、風呂敷で通っていた。
・少女だけ、二段ベッドの置かれた離れで寝起きしていた。
・裸で屋外にほうり出され、祖母から頭から水をかけられては笑われていた。
・少女はこれに加え裁判で「生ごみを食べさせられていた」と証言している。

同級生の親らが減刑のための署名(嘆願書)を1万以上集め、同年11月に札幌地方検察庁に提出した。
南幌町家族殺害事件(佐竹須三代さん(母方の祖母)、佐竹和美さん(母親))
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2015年1月、三女は札幌家庭裁判所で責任能力を認めた上で被害者による虐待が動機に影響しているとされて、医療少年院送致とする保護処分を決定した。

 2016年2月に長女への懲役3年執行猶予5年の判決が下り、検察、被告人とも控訴せず判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 長女(当時23歳)・・・2021年2月頃、27歳、執行猶予完了
 三女(当時17歳)・・・2016年2月頃、18歳、すでに退院(医療少年院は12ヶ月が標準期間)

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新潟小2女児殺害事件(小林遼) 
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2018年(平成30年)5月7日に新潟県新潟市西区にて小学2年生の女児が殺害され、線路に遺棄された事件である。

会社員の小林遼(はるか、当時23歳)は仕事帰りに乗っていた軽自動車で、新潟市立小針小学校2年生の大桃珠生さん(当時7歳)に意図的に衝突させ、転倒した女児Aを軽自動車の後部座席に乗せた。

小林は電気工事士として働いており、周囲の人らからによると「優しくて明るい子」という評判で、学生時代からアニメ好きの友人らと交流する「オタク」として知られていた。反面、ネットで知り合った未成年者と性交に及ぶなど小児性愛の気質もあった。

大桃さんは「頭が痛い、お母さんに連絡したい」と泣いたが、小林は首を絞めて気絶させた。その後、海岸沿いの広場に大桃さんを連れて行った小林は、大桃さんに対して下半身を触れるなどわいせつな行為を行ったが、大桃さんが意識を取り戻したため5分に渡り首を絞め、大桃さんを殺害した。

大桃さんの死体を自宅に持ち帰った小林は、大桃さんの死体への性的暴行を行った後、東日本旅客鉄道越後線小針~青山駅間の線路内にAの遺体を遺棄。22時30分頃に走行した普通電車にその遺体を轢過させ、頸部を切断させた。遺体発見現場は、小針駅から北東方向に約500mほどの地点にある住宅街を通る線路上で乗客約170人に怪我はなかったが、この事故で上下線計7本が運休・遅延し、約1400人に影響が出た。
新潟小2女児殺害事件(小林遼)
新潟小2女児殺害事件(小林遼の倒錯スナップ)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2022年3月17日に開かれた判決公判で、東京高裁(大善文男裁判長)は、一審の無期懲役の判決を支持して検察側と弁護側双方の控訴を棄却した。

弁護側は有期刑が相当として、2022年3月22日に上告した。一方で、2022年3月31日、東京高等検察庁は「判決内容を十分に検討したが、適法な上告理由が見いだせなかった」として上告を断念することを明かした。刑事訴訟法の規定により、死刑が言い渡される可能性が消滅した。

❖出所予定(年齢)
 2052年3月頃、57歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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西鉄バスジャック事件(谷口誠一)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年(平成12年)5月3日に発生した当時17歳の少年 谷口誠一によるバスジャック事件である。

本件は西鉄高速バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件と呼ばれたが、ほかにもインターネット掲示板の2ちゃんねるに犯行予告の書き込みが残されていたことからマスコミに注目され、その書き込み時のハンドルネームからネオむぎ茶事件(ネオむぎちゃじけん)とも呼ばれた。

2000年5月3日発車後の13時35分ごろ、佐賀第二合同庁舎(佐賀県佐賀市)発西鉄天神バスセンター(福岡県福岡市中央区)行きの西日本鉄道の高速バス「わかくす号」(西鉄バス佐賀営業所所属車両、登録番号:佐賀22き258、車番8544、型式はU-RU2FTAB、1991年(平成3年)式)車内にて、九州自動車道の太宰府インターチェンジ付近、谷口誠一(当時17歳)が運転手に牛刀を突きつけて「天神には行くな、このバスを乗っ取ります」「おまえたちの行き先は天神じゃない。地獄だ」と言いながらバスを乗っ取った。

谷口誠一は乗客としてバスに乗車しており、乗客をバスの後方に移動させます。この時に、疲れて寝ていてバスジャックに気づかなかった乗客の高取千佳さん(当時34歳)を牛刀で斬りつけます。

谷口は西鉄天神バスセンターに行かずに九州自動車道をしばらく走行するように運転手を脅し、乗客に対して様々な指示を繰り返した後、最後にカーテンを閉めるように指示。その後、山口県の山陽自動車道に達するまでに乗客3人を切りつけた。

金融機関や航空機、タクシーなどと異なり、当時のバスには内部の異常事態を密かに外部に知らせる仕組みやマニュアルがなかった。

この頃、西鉄佐賀自動車営業所では西鉄天神バスセンターに到着しない当該バスに対し、所内から何度も無線で当該バスに応答を求めていたが、応答がなかった。無線は門司区辺りまでが交信可能エリアだったため、山口県に入ってしまうと無線が途切れる可能性が高かった。西鉄は15時30分ごろ、本社内に対策本部を設置して約20人が情報収集に当たったが、この時点ではまだ何も分からず、さらに乗っ取られた高速バスのわかくす号は予約制ではないため、乗客の身元の確認に時間がかかった。

バスは、九州自動車道から関門橋を通り中国自動車道に入った。この時点では山口県警察に事件は周知されており、高速道路交通警察隊がバスを追尾していた。

バスは山口ジャンクションから山陽自動車道に入り、下松市の下松サービスエリア付近では警察車両に行く手を阻まれ、減速したバスから身を乗り出した乗客1人が、警察に救出された。この頃にはマスコミ各社も事件の報道を開始しており、この男性乗客が救出される瞬間はテレビでも中継された。警察は山口県での解決を断念して封鎖を解除し、バスを広島方向へ走らせた。

バスは走り続け、本州の山口県へと繋がる関門橋の手前に差し掛かった14時30分から40分頃、平野運転手が「乗客をトイレに行かせてほしい」と提案する。これを受けて谷口誠一はバスを路肩に停めさせ、1人ずつトイレに行く事を許可し「1人でも逃げ出したらここにいる全員を殺す」と脅した。

1人目に降りたのは子犬をケージに入れ連れていた当時40歳の女性でしたが、バスから降りた途端に一目散に逃亡した。これに谷口誠一は激昂し「裏切りやがった。絶対に許さない殺してやる」などと叫んで再びバスを発進させ、「僕は約束を守ります。見せしめに1人殺します」と宣言すると、近くにいた当時50歳の山口由美子さんの首を何度も牛刀で突き刺した。

山口由美子さんが通路側に崩れるように倒れおびただしい血を流した。谷口誠一は足で山口さんを突くようにし「生きてるか?」と尋ね、山口さんは「はい」と答えた。そして谷口誠一は「連帯責任なんだから逃げれば何度でも刺す」と乗客らを改めて脅しつけた。

15時35分、本州に入り、中国自動車道に入った「わかくす号」を山口県警の警察車両が確認し追跡を開始する。この直後、当時30歳の女性客が走行中のバスの窓を開けて脱出、怪我を負ったものの警察車両によって保護された。

谷口誠一は女性が逃げ出した事にはしばらく気がつかず、その後、窓が開いている事を見つけ、近くに座っていた塚本達子さん(当時68歳)を「逃げ出そうとしているのか」と問い詰め、首のあたりを何度も牛刀で刺した。

16時15分頃、山口県警は、下松サービスエリア付近でバリケード封鎖を行いバスの停止を試みたが、犯人を刺激する事を恐れたのか封鎖はすぐに解除され、バスは再び発進する。しかしこのタイミングで、当時52歳の男性が窓から飛び降りて脱出に成功した。

再び人質の逃亡を許した谷口誠一は激昂し、倒れていた塚本達子さんをさらに刺しついに絶命させた。

バスは広島県に入り、広島市安佐南区の武田山トンネル付近で男性客全員を解放した後、東広島市の奥屋パーキングエリアに入り数時間停車した。ここで警察の説得によって谷口は差し入れを提供するという条件で負傷した人質3人を解放したが、2人が負傷し、1人は既に失血死していた。日本のバスジャック事件において人質が死亡した初めての事件となった。

膠着状態が続いた後、谷口はバスをそこから次のサービスエリア・パーキングエリアである小谷サービスエリアまで向かわせたが、ここでも長い膠着状態となった。

事件発生から15時間半後の4日午前5時すぎ、小谷サービスエリアで停車中に警察官による説得中に「手袋を路面に落とす」という突入の合図を受けた15名の隊員の突入により、Aは銃砲刀剣類所持等取締法と人質による強要行為等の処罰に関する法律違反で逮捕された。突入の際、フラッシュバンが使われた。国内の人質事件で初めて使用され、以後、立てこもり事件などの際に使用されることになった。この突入で機動隊員1名が、谷口に左足を切り付けられて負傷した。この様子はテレビで生中継された。
西鉄バスジャック事件(谷口誠一)バスジャック
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 谷口が「ネオむぎ茶」の固定ハンドルネームを用いて、犯行前にインターネット掲示板「2ちゃんねる」に書き込みを行っていたことや、SATが出動したことで話題となった。

その後、谷口に対しては佐賀家庭裁判所で医療少年院への送致が決定した。2006年2月1日、谷口が同年1月中に仮退院していたと報道された。谷口は社会復帰への訓練を始めたとされる。

❖出所予定(年齢)
 2006年2月1日、23歳、すでに退院(医療少年院にて長期間の医療的処置)

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二丈町立てこもり殺人事件(川村忠)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2002年(平成14年)9月14日に福岡県糸島郡二丈町(現:糸島市)で発生した人質・殺人事件である。

2002年(平成14年)9月14日14時半ごろ、福岡県糸島郡二丈町吉井の防水加工業の中田安彦さん(当時37歳)宅に川村忠(当時36歳)が押し入り、中田初江さん(中田安彦さんの母、当時64歳)と中田志歩ちゃん(中田安彦さんの娘、当時9歳)を人質に取り男性宅に立てこもった。

川村は中田安彦さんの姉(当時41歳)の夫で、行方が分からなくなっている妻(事件後に離婚成立)と子供との面会を要求した。男性が同日20時ごろに帰宅した際に初江さんと志歩ちゃんに包丁を突き付けていることを知り、警察に110番通報した。初江さんは翌9月15日昼に解放されたが、志歩ちゃんは9月16日未明に睡眠中に腹部を刺され死亡した。

その後の調べで、志歩ちゃんは福岡県警察が突入に踏み切る約20分前に殺害されていたことがわかり、県警が事件後に謝罪している。

また、9月15日の23時30分ごろに川村の妻(中田安彦さんの姉)と子供に合わせると約束したが、親族との打ち合わせや詰めの説得に手間取り当初予定より約50分も遅れ、その間に刺殺したことも明らかとなった。

さらに、安彦さんは川村から事件前に川村の妻(中田安彦さんの姉)と子供を捜すように脅迫電話を受け警察に相談したものの、取り合ってもらえなかったという。

川村の妻(中田安彦さんの姉)は川村からのDVに怯えており、暴力から逃れるために川村のもとから逃げていた。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2002年5月26日の判決公判で、福岡地裁(谷敏行裁判長)は被告人が姪に対する確定的な殺意を抱いていたことなどを認定した上で、犯行動機の身勝手さ、犯行の残虐性などを考慮し、求刑通り被告人を無期懲役とする判決を言い渡した。判決後、被告人は弁護人と接見した際に判決への不満を訴えた上で、「一日も早く仮出所したい。おれが出てきたら大変なことになる」と述べ、被害者遺族や自身の親族に対するお礼参りをほのめかしたが、先述の養父から「いかなる判決でも受け入れ、亡くなった子供の供養をしていくように」という手紙を受け取ったことを明かし、控訴しない意向を表明。控訴期限の同月6月9日までに控訴せず、6月10日0時をもって無期懲役の判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2032年6月頃、66歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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日系ブラジル人姉妹殺害事件(ラ・ロサ・ビテ・エドガルド・アントニー)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2015年(平成27年)12月30日の14時頃、ブラジル国籍の姉妹(マリリア・マルヤマ・キンベルリ・アケミさん(妹、当時27歳)と、ミシェリさん(姉、当時29歳)
)がペルー人のラ・ロサ・ビテ・エドガルド・アントニー(逮捕時34歳)に首を絞められて殺害された事件である。

2015年(平成27年)12月30日の14時頃、愛知県半田市の県営住宅で妹の元内縁の夫・ペルー人が姉妹の首を絞めて殺害しその後室内を放火した、殺人・放火事件である。

遺体の周辺が激しく焼け、姉妹の首には圧迫痕があり、室内には5リットルのガソリン缶が空の状態で見つかった。

県警は、半田警察署に捜査本部を設置。防犯カメラや近所の住民に聞き込みをした結果、元内縁の夫が火災直前に車で事件現場から逃走するのが確認された。

県警は、名古屋市内で運転していた内縁の夫を道路交通法で同日に逮捕。車には、殺害された妹の子ども2人が乗っていた。

2020年(令和2年)12月8日県警は、現住建造物等放火の疑いで再逮捕。同月28日には、殺人の容疑で再々逮捕された。
日系ブラジル人姉妹殺害事件(ラ・ロサ・ビテ・エドガルド・アントニー)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2021年1月18日、名古屋地方検察庁は元内縁の夫を、殺人と現住建造物等放火、死体損壊の罪で名古屋地方裁判所に起訴した。

❖出所予定(年齢)
 公判中(地裁に起訴)

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沼津OL強姦殺人事件(松井健一)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)11月7日に発生した殺人事件。

2004年(平成16年)11月7日17時30分、静岡県沼津市で実家に帰省していた望月敏子さん(OL、当時25歳)が愛犬を連れて散歩に出かけた。15分後に犬だけが実家に帰り、望月さんは行方不明となった。2日後の11月9日13時頃、実家から1キロほど離れた山林で望月さんの遺体が発見された。右と左の首筋に刃物で切られたような傷があり、首を鋭利な刃物でほぼ1周切られていた。現場付近からカッターナイフの折れた刃2枚が、約200メートル離れた山林ではナイフ本体が発見された。刃には望月さんの血液が付着しており、捜査本部はこれが凶器と判断した。着衣には乱れがあった。家から300メートルほど離れた場所で、望月さんの懐中電灯が発見された。

2007年(平成19年)6月29日に有力情報の提供者に懸賞金が支払われる警察庁の捜査特別報奨金制度が適用されたが、2008年6月29日に期限が切れた。

2009年(平成21年)5月20日、犯人のDNAと一致したため、沼津市の建設作業員の松井健一(当時43歳)が逮捕された。松井は当初は容疑を否認していたが、追及を受けるうち容疑を認めた。
沼津OL強姦殺人事件(松井健一)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 裁判員制度の対象事件であるため、2010年2月に公判が開かれ、検察側は被害者が全く落ち度もなく命を奪われたことや過去2回の性犯罪の繰り返し、再犯の可能性が高いとして無期懲役を求刑。弁護側が不遇な成育歴を理由に懲役18年が相当と主張した。2010年2月4日、静岡地裁は松井に無期懲役判決を言い渡し確定した。

❖出所予定(年齢)
 2040年2月頃、73歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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寝屋川市中1男女殺害事件(山田浩二)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2015年(平成27年)8月13日に大阪府寝屋川市に住む中学1年生の男女2人が誘拐され、それぞれ殺害されて発見された事件である。

2015年8月12日午後9時ごろ、BがAに会いに行くと母親に告げて外出。午後9時半ごろ、平田奈津美さん(当時13歳)と星野凌斗さん(当時12歳)らしき男女が2人の自宅近くのコンビニエンスストアで目撃されていた。

8月13日未明、京阪本線寝屋川市駅前のアーケードを歩く2人の姿が防犯カメラの映像として残されており、午前5時ごろに防犯カメラに映ったのを最後に2人の足取りが途絶える。午前5時11分と午前5時17分に、山田浩二(当時45歳)の軽ワゴン車(三菱・初代eKワゴン)が走行するのを近くの防犯カメラが捉えていた。

8月13日午後11時半ごろ、高槻市の物流会社駐車場で平田さんの遺体が発見された。遺体は粘着テープで縛られ、左半身を中心に30箇所以上の切り傷があった。司法解剖により死亡推定時刻は午後7時半ごろ、死因は窒息と判明。この遺体発見の直前である午後10時34分から11時10分ごろまで不審な車が停車しているのを現場近くの防犯カメラが捉えている。

同日午後0時39分、後に発見された星野さんの遺体遺棄現場から1.5 km離れたコンビニエンスストアで粘着テープ2本を購入する山田の姿が防犯カメラに残されていた。この時に購入された粘着テープは被害者の遺体に巻かれたものと酷似していた。

捜査本部は防犯カメラの映像などから、不審な車の所有者が山田であることを特定。山田は男子中高生らに対するわいせつ行為目的の監禁を行った前科があり、2014年10月に出所したばかりだった。

8月21日午前1時15分ごろ、大阪府警は大阪市北区の駐車場で山田の車を発見し追跡を開始、午前中に山田が数分間だけ立ち寄った柏原市の竹林を捜査員が捜索したところ、Bの遺体を発見し、夜になって星野さん本人と確認。午後8時20分ごろ、大阪市城東区の路上で平田さんに対する死体遺棄の容疑で山田を逮捕。
寝屋川市中1男女殺害事件(平田奈津美さんと星野凌斗さん)
寝屋川市中1男女殺害事件(山田浩二)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 山田が殺人などの罪で逮捕・起訴され、2018年12月19日に大阪地裁で死刑判決を受け控訴するも、2019年5月18日に自ら控訴を取り下げ、死刑判決は一度確定した。だがその後、弁護側が控訴取り下げの無効を訴え、大阪高裁が2019年12月17日にこれを認める、検察がこれに異議を唱える、この係争中に山田が2度目の控訴取り下げを行うなど、異例の展開を見せた。およそ2年の審理の末、最終的には2021年8月25日に山田の死刑が再び確定した。

山田は死刑が確定した直後に公表した手記で、今後再審請求することを明かしている。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(大阪拘置所収監中、死刑未執行)

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寝屋川市立中央小教職員殺傷事件(岡本悠)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2005年(平成17年)2月14日 15時10分頃、本校の南門からこの学校の卒業生である岡本悠(当時17歳)が侵入し、教職員の鴨崎満明(かもざき・みちあき)教諭(当時52歳)と女性2人の腹などを刺した。15時20分頃、警察官が少年を取り押さえ、殺人未遂容疑で岡本を現行犯逮捕した。鴨崎教諭は16時過ぎに死亡、女性教諭と女性栄養士は重傷を負った。事件を受け、本校は2月15日から17日の3日間を臨時休校とした。

岡本は小学校時代にいじめられた経験があり、その復讐のために来校したとのことである。しかし、殺害された男性教諭はじめ3人の教職員は、岡本が通っていた時この学校を担当していた事はなく岡本との関係はなかった。
寝屋川市立中央小教職員殺傷事件(岡本悠)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 岡本には2007年(平成19年)11月、懲役15年の実刑判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2022年11月頃、34歳(出所)

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八王子通り魔事件(菅野昭一)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2008年(平成20年)7月22日に東京都八王子市のショッピングセンター内で発生した通り魔事件。

2008年(平成20年)7月22日午後9時40分頃、東京都八王子市の京王線京王八王子駅の駅ビルである京王八王子ショッピングセンターの9階啓文堂書店にて、会社員の菅野昭一(当時33歳)が文化包丁を用いて、中央大学文学部4年生でアルバイト店員をしていた中央大4年斉木愛(まな)さん(当時22歳)と当時21歳の女性来店客を刺した。その後、菅野はエレベーターで1階に下りて外に逃亡。斉木さんは死亡し、来店客は全治3か月の重傷を負った。事件現場には現金や身分証明書が入った財布が、エレベーターには凶器の包丁が放置されていた。

同日午後10時頃、菅野は事件現場300メートル離れたJR八王子駅北口近くの路上で、警察官に職務質問された際に自身を犯人と認め、八王子ターミナルビル1階に所在する八王子駅北口交番にて目撃者の立証が取れたため緊急逮捕された。パトカーや警察用自転車(いわゆる白チャリ)を用いて20人近くの警察官が事件現場と逮捕現場である交番前に集結し、周囲は騒然となった。

菅野は「仕事でうまくいかず、親が相談にのってくれなかったため、無差別で人を殺そうと思った」、凶器の包丁は八王子市内の100円ショップで買ったと供述した。

菅野の父親は自宅に来た報道各社の取材に応じた。また菅野はフリーターとして職を転々とし、いわゆるパラサイト・シングルであったとされる。

2008年(平成20年)8月12日に菅野は殺人罪と殺人未遂罪と銃砲刀剣類所持等取締法違反で起訴された。
八王子通り魔事件(菅野昭一)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2009年(平成21年)2月12日に初公判が行なわれた。9月10日の論告求刑公判で、検察側は無期懲役を求刑した。10月15日に東京地裁立川支部は求刑通り無期懲役の判決を下した。被告は控訴し、2010年(平成22年)4月14日に東京高裁は一審の無期懲役判決を破棄し、懲役30年を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2039年2月頃、64歳(懲役30年)

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廿日市(はつかいち)女子高生殺害事件(鹿嶋学)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)10月5日に広島県廿日市市に住む女子高生が自宅で刺殺され、その祖母が重傷を負わされた事件。

2004年10月5日午後3時ごろ、広島県廿日市市上平良の住宅にて、一家の長女(北口聡美さん(当時17歳、以下、長女))が若い男に刃物で刺された。

 ・長女は高校から帰宅後、自宅離れ2階の自室で仮眠を取っていた。
 ・長女の悲鳴と階段を駆け下りる音を聞き、長女の祖母と次女が駆けつけた。離れ玄関先で長女が刺され、大量の血があった。
 ・長女の部屋の枕元の音楽機器に接続されていたイヤホンが外れており、長女はあわててベッドを離れたと思われる。
 ・離れ1階で男は祖母にも襲いかかり、背中や腹を10か所ほど刺して逃走した。
 ・次女は裸足のまま、30m離れた近所の園芸店に助けを求めた。
 ・長女と祖母は重体に陥って病院に運ばれた。長女はまもなく出血多量で死亡、祖母はその後回復した。

事件直後、広島県警察捜査一課は廿日市警察署に捜査本部を設置して犯人の男の行方を追った。被害者を1階の玄関まで追って刺すという凶悪性の高い犯行であったが、長女は学校内でのトラブルなどもなく、犯人の動機などは不明であった。そのため、被害者である次女と祖母以外の目撃者や有力情報などもないまま、長らく未解決事件となっていた。

事件発生から14年間にわたり犯人が逮捕されず、父親はブログで事件の風化せぬよう、非常に熱心に呼びかけを続けていた。2008年3月には、犯人逮捕につながる有力情報の提供者に最高300万円の懸賞金を支払う捜査特別報奨金制度対象事件ともなったこともあり、報道や難事件を扱うテレビ番組などで未解決事件として取り上げられるようになった。

2010年には、殺人事件における公訴時効(15年)が廃止されたものの、まったく捜査の進展が見られなかった。

2018年4月13日、別の暴行事件で任意捜査対象であった山口県宇部市の35歳の会社員 鹿嶋学容疑者(事件当時21歳、逮捕当時35歳)のDNA型・指紋が、当時現場で採取されたDNA型・指紋などと一致したため、本件の殺人容疑で逮捕された。
廿日市女子高生殺害事件(鹿嶋学)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2020年3月3日、広島地方裁判所で開かれた裁判員裁判において、鹿嶋は起訴事実を認めた。

2020年3月10日に論告求刑公判が開かれ、検察官は身勝手な動機、長期間逃亡していることから再犯が懸念されることなどを挙げ、鹿嶋に無期懲役を求刑した一方、鹿嶋の弁護人は最終弁論で「殺害は突飛的な行動だった」として量刑の減軽を求め、結審した。3月18日、広島地裁(杉本正則裁判長)は検察官の求刑通り被告人を無期懲役とする判決を言い渡した。検察側・被告人(鹿嶋)側の双方とも控訴しなかったため、2020年4月2日付で無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)

 2050年4月頃、65歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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羽曳野(はびき)発砲事件(杉浦泰久)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2010年(平成22年)1月12日に大阪府羽曳野市で発生した銃発砲による殺人事件である。杉浦泰久(当時49歳)の男がライフル銃を発砲し、犯人を含め4人が死亡した。

事件当日、羽曳野市河原城にある居酒屋にて離婚について容疑者と元羽曳野市議の田中美子さん(当時66歳、義母)と話し合いをしていたが、激高して店を出た後に猟銃を持ち戻って発砲した。義母とアルバイト店員の福井達也さん(当時23歳)が死亡し、居酒屋の大家である上原浩人さん(当時49歳)は重体となっていたがその後死亡した。犯人は直後に自殺した。

当時、犯人は妻に暴力をふるうなどの問題を起こし離婚調停中で、娘の親権をめぐってトラブルになっていた。また、犯人は猟銃(ライフル銃)と散弾銃合わせて5丁所有していた。2008年11月の銃刀法改正で、配偶者等暴力をした者の猟銃の所持を認めないことになっていたが、2009年6月に銃の所持許可を更新した際に大阪府警の調査において妻らは「問題はない」と回答したとしている。
羽曳野(はびき)発砲事件(杉浦泰久)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 被疑者死亡で大阪地検堺支部に書類送検した。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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浜名湖連続殺人事件(川崎竜弥)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2016年(平成28年)に静岡県の浜名湖周辺で2人の遺体が発見された事件。

2016年(平成28年)1月25日 - 浜松市北区の宅地建物取引士 川崎竜弥(当時34歳)、元同僚 須藤敦司さん(当時62歳)の自宅マンションaのポストから鍵を持ち出し不正に合鍵を作る。

28日 - 23時24分、マンションの防犯カメラに須藤さんが自動車で帰宅する姿が映っていた。これ以降、須藤さんが出入りする姿は映っていない。また、須藤さんは2月以降それまで毎日のように通っていたスーパーに姿を現さなくなり、2月3日に予約をしていた歯医者を受診せず、2月16日に畳店従業員が須藤さんの部屋に畳を搬入したが須藤さんの姿はなかった。

29日 - 午前2時から2時30分ごろにかけて 、マンションの防犯カメラの映像で川崎の姿が確認されている。

30日 - 午前3時半ごろ 、川崎がマンションから白いカバーで覆った段ボール様の物を台車で搬出するのが防犯カメラの映像に映っていた(7月14日の家宅捜索で川崎の実家から須藤さんのDNA型と矛盾しないと判断された血痕が付着した台車が発見された)。同日午前10時ごろ 、川崎はaの畳の新調を業者に依頼。その際古い畳は川崎が自分で処分すると申し出た。

31日 - マンションから血痕のようなものが付着した畳を川崎が搬出するのがマンションの防犯カメラに映っていた。

4月21日 - 川崎は「先生」と呼ぶ知人と会い、マンション売買の契約日の時点で須藤さんはすでに死んでおり、「バラバラにして捨てた」ため、「死体が出てこないから」「殺人では警察は持って行けない」と言い、また須藤さんの死体を焼いたことを話す。

6月ごろまで - 川崎は覚醒剤所持事件で京都刑務所に服役中に知り合った出町優人さん(当時32歳男性)と手紙で、出町さんの出所後はLINEで継続的にやりとりをしていた。川崎は再三、出町さんに浜松に来るよう要求し、川崎が出町さんの服役中に預かっていた出町さんの荷物を「7月3日に静岡にいなければ処分する」と圧力をかけていた。

7月8日 - 浜名湖で「右脚を発見した」という警察への通報があり、その後の捜索で約3キロの範囲で左脚、頭部、胴体が相次いで発見され、DNA鑑定の結果この人物が出町さんであることが判明した。出町さんの死因は右側腹部刺切損傷による肝臓損傷及び血気胸であるとされた。

14日 - 須藤さんのキャッシュカードで20万円を引き出した窃盗容疑とAの口座から454万円を不正に別口座に移した詐欺容疑で川崎は逮捕された。同日、川崎の実家の家宅捜索で印鑑、財布、キャッシュカード、保険証などの出町さんの所持品が発見され、出町さんの携帯電話が川崎の車から発見された。また、この日実家で差し押さえられた車から出町さんのDNA型と一致する血痕が発見された。

8月20日 - 川崎の隣の房に留置されていた者が、川崎の逮捕から1週間が経ったころに川崎に話しかけた際に川崎から聞いた話として、「おじさんを殺したあと若い子を殺した」と話していたことを警察官に伝え、供述調書をとられた。「おじさん」は「マンションを取るために殺した」、死体は2人とも「浜名湖周辺の同じところに捨てた」と聞いたとDは供述。また、「若い子を殺した」話については、「先生」の家に泥棒に入ったので許せなくて殺した、「施設育ちのポン中だったから殺されても警察はいちいち相手にしない」、「急ぎ仕事だったからちょっといろいろあった」、死体は浜名湖に捨てたが大雨が降ったので思った以上に流れている、海水に何週間も浸かっているのでもうDNAは出ないと話していたと供述した。

31日 - 浜名湖で須藤さんの骨の一部などが発見された。

9月22日 - 静岡県警細江署の捜査本部は7月8日に発見された出町さんの死体損壊と死体遺棄容疑で川崎を再逮捕した。

12月8日 - 須藤さんへの強盗殺人・死体遺棄などの容疑でKは再逮捕された。
浜名湖連続殺人事件(川崎竜弥)
浜名湖連続殺人事件(相関関係図)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2021年2月13日、同月15日に最高裁判決を控える中、川崎は東京拘置所所長に上告を取り下げる書面を提出、川崎の死刑が確定した。川崎は15日に面会に訪れた弁護士に「刑が執行されることに納得した」と話したという。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(東京拘置所収監中、死刑未執行)

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浜松市老女絞殺事件(松島重男)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2008年(平成20年)4月に浜松市中区で発生した殺人事件。

2008年(平成20年)4月30日、一人暮らしの今田かね子さん(当時83歳)が殺されているのを女性ホームヘルパー(当時39歳)が発見した。今田さんは家電コードで絞殺された後があった。

現場から「キャビンマイルド」の吸い殻数本が見つかっている。今田さんは喫煙の習慣がなかったため犯人が残したものとみている。

2009年(平成21年)8月9日、容疑者として浮上した印刷業の松島重男(当時79歳)を逮捕した。今田さん宅にあった吸い殻と首に巻き付いていた家電コードのDNAが一致したことが決め手となった。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2010年(平成22年)10月29日、静岡地方裁判所浜松支部は松島に対し、懲役13年(求刑・懲役18年)の判決を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2023年10月頃、92歳(出所)

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浜松幼児変死事件(河合利彦)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1991年に静岡県浜松市で起きた殺人事件である。

1991年8月23日にAが「五歳の次男Bが布団の中でうつ伏せになって死んでいる」と119番があったことから発覚した。死亡原因が溺死と分かると、家の中で溺死するのは風呂の中以外は考えられない、布団の中で死んでいるのはおかしいとして警察は殺人事件として捜査。

密室での殺人事件として当時家の中にいた子供(長男)を除く、AとAの交際相手の男 河合利彦(当時32歳)を事情聴取。河合は事件とは無関係と容疑を否認。しかし、Aが「私は殺していない。殺したのは河合ではないか。」という趣旨の供述をした。

この供述により、警察は本人否認のまま8月24日に河合を殺人容疑で逮捕。9月1日に一旦「Bを殺したのは私です。Aは関係ありません。」と自白した。しかし、その後再び否認。自白と否認を繰り返す中、検察は本人否認のまま起訴した。
浜松幼児変死事件(河合利彦)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 検察は裁判の冒頭供述で殺害の動機を「子供の存在がAとの結婚の邪魔になった」とした。また、次男Bに対して被告が様々な嫌がらせをしたと主張。これに対して弁護側は被告がBを可愛がっていなかったとは言えず、また、Aの供述の矛盾を主張した。ほとんど物的証拠がなく、争点はAと河合のどちらの供述の信用性があるかだった。1995年6月30日、 静岡地裁浜松支部(岩垂正起裁判長)は懲役10年の有罪判決を下した。判決では鑑定書の死亡時刻8月22日午後9時20分から翌日午前3時20分となっており、Aの供述の方が信用性が高いとした。

その後、被告は控訴。1996年1月19日の東京高裁で岡田良雄裁判長は「Aが犯行に少なからず関わっていた可能性がある」として1審判決より減刑して懲役7年とした。その後、最高裁に上告したが1998年4月10日、藤井正雄裁判長は上告を棄却した。

検察が証拠として提出していなかった録音テープに、「Aの殺害をした」と自白していると思われる供述があることが裁判後に判明している。

弁護側は、死亡推定時刻に関する新鑑定書を裁判に提出し、再審請求を行ったが、2008年1月に東京高裁によって再審請求は棄却されている。

河合利彦(当時45歳)は2005年3月に刑期満了で出所している。現在、実名を公表して再審請求中。

❖出所予定(年齢)
 再審請求中(2005年3月頃、45歳(出所))

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比叡山女子大生殺人事件(大田正雄)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1989年(平成元年)8月31日、京都を一人旅していた早稲田大学第二文学部5年の女子大生 山敷工女さん(事件当時25歳)が、京都市左京区八瀬秋元町の比叡山中で、現場近くの杉林でテント生活を送っていた大田正雄(犯行当時48歳)に強姦され、殺害、金品を強奪された事件である。

1989年8月31日、山敷さんは京都の宿をチェックアウトし、バス、ケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで、比叡山延暦寺を訪れた。根本中堂などを見学後、東海自然歩道を歩いて横川へ向かった。東海自然歩道は週末でも30人程度、平日は1日に10人ほどしか利用しない往来の少ない道であった。

所持金が少なくなっていた大田は、金をたかるか奪う標的となる観光客を物色していた。昼下がりに、根本中堂から横川方面への東海自然歩道を歩いていた山敷さんと出会う。大田はしばらく山敷さんと並んで歩き、地元住人を装って油断させ、旅の目的や予定を聞き出したうえで、横川駐車場でいったん別れている。犯人は1人で自然歩道の十字路に戻り、ビールを飲みながら山敷さんが戻ってくるのを待った。山敷さんは横川中堂や秘宝館を見学。午後2時過ぎ、職員が目撃したのを最後に山敷さんは消息を絶った。予約した名古屋の宿にも山敷さんは現れなかった。

山敷さんは東海自然歩道を歩いて帰る途中、大田と再会する。大田は観光客がよくこの十字路を通過することを熟知しており、山敷さんが戻ってくるのを待ち伏せしていた。すでに叡山ロープウェイやケーブル比叡駅がある比叡山頂行きの最終バスの時間は過ぎており、今後の行程の時間を気にした山敷さんに対して、大田は近道を案内するふりをして「けもの道」に山敷さんを誘い入れた。

東海自然歩道から300メートルほど入ったところで、山敷さんを先に歩かせ、大田がその背後に回る。突然、首を後ろから右腕で締め付けて山敷さんを気絶させると、衣服をはぎ取って強姦に及んだ。さらに山敷さんのリュックサックの口ヒモと自分(大田)が持っていた包帯を使って絞殺した。殺害後、大田は現金10万円やカメラなどを強奪して逃走した。

9月11日、近畿管区警察局は京都・滋賀両府県にまたがる特異な事件として「管内指定4号事件」に指定。計103人の合同本部体制を組んだ。犯行現場が土地勘がある者しか知らない「けもの道」の奥であることより、捜査本部は現場の地理に詳しい人間の犯行を疑い、早い段階より殺害現場の南1kmの杉林でテント生活をしていた大田が容疑者として浮上した。

9月12日、大田は大津警察署の顔見知りの署員に「比叡山の山中でウエストバッグをもらった」と電話し、自ら山敷さんのウエストバックを持って大津署に出頭した。捜査に協力するふりをして、捜査網から逃れようとしたと見られる。しかし、事情聴取で供述は二転三転する。嘘発見器でもクロと判定されるなど供述に不審な点が多く署員が追及したところ、9月13日に強姦目的での女性殺害を自供。殺人の疑いで逮捕された。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 1989年10月4日、大田は京都地方検察庁から強盗殺人罪で起訴された。1990年3月6日に検察は無期懲役を求刑。大田は初公判では起訴事実をほぼ認めたものの、その後は「飲酒が犯行を誘った」「女性が勝手についてきた」「電話は遺体の早期発見を願ってのこと」「警察への出頭は自首にあたる」などと主張。しかし、1990年3月30日、一審の京都地方裁判所はこれらの主張を退け、「動機に同情の余地はなく、学業半ばで亡くなった山敷さんの無念さは想像に余りあり、社会へ与えた影響も大きい」として、求刑どおり無期懲役を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2019年10月頃、78歳(出所(無期懲役で仮釈放30年と仮定))

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日置市5人殺害事件(岩倉知広)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2018年(平成30年)4月6日に鹿児島県日置市東市来町湯田で発覚した親族間の殺人事件。

岩倉知広(事件当時38歳・無職)は事件当時、父親 岩倉正知さん(当時68歳、以下、正和さん(父))と祖母 岩倉久子さん(当時89歳、以下、久子さん(祖母))が暮らしていた実家(事件現場)から徒歩約10分の場所に位置するアパートに住んでいた。

岩倉知広は2018年(平成30年)3月31日、事件現場となる実家へテレビを見に行ったところ、久子さん(祖母)に小言を言われたことに激怒してトラブルになった。岩倉知広は同日 - 4月1日ごろ、正和さん(父)と久子さん(祖母)の2人をそれぞれ左腕で首を絞めるなどして窒息死させ、死体を近くの山中(現場となった実家から400 m離れた山林)の空き地に埋めて遺棄した。

同年4月6日には岩倉知広の伯父(被害者である正和さん(父)の兄)が正和さん(父)の職場から「正和さん(父)が出勤してこない」と連絡を受け、12時30分ごろに正和さん(父)と久子さん(祖母)の安否確認を妻 岩倉孝子さん(加害者 岩倉知広の伯母・当時69歳、以下、孝子さん(叔父の妻))に依頼した。

孝子さん(叔父の妻)は姉 坂口訓子さん(当時72歳、以下、叔父の妻の姉)と共に現場に赴いたが、13時30分 - 15時9分ごろに岩倉知広によって絞殺された。

その後、伯父は孝子さん(叔父の妻)・訓子さん(叔父の妻の姉)と連絡が取れなくなったことから、知人男性 後藤広幸さん(当時47歳/岩倉知広と同じアパートの住人、以下、後藤広幸さん(知人))に安否確認を依頼し、日置警察署(鹿児島県警察)にも通報した。後藤広幸さん(知人)は15時9分ごろに日置署に電話し、警察官が到着するまで待機するよう指示されていたが、同時刻ごろ - 15時27分ごろに岩倉知広により絞殺された。

日置署員が最後に殺害された後藤広幸さん(知人)からの連絡を受け、正和さん(父)宅を捜索したところ、15時45分ごろに孝子さん(叔父の妻)・訓子さん(叔父の妻の姉)・Eの3被害者の死体を発見。18時55分ごろに現場から約1.5 km離れた市道で捜査員が岩倉知広を発見して鹿児島西警察署へ任意同行し、翌4月7日に被害者Eへの殺人容疑で岩倉知広を逮捕した。
日置市5人殺害事件(岩倉知広)
日置市5人殺害事件(相関関係図)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2020年12月11日の判決公判で、鹿児島地裁(岩田光正裁判長)は岩倉知広が完全責任能力を有していたと認め、鹿児島地検の求刑通り岩倉知広に死刑判決を言い渡した。

岩倉知広は判決主文宣告後、検察官に飛びかかろうとして刑務官に取り押さえられた。弁護側は同日中に福岡高等裁判所宮崎支部へ控訴した。

控訴審を控え、岩倉知広の弁護人は2021年7月に独自の精神鑑定を行う予定と報じられたが、事件から5年、第一審判決から2年以上が経過した2023年(令和5年)4月時点でも控訴審の日程は未定のままである。

❖出所予定(年齢)
 再審請求中

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東大阪集団暴行殺人事件(小林竜司ら8人(少年2人除く))
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)

❖加害者と被害者
●加害者

・小林竜司(当時21歳) 実行犯・無職
・広畑智規(当時22歳) 首謀犯・大阪府立大学3年生
・岡田浩次(当時32歳) 従犯・小林の知人、暴力団関係者
・徳満優多(当時21歳) 発端者・東大阪大学短大卒、アルバイト従業員
・佐藤勇樹(当時21歳) 従犯・東大阪大学3年生
・白銀資大(当時22歳) 従犯・大阪商業大4年生
・佐山大志(当時21歳) 従犯・東大阪大学短大卒無職
・後輩の少年(当時16歳)従犯・小林の知人

●被害者
・藤本翔士(当時21歳) 発端者・生き埋めで死亡・東大阪大学4年生
・岩上哲也(当時21歳) 巻き添え・生き埋めで死亡・東大阪大学短大卒、無職

 2006年6月15日、藤本翔士さん(当時21歳、被害者)と徳満優多(当時21歳、加害者)が東大阪大学1年生の女性をめぐる喧嘩に発展する。その喧嘩の原因は被害者の交際していた女性に3度ほど、メールを送ったというものであった。翌16日、被害者の彼女の東大阪短期大学1年の女子にメールを送ったということで、東大阪市内の公園で徳満優多と佐藤勇樹(当時21歳)の2人が暴行を受ける。

2006年6月16日夜から17日午前5時まで、後に加害者となる徳満優多と佐藤勇樹はファミリーレストランで暴力団の名前などで脅迫され、6月19日までに現金50万円を支払うことを約束させられる。

6月17日夕方、佐藤勇樹が小中時代の同級生だった実行役リーダー 小林竜司(当時21歳)に電話で相談し、泣きながら「10万円貸してくれ。渡さないとヤクザに埋められる」と述べる。居酒屋にいた小林竜司はのちに事件の発案者となる別の同級生 広畑智規(当時22歳)に電話をさせ、広畑智規は「被害届を出せ」と答える。佐藤勇樹はその日のうちに東大阪市の布施警察署に被害届を出す(この被害届は事件後、小林竜司及び発案者 広畑智規の指示で取り下げられた)。

また小林竜司は小中学校時代にいじめを受けていたが、自身もかつての同級生や実弟から「普段は優しい感じだが、怒ったら何するかわからず、とにかく怖い」と言われている。

広畑智規は「暴力は苦手だから、自分では手出しはせん」と言っていたが、中学時代は校内で不良グループを結成しており、そのリーダー格だったという。小林竜司とはもともとあまり親密な仲ではなかったが、事件の1年程前に一緒に海外旅行に行ったのがきっかけで関係が深まったという。

6月19日、小林竜司と広畑智規は脅迫を受けた徳満優多と佐藤勇樹の身を守るためには藤本翔士さんらを殺すしかないと判断し、暴力団関係者 岡田浩次(当時32歳)や徳満優多、佐藤勇樹を含む9人の仲間を集め被害者達を呼び出した。

被害者 藤本翔士さん、岩上哲也さん(当時21歳)と同伴した21歳会社員男性(以下、社員男性)の3人に山陽自動車道・岡山インターチェンジ付近や玉野市の深山公園で集団で暴行した後、午前4時半ごろ小林竜司が以前勤務していた玉野市の建設会社の資材置き場がある岡山県岡山市灘崎町(現在の岡山市南区)奥迫川の山中に3人を連行。藤本翔士さんを生き埋めにして殺害し、社員男性を「警察に行ったら家族を皆殺しにする。50万円支払え」と脅迫したうえで解放した。

岡田浩次との間で「借金漬けにするから連れて行く」という約束があった岩上哲也さんを岡山市の実行役リーダーの自宅マンションに連れ込もうとするが、岩上哲也さんの状態を知った岡田浩次から「それでは金は取れん。連れてこなくていい」と言われて灘崎町の山中に戻り、岩上哲也さんも同様に生き埋めにして殺害した。

6月22日、解放された社員男性が、東大阪市の布施警察署に届け出る。

6月23日、小林竜司は大阪から母親に「俺が2人殺した。逃げた1人を殺してから自首する」と電話する。

6月24日早朝、加害者ら9人は小林竜司のマンションに集まって「4人でやったことにする」として自首を協議する。午前中に、加害者側の3人が岡山南警察署に出頭して逮捕される。

6月25日午前1時ごろ、小林竜司が玉野警察署に母親らと次男夫婦の車で出頭し逮捕される。

6月27日生き埋めにされた2人の遺体が発見された。いずれの遺体も顔が腫れ上がるなど損傷が激しい状態であった。

28日未明、主犯ら9人全員が逮捕された。なお、当初は小林竜司が事件の主犯格と見られていたが、実際はあくまで殺人にエスカレートさせた人物であり、事件自体の主犯は広畑智規であることが判明する。
東大阪集団暴行殺人事件(小林竜二)
東大阪集団暴行殺人事件(相関関係図)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
2007年3月27日、小林竜司は先に暴行・恐喝を受けたのは自分の仲間の方だったものの、暴行を被害者殺害に至るまでエスカレートさせたことが要因となり、死刑を求刑される。

5月22日、大阪地裁(和田真裁判長)は、被告の反省と更生の可能性を認めながらも、責任は重いとして小林竜司に求刑通り死刑を言い渡した。被告は控訴。

2008年5月20日、大阪高裁(若原正樹裁判長)は1審の死刑判決を支持、小林竜司の控訴を棄却した。

なお、発案者 広畑智規は無期懲役、広畑智規と終始行動を共にしていた白銀資大(当時22歳)は懲役18年、トラブルの発端となった徳満優多は懲役11年、岩上哲也さんを連れてくるよう指示した暴力団関係者岡田浩次は懲役17年がそれぞれ最高裁で確定(岡田浩次は藤本翔士さんが殺害された後に小林竜司の電話によって加担したため、藤本翔士さんへの殺人罪には問われていない)。

小林竜司に最初に電話で相談していた佐藤勇樹は懲役9年、見張り役の佐山大志(当時21歳)は懲役7年、小林竜司と終始行動を共にし、ユンボの操作も担当していた被告は(未成年だったが)懲役15年が2審でそれぞれ確定している。また、深山公園で合流してきた少年2人がいたが、この2人は家庭裁判所送致となった(この2人および徳満優多や佐藤勇樹、見張り役は藤本翔士さん殺害後に帰宅していたため、岩上哲也さんへの殺人罪には問われていない)。

2011年3月25日、最高裁判所(千葉勝美裁判長)は小林竜司の上告を棄却し、同被告の死刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 ・小林竜司・・・死刑判決(大阪拘置所収監中、死刑未執行)
 ・広畑智規・・・2038年5月頃、52歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)
 ・岡田浩次・・・2025年5月頃、49歳(懲役17年)
 ・徳満優多・・・2019年5月頃、32歳(出所)
 ・佐藤勇樹・・・2017年5月頃、30歳(出所)
 ・白銀資大・・・2026年5月頃、40歳(出所)
 ・佐山大志・・・2015年5月頃、28歳(出所)
 ・後輩の少年・・・2023年5月頃、31歳(出所)

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東仙台交番襲撃事件(相沢悠太)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2018年9月19日に宮城県仙台市宮城野区で発生した警察官襲撃事件である。襲撃された警察官1名、および犯人1名が死亡した。

2018年9月19日の午前4時頃、仙台市宮城野区東仙台二丁目の宮城県警仙台東署東仙台交番に 東北学院大3年、相沢悠太(当時21歳)は家族の使っていた自転車を使い訪れた。白いマスクと手袋を着用し、迷彩柄と灰色の二個のウエストポーチを身につけ、黒の半袖シャツに青いジーンズ姿で現れ、「現金を拾いました」と千円札を一枚差し出した。拾得物の手続きは一人で行うことになっていたことから、見張り室で勤務中だったA巡査長が一人でXに対応した。

その直後Xはマシンガン型の連射式エアガンを使用し清野(せいの)裕彰巡査長(当時33歳)の顔面に向けてプラスチック製BB弾を多数発射したとみられ、清野巡査長が咄嗟に身を翻したところをXは刃渡り約20センチの剣鉈状の刃物で背後から左脇腹を刺し、さらに胸、腕、頭、肩をめった刺しにし、10カ所の刺し傷をつけた。そのうち左脇腹からの傷が心臓に達しておりこれが致命傷になった。

怒鳴り声と「パンパンパン」という銃声のような音を聞いて異常事態に気づき、奥側の執務室にいた別の男性巡査部長が見張り室に入ったところ、A巡査長は血を流してうつ伏せに倒れており、床は血にまみれ数十発のBB弾や刃物の鞘、千円札の入った青いポリ袋が散乱していた。相沢はこのとき、左手に刃物を、右手にエアガンを持っていた。

巡査部長が「刃物を捨てろ」と警告したが、相沢はエアガンを構えて向かってきたため巡査部長は拳銃を3発発砲。弾丸は左右上腕と左脇の下に命中し、左肺損傷によりXは失血死した。

通報を受けた仙台東署職員が現場に急行すると、そこには凄惨な光景が広がっており、壁には鮮血の飛沫が散り、血糊が付着したエアガンと刃物が転がっていた。また、清野巡査長はエアガンで撃たれたことにより顔が赤く腫れあがり、10カ所以上の皮下出血があった。

相沢の両親は清野巡査長が刺殺されたことを報道で知り、「交番を襲ったのは息子かもしれません。アウトドア用のナイフが家からなくなっていて胸騒ぎがしました」と取り乱した様子で、19日午前中に仙台東署を訪れた。後に両親からの相談を受けて歯型の鑑定を行い、相沢悠太(当時21歳)本人と断定された。
東仙台交番襲撃事件(相沢悠太)
東仙台交番襲撃事件(清野(せいの)裕彰巡査長)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 被疑者死亡のまま書類送検

❖出所予定(年齢)
 死亡(射殺)

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東広島市女性暴行死事件(50代男性)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年(平成19年)5月4日に広島県東広島市の短期賃貸アパートで、女性の変死体が見つかった事件。

2007年(平成19年)5月4日、山陽新幹線東広島駅の近くにある2階建て短期賃貸アパートの一室で、何者かに頭部や顔面を中心に執拗に殴打された末に死に至ったとみられる女性会社員(当時33歳)の遺体が発見される。

女性は、5日前の4月29日より行方がわからなくなっており、家族は前日の5月3日に東広島警察署に捜索願を出していた。被害女性は、このアパートを4月26日から二週間の契約で借りていたが、家族は誰もそのことを知らなかった。

女性の遺体は、頭部を執拗に殴打されており、水のたまった浴槽に頭から上半身を突っ込んだ状態で発見されたことから、警察は当初、顔見知りによる怨恨からの犯行を疑っていたと報じられていた。

事件発覚から2週間後の5月17日、殺人の容疑で逮捕されたのは、隣の広島市でコンビニを経営しながら副業で探偵業を営んでいた50代男性だった。男性は、探偵業の業務として、女性が行方不明になる一週間前から女性の交際トラブルの相談にのっていたとされる。
東広島市女性暴行死事件(短期賃貸アパート)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 男性は現在、山口刑務所で服役中だが、2012年5月に再審無罪を求めて広島高裁に再審請求書を提出した。

❖出所予定(年齢)
 再審請求中

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東村山市ホームレス暴行死事件(少年X、少年Y、中学生3人)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2002年(平成14年)1月25日に東京都東村山市美住町で発生した少年犯罪。中高生の少年らが意趣返しを動機に、ホームレス男性に対し執拗な暴行を加え死亡させた事件である。

被害者の鈴木邦彦さん(当時55歳)は、事件の現場となった東村山市美住町1丁目の「美住町ゲートボール場」[注釈 1]敷地内の休憩施設に寝泊まりしながら、同市立富士見図書館に出入りするホームレスであった。同図書館は加害者のうちの中学生グループの溜まり場にもなっていた。

中学生グループは、2001年夏ごろより同図書館へ来館しては絵本コーナーに陣取り、時には「声高に談笑したり、携帯電話で大声で話をしたりするなど」の迷惑行為を繰り返していたものの、職員から注意を受ければ従っていた。

事件発生の前日1月24日15時ごろ、中学生3人が来館すると閲覧机に座って以前からの迷惑行為を再開させ、地区館長が再三注意するも従わなかったため、そのうち1人を館長自らが腕をつかんで外へ連れ出したが、すぐに館内へ戻ってきて17時の閉館まで過ごしていた。この際に鈴木さんが口添えをするかたちで中学生グループと館長との間を取り持っていたとされるが、鈴木さんは中学生1人に対し顔面を殴打する体罰を加えており、最初に手を出した事実があった。

事件発生に先立つ当日の1月25日午後、中学生グループの1人が街で偶然見かけた鈴木さんを尾行、居場所を突き止めることに成功したため、2度にわたる襲撃を行った。

その後、22時18分ごろから3度目の襲撃を再開していたところ、中学生グループが通う市立中学校の卒業生で都立高校生の少年X(当時17歳)が22時30分ごろ事件現場をたまたま通りかかり、鈴木さんへの集団暴行に加わる。

さらに少年Xは、鈴木さんのホームレス仲間である2人の男性に叩き割った一升瓶を示しながら「カネを出せ」と凄み、男性B(当時48歳)から1,000円、男性C(当時54歳)から250円を脅し取った。少年Xは「面白いぞ」などと少年Y(当時17歳)を携帯電話で呼び出し、22時50分ごろ事件現場に到着し合流すると、パイプ椅子で身体を殴打、一升瓶で頭部を殴打、石油ストーブを投げつける、頭髪にライターで火をつける、などの暴行を楽しむようにエスカレートさせた。

ついには鈴木さんがもたれて座り込んでいた金属製ロッカーごと倒して、「乗れ」と号令をかけ加害者全員で上に乗って押しつぶした。最後に背中に木の棒を突っ込み両端から吊り上げて運ぶと、臀部を木の棒で突いたりしたあと鈴木さんを発見現場に放置し、少年らは23時10分ごろに犯行を終えた。

ホームレス仲間によると「われわれをごみ扱い」と感じたといい、「ぶらぶらして、何やっているんだ。仕事でもしろ」などと言葉を浴びせられているのも聞こえたという。鈴木さんは1月26日0時8分ごろ、市内の病院で外傷性ショックによる死亡が確認された。

鈴木さんの死亡を報道で知った中学生4人は、同年1月26日午後から夜にかけて、それぞれ保護者に伴われるなどして東村山警察署に出頭した。警視庁少年事件課と同署は4人をすでに特定済みであったとして自首扱いにすることなく、翌1月27日までに傷害致死容疑で14歳の中学2年生3人を逮捕、刑事責任を問えない13歳の中学2年生1人を補導し児童相談所に通告した。


中学生らが出頭し犯行の一部始終を供述したため、警察は17歳の少年2人に対しても取り調べを行ったが、2人は容疑をおおむね否認した。しかし、少年Xが少年Yに、自分たちは中学生らの意趣返しに同調はしたものの、暴行には加わっていないことにしよう、との責任逃れの口裏合わせを持ち掛けていた疑いが強まり、同年1月29日、警察は2人の逮捕に踏み切った。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 当時、前年4月の改正少年法施行によって刑事処分可能年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられ、この事件で中学生グループの中の14歳に達している3人の加害者が、改正後逆送致適用の初のケースとなるかが世間の大きな注目を浴び、やがては衆議院特別委員会でも取り上げられた。同年2月15日、東京地検八王子支部は逆送致を求める意見書を提出するが、3月13日、東京家裁八王子支部(猪俣和代裁判長)は、改正少年法の適用を見送り、初等少年院送致の保護処分を言い渡した。なお、刑事責任を問えない13歳の少年らは児童自立支援施設送致の保護処分になった。

東京地裁八王子支部は、2003年1月31日に少年Y(当時17歳)を懲役2年6月以上5年以下の不定期刑に処す判決を、同年2月4日には少年X(当時17歳)を懲役3年以上5年6ヶ月以下の不定期刑に処す判決をそれぞれ言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 少年X・・・2008年1月頃、22歳、すでに出所(不定期刑で最も重い懲役の5年と仮定 )
 少年Y・・・2008年8月頃、22歳、すでに出所(不定期刑で最も重い懲役の5年6ヶ月と仮定 )
 中学生3人・・・2003年3月頃、15歳、すでに退院(児童自立支援施設にて2年の保護処分)

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光市母子殺害事件(大月孝行)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年(平成11年)4月14日に山口県光市室積沖田の「新日鐵沖田アパート」で発生した殺人・強姦致死・窃盗事件。

加害者の少年 大月孝行(事件当時18歳)は事件当時、実父・継母・弟2人・祖母と6人暮らしだった。大月は幼少期から実母とともに実父から暴力を受け、中学時代には実母が自殺。それ以前から母親に精神的に深く依存していたことから、母の自殺後、少年鑑別所の総合所見によれば「見捨てられたと感じ、心の支えを失った状態になった」とされている。実父は若い外国人女性と再婚し、本事件の約3か月前には異母弟が生まれていた。

大月は中学3年生のころから性行為に強い興味を持つようになり、ビデオや雑誌を見て自慰行為にふけったり、友人とセックスの話をしたりしていたが、次第に性衝動をうっ積させ、早く性行為を経験したいとの気持ちを強めていた。

少年 大月は1999年4月14日午後、「美人な奥さんと無理矢理にでもセックスをしたい」と思い、同じアパート群の自宅から約200 m離れた、事件現場となったアパート(「沖田アパート」:新日本製鐵光製鐵所社宅)の3棟に向かった。この時、Fは「強姦によってでも性行為をしてみたい」という気持ちになっていた一方、「そのようなことが本当にできるのだろうか」と半信半疑に思いつつも、布テープ・こて紐などを携帯し、アパートの10棟から7棟にかけ、排水検査の作業員を装って戸別に訪ね、呼び鈴を鳴らすなどして、若い主婦が留守を守る居室を物色して回った。

その行動を誰からも怪しまれなかったことから、大月は次第に「本当に強姦できるかもしれない」などと自信を深めていった。そして14時20分ごろ、アパート7棟の被害者宅を訪れ、排水検査を装ったところ、本村弥生さん(事件当時23歳)に部屋へ招じ入れられたことなどから、室内に上がりこんだ。

大月は弥生さんを「若くてかわいい女性だ」と思ったことから、「強姦によってでも性行為をしたい」という気持ちを抑えきれなくなり、トイレなどで排水検査をしているふりをしながら様子を窺い、14時30分ごろに弥生さんを強姦しようと企てて背中から抱き着いた。その上で弥生さんを仰向けに引き倒し、馬乗りになるなど暴行を加えたが、大声を出されて激しく抵抗されたため、殺害を決意。仰向けに倒れた弥生さんに馬乗りになった状態で、弥生さんの首を絞めて殺害し、強姦した。

同日15時ごろ、弥生さんの長女 夕夏ちゃん(事件当時生後11か月)が激しく泣き続けたため、犯行の発覚を恐れるとともに、夕夏ちゃんが泣き止まないことに激昂。夕夏ちゃんの首に所携の紐を巻き付け、強く引っ張ることで絞殺した。

事件後、帰宅した被害者 弥生さんの夫である本村洋さんが妻 本村弥生さんの遺体を発見し、本村からの110番通報を受けて駆けつけた山口県光警察署の署員が押入れの上の棚で長女 本村夕夏ちゃんの遺体を発見した。これを受け、山口県警察本部刑事部捜査第一課は光警察署に捜査本部を設置して捜査し、事件から4日後の1999年4月18日に殺人容疑で被疑者として少年 大月孝行を逮捕した。
光市母子殺害事件(大月孝行)
光市母子殺害事件(本村弥生さんと夕夏ちゃん)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2000年(平成12年)3月22日 - 山口地裁(渡辺了造裁判長)は無期懲役判決を言い渡した。山口地検は3月28日付で広島高等裁判所へ控訴した。

2002年(平成14年)3月14日 - 広島高裁(重吉孝一郎裁判長)は第一審・無期懲役判決を支持して検察の控訴を棄却する判決を言い渡した。広島高検は同判決を不服として、同月27日付で最高裁へ上告した。

2008年(平成20年)4月22日 - 差し戻し控訴審の判決公判が行われ、広島高裁(楢崎康英裁判長)は弁護側主張を全面的に退け死刑回避理由にはあたらないとして死刑判決を言い渡した。弁護側は判決を不服として即日上告した。

2012年(平成24年)3月14日 - 大月の弁護団は最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)に上告審判決訂正の申し立てを行っていたが、3月14日付で申し立てを棄却する決定がなされた。このため、同月16日付で大月の死刑が確定した。犯行当時18歳1か月での死刑確定は最高裁が把握していた1966年以降の少年事件で最年少だった。

第1次再審請求は2012年10月29日に提起され、法医学者や心理学者による鑑定結果などが新証拠として提出された。請求の要旨は、殺害行為と殺意および強姦致死の故意について争うほか、犯行時は脳機能障害の影響で心神喪失状態にあった合理的な疑いがあるとするものであった。しかし2015年(平成27年)10月30日、広島高裁第1部(高麗邦彦裁判長)は「証拠には新規性がない」として、大月の再審請求を棄却する決定を出した。弁護団は同年11月2日付で異議を申し立てたが、それも2019年(令和元年)11月7日付で広島高裁(三木昌之裁判長)が棄却する決定を出した。

2020年(令和2年)、弁護団は第2次再審請求を提起し、新証拠として報告書など9点を提出した。

広島高裁(伊名波宏仁裁判長)は2022年3月31日付で、「Fに完全責任能力があったことは明らか」として、請求を棄却する決定を出した。弁護団は同決定を不服として、同年4月5日付で広島高裁に異議を申し立てたが、同高裁(西井和徒裁判長)は2023年3月29日付で、弁護側による異議申し立てを棄却した。弁護側は同決定を不服として、4月3日付で最高裁へ特別抗告したが、同年12月11日付で最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)が特別抗告を棄却する決定を出したため、第2次再審請求も棄却決定が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(広島拘置所収監中、死刑未執行)

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日立妻子6人殺害事件(小松博文)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2017年(平成29年)10月6日に茨城県日立市田尻町二丁目で発生した殺人・非現住建造物等放火事件。

被害者は、小松博文(当時36歳、加害者)の妻 小松恵さん(当時33歳)・長女 夢妃(むうあ)ちゃん(当時11歳)・長男 幸虎(たから)ちゃん(当時7歳)・次男 龍煌(りゅあ)ちゃん(当時5歳)と、双子の三男 頼瑠(らいる)ちゃん、および四男 澪瑠(れいる)ちゃん(ともに3歳)の計6人である。起訴状によれば、小松は2017年10月6日4時40分ごろ、自宅和室で、柳刃包丁(刃体の長さ約22 cm)を用い、就寝中の妻 恵さんや子供5人をそれぞれ複数回刺した。その後、玄関付近にガソリンを撒いた上で、ライターで着火した紙片を、ガソリンを撒いた床に落とすことで放火し、6人を死亡させたとされている。

火災は5時48分に鎮火したが、焼け跡(寝室として用いられていた和室)から、妻 恵さんと息子4人 (幸虎(たから)ちゃん・龍煌(りゅあ)ちゃん・頼瑠(らいる)ちゃん・澪瑠(れいる)ちゃん) が、それぞれ遺体で発見された。同所から発見され、意識不明状態で病院に搬送された長女 夢妃(むうあ)ちゃんも、6時54分ごろ、搬送先の病院(日立市内)で死亡した。死因は、母親 恵さんと長男 幸虎(たから)ちゃんが、それぞれ多発鋭器損傷と急性一酸化炭素中毒の競合によるもの、長女 夢妃(むうあ)ちゃんは多発鋭器損傷による失血が主因、一酸化炭素吸引が従因である。次男Dは肺動脈損傷による心嚢内血腫(心タンポナーデ)、三男Eは急性一酸化炭素中毒、四男Fは失血と急性一酸化炭素中毒の競合である。

小松は犯行後、ガソリンをかぶって自殺することを考えていたが、犯行直後に下半身の着衣に引火。その熱さに耐えきれず逃げ、他の方法で自殺を考えて公園に行ったものの、最終的には何もできなかった。同日5時ごろ、小松は日立警察署(茨城県警察)に「家族を殺して自宅に放火した」と自首。病院に搬送された恵さんの体に複数の刺し傷・切り傷が確認されたことから、日立署は小松を 恵さんへの殺人容疑で逮捕(緊急逮捕)した。その後、10月26日には妻と残る子供4人(計5人)への殺人容疑と、現住建造物等放火容疑でも再逮捕されている。
日立妻子6人殺害事件(小松博文)
加害者の小松博文
日立妻子6人殺害事件(小松博文に殺された)
一番右、妻 小松恵さん
日立妻子6人殺害事件(小松博文に殺された子供たち)
右から、長女 夢妃(むうあ)ちゃん(当時11歳)・長男 幸虎(たから)ちゃん(当時7歳)手前・次男 龍煌(りゅあ)ちゃん(当時5歳)と、双子の三男 頼瑠(らいる)ちゃん、および四男 澪瑠(れいる)ちゃん(ともに3歳)

❖判決内容(判決内容・判決時期)
2021年6月30日の判決公判で、水戸地裁(結城剛行裁判長)は小松に求刑通り死刑を言い渡した。

小松は判決を不服として、2021年7月1日付で東京高裁へ控訴した。

2021年4月21日に控訴審判決公判が開かれ、東京高裁(伊藤雅人裁判長)は原判決に対する小松の控訴を棄却する判決を言い渡した。弁護側は判決を不服として、同日付で最高裁へ上告した。

同高裁は小松の記憶喪失を認定した一方、物事の理解力や判断力、意思疎通能力は障害されておらず、小松は弁護人から援助を受ければ裁判を受けることができる状態にあったと判断し、弁護側の「小松は記憶喪失のため、訴訟能力が認められない」という法令違反の主張を退けた。また、弁護側が同時に展開していた事実誤認・量刑不当の主張も退け、犯行には一定の計画性があったと認定。動機についても、妻と懇意にしていた男性に家族を取られたくないというものだったと認定し、犯行の残虐性や動機の身勝手さ、結果の重大性などから、死刑を回避すべき事情は認められないと判断した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(東京拘置所収監中、死刑未執行)

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日野OL不倫放火殺人事件(北村有紀恵)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1993年(平成5年)12月14日、東京都日野市で発生した放火殺人事件であり、幼児2人が焼殺された事件である。

1993年(平成5年)12月14日、東京都日野市に在住する原田幸広は、出社するために妻が運転する自動車で鉄道の最寄駅に向かった。原田幸広の職場の部下で原田幸広の不倫相手だった北村有紀恵(当時27歳)は、そういった原田幸広の通勤経路・時間帯を熟知していた。事件当日、北村有紀恵は保有していた原田幸広宅の玄関ドアの鍵を使用して、原田幸広夫妻の不在時間帯に原田幸広の自宅に侵入。原田幸広宅の室内で就寝中だった原田幸広の長女(当時6歳)と長男(当時1歳)にガソリンを散布して放火し、幼児2人を殺害。原田幸広の自宅を全焼させた。

原田幸広と元不倫相手 北村有紀恵との不倫関係は、原田幸広の妻に関係が発覚した後に終了していた。しかし、元不倫相手 北村有紀恵の原田幸広に対する恋愛感情や、北村有紀恵と原田幸広夫妻との間に発生した紛争から、警察は北村有紀恵は原田幸広に対して怨恨感情を持っていたと推測。北村有紀恵が真犯人の可能性が高い被疑者と推定していた。しかし、警察は公判を維持し有罪判決を獲得するために必要で十分な証拠を集積できず、北村有紀恵の逮捕に踏み切れない状況だった。が、北村有紀恵は父親に説得され、警察の捜査が身辺に迫ったことを察知して、翌年の1994年(平成6年)2月6日午後、警察に出頭。
日野OL不倫放火殺人事件(北村有紀恵)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 1996年1月19日、東京地裁は北村有紀恵に対して、検察の主張を全面的に認定して、検察の求刑どおり無期懲役の判決を下した。被告人と弁護人は、裁判所が検察の主張を全面的に認定したのは被告人の精神的及び肉体的被害が考慮されておらず、量刑が過重であると言う理由で6日後に控訴した。

1997年10月2日、東京高裁は地裁の判決を維持し、被告人・弁護人の控訴を棄却した。被告人と弁護人は、裁判所が検察官の主張を全面的に認定したのは被告人の精神的及び肉体的被害が考慮されておらず、量刑が過重であると言う理由で上告した。

2001年7月17日、最高裁は地裁の判決を維持し、被告人・弁護人の上告を棄却。北村有紀恵の無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2031年7月頃、65歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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姫路2女性殺害事件(高柳和也)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2005年1月9日に兵庫県姫路市で発生した2女性殺人・死体損壊事件である。

2005年1月20日、当時23歳の女性会社員(以下、畠藤未佳さん)と、畠藤さんの高校時代からの友人である23歳の女子専門学校生(以下、谷川悦美さん)が失跡した。畠藤さんの室内には現金がそのまま残されていたため、事件性を感じた畠藤さんの両親が姫路警察署に捜索願を出した。畠藤さんの両親は連日姫路警察署に相談しに行ったが、担当の刑事は「年間1200人もの捜索願が出ているので、相手できない」と相手にせず、捜査に動こうとしなかった。

1月22日、姫路警察署ではまともな捜査が行われないと考えた畠藤さんの両親は、知人のつてを頼り兵庫県警警察官の飛松五男巡査部長と接触。畠藤さんの両親は飛松に対し、畠藤さんが失踪する少し前に、畠藤さんが「ウエダ」と名乗る男を彼氏として連れてきたこと(以下、男を高柳和也)、高柳は29歳で資産家の息子だと言っていたことを伝え(実際は39歳)、高柳の調査を依頼した。飛松は「ウエダ」の車のナンバーから高柳の本名と住所を突き止め、高柳を張り込むのと同時に姫路警察署に通報した。

1月29日、飛松の調査結果に基づき、姫路警察署は署員2名を高柳和也の自宅へ向かわせた。署員は高柳の同意を得て室内に入り調査したところ畠藤さんはおらず、代わりに手錠をかけられて意識がもうろうとした別の少女(以下C)を確認した。署員がCに質問したところ、Cが「帰らへん」「ここにおる」と答えたため、また、高柳に任意同行を求めたが断られたため、そのまま引き上げてしまった。

姫路警察署の対応に納得がいかなかった畠藤さんの両親は再び飛松に応援を求めた。飛松が高柳の自宅前にてTを尋問したところ、高柳が覚醒剤を打っているような反応を示したために、飛松は高柳を問い詰めた後に相生警察署へ通報した。通報から1時間半後に相生警察署が駆けつけ男を連行しCを保護、翌日の1月30日に覚醒剤取締法違反により男は緊急逮捕された。

逮捕から3か月後の4月12日、高柳は畠藤さんとその友人谷川さんを殺害し、遺体をバラバラにして海や山に捨てたことを自供した。

また、高柳についての前科も報じられた。高柳は事件を起こす4年前に車の追突事故を起こし、27歳の主婦と2歳次女を死亡させ、4歳長女にも重傷を負わせた。高柳は1年2か月の実刑判決を受け服役、仮出所から2か月余りしか経過していなかった中での殺害事件であった。

2009年5月10日、兵庫県警は男を死体遺棄容疑で再逮捕。5月20日には殺人罪で再逮捕した。また被害者の遺体の一部が発見された。
姫路2女性殺害事件(高柳和也)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2010年3月17日、神戸地方裁判所姫路支部で死刑判決が下された。男は即日控訴したが、2010年10月15日、大阪高等裁判所は被告側控訴を棄却した。その後上告したが、2013年11月25日に最高裁判所第1小法廷により上告が棄却され、死刑が確定した。

2021年現在、男は大阪拘置所に収監されている。一方、頭部などの被害者の遺体は未だに発見されていない。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(大阪拘置所収監中、死刑未執行)

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平塚5遺体事件(岡本千鶴子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2006年(平成18年)5月1日から同月2日にかけ、神奈川県平塚市のアパートで新生児を含む計5人の遺体が見つかった事件。

1984年(昭和59年)12月28日、神奈川県平塚市で自身の子供 利英くん(行方不明当時6歳)が自宅前で遊んでいるのを最後に行方不明となる事件が発生。母親 岡本千鶴子(当時32歳)は「買い物から帰ったら利英くんが行方不明になっていた」と周囲に話し、捜索願を提出。岡本千鶴子はテレビに出演し、大々的に捜索を呼びかけたが成果はなかった。2002年頃から岡本千鶴子は周囲に「利英は北朝鮮に拉致された」と主張するようになった。

2006年5月1日午前11時頃、岡本千鶴子が住んでいた神奈川県平塚市のアパートから、男性 山内峰宏さん(岡本千鶴子の前夫(故人)の連れ子・当時35歳)と女性 利加香(りかこ)さん(岡本千鶴子と前夫の実娘・当時19歳)(山内峰宏さんと利加香さんは異母兄妹)の遺体を、山内峰宏さんの実母が発見。当初は無理心中と思われたが、捜査を進めていくうちに、翌日段ボール箱に乳児2人の遺体と男児1人の遺体が見つかり、計5人の遺体が確認されることになった。

遺体発見時、山内峰宏さんのすぐそばに「死にたい。利加香さんと一緒になりたい」という内容の遺書らしきものがあった。そのため、「近親相姦の末による自殺」という筋書きが推理できないわけでもなかった。だが同時に、室内には母親 岡本千鶴子が書いたと思われる「娘を殺してしまった」というメモが発見され、これにより事件は急展開を見せる。

同年5月3日、2006年3月以降に神奈川県平塚市のアパートから行方を晦ましていた岡本千鶴子(当時54歳)が、利加香さんに対する殺人容疑で逮捕される。利加香さんは2005年10月12日以降の目撃証言がなく、mixiの日記の更新も途絶えたことから、この時期に殺害されたと推測される。

10月12日以降、利加香さんの知人がメールを送った際、利加香さんの携帯から「入院していた」旨の返信が複数あったが、これらは岡本千鶴子の生存偽装工作であると考えられた。残り3人の遺体も岡本千鶴子の子供である可能性が高まり、5人の遺体は全員が岡本千鶴子に殺害されたのではないかという疑いも持たれた。

しかし、山内峰宏さんに関しては遺書があったため2006年3月に自殺したと認定された。また、残り3人の遺体に関しては死後20年近く経過しているがすべて岡本千鶴子の子供であり(乳児2遺体は利加香さんが生まれた前後に生まれている)、男児1人の遺体は1984年に捜索願が出されていた長男の利英くんであることが判明。

この3遺体に関して母親である岡本千鶴子による犯行嫌疑の側面から捜査をしたが、公訴時効の壁(殺人罪は15年・死体遺棄罪は3年)があったため、岡本千鶴子は利英くんと乳児2人の死に関しては刑事訴訟で裁かれることはなかった。また、山内峰宏さんの死体遺棄罪については、山内峰宏さんの自殺前から岡本千鶴子がアパートを出た後に立ち入っていた形跡が確認できないとして、岡本千鶴子の起訴はされなかった。

岡本千鶴子は知人らに多額の借金の返済を迫られており追い詰められた状況にあったという。いずれにせよ生き残っているのが岡本千鶴子のみである以上、関係者の証言としては岡本千鶴子の証言が第一に取り上げられるという問題があった(岡本千鶴子には元夫と内縁の夫がいたものの、2人とも事件発覚時には死亡している。なお元夫は自然災害に巻き込まれ災害死、内縁の夫は容疑者と関わっている最中に病没)。
平塚5遺体事件(岡本千鶴子)
平塚5遺体事件(相関関係図)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年7月23日、横浜地方裁判所は「遺体を長期間放置し、周囲に利加香さんの生存を装うなど不自然。母親としての情愛を感じられない冷血な犯行。山内峰宏さんに利加香さんを殺害する動機はない」として懲役12年の判決が言い渡された。

殺害を仄めかすメモが重要な証拠となって有罪となったが、動機も不審死の真相も分かっていない状況である。岡本千鶴子(当時54歳)は控訴したが、2008年(平成20年)10月23日に東京高等裁判所は控訴を棄却。

❖出所予定(年齢)
 2020年8月頃、66歳(出所)

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平野区母娘殺害事件(文青児)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2011年(平成23年)6月24日に大阪府大阪市平野区のマンションで発生した在日韓国人の母娘に対するストーカー殺人事件。

文青児(当時36歳)は被害者母 金玉香さん(当時61歳)、次女(娘)の裕美さん(当時27歳)の元交際相手で以前に勤めていた会社の同僚だった。事件前には娘の顔面を殴打する事件を起こすなど、裕美さんに執拗に付きまとっていた。裕美さんにはそのことが原因で仕事を辞めている。知人にストーカーの存在を明らかにしていた。また、裕美さんの携帯電話には文青児から大量の嫌がらせメールが送りつけられていた。事件当時には被害者宅の固定電話は元交際相手の文青児からの着信を拒否する設定がなされていた。事件前日の6月23日には男が娘に接触を図ろうとしたが避けられていた。

2011年(平成23年)6月24日、母娘が住むマンションに文青児が押し入り、執拗に刃物でめった刺しにするとそのまま逃亡し母娘を死に至らしめたとされている。司法解剖によって24日午前中に事件が起きたと推定されている。

2011年7月8日、大阪府警察本部は金裕美さんの元同僚・交際相手だった在日朝鮮人の文青児の身柄を確保した。
平野区母娘殺害事件(文青児)
平野区母娘殺害事件(金玉香さん、裕美さん)
❖判決内容(判決内容・判決時期)

 警察は容疑者が事件直前に軍手などを購入していることから計画的犯行であったとしている。しかし男は事件への関与を否定。7月29日、大阪地検地方検察庁は男を殺人罪・住居侵入罪で大阪地方裁判所へ起訴。2012年(平成24年)5月23日、大阪地方裁判所(遠藤邦彦裁判長)は被告に対して求刑通り無期懲役を言い渡した。検察、弁護側共に控訴せず判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2042年5月頃、67歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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平野区市営住宅殺人事件(未公表)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2011年(平成23年)7月25日に大阪府大阪市平野区で当時42歳の引きこもり状態の男が実姉を殺害した事件。一審判決では精神鑑定でアスペルガー症候群と診断された男に対する判決が波紋を呼んだ。

男は小学校高学年の頃から不登校になり、以後約30年間引きこもるようになった。転校することなどを聞き入れなかったのを全て姉のせいだと思い事件にいたった。

2011年(平成23年)7月25日、自宅に生活用品を届けに来た姉(当時46歳)を刺殺し逮捕された。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 弁護側は精神鑑定で男にアスペルガー症候群があり心神耗弱状態だったとして保護観察付きの執行猶予を求めていた。一方で検察側は懲役16年を求刑した。

2012年(平成24年)7月30日、大阪地方裁判所は「家族が同居を望んでいないため社会の受け皿がなく、再犯の可能性が心配される。許される限り刑務所に収容することが社会秩序の維持にも役立つ」とし、検察側の求刑より重い懲役20年を言い渡した。

弁護側はこの判決を不服として控訴し、2013年(平成25年)2月26日の大阪高等裁判所は「一審判決はアスペルガー症候群の影響を正当に評価していない」「十分に反省を示せないのは同症候群の影響。それなりの反省を深めつつあり、再犯可能性を推認させる状況でない」として、1審判決を破棄し懲役14年の判決を言い渡した。

2013年7月22日、最高裁判所は被告の上告を棄却する決定を行い、これにより2審判決が確定した。


❖出所予定(年齢)
 2028年7月頃、58歳(懲役14年)

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平野母子殺害事件(未解決事件)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 大阪府大阪市平野区で2002年(平成14年)4月14日に発生した殺人・放火事件。

2002年(平成14年)4月14日、大阪府大阪市平野区のマンションで、主婦 森まゆみさん(当時28歳)が犬の散歩用のひもで首を絞められて殺害され、長男 瞳真ちゃん(当時1歳)は浴槽に沈められて水死。その後にマンションの部屋が放火された。
平野母子殺害事件(森健充被告・・・未解決事件)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 捜査の過程で、森健充(たけみつ)被告(当時59歳)は被害者夫婦の借金の連帯保証人となっていたこと、森健充被告が被害女性に夫婦の生活に干渉したり脅迫したりするメールを送っていたことが判明。恋愛感情が受け入れられなかったことや連帯保証した借金を滞納して夫婦が行方をくらましたことに憤り、母子を殺害して証拠隠滅のために放火したことが犯行動機とされた。しかし、森健充被告が犯行を否認し、直接証拠がなかったため、公判では間接証拠の信用性と評価が最大の焦点となった。

検察側は、

マンション階段の灰皿にあった吸い殻のだ液成分と森健充被告の血液のDNA型が一致する。
犯行時間帯に森健充被告の車を複数の住民が目撃している。
犯行時間帯に携帯電話の電源を切るなど森健充被告が不可解な行動をしている点。
犯行日に妻を迎えに行くという約束を果たしていない。
などを挙げ、森健充被告が犯人であると主張した。

一方、弁護側は、

マンションには行ったことはなく、被害者宅の住所は知らなかった。
森健充被告は被害者に携帯灰皿を渡した事があり、そこに残っていた吸い殻が被害者の手によってマンション階段の灰皿に捨てられた可能性がある。
犯行時間帯にマンション近くに駐車したことは認めるが、行方をくらませた被害者を探していたためである。
と主張し、無罪を主張した。

2011年(平成23年)12月5日、差し戻し審の大阪地方裁判所(水島和男裁判長)で、検察側はあらためて死刑を求刑したが、2012年3月15日に無罪判決が言い渡された。これに対し、検察側は控訴した。凶器となった犬のリードなど、複数のDNA鑑定が新たに実施された為、控訴審が中断されていたが2016年に再開された。2017年3月2日に大阪高裁(福崎伸一郎裁判長)は検察の控訴を棄却した。検察側は上告せずに森健充被告の無罪が確定した。確定の時に森健充被告は59歳であり定年に達していなかったため起訴休職を解かれ刑務官として法務省に復職した。

❖出所予定(年齢)
 無罪

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広島・岡山独居老人強盗殺人事件(片岡清)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2003年(平成15年)9月に広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で一人暮らしの女性が、2004年(平成16年)12月に岡山県井原市で一人暮らしの蕎麦屋店主男性が殺害された事件。

2003年(平成15年)9月28日、無職の片岡清(当時71歳)は、広島県東城町に住む一人暮らしで裕福なお年寄りがいるとの情報を聞きつけ家を探したが、名前を忘れたため勘違いをして女性 村田ミサオさん(当時91歳)が一人暮らししている家に侵入した。部屋を物色中、村田さんに目撃されたため首を両手で絞殺して逃走した。広島県警は当時片岡を二度にわたって事情聴取したが、自供を得られず、証拠も無かったため立件を見送った。

翌年12月10日、片岡は岡山県井原市の蕎麦店主の男性 片山広志さん(当時76歳)をバールで殴って撲殺し、現金5万円などを奪って逃走した。その4日後の同月14日、片岡は広島市内で無免許運転の現行犯で逮捕され、警察の取調べで、岡山と広島の殺害事件を自供したため、再逮捕された。
広島・岡山独居老人強盗殺人事件(片岡清)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 片岡はその後の公判で「脅して金を借りようと思っただけで、殺すつもりはなかった」と主張を変えて殺意を否定した。検察は広島の事件について「首を絞めた後、ビニールひもで縛り、布団をかけて発見されるのを防いだ」として殺意を指摘、岡山の事件についても犯行後にもバールなどを購入していたことを挙げて「人命軽視の傾向が見られ、第3、第4の事件が起きていたかもしれない」と再犯の可能性を示した。さらに「犯罪史上まれに見る凶悪事件」と犯行の残忍性を指摘し、死刑を求刑した。松野裁判長は広島の事件について「被害者を一時的に気絶させるつもりだった」として強盗致死罪と認定し無期懲役とした。検察は量刑不当を理由に控訴した。

控訴審においては「被告は自己に有利なように供述を変遷させており、一審での供述は信用性に欠ける」として広島の事件について強盗致死罪とした一審の判決が破棄され、強盗殺人罪と認定し死刑判決が下された。弁護側の上告は最高裁により棄却され片岡の死刑が確定した。

片岡は広島拘置所に収監されていたが、上告中の2008年10月、アルツハイマー病と診断され、死刑確定後には嚥下性肺炎などを併発した。再審請求手続きの弁護人に選任された弁護士が準備し再審請求を行っていたが、本人は認知症が進行していた。2016年1月、意識不明の重体となり、治療のため拘置所外の病院に入院したが、同年2月14日、アルツハイマー病に伴う摂食障害と老衰のため病院にて死亡した。84歳没。

❖出所予定(年齢)
 死亡(病没)

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広島小1女児殺害事件(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2005年(平成17年)11月22日に広島県広島市安芸区矢野西で帰宅途中の女子児童がペルー人の男によって強制わいせつのうえ、殺害された事件。

11月22日午後、下校途中の女子児童 木下あいりちゃん(当時7歳)が学校を出てから行方不明となり、同日17時頃に空き地に放置されていた段ボール箱の中から遺体となって発見された。

この日は来春に入学する児童の就学前検診のために午前で授業が終わり、12時30分頃には下校だった。普段は一緒に下校している友達が早退していたため、あいりちゃんは一人で下校していた。

死因は絞殺による窒息死で、推定死亡時刻は13時から14時。

広島県海田警察署の捜査により、遺体が入れられていた段ボール箱から東広島市のホームセンターで売られていたガスコンロを購入した顧客が割り出された。これを受けて29日夜、事件現場の近所に住んでいた自称・ペルー人の男 ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ(当時30歳と自称していたが、後に33歳であることが判明)が指名手配され、この男は翌30日に三重県鈴鹿市内の親族宅で逮捕された。
広島小1女児殺害事件(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 やり直し第二審が行われた広島高裁では、2010年7月28日、ホセに殺意があり猥褻目的による犯行であり、刑事責任能力が事件当時あったことを認めた上で、殺害人数が1人であること、計画的犯行でなかったこと、十分ではないが反省の態度を示していることなどから「一審判決が軽すぎるとはいえない」、犯罪の性質や動機、犯行態様の残忍性から「弁護側の主張を考慮しても一審判決が重すぎるとはいえない」として、無期懲役を言い渡した一審判決を支持し、検察側・弁護側の各控訴を棄却した。この判決に対し検察側は最高裁への上告を検討したが、判例違反であると上告するのは困難であるとして断念した。またホセ側も上告しなかったため無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2040年4月頃、63歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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工事中



※最後に
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