◆ドキュメント
作成日付:2024/10/12
更新日付:2025/07/29
更新日付:2025/07/29
<目次>
広島少女集団暴行殺害事件(野村美輝)
広島市の専修学校の女子生徒 黒瀬恵利華さん(当時16歳)が2013年6月28日未明に少年少女ら7人に暴行された末に殺害、遺棄された事件。
広島県広島市の専修学校の女子生徒 黒瀬さんが、無料通信アプリ「LINE」で書き込んだメッセージに友人の少女 野村美輝(主犯格、当時16歳)が立腹。仲間ら少年少女合計6人と共謀して2013年6月28日、黒瀬さんを集団暴行の末に殺害。遺体を同県呉市にある灰ヶ峰に遺棄した。
❖判決内容(判決内容・判決時期)◆2013年
10月15日 広島家裁は、荒当葉月(当時16歳)、河野那奈(当時16歳)の2人を中等少年院送致する事を決定。
10月17日 広島家裁は、主犯格 野村美輝(当時16歳)、成田奶哉(だいすけ・当時16歳)、持田竜也(当時16歳)の3人を逆送致する事を決定。
10月30日 広島家裁は、持田竜也(当時16歳)を中等少年院送致する事を決定。
◆2014年
10月24日 広島地裁は、瀬戸大平(当時21歳)に懲役14年の判決。
10月24日 広島地裁は、主犯格 野村に懲役13年の判決。
12月3日 広島地裁は、に成田に懲役10年の判決。
◆2015年
3月26日 広島高裁は、瀬戸の控訴を棄却。
3月30日 広島高裁は、主犯格 野村の控訴を棄却。
6月30日 広島高裁は、成田の控訴を棄却。
❖出所予定(年齢)
荒当葉月・・・2016年10月頃すでに退院、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)
河野那奈・・・2016年10月頃すでに退院、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)
河野那奈・・・2016年10月頃すでに退院、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)
野村美輝(主犯格)・・・2027年10月頃、29歳(懲役13年)
瀬戸大平・・・2028年10月頃、35歳(懲役14年)
成田奶哉・・・2024年10月頃、86歳(懲役15年)
持田竜也・・・2016年10月頃すでに退院、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)成田奶哉・・・2024年10月頃、86歳(懲役15年)
ページ上に戻る
広島タクシー運転手連続殺人事件(日高広明)
1996年(平成8年)4月18日 - 9月14日に広島県内(広島市およびその近郊)で女性4人が相次いで殺害された連続殺人事件。

◆A事件(第1の事件)事件発生:1996年4月18日22時50分ごろ(殺害時刻)
日高広明(当時34歳)は勤務中の1996年4月18日20時に流川・薬研堀一帯をタクシーで流し、売春・援助交際のメッカとして知られていた新天地公園を通りかかった際、公園で呉市の定時制高校1年の宮地里枝さん(当時16歳)を見つけ「遊ばないか?」と声を掛けた。
宮地さんが料金2万円で応じたため、日高は宮地さんをタクシーに誘い乗車させるとコンビニエンスストアで缶ビールを購入し、21時ごろに広島駅付近のラブホテルに入った。そのまま2人で缶ビールを飲み、日高はAに2万円を渡したが、宮地さんは身の上話として「行方不明になった父親の借金を返済するため大阪から広島まで働きに来た。あと10万円返せば完済できる。今日はその返済日だから10万円を用意して、広島駅から呉駅(呉市)に行く」と話した。
日高はこの話を聞いて内心「やられた」と思いつつも「なんか(セックス)するのは悪いね」と言って宮地さんに呉市まで送っていくことを約束し、宮地さんをタクシーの助手席に乗せ、呉市(広島市中心街から約20 km先)方面へタクシーを走らせた。
宮地さんが料金2万円で応じたため、日高は宮地さんをタクシーに誘い乗車させるとコンビニエンスストアで缶ビールを購入し、21時ごろに広島駅付近のラブホテルに入った。そのまま2人で缶ビールを飲み、日高はAに2万円を渡したが、宮地さんは身の上話として「行方不明になった父親の借金を返済するため大阪から広島まで働きに来た。あと10万円返せば完済できる。今日はその返済日だから10万円を用意して、広島駅から呉駅(呉市)に行く」と話した。
日高はこの話を聞いて内心「やられた」と思いつつも「なんか(セックス)するのは悪いね」と言って宮地さんに呉市まで送っていくことを約束し、宮地さんをタクシーの助手席に乗せ、呉市(広島市中心街から約20 km先)方面へタクシーを走らせた。
22時50分、宮地さんが身をかがめて後部座席に回ったところ、日高はネクタイを緩めて運転席を降り、背後から宮地さんに忍び寄るとネクタイを宮地さんの首に巻き付けて絞めつけ、宮地さんを窒息死させて絞殺した。
◆B事件(第2の事件)事件発生:1996年8月13日0時50分ごろ
1996年8月12日夜、日高は「自分と接点のない売春婦を殺害して所持金を奪おう」と計画した上で、再び新天地の繁華街をタクシーで流しながら次の標的として「男から声を掛けられるのを待つ売春婦」を物色した。「ホテルを出てから殺せばセックスもタダでできる」と考えていた日高は新天地公園で見つけた古月理江さん(当時23歳)に声を掛け乗車させた。
車中で現金3万円を渡して安心させた上でラブホテルに入ったが、古月さんは「自分の父親は暴力団組員だ。怒ると何をするかわからない」と話した。日高は「それは怖いね」と返しながら古月さんと性行為をし、翌日(1996年8月13日)になって2人でラブホテルを出るとコンビニに立ち寄り缶ビール・軍手を購入した上で山道に入った。
車中で現金3万円を渡して安心させた上でラブホテルに入ったが、古月さんは「自分の父親は暴力団組員だ。怒ると何をするかわからない」と話した。日高は「それは怖いね」と返しながら古月さんと性行為をし、翌日(1996年8月13日)になって2人でラブホテルを出るとコンビニに立ち寄り缶ビール・軍手を購入した上で山道に入った。
1996年8月13日0時50分ごろ、日高は「太田川橋」付近で突然タクシーを停車し、A事件の時と同じく燃料切り替えスイッチの操作でエンジンを停止させてエンストを装い、タクシーのエンジンの仕組みを知らない被害者Bを油断させた。
その上で古月さんに「(この車は)よく故障するんだよ」と言って床のシートをめくるよう頼み、軍手を嵌め古月さんの背後からネクタイで古月さんの首を絞めた。古月さんは咄嗟に自分の首とネクタイの間に右手を差し込んで抵抗し、「さっきの『父親がヤクザだ』という話は嘘だ。金は返すから許して」と命乞いしたが、日高はそれを聞き入れずに古月さんの首を絞め続けて古月さんを絞殺した。
その上で古月さんに「(この車は)よく故障するんだよ」と言って床のシートをめくるよう頼み、軍手を嵌め古月さんの背後からネクタイで古月さんの首を絞めた。古月さんは咄嗟に自分の首とネクタイの間に右手を差し込んで抵抗し、「さっきの『父親がヤクザだ』という話は嘘だ。金は返すから許して」と命乞いしたが、日高はそれを聞き入れずに古月さんの首を絞め続けて古月さんを絞殺した。
◆C事件(第3の事件)事件発生:1996年9月7日23時50分ごろ(殺害時刻)
1996年9月7日、日高は22時30分を過ぎても運賃収入が30,000円止まりで目標とした運賃収入50,000円に届かなかったため、不足分の運賃収入を補い、遊興費も稼ぐ目的で売春婦を殺害して金を奪うことを決意した。
23時ごろ、日高は広島市南区内の路上でいつも客待ちしていた藤山万里子さん(当時45歳)をタクシーに誘い入れ、藤山さんに「どこか遠くで遊ぼうか」と提案して3万円を渡し「タクシーの中でしてもいいかな?」と提案して承諾を得ると、途中でコンビニに立ち寄って藤山さんに缶ビールを買わせた。しかし日高は以前から遺棄現場として考えていた加計町方面へ向かった一方、なかなか藤山さんと性行為をする気にはならなかった。
23時ごろ、日高は広島市南区内の路上でいつも客待ちしていた藤山万里子さん(当時45歳)をタクシーに誘い入れ、藤山さんに「どこか遠くで遊ぼうか」と提案して3万円を渡し「タクシーの中でしてもいいかな?」と提案して承諾を得ると、途中でコンビニに立ち寄って藤山さんに缶ビールを買わせた。しかし日高は以前から遺棄現場として考えていた加計町方面へ向かった一方、なかなか藤山さんと性行為をする気にはならなかった。
1996年9月7日23時50分ごろ、日高は真っ暗な山道にタクシーを停車して藤山さんに「俺は後ろからするのが好きだ。四つん這いになってくれ」と後背位で性行為をするよう求めた。
日高からの申し出を承諾した藤山さんは後部座席で背を向け、下着を脱いで腰を突き出したが、日高はネクタイ・ズボンのベルトを緩めて唸り声を上げながら藤山さんにのしかかった。藤山さんは危険を察知して振り返り、日高に「何をするの!」と叫んだが、日高はベルトを引き抜いて被害者Cの首に回して絞め上げ、激しい抵抗にも躊躇せずCを絞殺した。
日高からの申し出を承諾した藤山さんは後部座席で背を向け、下着を脱いで腰を突き出したが、日高はネクタイ・ズボンのベルトを緩めて唸り声を上げながら藤山さんにのしかかった。藤山さんは危険を察知して振り返り、日高に「何をするの!」と叫んだが、日高はベルトを引き抜いて被害者Cの首に回して絞め上げ、激しい抵抗にも躊躇せずCを絞殺した。
◆D事件(第4の事件)事件発生:1996年9月14日2時10分ごろ(殺害時刻)
C事件から1週間が経過した1996年9月13日22時ごろ、日高は「3人殺そうが4人殺そうが大して変わらない」などと考えつつ、広島市中区内でタクシーに(ロマンス洋子さん(当時32歳)とは別の)女性客を乗車させた。
一方で洋子さんは同じく22時ごろに中区銀山町の路上で目撃された後、14日0時前後に近所の知人女性へ封筒に入れた現金数万円を「物騒だから預かってほしい。朝には受け取りに来る」と預けていた。日高は前述の女性客を約2時間待った末に見逃してしまったために売上金が少なく、目標の運賃収入に届かなかったため「今日中に売春婦を殺して金を奪いたい」と決意し、偶然見かけた洋子さんを新たな標的に決めた。
日高は一度洋子さんに声を掛けてタクシーに乗車させ、停車した車内で10分ほど話をしたが、缶ビールを購入するためにいったん車外に出てから車に戻ると洋子さんが姿を消していた。日高は「逃げられた」と舌打ちしたが、日付が変わった1996年9月14日0時すぎにホテルの前で再び洋子さんと邂逅し、4万円を提示して洋子さんから性行為をする了承を得ると、「今夜はちょっと遠くに行ってやろう」とタクシーを発進させ、殺害現場へ向かう途中でコンビニに立ち寄って洋子さんに缶ビール・つまみを購入させた。そして日高は洋子さんを交通量がほとんどない佐伯区のダム付近で殺害することを決意し、その近くのラブホテルで性行為をした。
一方で洋子さんは同じく22時ごろに中区銀山町の路上で目撃された後、14日0時前後に近所の知人女性へ封筒に入れた現金数万円を「物騒だから預かってほしい。朝には受け取りに来る」と預けていた。日高は前述の女性客を約2時間待った末に見逃してしまったために売上金が少なく、目標の運賃収入に届かなかったため「今日中に売春婦を殺して金を奪いたい」と決意し、偶然見かけた洋子さんを新たな標的に決めた。
日高は一度洋子さんに声を掛けてタクシーに乗車させ、停車した車内で10分ほど話をしたが、缶ビールを購入するためにいったん車外に出てから車に戻ると洋子さんが姿を消していた。日高は「逃げられた」と舌打ちしたが、日付が変わった1996年9月14日0時すぎにホテルの前で再び洋子さんと邂逅し、4万円を提示して洋子さんから性行為をする了承を得ると、「今夜はちょっと遠くに行ってやろう」とタクシーを発進させ、殺害現場へ向かう途中でコンビニに立ち寄って洋子さんに缶ビール・つまみを購入させた。そして日高は洋子さんを交通量がほとんどない佐伯区のダム付近で殺害することを決意し、その近くのラブホテルで性行為をした。
日高は1時50分ごろに洋子さんとともに2人でホテルを出ると、タクシーの後部座席にDを乗車させて廿日市市方面へ向かい、1996年9月14日2時すぎに人気のない田舎道(殺害現場)でタクシーを停車した。その上でA・B両事件の時と同じく燃料切り替えスイッチでエンジンを停止させてエンストを装い、タクシーのエンジンの仕組みを知らない被害者Dを油断させ、洋子さんに「足元のシートをめくってほしい」と申し出た。
そして洋子さんが屈みこんでいる間にネクタイをほどいたところ、洋子さんが顔を上げて「なんか怖い」と言ったため、日高は洋子さんに笑みを浮かべながらネクタイを座席に掛けた。しかし洋子さんが「一人で帰る」と言い出してタクシーのドアを開けて車外へ飛び出したため、日高は「警察に駆け込まれたら終わりだ」と思ってタクシーを急発進させ、洋子さんを追いかけながら「ちゃんと(家まで)送るから乗ってくれ」と声を掛けたが、洋子さんは走って逃げながらショルダーバッグから1万円札4枚(現金40,000円)を取り出し「もうお金はいらないから」と叫びながら日高に投げつけた。
これに逆上した日高はタクシーを加速させて洋子さんの前に回り込むと、車外に出て洋子さんの行く手を塞ぎ、立ちすくんでいた洋子さんの襟首を掴み、売春婦を脅すためにあらかじめ準備していた果物ナイフ(刃渡り約11 cm)を洋子さんに突き付けた。そして洋子さんを後部座席に連れ込み、右拳でDの顔面を計10発近く殴りつけて失神させると、洋子さんの首をネクタイで絞めて殺害した。
そして洋子さんが屈みこんでいる間にネクタイをほどいたところ、洋子さんが顔を上げて「なんか怖い」と言ったため、日高は洋子さんに笑みを浮かべながらネクタイを座席に掛けた。しかし洋子さんが「一人で帰る」と言い出してタクシーのドアを開けて車外へ飛び出したため、日高は「警察に駆け込まれたら終わりだ」と思ってタクシーを急発進させ、洋子さんを追いかけながら「ちゃんと(家まで)送るから乗ってくれ」と声を掛けたが、洋子さんは走って逃げながらショルダーバッグから1万円札4枚(現金40,000円)を取り出し「もうお金はいらないから」と叫びながら日高に投げつけた。
これに逆上した日高はタクシーを加速させて洋子さんの前に回り込むと、車外に出て洋子さんの行く手を塞ぎ、立ちすくんでいた洋子さんの襟首を掴み、売春婦を脅すためにあらかじめ準備していた果物ナイフ(刃渡り約11 cm)を洋子さんに突き付けた。そして洋子さんを後部座席に連れ込み、右拳でDの顔面を計10発近く殴りつけて失神させると、洋子さんの首をネクタイで絞めて殺害した。
❖判決内容(判決内容・判決時期)
2000年(平成12年)2月9日に判決公判が開かれ、広島地裁(戸倉三郎裁判長)は検察側(広島地検)の求刑通り被告人Hに死刑判決を言い渡した。
死刑判決を言い渡す際は判決主文を後回しにして判決理由から先に読み上げる場合が多いが、戸倉裁判長は異例の冒頭主文宣告を行った。広島地裁は主文言い渡し後に朗読した判決理由にて以下のように厳しく各情状を指摘した上で、量刑については「被告人Hは反省の情を示しているが刑事責任は極めて重い。死刑が人の命を奪う究極の刑罰であることを十二分に考慮しても、もはや極刑で臨むしかない」と結論付けた。
被告人Hは控訴期限の2000年2月24日0時までに広島高裁に控訴する手続きを取らなかったためそのまま死刑判決が確定した。
❖出所予定(年齢)
2006年12月25日に法務大臣長勢甚遠の発した死刑執行命令により収監先・広島拘置所で死刑囚H(44歳没)の死刑が執行された。
ページ上に戻る
広島連続保険金殺人事件(大山清隆)
1998年(平成10年)10月と2000年(平成12年)3月に広島県で発生した保険金殺人事件。
1998年10月、生コン会社の会社役員 大山清隆(当時62歳)は、広島県広島市佐伯区の会社敷地内で養父(当時66歳)の頭を鈍器で殴り殺害。交通事故に装って保険金約6000万円を手に入れた。さらに2000年3月1日、大山は妻 博美さん(当時38)に睡眠導入剤入りのお茶を飲ませて風呂場で殺害、事故(水死)を装うために宇品港付近の海岸に遺体を遺棄。保険金300万円を手に入れた。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
2005年(平成17年)4月27日、広島地方裁判所(岩倉広修裁判長)は「心の底から反省しているとは言い難い」として被告人 大山を求刑通り死刑とする判決を言い渡す。2007年(平成19年)10月16日、広島高等裁判所(楢崎康英裁判長)は大山による控訴を棄却する判決を宣告した。2011年(平成23年)6月7日、最高裁判所第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は「犯行態様は非情で刑事責任は極めて重大。死刑を是認せざるを得ない」としてO側の上告を棄却する判決を言い渡した。これにより、大山の死刑が確定した。
❖出所予定(年齢)
死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)
ページ上に戻る
琵琶湖バラバラ殺人事件(杠共芳)
2008年(平成20年)5月17日早朝から6月23日にかけて滋賀県近江八幡市の琵琶湖で発覚した殺人・死体損壊(バラバラ殺人)事件である。
2008年5月17日、琵琶湖の湖岸緑地である岡山園地で早朝から釣りをしていた男性が漂流している人間の左足を発見し、滋賀県警に通報した。また、同日に捜査員が同湖で足の一部を発見したほか、5月20日には東近江市の湖岸にて頭部が発見され、5月21日には大津市の藤ノ木川河口にて左足首が、さらに6月22日と翌23日にかけて草津市の湖岸で両手首が見つかった。鑑定の結果、すべての遺体のDNAが一致し、死因は首を絞められたことによる窒息死とされたことから、県警は殺人・死体遺棄事件として捜査を開始した。
2018年11月30日に滋賀県警は被害者を野洲市の川本秀行(当時39歳)であると特定したと発表した。DNA鑑定や親族への聞き取りの結果、身体や顔の特徴も遺体と一致した。また、県警が運転免許の非更新者から所在不明者を探したところ、1、2年前に川本さんの存在が浮上した。川本さんは別の死体遺棄事件で検挙された杠共芳(ゆずりはともよし)(現在74歳)と草津市の建設現場で知り合い、事件前には草津市内の建設会社の寮で一緒に生活していた。
❖判決内容(判決内容・判決時期) 滋賀県警は2025年2月27日、別の殺人事件で実刑判決が確定して服役している受刑者の杠を殺人の疑いで逮捕した。事件当時、容疑者は栗東市に住んでいた。杠は岡山刑務所から移送され、同月27日午後2時ごろ、捜査本部が置かれている滋賀県警近江八幡署に到着した。杠は2018年に知人の男性を殺害した上、切断した遺体を草津市内の排水路に捨てたとして、懲役25年の判決が確定し、岡山刑務所に服役していた。 県警の発表で死体遺棄容疑についてはすでに公訴時効となっている。
❖出所予定(年齢)
不起訴(無罪放免)
ページ上に戻る
福岡IT講師殺害事件(松本英光)
2018年6月24日に福岡県福岡市中央区大名の官民協働型施設にて発生した殺人事件。
被害者は著名なブロガーであり、直接面識がない加害者の逆恨みによる犯行である。インターネット上でのトラブルが現実社会に影響を及ぼした事件として社会に衝撃を与えた。
東京都江東区のインターネットセキュリティ会社に勤務する岡本顕一郎さん(当時41歳)は、「Hagex」というハンドルネームでブログ「Hagex-day info」を運営しており、インターネット上のトピックを拾い出して独自の視点で伝えるスタイルで人気を博していた。同名義でネットに関する著書も出版している。
福岡県福岡市に住む無職の松本英光(当時42歳)は、2016年頃からポータルサイトはてなが運営するはてなブックマークやはてな匿名ダイアリーに出没し、複数のユーザーに誹謗中傷のコメントを送り、通報されてアカウントが凍結されても新規のアカウントを再取得して同じ事を繰り返すという迷惑行為を行っていた。松本は中傷コメントに「低能」という表現を多用したため、他ユーザーからは「低能先生」との呼び方が定着していた。
松本からの中傷を受けていた一人である岡本さんは、2018年5月に上記の松本の行動と「低能先生」と呼ばれていることを説明した上で、松本から被害を受けたら運営に対して「低能先生です」とだけ書けば迅速に対処(アカウント凍結)される事を2018年5月にブログで紹介した。
これに逆上した松本は、6月24日に岡本さんが地元福岡市にある創業支援施設「福岡グロースネクスト」(旧大名小学校跡地)で開催されるセミナーに講師として来訪する事を知ると、当日現地に出向いて待ち伏せし、セミナーが終了した午後9時に1階トイレで岡本さんを襲撃。刃渡り16.5cmの包丁で何度も刺された岡本さんはほぼ即死だった。
岡本さんの殺害後、松本は24日深夜になって凶器の包丁を持って交番に出頭。福岡県警は殺人容疑および銃刀法違反容疑で緊急逮捕した。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
❖出所予定(年齢)
2037年11月頃、60歳(懲役18年)
ページ上に戻る
福岡一家4人殺害事件(楊寧・王亮・魏巍)
2003年(平成15年)6月20日に福岡県福岡市東区で発生した中国人留学生3名による強盗殺人、死体遺棄などの事件。
中華人民共和国(中国)から日本へ留学してきた留学生3人が家族4人を殺害して現金を強奪し、4人の遺体を海中に投棄した。本事件は閑静な住宅街で深夜に小学生の子供2人を含む一家4人全員が惨殺され、博多港にて変わり果てた姿で発見された凶悪、重大な事件としてその結果の重大性、犯行の残忍さから世間の耳目を集め、一般社会に強い衝撃を与えた。
加害者はいずれも中国出身の留学生で、元私立大学留学生の楊寧(ヤン・ニン)(事件当時23歳・吉林省長春市出身)・元日本語学校生徒の王亮(ワン・リアン)(事件当時21歳・長春市出身)・元専門学校生の魏巍(ウェイ・ウェイ)(事件当時23歳・中国河南省新密市出身)の3人である。
3人は生活苦を背景に日本語学校職員室・友人の留学生・アルバイト先から現金を盗むことを繰り返しており「アルバイト先の新聞販売店経営者への強盗」「中国人女子留学生を使った売春」など犯罪計画を次々に立案するうちに「犯行発覚を防ぐため被害者を殺害しよう」と考えるようになった。
◆住居侵入・妻 松本千加さん(当時40歳)を殺害
2003年6月20日0時過ぎごろ、3人は屋内の様子を窺い「1階浴室で松本真二郎さん(当時41歳)の妻 松本千加さん(当時40歳)が入浴中で、2階子供部屋では真二郎さん・千加さん夫妻の長男 海君(当時11歳)・長女 ひなさん(当時8歳、海君の妹)兄妹が就寝中である」ことを確認した後、楊寧の提案で「楊寧・魏巍が入浴中の千加さんを殺害し、その間、王亮が2階子供部屋を見張る」ことにし、楊寧・魏巍は髪の毛が落ちないよう階段下の帽子掛けに掛けてあった帽子をかぶった。
0時15分ごろに魏巍・楊寧が1階浴室に相次いで侵入したところ、入浴中だった千加さんが2人に気付いて悲鳴を上げ、手に持っていた洗面器を投げつけようとした。そのため魏巍は洗面器を蹴り、2人がかりで千加さんに襲い掛かって千加さんの身体を湯の入った浴槽内へ仰向けに押し倒した上、魏巍は中腰の姿勢になり、左手で千加さんの右手首を押さえつけながら右手で千加さんの前頸部を掴んでその顔を浴槽内の湯の中に押し入れた。楊寧も浴槽内に入って千加さんの手足を両手で押さえつけ、10分ほどそのままの体勢を続けて千加さんを殺害した(強盗殺人罪)。千加さんの死因は頸部圧迫・湛水溺水による窒息死である。
◆長男 海君(当時11歳)を殺害
0時30分ごろ、魏巍が2階子供部屋で仰向けになって就寝していた海君の顔面全体を覆うように枕を強く押し付け、王亮が片足をベッドの上に上げて海君の体に馬乗りになり、両手で海君の両手を掴み、両脇・膝を使って海君の身体を抑え込んだ。しかし海君が息苦しい様子で必死に顔を左右に動かしていたため、王亮は海君の身体を抑えつけながら右手を伸ばして枕の下に入れ、右手で海君の前頸部を掴んで絞めつけることで海君を絞殺した(強盗殺人罪)。海君の死因は扼頸による窒息死で、楊寧は王亮が海君を絞殺する途中、魏巍に代わりCの身体を抑えつけていた。
◆真二郎さん(当時41歳)を襲撃・長女 ひなさん(当時8歳)を殺害
1時40分ごろ、真二郎さんがベンツを運転して帰宅し家の中に入ると、楊寧が1階台所で真二郎さんを「こっちに来い」と怒鳴りつけ、ひなさんが王亮により頸部にナイフを突きつけられている状況を見せながら「座れ」と命じた。真二郎さんは跪き「娘を殺さないでくれ。お前たちの言うことを聞く」と言って哀願したが、結果的にその哀願は聞き入れられなかった。
王亮の膝の上に横向きに抱えられていたひなさんの頸部にネクタイを巻き付けると、楊寧・王亮の2人がその両端をそれぞれ掴んで強く引っ張り合うことでひなさんの頸部を絞めつけ、居間にてひなさんを殺害した(強盗殺人罪)。ひなさんの死因は絞頸による窒息死で、殺害時刻は「1時40分 - 2時50分ごろの間」とされる。
◆妻子3人の死体遺棄・真二郎さん(当時41歳)を殺害
4時過ぎごろ、箱崎ふ頭岸壁に到着すると楊寧が千加さんの死体の右手首に箱型鉄製重り(約30.45キログラム)を手錠で結び付け、楊寧・王亮・魏巍の3人で千加さんの死体を岸壁から海中に投棄して遺棄した(死体遺棄罪)。3人は引き続き真二郎さんの左手首にダンベル(重さ約9.5キログラム)を手錠で結び付け、そのダンベルに長女 ひなさんの死体の左足首を手錠で結び付けた上で、そのまま岸壁から海中に投棄することで長女 ひなさんの死体を遺棄する(死体遺棄罪)とともに、真二郎さんを殺害した(強盗殺人罪)。真二郎さんの死因は海水吸引による溺死だった。
加害者3人は事件発覚を防ぐための、口封じとして一家4人を皆殺しにして遺体を海中に遺棄したが、得られた現金は僅か4万円弱だった。
同日14時30分ごろになって、博多港の岸壁近く貯木場(福岡市東区箱崎ふ頭四丁目)で作業員が人の脚が海中に浮いているのを発見し、福岡県警察へ110番通報した。通報を受けた福岡県警などが岸壁付近の海中を捜索したところ夕方までに成人男女と子供の男女計4人の遺体が収容され、4人全員の身元がすぐに判明した。
「自分は大丈夫」と日本に残り続けていた魏巍もその後、交際相手の中国人女性に対し「楊寧・王亮とともに一家4人を殺害した」と打ち明けた上で、交際相手から逃走資金として約13万円を借金して帰国便を予約したが、出発数時間前の2003年8月6日午後に別件(知人女性への傷害容疑)で逮捕された。
一方で中華人民共和国へ帰国していた加害者 王亮は、他事件に関連して中国公安当局により遼陽市内で 同年8月19日に身柄を拘束され、事情聴取で「楊寧・魏巍とともに本事件に関与した」と認めた。当局はその王亮の供述を基に楊寧の行方を追い、楊寧も同月28日に北京市内で身柄を拘束され、同年9月24日には2人とも中国当局から犯行に関与していたことを発表された。

◆中国側(被告人 楊寧・王亮)の審理
2005年(平成17年)1月24日に判決公判が開かれ、遼寧省遼陽市の中級人民法院(日本の地方裁判所に相当)は被告人 楊寧を死刑・被告人 王亮を無期懲役とする判決を言い渡した。
死刑判決を受けた被告人 楊寧は、控訴期限となる2005年2月3日付で遼寧省瀋陽市の高級人民法院(高裁)へ控訴する手続きを取ったが、瀋陽市の高級人民法院で控訴棄却判決を受けて、死刑が確定判決となった(正確な時期は不明)。その後、2005年7月12日に死刑囚 楊寧の死刑が執行された(当時25歳没)。
中華人民共和国の刑事裁判は二審制で、同一裁判で被告人の一部が控訴した場合は、その判決が確定するまで、共犯被告人の刑も確定しないため、被告人 楊寧の控訴棄却(死刑確定)をもって、王亮被告人の無期懲役も確定判決となった。
◆日本側(被告人 魏巍)の審理
最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は2011年10月20日に開かれた上告審判決公判で一・二審の死刑判決を支持して被告人 魏巍の上告を棄却する判決を言い渡し、2011年11月10日付で死刑が確定した。
死刑確定から約8年1か月後の2019年(令和元年)12月23日に法務大臣・森雅子が死刑囚 魏巍の死刑執行命令書に署名し、同年12月26日に福岡拘置所で死刑囚 魏巍(当時40歳没)の死刑が執行された。
❖出所予定(年齢)
楊寧・・・死刑判決(2005年7月12日死刑執行)
王亮・・・無期懲役(中国側の判決につき不明)
魏巍・・・死刑判決(2019年12月26日死刑執行)
ページ上に戻る
福岡・佐賀連続児童猥褻事件(熊本晴彦)
1990年代から2000年代にかけて九州で起こった連続児童猥褻事件である。
1990年2月2日、福岡県太宰府市観世音寺で筑紫野市在住の無職少年の熊本晴彦(当時17歳)が下校中の男子小学生(当時7歳)を誘拐。大野城市下大利の灌漑用溜池付近の空き地に連れ込んで猥褻行為をし、素手で顔を殴ったうえで絞殺、遺体をそばにあったカヤなどの枯れ草をかぶせて隠匿した。
この少年は男子小学生と同じ小学校の卒業生で、私立高校を中退後、太宰府市内の別の私立高校の入学試験を終えた帰り道で犯行に及んだ]。その他、少年は中学2年生(当時14歳)だった1986年秋頃にも女児を山中に連れ込んで猥褻行為をしたとして少年院に入っており、仮退院から2年後の事件であった。
この少年は男子小学生と同じ小学校の卒業生で、私立高校を中退後、太宰府市内の別の私立高校の入学試験を終えた帰り道で犯行に及んだ]。その他、少年は中学2年生(当時14歳)だった1986年秋頃にも女児を山中に連れ込んで猥褻行為をしたとして少年院に入っており、仮退院から2年後の事件であった。
未成年者誘拐及び殺人の罪に問われ、1991年6月14日、福岡地裁(金山薫裁判長)で求刑通り懲役5年以上10年以下の不定期刑判決となった。その後、少年刑務所に9年6か月入って2000年12月に出所した。
その後、2004年7月7日午後3時25分頃、佐賀県三養基郡内の団地で下校中の小学生女児に対して声をかけ、体を触るなどの猥褻行為で逮捕。
当初は容疑を否認していたが、起訴された後に福岡・佐賀両県で女児を狙った同様の犯行を約50件行ったと自供した。また、佐賀地裁での公判中、福岡県博多区内の小学生女児に対するわいせつ目的誘拐などで逮捕された際に福岡・佐賀両県で約100件の猥褻行為をしたとも供述した。

2006年11月22日、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は熊本(当時32歳)の上告を棄却、男に対する懲役16年の判決が確定した。
◆判決確定後
2011年4月27日、福岡県警粕屋警察署は強姦などの疑いで、本事件の判決確定後、熊本刑務所で服役中の熊本(当時39歳)を逮捕した。逮捕容疑は2004年5月、福岡県内の20代女性宅に侵入、包丁で脅して女性に乱暴した疑い。
逮捕に至った経緯として、今回、逮捕した事件の時効が2011年5月に迫っていることから、現場に残された証拠を再度調べ直した結果、男が関与した容疑が固まったため、逮捕に踏み切った。男は「身に覚えはあるが、よく覚えていない」と供述した。
逮捕に至った経緯として、今回、逮捕した事件の時効が2011年5月に迫っていることから、現場に残された証拠を再度調べ直した結果、男が関与した容疑が固まったため、逮捕に踏み切った。男は「身に覚えはあるが、よく覚えていない」と供述した。
❖出所予定(年齢)
2022年11月頃、48歳(出所)
ページ上に戻る
福岡3女性連続強盗殺人事件(鈴木泰徳)
2004年(平成16年)12月から翌2005年(平成17年)1月の約1か月間にかけて福岡県内で女性3人が相次いで殺害された連続強盗殺人事件である。
2004年12月12日23時40分ごろ、飯塚市の公園で専門学校生の久保田奈々さん(当時18歳)が強姦された末、首をマフラーで絞められ殺害された。
同年12月31日7時ごろ、北九州市小倉南区の路上でパート従業員の大中敏子さん(当時62歳)が胸や背中を包丁で刺され、約6,000円入りの財布などが入ったバッグが奪われた。その後、大中さんは死亡した。当初は強姦目的もあって若い女性を狙っていた。被害者がフードを被っており、若く見えたらしいが、高齢だということが分かると狙いを変え、強盗だけに変更した。
2005年1月18日5時30分ごろ、福岡市博多区の「大井北公園」で、会社員の福島啓子さん(当時23歳)が強姦されそうになったが、犯人は通行人に目撃されることを恐れ強姦を断念。福島さんは包丁で刺殺され、携帯電話や財布(約1,000円)が入ったカバン(総額約45,000円)が奪われた。
同年3月8日1時ごろ、福岡県警捜査本部は福岡市で殺害された福島さんの携帯電話を持っていた建設作業員の鈴木泰徳(当時35歳)を直方市内で見つけ、占有離脱物横領の現行犯で逮捕した。男は女性の携帯電話から出会い系サイトを利用していた。その後、犯行を自供したSを3月10日に強盗殺人容疑で逮捕した。さらに鈴木は久保田さん事件と大中さん事件の関与を自供したため、久保田さんと大中さんに対する強盗殺人容疑でも再逮捕された。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
2011年3月8日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人 鈴木の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人 鈴木の死刑判決が確定することとなった。
被告人 鈴木は最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)へ判決訂正申し立てを行ったが、2011年3月25日付で同小法廷から申し立てを棄却する決定が出されたため、2011年3月27日付で被告人 鈴木の死刑判決が確定した。
❖出所予定(年齢)
死刑判決(2019年(令和元年)7月31日、福岡拘置所で死刑執行(当時50歳没))
ページ上に戻る
福岡スナックママ連続保険金殺人事件(高橋裕子)
2004年(平成16年)に発覚した連続保険金殺人事件である。
犯人 高橋裕子(逮捕時48歳)は建設会社の社長で1987年に再婚し、1992年に自宅を新築した。しかし、1994年9月に取引先の倒産で1600万円の焦げ付きが発生し、これが原因で1億3000万円の負債を抱えて倒産。
高橋は野本雄司さん(当時34歳)に対し「あなたが死んだら借金が返せる」と繰り返し迫ったが、野本さん(当時34歳)が自殺未遂を繰り返したためにウイスキーと睡眠導入剤を野本さんに飲ませて眠らせた。それから手に軍手をはめ、腹と腰に包丁を突き刺して殺害した。
殺害後、現場に借用書をばらまくなどして偽装工作を行ったため、負債を苦にした自殺と判断されて保険金1億6000万円を得た。会社の債務処理などもあり、手元に残ったのは数千万円ほどとされる。
1995年9月、高橋(当時40歳)は手元に残った金を元手に福岡市博多区中洲にスナック店を開業。高橋は「深い関係になれば、客は何度も来てくれる」と考えて年齢を感じさせない美貌を自覚し、経営するスナックでは身体を売る”枕営業”をしていた。
しかし、スナック店は1997年1月に家賃を滞納して移転するなど経営がうまくいかなかったため、高橋はスナックの来客に対して情夫である青木文雄とともに「関係をばらす」などと恐喝を繰り返して金銭を脅し取るようになる。
1999年6月、スナック店の常連だった天野隆之(当時54歳)さんと結婚。しかし高橋は派手な生活を続けていたためにすでに資金は底をついていた。
2000年11月12日、高橋は天野さんの嘱託を受けて、睡眠導入剤やアルコールを飲ませた上で浴槽で溺死したように見せかけて殺害した。
福岡県警が検視を行った際、高橋は天野さんが糖尿病を患っていたことを打ち明けた上で「夫は500ミリ・リットルの缶ビールを5本飲んで風呂に入った。深夜に入浴する習慣があった」と説明したため、福岡県警は入浴時に脳梗塞によって浴槽に転落したと判断し、事故死として処理した。
福岡県警が検視を行った際、高橋は天野さんが糖尿病を患っていたことを打ち明けた上で「夫は500ミリ・リットルの缶ビールを5本飲んで風呂に入った。深夜に入浴する習慣があった」と説明したため、福岡県警は入浴時に脳梗塞によって浴槽に転落したと判断し、事故死として処理した。
この後、契約していた保険金約5000万円を請求したが、保険の多重契約による告知義務違反により保険金は2740万円しか支払われなかった。 2001年9月、高橋は保険会社を相手取り、保険金の支払いを求めて福岡地裁に提訴したが、2002年10月、福岡地裁は「男性は契約の際、持病を告げておらず、告知義務違反にあたる」として高橋の請求を棄却した。
2004年7月22日、複数の交際相手から1000万円以上の多額の現金を脅し取っていたとして、福岡県警は恐喝容疑で高橋裕子(逮捕時48)を逮捕した。また、過去に結婚していた夫2人が高額の生命保険に加入した後、変死していたため、福岡県警は保険加入の経緯などについても事情を聴取。結果、過去2件の夫殺しも露見(以前から福岡県警に疑われていたという)。
2004年9月15日、福岡県警は保険金目当ての殺人容疑で高橋裕子(当時48歳)と高橋の子供の家庭教師であった元九州大学院生Y(当時33歳)を逮捕した。
◆高橋裕子の裁判
2011年4月26日、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は被告側の上告を棄却する決定を出したため、無期懲役の判決が確定した。
◆元九州大学院生Yの裁判
2008年4月22日、福岡高裁(陶山博生裁判長)は「殺人ほう助罪を認めるに足りる証拠はない」として一審判決を破棄して逆転無罪の判決を言い渡した。判決では殺人幇助罪について「元九州大学院生Yが事後処理を協力しようと考え、高橋も協力を期待していたことを認めるに足りる証拠はない」などとして犯人性を認めず無罪とした。
この判決に対し、福岡高検は上告を断念したため、上告期限を迎えた5月8日午前0時をもって無罪判決が確定した(疑わしきは罰せず)。
◆青木文雄の裁判(余談)
高橋裕子被告(当時49)の初公判(2004年12月13日)が始まる2週間前、客を強請って分け前を得ていた青木文雄被告(当時48)に、懲役2年(執行猶予3年)の有罪判決が下された。
❖出所予定(年齢)
高橋裕子・・・2041年4月頃、79歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)
元大学院生Y・・・無罪
青木文雄・・・2007年12月頃、51歳、執行猶予完了
青木文雄・・・2007年12月頃、51歳、執行猶予完了
ページ上に戻る

※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。




コメント