
チリ人被告に終身刑判決 筑波大生不明事件差し戻し審 仏(2026年3月26日)
2016年にフランス留学中の筑波大生、黒崎愛海さん=当時(21)=が行方不明になった事件で、殺人罪に問われた元交際相手のチリ人、ニコラス・セペダ被告(35)の差し戻し控訴審判決が26日、中部リヨンの裁判所であった。
エリック・シャルボス裁判長は被告に終身刑(求刑禁錮30年)を言い渡した。
セペダ被告はこの日の最終意見陳述で「殺していない」と改めて無罪を主張。しかし、裁判官と陪審員が合議で被告の犯行と認め、重い刑罰が相当との結論に達した。被告側は上告する方針だ。
警察の捜索で黒崎さんの遺体は見つからなかった。検察は物的証拠を欠く中、事件前後の被告の不審な言動や状況証拠を積み重ねて立証に努めた。
22年の一審判決、23年の二審判決はいずれも禁錮28年(求刑終身刑)を宣告した。しかし、破棄院(最高裁)が25年、公判手続きにミスがあったとする被告側の主張を認めて二審判決を破棄し、審理のやり直しを命じていた。
判決などによると、被告は黒崎さんに新しい交際相手ができたことへの嫉妬から犯行を計画。16年に仏東部ブザンソンを訪れて学生寮の部屋で殺害し、遺体を人けのない場所に遺棄した。その後、チリに帰国したが、20年に殺人容疑で仏側に身柄が引き渡され、起訴された。
2016年、フランス東部ブザンソンに留学していた筑波大学3年生・黒崎愛海さん(当時21歳)が行方不明になった事件で、元交際相手のチリ人男性ニコラス・セペダ被告(現在35歳)が殺人罪に問われていました。
セペダ被告は破局後も黒崎さんにつきまとっていたとされ、事件後にチリへ帰国したため、国際的な捜査と裁判が続いていました。
そして3月26日(現地時間)、差し戻し控訴審が行われたフランス南東部リヨンの裁判所は、セペダ被告に対し終身刑を言い渡しました。
フランス東部ブザンソンで起きた筑波大学生の失踪事件については、長い年月を経てようやく大きな進展がありました。フランスの司法・警察が粘り強く捜査と裁判を続けてきたことに、改めて頭が下がる思いです。
一方で、日本では外国人被告に対する不起訴や軽い量刑が話題になることもあり、被害者側の視点が十分に守られていないと感じる場面があります。今回のフランスの対応を見て、国籍に関わらず事件に向き合う姿勢の違いを考えさせられました。
この事件では、被告人が母国チリへ逃亡し、その家族も帰国を手助けしたとされる中で、被害者である筑波大生のご両親は深い悲しみの中でも冷静に訴え続けていました。
「子供をかばいたい気持ちは分かるが、過ちを犯した子を正しい道へ導くことも親の大切な務めだと思います」
この言葉には、どれほどの苦しみと覚悟が込められていたのかと思うと胸が締めつけられます。どういう形であれ、娘さんがご両親のもとへ戻る日が来ることを願わずにはいられません。
また、2018年に大阪で起きた米国籍男性による殺害・遺体遺棄事件では、「殺意はなかった」という供述が認められ、懲役8年という判決が下されました。なぜこれほど軽い量刑になったのか、今でも疑問が残ります。
今回のフランスの判決を見て、日本でも国籍に左右されず、被害者の尊厳を守るための適切な判断が行われる社会になってほしいと強く感じました。
❖フランス留学前の経緯(〜2016年8月)
■ 2014〜2015年:筑波大学での学生生活
黒崎愛海さんは筑波大学・生命環境学群に在籍。
明るく社交的で、語学にも積極的だったと報じられている。
大学ではフランス語を学び、将来的に海外での活動にも関心を持っていた。
■ 2015年:元交際相手ニコラス・セペダとの出会い
セペダはチリから筑波大学へ留学していた。
2人は大学内で知り合い、交際が始まる。
当初は普通のカップルだったが、
次第にセペダが強い束縛・嫉妬を示すようになったと複数の証言がある。
■ 2016年春:関係悪化と別れ
黒崎さんはセペダの束縛に悩み、2016年秋頃までに関係を解消。
しかしセペダは別れを受け入れず、
・過度なメッセージ
・SNS監視
・行動を詮索するような言動
を続けていたとされる。
黒崎さんは周囲に「もう関わりたくない」と話していたという報道もある。
■ 2016年:フランス留学を決意
筑波大学の交換留学制度を利用し、
フランス東部ブザンソンのフランシュ=コンテ大学(CLA)で学ぶことを決める。
留学は語学力向上と国際経験を積むための前向きな選択だった。
■ 2016年夏:出国前の不安とセペダの執着
黒崎さんは留学準備を進める一方、
セペダが留学先を把握していることを不安に感じていたとされる。
セペダは黒崎さんに対し、
「留学中も連絡を取り続けたい」
「他の男性と関わらないでほしい」
といった要求をしていたという証言もある。
■ 2016年8月26日:フランスへ出発
黒崎さんは予定通りフランスへ渡航。
ブザンソンの学生寮「テオドール・ルソー寮」2階に入居。
留学生活は順調にスタートし、友人もできていた。
❖事件発生までの時系列
■ 2014〜2015年:筑波大学での学生生活
黒崎愛海さんは筑波大学・生命環境学群に在籍。
明るく社交的で、語学にも積極的だったと報じられている。
大学ではフランス語を学び、将来的に海外での活動にも関心を持っていた。
■ 2015年:元交際相手ニコラス・セペダとの出会い
セペダはチリから筑波大学へ留学していた。
2人は大学内で知り合い、交際が始まる。
当初は普通のカップルだったが、
次第にセペダが強い束縛・嫉妬を示すようになったと複数の証言がある。
■ 2016年春:関係悪化と別れ
黒崎さんはセペダの束縛に悩み、2016年秋頃までに関係を解消。
しかしセペダは別れを受け入れず、
・過度なメッセージ
・SNS監視
・行動を詮索するような言動
を続けていたとされる。
黒崎さんは周囲に「もう関わりたくない」と話していたという報道もある。
■ 2016年:フランス留学を決意
筑波大学の交換留学制度を利用し、
フランス東部ブザンソンのフランシュ=コンテ大学(CLA)で学ぶことを決める。
留学は語学力向上と国際経験を積むための前向きな選択だった。
■ 2016年夏:出国前の不安とセペダの執着
黒崎さんは留学準備を進める一方、
セペダが留学先を把握していることを不安に感じていたとされる。
セペダは黒崎さんに対し、
「留学中も連絡を取り続けたい」
「他の男性と関わらないでほしい」
といった要求をしていたという証言もある。
■ 2016年8月26日:フランスへ出発
黒崎さんは予定通りフランスへ渡航。
ブザンソンの学生寮「テオドール・ルソー寮」2階に入居。
留学生活は順調にスタートし、友人もできていた。
❖事件発生までの時系列
■ 2016年夏〜秋:フランス留学開始と生活
2016年8月26日、黒崎愛海さんはフランス東部・ブザンソンのフランシュ=コンテ大学へ留学のため渡仏。フランス語学校(CLA)で語学を学び、学生寮「テオドール・ルソー寮(La Bouloieキャンパス)」の2階に居住。
当時、黒崎さんは元交際相手のチリ人・ニコラス・セペダ(当時26歳)と別れて約2か月が経過していた。セペダは筑波大学留学中に黒崎さんと交際していたが、別れた後も強い執着を示していたとされる。
■ 12月4日:元交際相手セペダがフランス入り
セペダは日本ではなくチリからフランスへ渡航し、黒崎さんの居場所を把握したうえでブザンソンを訪れた。これは後の捜査で「計画性」を示す要素として扱われた。
■ 12月4日夜〜5日未明:最後の目撃
12月4日夜、黒崎さんはセペダと外食している姿が確認されている。
12月5日午前2時30分頃(推定)、2人は学生寮の部屋(106号室)に戻る。
その後、寮内で悲鳴のような大きな物音が聞こえたという複数の証言がある。
この時間帯を最後に、黒崎さんの姿を見た者はいない。
■ 12月5日〜7日:不自然なメッセージ
12月5日(月)、黒崎さんは授業に現れず。
当初は「寝坊か体調不良かもしれない」と周囲は深刻に捉えていなかった。
12月7日(水)、心配した教師がメッセンジャーで連絡。
黒崎さんのアカウントから「パスポートの問題を解決している」という返信が届くが、
文体が不自然で、本人が書いたとは思えないと後に指摘される。
■ 12月13日:捜索願提出
黒崎さんが戻らない状況が続き、12月13日、大学側と学生寮の学生たちが警察に捜索願を提出。
その頃には、セペダはすでにチリへ帰国していた。
これが国際捜査へ発展する大きな要因となる。
2016年8月26日、黒崎愛海さんはフランス東部・ブザンソンのフランシュ=コンテ大学へ留学のため渡仏。フランス語学校(CLA)で語学を学び、学生寮「テオドール・ルソー寮(La Bouloieキャンパス)」の2階に居住。
当時、黒崎さんは元交際相手のチリ人・ニコラス・セペダ(当時26歳)と別れて約2か月が経過していた。セペダは筑波大学留学中に黒崎さんと交際していたが、別れた後も強い執着を示していたとされる。
■ 12月4日:元交際相手セペダがフランス入り
セペダは日本ではなくチリからフランスへ渡航し、黒崎さんの居場所を把握したうえでブザンソンを訪れた。これは後の捜査で「計画性」を示す要素として扱われた。
■ 12月4日夜〜5日未明:最後の目撃
12月4日夜、黒崎さんはセペダと外食している姿が確認されている。
12月5日午前2時30分頃(推定)、2人は学生寮の部屋(106号室)に戻る。
その後、寮内で悲鳴のような大きな物音が聞こえたという複数の証言がある。
この時間帯を最後に、黒崎さんの姿を見た者はいない。
■ 12月5日〜7日:不自然なメッセージ
12月5日(月)、黒崎さんは授業に現れず。
当初は「寝坊か体調不良かもしれない」と周囲は深刻に捉えていなかった。
12月7日(水)、心配した教師がメッセンジャーで連絡。
黒崎さんのアカウントから「パスポートの問題を解決している」という返信が届くが、
文体が不自然で、本人が書いたとは思えないと後に指摘される。
■ 12月13日:捜索願提出
黒崎さんが戻らない状況が続き、12月13日、大学側と学生寮の学生たちが警察に捜索願を提出。
その頃には、セペダはすでにチリへ帰国していた。
これが国際捜査へ発展する大きな要因となる。
※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。
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