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カテゴリ: 事件・事故

※2023.5.24改題(旧題:【いばらの道か、修羅の道か?】西武・山川穂高選手を書類送検 当時20代の知人女性に強制性交等の疑い 警視庁)

【速報】西武・山川穂高選手を書類送検 当時20代の知人女性に強制性交等の疑い 警視庁(2023年5月23日)

 プロ野球・埼玉西武ライオンズの山川穂高選手(31)が東京都内のホテルで女性にわいせつな行為をした疑いで、23日朝、警視庁が書類送検したことがわかった。

捜査関係者によると山川穂高選手は2022年11月、東京・港区のホテルで、知人女性(当時20代)に対してわいせつな行為をした強制性交等の疑いがもたれている。

知人女性が被害届を提出したことを受け、警視庁は、女性と山川選手の両者から任意で事情を聴くなど慎重に捜査していたが、きょう23日、書類送検に踏み切った。

山川選手は昨シーズン、パ・リーグのホームランと打点の2冠を達成。今年3月のWBC=ワールド・ベースボール・クラシックでは、侍ジャパンのメンバーとしてチームの優勝に貢献した。

現在、西武の出場選手登録は抹消されている。
山川穂高
※書類送検とは
  書類送検とは、刑事手続において,司法警察員が被疑者を逮捕せず,また逮捕後,釈放した後に身柄を非拘束のまま,事件を検察官に送致することをいいます。したがって,書類送検された場合,基本的には身柄非拘束のまま検察官からの捜査を受けていくことになります。

書類送検とは、被疑者(犯罪の疑いのある人)で、身体拘束されていない者の事件記録や捜査資料を検察官に送る手続のことをいいます。書類送検された場合は、身柄非拘束のまま検察官からの捜査を受けていくことになります。

一方逮捕は,罪証隠滅のおそれや逃亡のおそれ等を理由に身柄を拘束される手続です。

書類送検されると検察官が被疑者を起訴するか不起訴にするかを決めます。起訴されてしまうと有罪率の極めて高い刑事裁判にかけられますので、前科を避けることは極めて難しいと言わざるを得ません。

西部ライオンズの山川穂高選手が書類送検されました。この時点では、まだ起訴されたわけでも有罪か無罪かを判断されたわけではありませんので、事態を見守るしかないと思います。

書類送検は、警察での捜査が終了したので、捜査書類を検察庁に送るだけの手続きであり、刑事裁判として起訴されたわけでも、有罪と判断されたわけでもありません。それはこれから検察官が起訴するかどうかを決めることです。弁護士としては、認めであれば、示談して不起訴にできないか行動する時期なのです。

西武ライオンズという球団から、度々聞こえてくる「書類送検」という言葉。西部ライオンズは教育機関ではありませんが、何か一般社会の人間と常識がかけ離れている感じがします。

過去、西部ライオンズで「書類送検」されて、起訴、不起訴となった選手たちをご紹介します。

東尾修(1987年・不起訴)
現在は娘の東尾理子や娘婿の石田純一、孫の理汰郎くんとイベントに出演することもあるなど、良いおじいちゃんというイメージが定着している東尾修さん。その東尾さんが賭け麻雀で問題となったのは、現役時代の1987年オフのことでした。

西武ライオンズに所属していた37歳の東尾は、同年に「15勝9敗・防御率2.59・85奪三振」といった成績を残しチームの3年連続パ・リーグ優勝、2年連続日本一に貢献。リーグMVPも受賞するなど、個人、チームともに最高のシーズンを過ごしていました。
東尾修
しかし同年オフ、東尾が無免許営業の雀荘で賭け麻雀をしていたことが発覚。東尾は東京・麻布十番にあったヤミ雀荘に通っていたようです。レートは1000点1000円の〝デカピン〟で、約3時間で10万円ほど負けたことがあったそうです。

東尾は書類送検され不起訴にはなったものの、球団からは「半年間の出場停止+2500万円の減俸」という重い処分を受けたのです。

なお、東尾はこの件について会見を開き「全て私の不徳の致すところ」と謝罪しているが、その中では暴力団関係者が同卓していたことも明かしています。
賭けマージャン
処分を受けた東尾は心を入れ替えたのか、オフシーズンは例年欠かさずに行っていたゴルフを絶ち、自主トレ先の沖縄で走り込みを重ねるなど徹底的にトレーニング。しかし、慣れない調整で調子が狂ったのか、翌1988年シーズンは「6勝9敗・防御率4.85・30奪三振」と成績が大幅に下落。同シーズン限りで現役を引退したため、賭け麻雀が引退の引き金を引いた形になりました。

引退後、東尾は野球解説者として活動した後西武(1995-2001)の監督を務め、在任中に2度のリーグ優勝を達成。2010年には野球殿堂入りを果たしたが、当時は賭け麻雀問題がなければもっと早く殿堂入りできていたのではとの見方もありました。

前身球団も含めライオンズ(1969-1988)一筋で20年間の現役生活を送り、「251勝247敗・防御率3.50・1684奪三振」といった通算成績を残しました。しかし、賭け麻雀をしていなければ、もう少し長く現役生活を送れていたのかもしれなかったのです。

❖東尾修の小話「球界初の1億円プレーヤー」

 「1億円プレイヤー」といえば、1980年代の野球選手にとって最高のステータスでした。打者で初は落合博満(中日)、投手は東尾修(西武)です。

1986年、2年連続三冠王を達成した落合博満(ロッテ)はオフに中日へのトレードが決まりました。このときの年俸1億3000万円(推定)が「日本球界最初の年俸1億円超え」と言われています。

東尾の場合、1億円に到達した1986年の契約更改で、球団から最初に提示された額は9800万円でした。それに対して、「200万円は自分で払うから1億円と発表したい。俺にもプライドがある」と交渉。その意気や良しとして、当時の球団代表・坂井保之が1億円で再提示、合意した経緯があります。

相内誠(2020年・証拠不十分で処罰なし)
2012年ドラフト2位の相内誠は相内誠はプロ8年で、通算0勝7敗。ケガもあって大成できない選手でした。そしてトラブル続きの野球人生でした。

有名なのが、2012年ドラフト2位で指名されたときです。ドラフト2位指名後は児童養護施設出身であることが話題になりましたが、大騒ぎになったのがドラフト指名直後の12月に起こした事件です。高速道路でスピード違反で捕まり、無免許運転だったことが発覚。前代未聞の『入団凍結』という処分になりました。

相内は8年間に5度の不祥事を起こしてしまうのです。

そして、2020年は1軍登板はなく、イースタンでは13試合登板、0勝0敗、防御率2.13でした。
相内誠
2020年4月12日、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、球団が全チーム関係者に自宅待機および不要不急の外出禁止と定めていた期間中にも関わらず、チームメイトの佐藤龍世が運転する車に乗り、千葉県内のゴルフ場でゴルフをするために外出しました。

そ法定速度60キロの首都高速道路中央環状線山手トンネル内を、89キロオーバーの149キロで走行し、速度違反取り締まり装置により検知されました。2人はその後、ゴルフ場でプレー。5月に佐藤のもとへ違反通知が届き、警視庁による事情徴収を受けました。

球団への報告は2020年8月17日になってからでした。8月18日に佐藤、8月19日に相内からヒアリングをし詳細を確認し、8月20日に佐藤とともに球団から無期限の対外試合出場禁止およびユニホーム着用禁止の処分を受けました。

9月28日に開かれた佐藤に対する東京地方裁判所の初公判で、佐藤が「同乗していた先輩の相内さんの指示に従った」と語っていたことが10月1日に報じられ、それに反応してか、2日未明に自身のInstagramのストーリー機能に、真っ暗な背景で「あきれる。」とだけ書いた投稿を行いました。意味はわかりません。そして11月3日に戦力外通告を受けました。
2015年に2軍イースタンの最多勝に輝きましたが、その翌年に右ヒジを痛め、ブレイクのチャンスを失ったのが大きかったです。その後も、2軍ではそこそこのピッチングをするものの、1軍に上がると制球が定まらず、四球でランナーをためて、勝負所で打たれることの繰り返し。本業で結果をだしていないうえに、トラブル続きとあって、いくらドラフト2位入団でも、高卒8年目で0勝は我慢の限界となり、戦力外通告を受けたと思われます。

❖佐藤龍世内野手の小話

2020年10月8日に佐藤龍世内野手(23)はスピード違反の裁判で懲役3か月、執行猶予2年の判決の有罪判決を受けました。
しかしながら、謹慎のあけた後は埼玉西武ライオンズ (2019 - 2021)、北海道日本ハムファイターズ (2021 - 2022)でプレーした後に、埼玉西武ライオンズ (2023 - )に復帰しています。

松坂大輔(2000年・身代わり出頭)
1998年ドラフト1位指名の松坂大輔です。

西武時代は「平成の怪物」と呼ばれました。21世紀初の沢村栄治賞受賞者でもあります。ゴールデングラブ賞をパ・リーグ投手最多記録となる7回受賞し、3年連続ベストナインにも輝きました。そして2006年と2009年のWBCではエースとして日本代表に貢献しました。
東尾修と松坂大輔
松坂は、2000年8月に愛車『セルシオ』で、制限60km/hの首都高速を134km/hで走行し、期間2カ月の免停処分を科せられていました。

その免停中にもかかわらず2000年9月13日にハンドルを握って当時交際中だった元日本テレビアナウンサーの柴田倫世さんのマンションに密会しに行ってしまいます。当日は松坂の20歳の誕生日で翌日にシドニー五輪への出発を控えていました。五輪へむけての記者会見前のわずかな時間を縫って、恋人と誕生日を過ごしていたものと思われます。

しかし当時は免許停止中。さらにあろうことか、松坂が車を停めた場所は文京区の駐車禁止区域の路上。1時間半の逢瀬を終え、松坂さんがマンションから出て来た時にはすでに車はレッカー移動されていました。
松坂と柴田倫世
すでに無免許運転、駐車違反と罪を重ねていたわけですが、さらに驚くことに事態を重く見た球団幹部の黒岩彰課長が身代わり出頭します。

黒岩彰課長はカルガリー冬季五輪スピードスケート500メートルの銅メダリストで有名な方です。

当初警察は黒岩の駐車違反としていましたが、松坂と柴田の交際をスクープしたフライデーが報道したため、改めて二人に事情聴取をし道路交通法違反の疑いで松坂選手を、犯人隠避の疑いで黒岩彰課長を書類送検しました。

松坂は
「違反は申し訳ない。黒岩さんの出頭は後で知った」
黒岩彰課長は
「車が球団所有で自分が管理しているため出頭した」
と語り、その結果略式起訴により松坂選手は罰金19万5000円、黒岩課長は罰金10万円の略式命令が下されました。

当時の球団社長の小野賢二および黒岩は責任を取って辞表を提出する事態になり、松坂は当時埼玉県警察から交通安全キャンペーンのイメージキャラクターに起用されていたこともあり、この件は世間から激しく批判されました。球団側は松坂を無期限の自宅謹慎処分としたものの、謹慎処分は1か月足らずで解除されました。



※最後に
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海で素潜り中に男性死亡 岩場で体が挟まったか 大島の海水浴場(2023年5月21日)

 20日午後6時45分ごろ、東京都大島町差木地下原のトウシキ海岸で、友人1人と泳いでいた東京都昭島市の会社員、井戸本君敬さん(56)の行方が分からなくなった。下田海上保安部や大島署が捜索し、21日午前9時40分ごろ、近くの海中約2メートルの岩場にうつぶせの状態で沈んでいる井戸本さんを発見。午前11時ごろに死亡が確認された。

下田海保によると、井戸本さんは友人2人と旅行で大島町を訪れており、行方不明になった直前は海岸から約50メートルの場所で素潜りをしていた。同海保は、素潜り中に岩場に体が挟まったとみて調べている。気象庁によると、20日の大島の最高気温は22・0度、最低気温は17・7度だった。

素潜りをしていた男性が岩場に挟まってしまい、浮上できずに溺死してしまったそうです。

大島に友人と旅行にでもきていたのでしょうか。50代で友人と一緒に素潜りを楽しむなんて、うらやましい人生と思ってしまいます。

しかしながら、大自然はその美しい景観と誰にも邪魔されない自分だけの空間として独占できるなど、大いに楽しませてくれる魅力があるものの、危険が隣り合わせであることも事実です。

今回も油断なんてしてはいないのでしょうけども、想定外の事態が起きてしまったには事実です。

岩場に挟まってしまい、パニックになり何とか逃れようとしたものの、自分の力ではどうにもならずに溺死してしまったと思われます。

しかしながら、本当に岩場に挟まってしまったなんてことがあるのでしょうか。もしかしたら海の生き物に襲われたのかもしれませんし、それが毒のある生き物であったら・・・。

生き物であればいいのですが、それがもしかして、海の中に潜む『何か』であったら、それに引っ張られてしまい、浮上できなかったとしたら・・・。

これから暑くなり、水場へ行く機会が増えます。

臆病になり過ぎてはいけないけれど、自然を侮らず「万が一」という事を忘れずに行動をしたいものです。

ご冥福をお祈りいたします。
海の中の手に引っ張られる



※最後に
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西武・山川穂高はどうなる? プロ野球界「強制わいせつ」過去2例は逮捕即解雇(2023年5月14日)

 再びプロのグラウンドでプレーする姿は見られるのか──。ホームラン王を3度も獲得し、3月のWBCでは侍ジャパンの一員として世界一に貢献した西武の主砲・山川穂高(31)に強制わいせつ致傷疑惑が持ち上がっている。5月11日配信の文春オンラインの記事によれば、昨年11月に20代の女性と都内で食事をした後、ホテルで女性を無理やり押し倒し、下半身から出血する怪我を負わせたという。警察は強制わいせつ事件として被害届を受理し、山川はWBC終了直後に事情聴取を受けた。文春の取材に対し、山川はホテルに行って女性に怪我を負わせたことは認めたものの、無理やり行為に及ぼうとしたことは否定している。

(中略)

山川の行為が事実だと認定されれば、この件よりも重く、解雇になる可能性は十分あるでしょう。もちろん被害者の心情を考えると、事件の程度に大小はありません」(野球担当ベテラン記者)

解雇の根拠は、統一契約書の第17条にあるという。

〈第17条 (模範行為) 選手は野球選手として勤勉誠実に稼働し、最善の健康を保持し、また日本プロフェッショナル野球協約、これに附随する諸規程ならびに球団の諸規則を遵守し、かつ個人行動とフェアプレイとスポーツマンシップとにおいて日本国民の模範たるべく努力することを誓約する。

(中略)

別に山川は運が悪かったわけではない。自らの行為を猛省しなければならない。

捜査の行方がどうなるかまだわからないが、山川の野球人生が今後も続くのかどうか、大きな岐路に立っていることは間違いないだろう。
山川穂高選手

野球どころじゃなかったのだと思います。

2023年の今シーズンは開幕から不調が続き、17試合出場で打率.254、ホームラン0本でした。

西武ライオンズの山川穂高選手が「強制わいせつ」の容疑がかけられております。警察による捜査中ですので、容疑がどうなるかは静観するしかないと思いますが、プロ野球選手としてプレー続行は容疑が晴れたとしても、少なからず影響を受けると思います。

2022年は2冠王で、今年2023年にFAを取得する予定でしたので、そうなると争奪戦は必至でして国内でもソフトバンクや巨人が参戦して30億、40億ともいわれるお金が動くと言われていましたから、お金だけではありませんが、これを棒に振ってしまったことで、何とも残念な容疑であります。

山川穂高選手の野球人生が大きな岐路にたっておりますが、地位も名誉も経済力も全て棒に振ることになりますので、繰り返しますが何とももったいない事件であります。

過去にも「強制わいせつ」事件を起こしてしまった野球選手は2人おり、その2人とも即解雇されております。世間的にも非常に冷たい目をみられることから、再就職もままなりません。

横浜大洋ホエールズ 中山裕章選手
1986年にドラフト1位で大洋に入団した中山裕章選手です。

最初のころはプロの厳しさからかなかなか勝ち星に恵まれなかったもののプロ入り3年目に10勝6敗24セーブと大きく飛躍します。

そして事件を起こした1991年までの6年間で算32勝53敗44セーブの成績を残す大活躍を見せるのです。そして1990年と1991年には球団からの期待もあり開幕投手に抜擢されていた当時のエースでした。
中山裕章選手
1991年シーズン後の11月12日午後、神奈川県横須賀市内の球団練習所から車で帰宅途中、 横浜市金沢区の11歳の小学5年生の少女のスカートの上から体を触り、その直後にも帰宅途中の6歳の幼稚園女児に、下着を脱がせるなどのわいせつな行為をしました。

神奈川県警が11月12日の事件を同一犯人の仕業と見て張り込み捜査を続けていたところ、2日後になって高級外国車に乗った中山が女子に声をかけるなどの不審な挙動を獲ったため追跡捜査し、ナンバーなどから中山選手とわかりました。

12月25日朝から警察の任意同行を求められ追及を受け、11月12日の事件を2件とも自供したため神奈川県警捜査一課と金沢署は12月25日夕、強制わいせつなどの疑いで中山を逮捕しました。住宅地は練習場から車での帰宅路に当たり、「小さい女の子なら自分の顔を知らないと思った」と供述したそうです。

球団側はセ・リーグ連盟へ「中山を無期限謹慎処分に処した上で、著しい反省の色・社会情勢の変化などを見て処分を有期限に緩和する」案を打診しました。

これは当時の須藤監督自身が中山の更生を望んでいたことに加え、大洋球団にとっても中山は「故障が治れば2桁勝利(10勝)できる投手」だったため、試合に出場できない身分の中山に対し月額約53万円の保留手当を支払うことになってでも、将来的に復帰させることを目論んでいたためでした。しかし連盟は「球団の処分は甘すぎる。社会的な償いを受けることは避けられない」として処分差し戻しを求め、須藤監督も最終的には連盟の対応に従い、中山の契約解除に至りました。

婚約者の女性(事件当時22歳)は事件後、「健気に中山を支えた」として一部マスメディアから「美談」として報道さました。しかし1992年2月6日付で、婚約者は中山に「婚約不履行となった場合は慰謝料5,000万円を支払う」という内容の書面を書かせたほか、中山が後述のように運送会社で働き始めて以降は次第にすれ違うようになり、別居するようになりました。

当時婚約していた婚約者とは泥沼の裁判劇に発展しました。中山選手の自業自得とはいえ、婚約者側の「手のひら返し」の方が有名だったのではと思います。

1992年5月ごろ、中山選手が電話で婚約者と会話していた際に「こちらに来てくれないなら別れよう」と言ったところ、婚約者の母親が電話に出て「別れるなら慰謝料を払え」と迫り、6月には婚約者側が横浜市内の中山選手宅を売買できないよう、仮処分申請を出しました。その後も中山選手側・婚約者側双方の対立は続き、同年11月には婚約者側が東京地方裁判所へ「婚約不履行」を主張して中山選手を提訴しました。

この民事訴訟合戦は1993年末になって中山選手側が2,500万円の慰謝料を支払う形で和解しました。中山選手の知人は『週刊新潮』記者からの取材に対し「本来なら離婚訴訟でさえ慰謝料の相場は500万円程度だが、中山は『裁判が長引くのは困るし、彼女に持ち逃げされた500万円・ベンツなど計約5,000万円の被害はなかったことにする』として和解金額2,500万円を提示した」と証言した一方、元婚約者は1994年8月に同誌記者からの取材に対し「自分の尻ぬぐいさえ満足にできないような中山が再びマウンドに立ったことだけは許せないし、自分も信じられない思いだ。事件の被害者・家族は見ていられないだろう」とコメントしたそうです。

しかし野球の神様はまだ中山選手を見捨ててはいませんでした。

横浜市内の財界人グループ・中山の母校である高知商高のOBらが「中山裕章君の復帰を願う市民の会」を結成し、1993年1月7日から中山の球界復帰を嘆願する署名運動を開始しました。
1993年3月には当初目標の倍以上となる約22万人の署名・嘆願書が解雇直後に声明でNPB全12球団に中山選手との無期限契約回避を申し出ていた川島セ・リーグ会長に手渡されて、復帰に向けて球界が動き始めます。

1993年12月16日午前、川島は渋沢良一セ・リーグ事務局長・児童心理学専攻の大学教授とともに横浜市内のホテルで中山と面接し、現在の心境・生活状態などを聴いた上で、中山選手の球界復帰を承認することを決定しました。

声明解除が正式に通達されたことを受け、以前から中山に関心を示していた中日ドラゴンズ(監督:高木守道)は中山との契約に向けて動き出し、1993年12月27日には中山を打撃投手(球団職員身分・1年契約)として採用したことを発表しました。

中継ぎとして1991年10月10日以来の一軍登板を果たし、1イニング1被安打0失点に抑えました。中山選手本人は前日から野次を飛ばされることを覚悟していましたが、中山選手が登板した際には多少の野次こそあったものの、拍手や声援が多かったそうです。

1996年にはセ・リーグ代表監督・野村克也(当時・ヤクルト監督)の推薦によりサンヨーオールスターゲーム全セ(オールセントラル・リーグ)に選出され、大洋時代の1989年以来7年ぶりの代表選出を果たしました。

そのオールスターゲームでは第3戦(7月23日・富山市民球場アルペンスタジアム)で先発投手・斎藤隆(横浜)の後を継ぎ、3回表に二番手投手として登板。イチロー(オリックス・ブルーウェーブ)・村松有人・秋山幸二(ともに福岡ダイエーホークス)・清原の計4人と対戦し、同回の先頭打者(1番打者)イチローに右中間三塁打を打たれると、続く2番打者・村松の中犠飛で球宴初失点(1点)を喫しましたが、2死で迎えた清原を145 km/hの速球で空振り三振に打ち取り、1回1被安打2奪三振1失点の成績を残しました。

そして2001年までに中日でプレーしたものの、戦力外通告を受けて12球団合同トライアウトには計2回参加しましたが、獲得に手を挙げるNPB球団はなかったため、台湾プロ野球・韓国のKBOリーグへの移籍を視野に現役続行を目指しました。

そして台湾プロ野球の中信ホエールズ に現役引退となりました。

復帰した中日では1994年から2001年まで中継ぎやリリーフとして活躍、通算で19勝18敗18セーブという成績を残しました。

多くの人に支えられて復帰、更生したプロ野球人生だったのです。

読売ジャイアンツ 杉山直樹選手
1987年のドラフト会議で読売ジャイアンツから6位で指名され、1988年に入団した杉山直樹選手です。

1995年には大久保博元、吉原孝介の不調もあり、村田真一に次ぐ2番手の捕手として一軍に定着。この頃、13歳年上の女性と結婚して話題となりました。1996年には最多の66試合に出場しました。特に1995年はルーキー河原純一、1996年は新外国人バルビーノ・ガルベスの専属捕手として、勝利に貢献した将来を嘱望された捕手でした。

2000年には読売ジャイアンツがリーグ優勝を決めた試合で先発マスクを被るなど、長嶋茂雄監督など首脳陣からの評価も高かったのです。
杉山直樹選手
2000年10月25日、日本シリーズに備えて宮崎で行ったミニキャンプ中、宮崎市内のスナックで同席した女性の胸を触ったほか、近くの路上で無理やりキスをし、「いい加減にして」などと言われたことに腹を立てて、履いていた靴で女性の頭を3回殴り5日間のけがをさせたとして、強制わいせつ致傷の疑いで逮捕されました。

プロ野球の現役選手が逮捕された事例は当時、1991年に横浜大洋ホエールズ(2000年当時は「横浜ベイスターズ」)の所属選手だった中山裕章(2000年当時は中日ドラゴンズ所属)が強制わいせつ・公然わいせつ容疑で逮捕された事件以来でした。その後、被害者女性とは示談が成立し、社会的制裁を受けていることもあって、起訴猶予となりました。

逮捕に際しては、逮捕当日の午前中、「プロ野球選手のまま逮捕されるのは嫌だ」という杉山の意向もあって、事情聴取される直前に球団に退団願が提出され、それを受けて球団が解雇しました。そのため、日本テレビ『NNNきょうの出来事』、『読売新聞』や『朝日新聞』は、元プロ野球選手、元巨人として報道されました。

巨人の私設応援団が復帰嘆願の署名を集めましたが、約2万人でした。中山さん選手の10分の1であり、これは選手の実力、知名度と世論の後押しがあるかないかで復帰できるかできないかの異なる例になります。



※最後に
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西武・山川穂高が登録抹消…知人女性とトラブルと文春報道(2023年5月12日)

 西武の山川穂高内野手(31)が12日、出場選手登録を抹消された。球団は抹消理由について、「総合的に判断してコンディション的に抹消」と説明している。山川については「文春オンライン」が11日、知人女性とのトラブルを報じている。

11日にベルーナドームで行われたロッテ戦後、山川は報道陣に対し、「僕から言えることはありません」と答えた。同ドームで行われた12日の楽天戦前の練習には姿を見せなかった。

山川は3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表メンバー。今季は17試合で打率2割5分4厘、0本塁打、5打点にとどまっている。

■知人とのトラブル
『文春オンライン』によると、山川選手は2022年に知り合いの20代女性・A子さんを都内のホテルに連れ込み、下半身などから出血するケガを負わせたという。警察は強制わいせつ致傷容疑でA子さんの被害届を受理し、山川選手に事情聴取を行うなど捜査中だと報じられた。記者の直撃に対して、山川選手は「弁護士をつけているので詳しいことは話せない」としつつ、「絶対に無理矢理ではない」と繰り返している。
山川穂高どすこい

西武ライオンズの山川穂高選手に強制わいせつ容疑がかけられてニュースが飛び込んできました。

過去3度のホームラン王と日本球界のホームランアーチストとして実績は十分ですし、2023年のWBCにも選ばれるぐらいの日本を代表する選手であることは間違いありません。

被害者の方からの被害届を警察が受理していますので、山川穂高選手に事情徴収を含めて捜査中ですので、事態を見守るしかありません。

ただし、選手生命がピンチになっているのは間違いなく、不起訴でも長期間の出場停止、起訴されれば選手生命が経たれてしまうでしょう。

2022年はホームラン王、打点王の2冠で選手として脂ののった時期でありますし、まだ年齢は31歳です。そして今年FA(フリーエージェント)の資格を得る予定でしたので、これだけの選手であれば、年俸はマネーゲームでかなりの高騰をすることは間違いありませんでしたので、非常に残念な結果になってしまいました。

過去にも選手が女性とのトラブルで選手生命が絶たれてしまった選手がいましたので紹介します。

こんなことでキャリアが絶たれてしまうなんて非常に残念です。

千葉ロッテマリーンズ 清田育弘選手
これは近年なので覚えていると思います。千葉ロッテマリーンズが2021年5月23日、清田育宏外野手の契約を解除した件です。

清田選手は2020年9月末からの札幌遠征中に不倫相手の女性と連日会食に繰り出して不貞行為に及んだことを写真週刊誌に報道され、コロナ禍で内規違反を犯していたにもかかわらず〝隠蔽工作〟を行うなど極めて姑息で悪質な愚行が発覚しました。

2021年1月15日付で無期限謹慎処分となった後、2021年5月1日付で解除され二軍戦にも出場しましが、再び同じ写真週刊誌によって21日に今度は違う女性との不倫疑惑を報じられました。

千葉ロッテマリーンズは、今度ばかりはもうさすがに庇えないと判断したようで決断は早かったです。

何せ前回に下した無期限謹慎処分は決定から僅か3カ月半で解除されており、結局名ばかりの大甘ペナルティが清田の無自覚を増長させていたとみられても仕方がないですし、一度ならず二度までも背信行為を繰り返しながらズルズルと契約を結んだままであればチーム全体に悪影響を与え、球団はもちろんのことロッテ本社のイメージダウンも避けられなくなります。

2021年2月で35歳となった清田選手はプロ12年目でした。2015年には打率3割1分7厘、15本塁打、67打点をマークし、ベストナインに選出された経歴を誇ります。2020年もシーズン終盤に4番を任されるなどベテランながらも主力としてチームで存在感を見せていたのです。

清田選手の契約解除発表は写真週刊誌による2度目の不倫疑惑報道から、たったの2日後の2021年5月23日でした。異例の「スピード解雇」には、批判覚悟で一度は手を差し伸べたにもかかわらず、その恩をアダで返された球団側の激しい怒りがにじみ出ているとみられています。

清田選手は2021年11月、新型コロナウイルス禍で不要不急の外出をしたことなどを理由に契約を解除されたことについて「処分は違法で無効」として、球団選手としての地位確認や計約9700万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしました。

そして、清田選手は2023年2月8日、契約解除をめぐり裁判で争っていた元所属先の千葉ロッテマリーンズ球団と円満和解したことを自身のInstagramアカウントで発表しました。清田選手が訴訟を取り下げ、裁判外で和解しました。和解内容は公表されていません。

訴訟の取り下げですので契約解除の無効は主張しないということになり、清田選手のロッテ復帰は完全になくなりました。
真面目に生きていれば千葉ロッテマリーンズで引退し、コーチになれたものを・・・。
清田育宏

横浜DeNAベイスターズ 綾部翔選手
横浜DeNAベイスターズの 綾部翔選手ですが、未成年と付き合っていたことは問題ですが、それ以上に注目を集めたのが、付き合っていた人数です。

横浜DeNAベイスターズは2019年7月16日、綾部翔(当時22歳)選手が神奈川県の青少年保護育成条件に抵触する可能性があるとして、同投手の無期限の謹慎処分にしたと発表しました。

球団によりますと、綾部選手は2017年12月にインターネットを介して知り合った女子高校生と不適切な関係を持ったといい、本人も相手が高校生と認識していたとのことです。

綾部選手は2015年秋のドラフトでDeNAから5位指名を受けて、茨城 霞ヶ浦高校から入団しました。

プロ2年目の2017年10月3日の中日戦(横浜)でプロ初登板初先発し、5回4安打無失点でプロ初勝利をマーク。将来を嘱望されましたが2018年からは右肩手術の影響から1軍での登板はありませんでした。プロ通算登板は1勝0敗、防御率0.00です。

綾部選手はSNSを介してDeNAファンだった女子高生にメッセージを送り、知り合ったといいます。これをリークしたのが妻のA子です。

そのA子さんの証言ですと
「昨年、彼が複数の女性と不倫していることが分かり、11月末に女性の名前を問いただしたところ、当時高校生だった少女の名前もあがりました。

彼は会った当時、少女が18歳未満だったことを認め、『2017年12月にホテルに行った』と肉体関係も認めました。

その後、『法に触れることと触れないことの区別はつくと思う』と追及しても、うなだれるだけで言葉を返しませんでした。女子高生と関係を持った時期は、私の妊娠がわかって2カ月後の入籍に向けて婚約中でした」

奥さんを裏切った代償がリークというわけです。

そして、綾部選手は未成年者との不適正な関係以外にも18人との関係をもっていました。交際範囲が広く、球団職員、主婦や艶系女優さんらがいたそうです。

横浜DeNAベイスターズをトライアウトを受けてプロ野球界に復帰しようと試みましたが、主催者側に混乱になるとのことで断られました。

当時は「流石!DNAのエース」と揶揄されたものです。
綾部翔



※最後に
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今年も世間はGWに突入しました。2023年は5月1日、2日を休めば4月29日から5月7日までの9連休という大型連休になります。

せっかくの休みですので、家族で観光やレジャー出かけて楽しむことも多いでしょう。しかしながら、多くに人が出かけるGWは事故も多発しております。毎年のことで「事故にあわないための心得」のニュースで放送されたり、専門家や警察からの教宣がありますが、結局のところ、何人かの方々が事故にあわれてしまいます。

❖水難事故
 川の深みにはまってしまう、海では離岸流に流される、酔って泳いで溺れてしまう、特に悲惨なのが、子供が溺れて親御さんが助けますが、親御さんが溺れて亡くなってしまい、子供だけが助かるというものです。子供だけでは絶対に行かせてはいけません。遊泳禁止エリアや立ち入り禁止エリアで発生することも多いのですので、しっかり監視しておくことです。浅い川でも深みがどこにあるかわかりませんので救命胴衣をつけて遊ばせるのが基本です。

 ●2023年の水難事故(事故があれば追記)
  事故がないことを祈ります。事故があれば追記します。

 ■ラフティングボート転覆 大学生が不明(2023年5月6日)
  5日、群馬県の利根川で7人乗りのラフティングのボートが転覆し、男子大学生1人が行方不明です。
  午後4時20分ごろ、群馬県みなかみ町の利根川で「ラフティングのボートが転覆した」と119番通報がありました。警察によりますと、転覆したボートには乗客6人とスタッフ1人が乗っていて、何らかの理由でバランスを崩し、転覆したということです。
  6人は自力で岸にたどり着きましたが、19歳の男子大学生1人が行方不明です。乗客の6人は大学の友人で、一緒にラフティングツアーに参加していました。当時は合わせて3艇のラフティングボートが川を下っていましたが、転覆したのは一番後ろの1艇だけだったということです。ツアーのスタッフは警察に「川の流れは、普段と変わらなかった」と証言しているということです。
  5日は警察や消防合わせて20人ほどが捜索しましたが見つからず、6日も早朝から捜索する予定です。
 【追記】
  群馬県警と地元消防は6日、同県みなかみ町の利根川で5日夕にラフティングボートが転覆し、埼玉県伊奈町の男子大学生(19)が行方不明になった付近を捜索し、男性1人の遺体を発見した。県警は不明の大学生の可能性があるとみて、身元の確認を急いでいる。


❖山岳事故
 山岳事故は40歳以上の中高年登山者が8割と占めます。特に経験の少なく軽装備で山に入ってしまって遭難するパターンです。登山とキノコ・山菜採りが最も多い山岳事故です。登山は経験が少ないと道に迷って遭難してしまうことが多いです。その場合は無駄に体力を消耗してしまいますので、むやみに歩き回らないことです。そして慣れない場所を歩くことで転倒して骨折、捻挫をしてしまい動けなくなることです。また滑落して亡くなってしまうことが多いので、崖近くに近寄らない、ルート以外の道に行かないなどの基本的なルールを守ることです。ハイキングならまだしも沢登り、岩登りは体力が衰えた中高年登山者の方はできる限り、安全なルートで登るべきです。

 ●2023年の山岳事故(事故があれば追記)
  事故がないことを祈ります。事故があれば追記します。

 ■【速報】北アルプス前穂高岳で男性3人滑落 2人死亡、1人重傷(2023年5月2日)
  北アルプス前穂高岳で3人の登山者が滑落し、長野県の県警ヘリなどが救助しましたが、2人の死亡が確認されました。
  警察によりますと、2日午前9時過ぎ、北アルプス前穂高岳奥明神沢付近(標高約2500メートル)で登山をしていた3人の男性が滑落しました。
  県警ヘリや地元の山岳遭難対策協会などが救助しましたが、2人が死亡、1人は骨折の大けがを負いました。
北アルプス前穂高岳で登山中滑落

 ■南アルプスで静岡市の女性が滑落 救助するも意識不明の重体 雪で足を滑らせたか(2023年5月3日)
  南アルプスの悪沢岳付近を登山中だった静岡市に住む50歳の女性が滑落し、意識不明の重体です。警察によりますと、南アルプスの悪沢岳付近で登山中だった静岡市葵区に住む女性(50)が約500メートル滑落したということです。
  2日午前9時半ごろ、「後ろで妻の叫び声が聞こえ、振り返ったが妻の姿が見えなくなった」と一緒に登山をしていた夫から110番通報がありました。
  午前10時15分ごろ、捜索中の県警のヘリに発見され、約45分後に病院に搬送されましたが、女性は意識不明です。
  滑落した女性は夫と共に4月30日、畑薙から登山を開始し、1日目は椹島で一泊、2日目は千枚小屋に泊まり、3日目となるきょうは悪沢岳の頂上から中岳方向へ向かっている途中だったということです。
  警察は現場に雪が残っていて、女性が滑って滑落したとみています。


❖交通事故
 交通事故が多く発生するのは車の発進時です。観光やレジャーで親御さんが運転して特に高速のパーキングエリア、サービスエリア(この2つに明確な違いなし)で駐車して車の周りで子供が遊んでいて、親御さんが子供が車の陰にいるのを確認できずにに発車してしまい事故が発生するというものです。特に幼児の死亡事故が多く、ドライバーが安全確認を怠っていたケースがほとんどです。逆に車から子供をおろしたら手をつないで休憩所にいきます。普段はハンドルを握らないマイカー族(ホリデードライバーともいう)がレジャーや観光地に繰り出すので危険は増すのです。

 ●2023年の交通事故(事故があれば追記)
  事故がないことを祈ります。事故があれば追記します。

 ■山形自動車道 トンネル内の事故で1歳児含む3人が死亡・2人が重傷  1歳児乗る車は横浜市の家族で借りた車で観光中(2023年5月2日)
  2日午後、山形県鶴岡市の山形自動車道のトンネル内で乗用車同士が正面衝突し5人が死傷した事故で、20代女性と1歳児の2人が死亡した車に乗っていた横浜市の家族は、宮城県の親族から借りた車で観光に出かけていたことがわかりました。
  この事故は、2日午後2時すぎ、山形県鶴岡市の山形自動車道田麦俣トンネル内で、横浜市の早坂覚啓さん(29)が運転する普通乗用車と、山形県上山市の佐竹雅樹さん(24)が運転する普通乗用車が正面衝突し炎上するなどしたものです。
  警察や消防によりますと、鶴岡方面に向かって走っていた早坂さんの車が対向車線にはみ出し、山形方面に向かっていた佐竹さんの車に、正面衝突したということです。
  この事故で、早坂さんの車の後部座席に乗っていた妻の未空さん(24)が気道閉塞の疑いで、また1歳の息子の青遥ちゃんが心臓損傷の疑いで死亡が確認されました。早坂さんも臓器損傷の疑いで重傷となっています。
  また、佐竹さん側は、助手席に乗っていた茨城県常陸太田市に住む祖母の石川和美さん(73)が出血性ショックの疑いで死亡しました。佐竹さんも左前腕部骨折の大けがをしています。
  その後の警察の調べで、早坂さんは宮城県に住む親族に車を借り、観光で庄内地方に向かう途中だったということです。また佐竹さんも、通行目的は観光でした。
  現場は、中央分離帯のない片側1車線の道路で、事故で、およそ6時間に渡り全面通行止めとなっていました。現在、警察で、早坂さんが、なぜ対向車線にはみ出したのかなど、事故の詳しい原因を調べています。
山形自動車道トンネル内の事故




※最後に
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熊野古道で米国人女性が遭難、手がかりなく…家族が来日して捜索「情報寄せてほしい」(2023年4月29日)

 奈良県十津川村の熊野古道で10日に行方不明となった米コネティカット州のウームラッド・パトリシア・ピーツェンさん(60)の夫・カークさん(60)ら家族が来日し、村で捜索活動に加わっている。カークさんは27日に取材に応じ、「多くの人に状況を知ってもらい、少しでも情報を提供してほしい」と話した。(山田珠琳)

捜索には警察や消防など延べ300人以上が参加。ウームラッドさんが訪れた付近で活動を続けるが、手がかりがないという。

ウームラッドさんは3月に来日して友人らと過ごした後、四国遍路に挑戦。その途中で「熊野古道というよく似ている場所がある」と薦められ、4月9日、村を訪ねた。

同日夜は十津川村五百瀬の民宿に宿泊。翌10日午前7時頃、民宿の従業員と熊野古道入り口で別れた。カークさんは14日、遭難の知らせを受け、「信じられなかったが、必ず見つけると決断した」と言う。

次女、長男とともに18日までに現地入りして、捜索ボランティアや警察と情報を共有したり、熊野古道を歩いたりしてウームラッドさんを捜している。

ウームラッドさんは2020年にエンジニアを退職。「世界中をハイキングしたい」と、スペインのサンティアゴ巡礼路やペルー、エジプトなどを巡っていた。長距離に慣れるため、毎日15~30キロを歩く訓練もしていたという。

カークさんは「彼女は方向感覚も優れていて万全な準備をする人。今回は日本と聞いて心配していなかったが……」と表情を曇らせる。ただ、熊野古道を実際に歩いてみて、「急斜面が多く、落ちたらとても危険だと思った」と語る。

2人は5月11日、結婚33年を迎える。6月には再びスペインを旅する計画もある。カークさんは「彼女なしの生き方は考えられない。早く見つけるため、どんな小さな情報でも寄せてほしい」と呼びかけている。

家族らは「helpfindpattie」のハッシュタグ、アカウント名で、ツイッターなどのSNSで情報提供や捜索ボランティアを求めている。問い合わせは次女マーフィーさんのメール(murphymurad@gmail.com)へ。
熊野古道

アメリカ人女性のウームラッド・パトリシア・ピーツェンさん(当時60歳)が奈良県の熊野古道で遭難して行方不明になり約20日が経過しました。

熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)へ向かう参詣道のことを「熊野古道」と呼びます。
平安時代の上皇や貴族も訪れ、やがて庶民にも広まり、旅人の行列は「蟻の熊野詣」と言われたほどでした。
熊野古道全体マップ2
日本の国は治安はいいのですが、日本の山の地形は海外に比べて急峻なので、危険はやや高いのかもしれません。

熊野古道の遭難が多いかどうかは知りませんが、日本の中では山林域が広大な方なので捜索は大変だろうと思われます。

四国遍路をやっている途中で、熊野古道を勧められて存在を知ったのか。誰が余計なことを教えたのかだが、知識がないまま現地に入ったのでしょうか。

行方不明になってから時間も経過していますので滑落する危険がある場所、その崖下を重点的に捜索するしかありません。

熊野古道で人気の中辺路ルートでも、歩く人は外国の方も多いそうです。

熊野古道の山は人を寄せ付けないほどの厳しい環境です。少しでも迷ってしまうと誰かに気が付いてもらえる場所ではなく、スマホの電波も届かないエリアもあります。

熊野古道中辺路ルートの一帯では「ツキノワグマ」が生息しています。熊野古道では「ツキノワグマ」に人が襲われた事件は発生しておりませんが、岩手県や長野県では襲われる事件が発生しております。

不測の事態が起きても一人で何とかできる覚悟と本気の装備が必要であることを周知しないといけないのかもしれません。



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奈良山中で行方不明のアメリカ人女性 警察の捜索続く 熊野古道通り十津川村平谷へ向かったか 10日夜に宿泊予定先に到着せず(2023年4月21日)

 4月10日に奈良県十津川村の民宿を出た後、行方不明になっている米国人女性の捜索を警察が続けています。

行方がわからなくなっているのは、米国籍のウームラッド・パトリシア・ピーツェンさん(60)です。
米国籍のウームラッド・パトリシア・ピーツェンさん(60歳)
警察によりますと、ウームラッドさんは10日午前7時ごろに、1人で泊まっていた奈良県十津川村の民宿を出発し、熊野古道を通って十津川村平谷に向かったとみられています。

夜になってもウームラッドさんは宿泊予定だった施設に到着しなかったため、従業員が通報しました。

警察や消防は21日も30人態勢で行方を捜し、防犯カメラも調べていますが発見には至っていません。

ウームラッドさんは身長157センチで、ピンク色の服に黄色いリュックを身につけていたということです。


コロナ禍も落ち着いてきて、インバウンドの観光客が戻ってきました。ただし、またまだだそうで訪日の外国からの観光客は2019年に比べて6割程度です。それでも活気が戻ってきたのはいいことですが、心配なニュースが出てしまいました。

アメリカからきた女性観光客の1日が奈良県十津川村で行方不明になってしまったものです。奈良県十津川村の民宿を出発して熊野古道(飲料水で有名)を通って十津川村平谷に向かったそうですが、予定時間を過ぎても宿泊施設に到着しなかったそうです。

熊野古道から外れて間違った道に入ってしまったのでしょうか。
熊野古道
行方不明から10日という、かなり日が経っているので心配です。

深い森ですので、山中で迷ったか滑り落ちてしまったか、川に近づいて落ちてしまったか、あるいは野生動物に遭遇したか、といろいろな想像ができます。

スマートフォンの電波から追えないのかなとも思いますが、10日経っていますので電源はないでしょうし、そもそも電波が届いていたところがわかりません。土地勘もないと推測すると厳しい状況になっています。

奈良の山では道迷い遭難した方が数日後に無事に救出された例が過去に複数あったと記憶しています。この方も無事に見つかることを祈っています。

比較的安全な日本も以前とは異なる犯罪が次々と起きています。以前、山の中の天然露天風呂に女性1人で行って襲われた人がいました。いくら日本とはいえ、女性1人で奥深い山道を歩くのは危険な気がします。

日光でもフランス人の方が行方不明になられたままだった気がします。折角楽しく日本観光をされているのに不幸な目に遭う様なことのない様に、用心して観光を楽しんで頂けたらと思います。

4年前に日光で不明のフランス人女性家族が情報提供呼びかけ(2022年12月19日)

 4年前、日光市を観光で訪れ、行方が分からなくなっているフランス人女性の家族が3年ぶりに来日し、情報提供を呼びかける活動を行いました。
フランス人のティフェヌ・ベロンさん(当時36)は、平成30年の7月29日、観光で訪れていた日光市内の宿泊先から徒歩で外出したあと、行方がわからなくなっています。
17日は、3年ぶりに来日した兄のダミアンさん(42)が、妹のシビルさん(37)や日本の支援者とともに、日光市内でチラシを配るなどして情報提供を呼びかけました。
先月下旬に来日したダミアンさんは東京都内で支援者らと集会を開いたほか、フランス大使館の領事らとともに日光警察署を訪れ、捜索の強化などを依頼していました。
警察は持病のあるティフェヌさんが外出中に倒れたか、遭難した可能性もあると見て、事件と事故の両面から捜索を行っていますが、これまでに有力な手がかりは得られていないということです。
ダミアンさんたち家族はおよそ3週間の滞在を終えて18日、日本を出国したということです。
兄のダミアンさんは、「ティフェヌは日本が大好きでした。ティフェヌがいなくなってもみんなが協力して彼女を探しているので見つからないことはないし絶対見つけます」と話していました。
仏国籍のティフェヌ・ベロンさん(40歳)



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大丸別荘社長が遺書を残して死亡「それでも“不衛生温泉”は消えない」専門家が指摘するずさんな検査体制(2023年3月12日)

大丸別荘元社長
 3月12日、老舗温泉旅館「二日市温泉 大丸別荘」の山田真前社長が、死亡しているのが見つかった。遺体の近くには山田前社長の車があり、「あとは頼む」といった遺書のようなものが発見されており、自殺とみられる。

「2022年に、大浴場の湯から基準値の3700倍となるレジオネラ属菌が検出されたうえ、保健所に虚偽の説明をしていたことが2023年2月下旬に発覚しました。塩素の投入を怠り、大浴場の湯を年に2回しか入れ替えていませんでした」(事件担当記者)

山田前社長は会見で、「レジオネラ症はたいしたことないだろう」「塩素の臭いが自分の体質に合わずに嫌いだった」と、温泉の衛生管理について甘い認識があったと語っていた。

県警の捜査が進むなか、衝撃的な事件まで発生してしまった、大丸別荘のレジオネラ菌騒動。だが、「決して他人事ではない」と語るのは、温泉旅館関係者だ。

「もちろん、大丸別荘ほどの規模がある旅館で、こんなにひどいことは通常、ありえません。温泉施設にとって湯抜き清掃は、ルーティンの作業なので、それを怠るということは、よほどの事態です。レジオネラ菌の発生が問題となったケースは、大抵の場合、循環ろ過装置の管理や取り扱い方が不十分だったことが原因です」

だが、レジオネラ菌の検査は、宿の自主検査に任せられているという。

「自治体にもよりますが、基本的には自分たちで検査をして、もしも菌が検出されれば、保健所に報告する義務がある、という状態です。もちろん、正直にそんなことをする旅館ばかりとはいえません。保健所による検査もありますが、これも完全な抜き打ちというわけではなくて、多くの場合、事前に検査をする日を知らされるんです。

湯抜き清掃の頻度は、最低1~2週間に1回以上を義務づけているところがほとんどですが、たとえば家族経営のような小さな温泉宿で、経営者が高齢で清掃作業が行き届かないため、結果として“サボってしまう”旅館があっても不思議ではありません」

温泉ソムリエや温泉入浴指導員の資格を持つ、リスクコンサルタントの井ノ口樹(いのくち たつき)氏も、「このままでは“不衛生温泉”がなくなることはありません」と語る。

「結局、現在の検査体制を変えない限り、“第2の大丸別荘”が出現する可能性はありますよ。

温泉は、人気商売です。大丸別荘についていえば、 旧来の常連客がある程度売上を支えてくれる可能性はありますが、今回の事件でのイメージダウンは大きく、当面の間は売上の減少は避けられないでしょう。

コロナ禍が落ち着き需要が高まってきた今のタイミングで再び売上が減少するのは当然大きな痛手であり、財務状況次第では非常に厳しい状況に追い込まれる可能性があります。1度でもこのような事件を起こしてしまえば、致命的なダメージになるわけですが、すべての温泉宿が、きちんとしたリスクマネジメントができているわけではありませんからね。

各自治体に頼らず、全国一律で、きちんとした検査方法やチェック体制を整える必要があると思います」

惰性で続いた“手抜き”が、取り返しのつかない問題となることもある。この“悲劇”の再発を防がなければならない。

とても残念なことになりました。老舗温泉旅館「二日市温泉 大丸別荘」の山田真前社長が遺書を残して亡くなったのです。遺書があるので自殺です。

昭和天皇も宿泊されたことのある由緒と伝統のある老舗旅館の看板を汚したのを、元社長が命を絶つことで、その信頼が回復するいうことはないを理解せずに、このような結果になったことはとても残念です。

むしろ、このことによってこの旅館の信用と信頼を回復する道のりが、より厳しくなってしまいました。

この地域の観光産業や、従業員の皆さんの生活に先行きに暗雲が立ち込めていることは間違いないですし、そこを背負う覚悟がなかったのだと思われます。

老舗旅館の経営が厳しくなったのですが、従業員たちと一緒に信頼回復に努めていくことが元社長の責務ではなかったのではないでしょうか。

不祥事が発覚してから、事の重大さに気が付いて悩み自殺する経営者が結構が多いと感じます。人間は非常に脆くて無力なのですね。

今回発覚さえしなかったら、老舗旅館では元社長の条例違反は続いていたのかと思うと一番の被害者は利用者なんです。知床の遊覧船の逃げおおせた社長とは違うのでしょうが、そんな企業経営者は山ほどいるんでしょうね。ニュースで事件になるのは氷山の一角です。

このような施設に対する抜き打ち検査は必要なのかもしれません。日本の性善説に立っている検査ですすし、官と民がズブズブの関係ですので行政指導も甘いです。ここらで性悪説に基づく検査を増やしてほしいものですね。



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ごみ収集車に巻き込まれ作業員が死亡 山梨県市川三郷町(2023年2月24日)

 市川三郷町で、ごみ回収作業をしていた男性がごみ収集車に巻き込まれる事故があり、死亡が確認された。

亡くなったのは、市川三郷町上野の清掃作業員宮川耿志さん(81)だ。警察や消防によると、宮川さんは24日午前8時40分ごろ、市川三郷町山保でごみ回収作業中、収集車のごみ投入口に上半身が巻き込まれた。通報を受け、警察や消防が宮川さんを救出し病院へ搬送したが、死亡が確認された。

当時、回収作業は作業員2人で行っていて、警察が事故の原因を詳しく調べている。
パッカー車
※一般的には「ゴミ収集車」「パッカー車」と呼ばれていますが、正式名称は塵芥車(じんかいしゃ)です。塵(ちり)はそのままちりで、芥(あくた)はごみ、くず、廃物を指します。

「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」とは、労働者の苦悩を見事に歌った石川啄木ですが、それが、江戸時代だろうが、石川啄木の生きた明治時代だとうが、現代今まさに生きている令和の時代だろうが、いつの時代も同じでして、貧乏な状況に置かれますと、なかなかそこから抜け出すことは叶わずに一生涯、お金に困りながら暮らすことになります。

それは年金受給開始を起点としますと、それより前の自分が元気でしっかり働いている現役時代でも、収入の優劣はつきますし、少ない給料から、一家を養っていれば、やれ食費だ!光熱費だ!そして家賃だ、子供の授業料だといろいろ出ていくわけでして、それに加えて家を購入していれば家賃の代わりに住宅ローン返済や固定資産税、マンションだったら修繕積立費と管理費もプラスされますし、車を購入したらマイカーローンもあるわけです。

現役生活が終わり、僅かばかりの退職金(今の時代は出ればいい方なのかも)を貰いますが、それでは人生100年時代では心もとないですし、現役時代に納めていた年金も、いざ貰うとなっても、現役時代の年収に比例するものですので、現役時代に収入が低ければ、貰える金額も低いとなっております。そして、この超少子高齢化時代で世代間で支えるこの年金モデルはすでに破綻しておりますので、毎年のように少なくなっていくわけです。

年金時代になろうが、現役時代に組んだ住宅ローンやマイカーローンの残債が残っていたりしますし、毎月出ていく食費やら光熱費など出ていくお金は変わり映えありませんので『現役生活が終わったー、やれやれ、少しゆっくりしよう!』なんていうのは、もはや贅沢でしかありません。

そうなりますと、いよいよ、死ぬまで働いてお金を稼がなきゃなりませんが、老いてくると現役時代とは違い、社会の期待度も低くなってきますので、そもそも、まともな職業がありません。

簡単な作業や流れ作業など、体は老いていくのに、肉体を使った労働しかなくなっていきますが、仕事を選ぶことはできません。現役時代のように、頭を使うことも動くこともできませんので、動きも鈍いし、力もない、そんな状態で肉体労働に従事していますと、このような巻き込まれ事故に会うのは必然と言えるのです。

自分の老後にはどんな運命が待っているのでしょうか。



※最後に
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【速報】工場で鉄板倒れ「人が挟まれる」7人がケガうち5人搬送 1人の死亡を確認 2人が意識不明の重体 2トンの鉄板13枚が『ドミノ倒し』か 大阪・岸和田市(2023年2月6日 13:28)

 2月6日昼ごろ、大阪府岸和田市の工場で「鉄板に人が挟まれた」と通報がありました。警察などによりますと、7人がけがをしていて、そのうち男性5人が搬送され、1人が死亡、2人が意識不明の重体だということです。

警察によりますと、鉄板は幅約2m、高さ約9mで重さが2トンほどあり、13枚の鉄板がドミノ倒しのように倒れたとみられます。

警察が詳しい状況を調べています。現場は南海・和泉大宮駅から北西に2キロほど離れた工場が集まる場所です。
大阪岸和田市工場


【速報】高所作業車倒れ、投げ出された男性2人死亡 地上10メートルで伐採中 茨城・つくば(2023年2月6日 16:14)

 6日午前11時35分ごろ、茨城県つくば市西高野の雑木林で、樹木の高枝を伐採中の高所作業車が倒れ、バケットに乗って作業をしていた男性2人が地上約10メートルから投げ出され、地面に落下した。

2人は搬送先の病院で死亡した。県警つくば署によると、亡くなったのは同市の男性(45)と住所不詳の男性(38)。同署が作業車が倒れた原因などを調べている。
茨城県つくば市西高野

またまた、悲しい事故が起きました。

ひとつ目は大阪岸和田市の工場で幅2m、高さ9m、重さ2トンとの13枚の鉄板がドミノ倒しで倒れて、下敷きになった方が1人亡くなられたのです。また2人の方が重体とのことです。

ふたつ目は茨城県つくば市の作業場で工事用バケットが倒れて乗っていた人が10m落下して亡くなられたのです。
工事用バケット

なんとも痛ましい事故が続いております。1月29日には広島県広島市の産業廃棄物処理業者のリサイクル場で粉砕機で巻き込まれて1人の方が亡くなられております。この1名の方は、事故当時は誰もそばにいませんので、骨の一部と飛び散った血が残っていてDNA鑑定の結果で判明したのです。

残念ながら、多くの企業や組織は生産性や低コストに重点を置き、安全性にお金や時間をかけないというのが実情だと思います。

工場や現場作業の安全性は昔に比べて大分よくなったのか?はわかりませんが、今も昔もこの手の悲惨な事故の話はなくならないというのが実感です。

この手の事故が発生して作業時は2人体制の維持や危険な場所に防護柵設置など安全管理の見直しが何度叫ばれてきたことでしょう。共有化もされていますが、それが役に立てるのは、最終的に各企業であり、うまく役立てられているとは言えず何度も繰り返しているのが実情です。

◆労働新聞社

労働災害事例シート

そして作業員の意識改革も必要です。毎日、ノルマにされている仕事量が多く、効率的にこなそうとして、とても危険な場所にいるのに慣れてしまう。どうしても危機意識が薄れてしまい、突如訪れた危機にパニック状態になってしまい、うまく対処できないと思います。

もちろん、こんな危険な場所で誰も好んで働きたいとは思わないはずですが、給料を貰って生活していますので、そう簡単にやめることなんてできません。

ただ、立ち止まって考えてほしいのは、安全性をないがしろにしている会社に勤めていれば、おのずと肌で感じるはずです。

そこでひとつの事件をご紹介します。

シンガポールで英男性がカワウソに襲われケガ、「死ぬかと思った」(2021年12月16日)

 シンガポールでは街の中にカワウソが生息しており、時折目撃することがあるが、先日イギリス人の男性が襲われる出来事が起きたという。

その男性とは、シンガポールに在住しているGraham George Spencerさんだ。

彼は11月30日の朝、友人と散歩をし、市営の植物園の入口に来たところ、目の前に子連れのカワウソ20匹ほどを目撃したという。

そこへマラソンをしている人が現れ、まだ暗かったせいか、そのままカワウソの群れに突っ込んでしまったそうだ。

その後、ランナーはそのまま走り去ったが、カワウソは狂暴になり、Spencerさんに襲い掛かってきたという。

カワウソは彼の足首を噛み、Spencerさんは地面に倒れた。さらにカワウソは彼の足とお尻を噛み始め、顔を守ろうと手を挙げた彼の指を噛んだものもいたとか。

一緒にいた友人は大声で叫んで、何とかカワウソを追い払ったが、ビジターセンターに助けを求めようと向かったところ、再びカワウソに追いかけられたという。

結局、Spencerさんは病院で治療を受けたが、26カ所の傷の一部を縫う必要があり、破傷風の注射と抗生物質を投与された。
カワウソに襲われた方

本来、人間を襲う事のないカワウソの群れにに襲われたのですが、襲われたときに感じた言葉が人間の強さ、底力を端的に表しているのです。カワウソに噛まれていた時、「10秒ほどだったのだろうが時間(とき)が止まったようだった」そうですが、このようなことを考えていたのです。

『このままでは死ねない。』

『おれはこんな死に方でいいのか?』

『父親がカワウソにかみ殺されたと聞いて子供たちは何と思うだろうか?』

これを危険な現場で、もしかしたら命を脅かされるような状況下で働かなければいけないとなったら、カワウソに襲われた人のこの言葉を考えてほしいのです。

危険現場であれば、事故にあったら一瞬で命が脅かされてしまい遅いので、危険現場で作業していることを自覚して事故にあう前に少しでも考えてみてほしいのです。



※最後に
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