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カテゴリ: スポーツ

※2023.5.24改題(旧題:【いばらの道か、修羅の道か?】西武・山川穂高選手を書類送検 当時20代の知人女性に強制性交等の疑い 警視庁)
※2023.11.15更新(2023年8月29日の不起訴処分の追加)

【速報】西武・山川穂高選手を書類送検 当時20代の知人女性に強制性交等の疑い 警視庁(2023年5月23日)

 プロ野球・埼玉西武ライオンズの山川穂高選手(31)が東京都内のホテルで女性にわいせつな行為をした疑いで、23日朝、警視庁が書類送検したことがわかった。

捜査関係者によると山川穂高選手は2022年11月、東京・港区のホテルで、知人女性(当時20代)に対してわいせつな行為をした強制性交等の疑いがもたれている。

知人女性が被害届を提出したことを受け、警視庁は、女性と山川選手の両者から任意で事情を聴くなど慎重に捜査していたが、きょう23日、書類送検に踏み切った。

山川選手は昨シーズン、パ・リーグのホームランと打点の2冠を達成。今年3月のWBC=ワールド・ベースボール・クラシックでは、侍ジャパンのメンバーとしてチームの優勝に貢献した。

現在、西武の出場選手登録は抹消されている。
山川穂高
※書類送検とは
  書類送検とは、刑事手続において,司法警察員が被疑者を逮捕せず,また逮捕後,釈放した後に身柄を非拘束のまま,事件を検察官に送致することをいいます。したがって,書類送検された場合,基本的には身柄非拘束のまま検察官からの捜査を受けていくことになります。

書類送検とは、被疑者(犯罪の疑いのある人)で、身体拘束されていない者の事件記録や捜査資料を検察官に送る手続のことをいいます。書類送検された場合は、身柄非拘束のまま検察官からの捜査を受けていくことになります。

一方逮捕は,罪証隠滅のおそれや逃亡のおそれ等を理由に身柄を拘束される手続です。

書類送検されると検察官が被疑者を起訴するか不起訴にするかを決めます。起訴されてしまうと有罪率の極めて高い刑事裁判にかけられますので、前科を避けることは極めて難しいと言わざるを得ません。

西部ライオンズの山川穂高選手が書類送検されました。この時点では、まだ起訴されたわけでも有罪か無罪かを判断されたわけではありませんので、事態を見守るしかないと思います。

書類送検は、警察での捜査が終了したので、捜査書類を検察庁に送るだけの手続きであり、刑事裁判として起訴されたわけでも、有罪と判断されたわけでもありません。それはこれから検察官が起訴するかどうかを決めることです。弁護士としては、認めであれば、示談して不起訴にできないか行動する時期なのです。

西武ライオンズという球団から、度々聞こえてくる「書類送検」という言葉。西部ライオンズは教育機関ではありませんが、何か一般社会の人間と常識がかけ離れている感じがします。

過去、西部ライオンズで「書類送検」されて、起訴、不起訴となった選手たちをご紹介します。

東尾修(1987年・不起訴)
現在は娘の東尾理子や娘婿の石田純一、孫の理汰郎くんとイベントに出演することもあるなど、良いおじいちゃんというイメージが定着している東尾修さん。その東尾さんが賭け麻雀で問題となったのは、現役時代の1987年オフのことでした。

西武ライオンズに所属していた37歳の東尾は、同年に「15勝9敗・防御率2.59・85奪三振」といった成績を残しチームの3年連続パ・リーグ優勝、2年連続日本一に貢献。リーグMVPも受賞するなど、個人、チームともに最高のシーズンを過ごしていました。
東尾修
しかし同年オフ、東尾が無免許営業の雀荘で賭け麻雀をしていたことが発覚。東尾は東京・麻布十番にあったヤミ雀荘に通っていたようです。レートは1000点1000円の〝デカピン〟で、約3時間で10万円ほど負けたことがあったそうです。

東尾は書類送検され不起訴にはなったものの、球団からは「半年間の出場停止+2500万円の減俸」という重い処分を受けたのです。

なお、東尾はこの件について会見を開き「全て私の不徳の致すところ」と謝罪しているが、その中では暴力団関係者が同卓していたことも明かしています。
賭けマージャン
処分を受けた東尾は心を入れ替えたのか、オフシーズンは例年欠かさずに行っていたゴルフを絶ち、自主トレ先の沖縄で走り込みを重ねるなど徹底的にトレーニング。しかし、慣れない調整で調子が狂ったのか、翌1988年シーズンは「6勝9敗・防御率4.85・30奪三振」と成績が大幅に下落。同シーズン限りで現役を引退したため、賭け麻雀が引退の引き金を引いた形になりました。

引退後、東尾は野球解説者として活動した後西武(1995-2001)の監督を務め、在任中に2度のリーグ優勝を達成。2010年には野球殿堂入りを果たしたが、当時は賭け麻雀問題がなければもっと早く殿堂入りできていたのではとの見方もありました。

前身球団も含めライオンズ(1969-1988)一筋で20年間の現役生活を送り、「251勝247敗・防御率3.50・1684奪三振」といった通算成績を残しました。しかし、賭け麻雀をしていなければ、もう少し長く現役生活を送れていたのかもしれなかったのです。

❖東尾修の小話「球界初の1億円プレーヤー」

 「1億円プレイヤー」といえば、1980年代の野球選手にとって最高のステータスでした。打者で初は落合博満(中日)、投手は東尾修(西武)です。

1986年、2年連続三冠王を達成した落合博満(ロッテ)はオフに中日へのトレードが決まりました。このときの年俸1億3000万円(推定)が「日本球界最初の年俸1億円超え」と言われています。

東尾の場合、1億円に到達した1986年の契約更改で、球団から最初に提示された額は9800万円でした。それに対して、「200万円は自分で払うから1億円と発表したい。俺にもプライドがある」と交渉。その意気や良しとして、当時の球団代表・坂井保之が1億円で再提示、合意した経緯があります。

相内誠(2020年・証拠不十分で処罰なし)
2012年ドラフト2位の相内誠は相内誠はプロ8年で、通算0勝7敗。ケガもあって大成できない選手でした。そしてトラブル続きの野球人生でした。

有名なのが、2012年ドラフト2位で指名されたときです。ドラフト2位指名後は児童養護施設出身であることが話題になりましたが、大騒ぎになったのがドラフト指名直後の12月に起こした事件です。高速道路でスピード違反で捕まり、無免許運転だったことが発覚。前代未聞の『入団凍結』という処分になりました。

相内は8年間に5度の不祥事を起こしてしまうのです。

そして、2020年は1軍登板はなく、イースタンでは13試合登板、0勝0敗、防御率2.13でした。
相内誠
2020年4月12日、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、球団が全チーム関係者に自宅待機および不要不急の外出禁止と定めていた期間中にも関わらず、チームメイトの佐藤龍世が運転する車に乗り、千葉県内のゴルフ場でゴルフをするために外出しました。

そ法定速度60キロの首都高速道路中央環状線山手トンネル内を、89キロオーバーの149キロで走行し、速度違反取り締まり装置により検知されました。2人はその後、ゴルフ場でプレー。5月に佐藤のもとへ違反通知が届き、警視庁による事情徴収を受けました。

球団への報告は2020年8月17日になってからでした。8月18日に佐藤、8月19日に相内からヒアリングをし詳細を確認し、8月20日に佐藤とともに球団から無期限の対外試合出場禁止およびユニホーム着用禁止の処分を受けました。

9月28日に開かれた佐藤に対する東京地方裁判所の初公判で、佐藤が「同乗していた先輩の相内さんの指示に従った」と語っていたことが10月1日に報じられ、それに反応してか、2日未明に自身のInstagramのストーリー機能に、真っ暗な背景で「あきれる。」とだけ書いた投稿を行いました。意味はわかりません。そして11月3日に戦力外通告を受けました。
2015年に2軍イースタンの最多勝に輝きましたが、その翌年に右ヒジを痛め、ブレイクのチャンスを失ったのが大きかったです。その後も、2軍ではそこそこのピッチングをするものの、1軍に上がると制球が定まらず、四球でランナーをためて、勝負所で打たれることの繰り返し。本業で結果をだしていないうえに、トラブル続きとあって、いくらドラフト2位入団でも、高卒8年目で0勝は我慢の限界となり、戦力外通告を受けたと思われます。

❖佐藤龍世内野手の小話

2020年10月8日に佐藤龍世内野手(23)はスピード違反の裁判で懲役3か月、執行猶予2年の判決の有罪判決を受けました。
しかしながら、謹慎のあけた後は埼玉西武ライオンズ (2019 - 2021)、北海道日本ハムファイターズ (2021 - 2022)でプレーした後に、埼玉西武ライオンズ (2023 - )に復帰しています。

松坂大輔(2000年・身代わり出頭)
1998年ドラフト1位指名の松坂大輔です。

西武時代は「平成の怪物」と呼ばれました。21世紀初の沢村栄治賞受賞者でもあります。ゴールデングラブ賞をパ・リーグ投手最多記録となる7回受賞し、3年連続ベストナインにも輝きました。そして2006年と2009年のWBCではエースとして日本代表に貢献しました。
東尾修と松坂大輔
松坂は、2000年8月に愛車『セルシオ』で、制限60km/hの首都高速を134km/hで走行し、期間2カ月の免停処分を科せられていました。

その免停中にもかかわらず2000年9月13日にハンドルを握って当時交際中だった元日本テレビアナウンサーの柴田倫世さんのマンションに密会しに行ってしまいます。当日は松坂の20歳の誕生日で翌日にシドニー五輪への出発を控えていました。五輪へむけての記者会見前のわずかな時間を縫って、恋人と誕生日を過ごしていたものと思われます。

しかし当時は免許停止中。さらにあろうことか、松坂が車を停めた場所は文京区の駐車禁止区域の路上。1時間半の逢瀬を終え、松坂さんがマンションから出て来た時にはすでに車はレッカー移動されていました。
松坂と柴田倫世
すでに無免許運転、駐車違反と罪を重ねていたわけですが、さらに驚くことに事態を重く見た球団幹部の黒岩彰課長が身代わり出頭します。

黒岩彰課長はカルガリー冬季五輪スピードスケート500メートルの銅メダリストで有名な方です。

当初警察は黒岩の駐車違反としていましたが、松坂と柴田の交際をスクープしたフライデーが報道したため、改めて二人に事情聴取をし道路交通法違反の疑いで松坂選手を、犯人隠避の疑いで黒岩彰課長を書類送検しました。

松坂は
「違反は申し訳ない。黒岩さんの出頭は後で知った」
黒岩彰課長は
「車が球団所有で自分が管理しているため出頭した」
と語り、その結果略式起訴により松坂選手は罰金19万5000円、黒岩課長は罰金10万円の略式命令が下されました。

当時の球団社長の小野賢二および黒岩は責任を取って辞表を提出する事態になり、松坂は当時埼玉県警察から交通安全キャンペーンのイメージキャラクターに起用されていたこともあり、この件は世間から激しく批判されました。球団側は松坂を無期限の自宅謹慎処分としたものの、謹慎処分は1か月足らずで解除されました。

山川は不起訴処分【2023.11.15】追記

【西武】不起訴処分の山川穂高 離婚、別居もせず…夫人の〝バックアップ〟姿勢に驚きの声(2023/8/30)

 東京都港区のホテルで知人女性に性的暴行をしたとして、強制性交の疑いで書類送検されていた西武・山川穂高選手(31)が、29日に嫌疑不十分で不起訴処分となった。東京地検は理由を明らかにしていないが、今後は民事訴訟の可能性もあるため、まだまだ「一件落着」というわけではなさそうだ。その一方、これだけ大ごとになった不倫騒動で気になるのが山川の夫婦関係。周囲では山川夫人の〝スタンス〟に驚きの声も上がっている。

昨年11月に山川から性的暴行を受けたとして、女性が被害届を提出し警視庁麻布署が捜査。5月23日に書類送検していた。同署は起訴を求める「厳重処分」ではなく、判断を検察に委ねる「相当処分」の意見を付けていた。

示談は成立していないようで、当初から処罰感情が強いとされる女性側が検察審査会への申し立てをする可能性はある。そこで起訴相当となれば裁判員裁判となり、この問題はさらに長期化するかもしれない。民事訴訟の可能性もあり、現時点ではまだ予断を許さない状況は続いている。

球団は事実関係を確認中で、親会社の西武ホールディングスと連携を取りながら、慎重に山川への処分を決定していくことになりそうだ。

いずれにしても、プロ10年目の今季は出場17試合で打率2割5分4厘、0本塁打、5打点のまま終了する可能性が濃厚。書類送検以降の3か月間、三軍で練習はしているものの、二軍戦、三軍戦とも出場はなく、実戦カンが圧倒的に不足しており、いきなり一軍クラスの投手の球を打つことは難しい。

また、不起訴とはなったが、起こした騒動が周囲の賛同を得にくい不倫問題がらみであることからファン感情も考慮し、球団は慎重な判断をせざるを得ない。

11月に32歳となる山川にとっては、長くない選手生命の貴重な1シーズンを棒に振ってまで「合意の有無」に関して徹底抗戦の構えを崩さなかったことになるが、その裏では、これだけの不倫騒動が公になりながら山川を全面支援しているといわれる夫人の存在も大きかったようだ。

通常この手の不倫が公になった場合、夫婦関係が崩壊しても何ら不思議ではない。しかし、問題が表面化してから書類送検による登録抹消、約3か月間の三軍幽閉中も山川が夫人、子供と別居、離婚の方向性となっているという話は周囲から聞こえてこない。

そればかりか「奥さんは完全に山川の味方。不倫を許しているわけではないようですが、相手の女性に対しては全面的に山川の言い分を信じて支持しているようです。普通は考えられないですが、そういう身内のバックアップがないと本人も普通にしていられないでしょう」(近い関係者)というから驚きだ。

山川夫人は富士大の1年先輩でソフトボール部出身。「決して表に出てくることはなく、自身も野球に詳しいはずなのに、一方的に話をする山川の話をうんうんと聞いて、受け止められる姉さん女房」というのが周囲の夫人評だ。

山川がプロ入りし4年目の2017年に結婚するまでの道のりも、決して平坦ではなかったという。もちろん、これがすべてを言い表しているわけではないが、夫婦の形は千差万別のようだ。

西部ライオンズの山川穂高選手は8月29日に嫌疑不十分で不起訴処分になりました。そして、11月14日に、今季取得した国内フリーエージェント(FA)権を行使することを球団を通じて発表されました。まだ、民事訴訟の可能性はありますが、来シーズンはどこの球団でプレーするのか?見守っていきたいと思います。



※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。

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西武・山川穂高はどうなる? プロ野球界「強制わいせつ」過去2例は逮捕即解雇(2023年5月14日)

 再びプロのグラウンドでプレーする姿は見られるのか──。ホームラン王を3度も獲得し、3月のWBCでは侍ジャパンの一員として世界一に貢献した西武の主砲・山川穂高(31)に強制わいせつ致傷疑惑が持ち上がっている。5月11日配信の文春オンラインの記事によれば、昨年11月に20代の女性と都内で食事をした後、ホテルで女性を無理やり押し倒し、下半身から出血する怪我を負わせたという。警察は強制わいせつ事件として被害届を受理し、山川はWBC終了直後に事情聴取を受けた。文春の取材に対し、山川はホテルに行って女性に怪我を負わせたことは認めたものの、無理やり行為に及ぼうとしたことは否定している。

(中略)

山川の行為が事実だと認定されれば、この件よりも重く、解雇になる可能性は十分あるでしょう。もちろん被害者の心情を考えると、事件の程度に大小はありません」(野球担当ベテラン記者)

解雇の根拠は、統一契約書の第17条にあるという。

〈第17条 (模範行為) 選手は野球選手として勤勉誠実に稼働し、最善の健康を保持し、また日本プロフェッショナル野球協約、これに附随する諸規程ならびに球団の諸規則を遵守し、かつ個人行動とフェアプレイとスポーツマンシップとにおいて日本国民の模範たるべく努力することを誓約する。

(中略)

別に山川は運が悪かったわけではない。自らの行為を猛省しなければならない。

捜査の行方がどうなるかまだわからないが、山川の野球人生が今後も続くのかどうか、大きな岐路に立っていることは間違いないだろう。
山川穂高選手

野球どころじゃなかったのだと思います。

2023年の今シーズンは開幕から不調が続き、17試合出場で打率.254、ホームラン0本でした。

西武ライオンズの山川穂高選手が「強制わいせつ」の容疑がかけられております。警察による捜査中ですので、容疑がどうなるかは静観するしかないと思いますが、プロ野球選手としてプレー続行は容疑が晴れたとしても、少なからず影響を受けると思います。

2022年は2冠王で、今年2023年にFAを取得する予定でしたので、そうなると争奪戦は必至でして国内でもソフトバンクや巨人が参戦して30億、40億ともいわれるお金が動くと言われていましたから、お金だけではありませんが、これを棒に振ってしまったことで、何とも残念な容疑であります。

山川穂高選手の野球人生が大きな岐路にたっておりますが、地位も名誉も経済力も全て棒に振ることになりますので、繰り返しますが何とももったいない事件であります。

過去にも「強制わいせつ」事件を起こしてしまった野球選手は2人おり、その2人とも即解雇されております。世間的にも非常に冷たい目をみられることから、再就職もままなりません。

横浜大洋ホエールズ 中山裕章選手
1986年にドラフト1位で大洋に入団した中山裕章選手です。

最初のころはプロの厳しさからかなかなか勝ち星に恵まれなかったもののプロ入り3年目に10勝6敗24セーブと大きく飛躍します。

そして事件を起こした1991年までの6年間で算32勝53敗44セーブの成績を残す大活躍を見せるのです。そして1990年と1991年には球団からの期待もあり開幕投手に抜擢されていた当時のエースでした。
中山裕章選手
1991年シーズン後の11月12日午後、神奈川県横須賀市内の球団練習所から車で帰宅途中、 横浜市金沢区の11歳の小学5年生の少女のスカートの上から体を触り、その直後にも帰宅途中の6歳の幼稚園女児に、下着を脱がせるなどのわいせつな行為をしました。

神奈川県警が11月12日の事件を同一犯人の仕業と見て張り込み捜査を続けていたところ、2日後になって高級外国車に乗った中山が女子に声をかけるなどの不審な挙動を獲ったため追跡捜査し、ナンバーなどから中山選手とわかりました。

12月25日朝から警察の任意同行を求められ追及を受け、11月12日の事件を2件とも自供したため神奈川県警捜査一課と金沢署は12月25日夕、強制わいせつなどの疑いで中山を逮捕しました。住宅地は練習場から車での帰宅路に当たり、「小さい女の子なら自分の顔を知らないと思った」と供述したそうです。

球団側はセ・リーグ連盟へ「中山を無期限謹慎処分に処した上で、著しい反省の色・社会情勢の変化などを見て処分を有期限に緩和する」案を打診しました。

これは当時の須藤監督自身が中山の更生を望んでいたことに加え、大洋球団にとっても中山は「故障が治れば2桁勝利(10勝)できる投手」だったため、試合に出場できない身分の中山に対し月額約53万円の保留手当を支払うことになってでも、将来的に復帰させることを目論んでいたためでした。しかし連盟は「球団の処分は甘すぎる。社会的な償いを受けることは避けられない」として処分差し戻しを求め、須藤監督も最終的には連盟の対応に従い、中山の契約解除に至りました。

婚約者の女性(事件当時22歳)は事件後、「健気に中山を支えた」として一部マスメディアから「美談」として報道さました。しかし1992年2月6日付で、婚約者は中山に「婚約不履行となった場合は慰謝料5,000万円を支払う」という内容の書面を書かせたほか、中山が後述のように運送会社で働き始めて以降は次第にすれ違うようになり、別居するようになりました。

当時婚約していた婚約者とは泥沼の裁判劇に発展しました。中山選手の自業自得とはいえ、婚約者側の「手のひら返し」の方が有名だったのではと思います。

1992年5月ごろ、中山選手が電話で婚約者と会話していた際に「こちらに来てくれないなら別れよう」と言ったところ、婚約者の母親が電話に出て「別れるなら慰謝料を払え」と迫り、6月には婚約者側が横浜市内の中山選手宅を売買できないよう、仮処分申請を出しました。その後も中山選手側・婚約者側双方の対立は続き、同年11月には婚約者側が東京地方裁判所へ「婚約不履行」を主張して中山選手を提訴しました。

この民事訴訟合戦は1993年末になって中山選手側が2,500万円の慰謝料を支払う形で和解しました。中山選手の知人は『週刊新潮』記者からの取材に対し「本来なら離婚訴訟でさえ慰謝料の相場は500万円程度だが、中山は『裁判が長引くのは困るし、彼女に持ち逃げされた500万円・ベンツなど計約5,000万円の被害はなかったことにする』として和解金額2,500万円を提示した」と証言した一方、元婚約者は1994年8月に同誌記者からの取材に対し「自分の尻ぬぐいさえ満足にできないような中山が再びマウンドに立ったことだけは許せないし、自分も信じられない思いだ。事件の被害者・家族は見ていられないだろう」とコメントしたそうです。

しかし野球の神様はまだ中山選手を見捨ててはいませんでした。

横浜市内の財界人グループ・中山の母校である高知商高のOBらが「中山裕章君の復帰を願う市民の会」を結成し、1993年1月7日から中山の球界復帰を嘆願する署名運動を開始しました。
1993年3月には当初目標の倍以上となる約22万人の署名・嘆願書が解雇直後に声明でNPB全12球団に中山選手との無期限契約回避を申し出ていた川島セ・リーグ会長に手渡されて、復帰に向けて球界が動き始めます。

1993年12月16日午前、川島は渋沢良一セ・リーグ事務局長・児童心理学専攻の大学教授とともに横浜市内のホテルで中山と面接し、現在の心境・生活状態などを聴いた上で、中山選手の球界復帰を承認することを決定しました。

声明解除が正式に通達されたことを受け、以前から中山に関心を示していた中日ドラゴンズ(監督:高木守道)は中山との契約に向けて動き出し、1993年12月27日には中山を打撃投手(球団職員身分・1年契約)として採用したことを発表しました。

中継ぎとして1991年10月10日以来の一軍登板を果たし、1イニング1被安打0失点に抑えました。中山選手本人は前日から野次を飛ばされることを覚悟していましたが、中山選手が登板した際には多少の野次こそあったものの、拍手や声援が多かったそうです。

1996年にはセ・リーグ代表監督・野村克也(当時・ヤクルト監督)の推薦によりサンヨーオールスターゲーム全セ(オールセントラル・リーグ)に選出され、大洋時代の1989年以来7年ぶりの代表選出を果たしました。

そのオールスターゲームでは第3戦(7月23日・富山市民球場アルペンスタジアム)で先発投手・斎藤隆(横浜)の後を継ぎ、3回表に二番手投手として登板。イチロー(オリックス・ブルーウェーブ)・村松有人・秋山幸二(ともに福岡ダイエーホークス)・清原の計4人と対戦し、同回の先頭打者(1番打者)イチローに右中間三塁打を打たれると、続く2番打者・村松の中犠飛で球宴初失点(1点)を喫しましたが、2死で迎えた清原を145 km/hの速球で空振り三振に打ち取り、1回1被安打2奪三振1失点の成績を残しました。

そして2001年までに中日でプレーしたものの、戦力外通告を受けて12球団合同トライアウトには計2回参加しましたが、獲得に手を挙げるNPB球団はなかったため、台湾プロ野球・韓国のKBOリーグへの移籍を視野に現役続行を目指しました。

そして台湾プロ野球の中信ホエールズ に現役引退となりました。

復帰した中日では1994年から2001年まで中継ぎやリリーフとして活躍、通算で19勝18敗18セーブという成績を残しました。

多くの人に支えられて復帰、更生したプロ野球人生だったのです。

読売ジャイアンツ 杉山直樹選手
1987年のドラフト会議で読売ジャイアンツから6位で指名され、1988年に入団した杉山直樹選手です。

1995年には大久保博元、吉原孝介の不調もあり、村田真一に次ぐ2番手の捕手として一軍に定着。この頃、13歳年上の女性と結婚して話題となりました。1996年には最多の66試合に出場しました。特に1995年はルーキー河原純一、1996年は新外国人バルビーノ・ガルベスの専属捕手として、勝利に貢献した将来を嘱望された捕手でした。

2000年には読売ジャイアンツがリーグ優勝を決めた試合で先発マスクを被るなど、長嶋茂雄監督など首脳陣からの評価も高かったのです。
杉山直樹選手
2000年10月25日、日本シリーズに備えて宮崎で行ったミニキャンプ中、宮崎市内のスナックで同席した女性の胸を触ったほか、近くの路上で無理やりキスをし、「いい加減にして」などと言われたことに腹を立てて、履いていた靴で女性の頭を3回殴り5日間のけがをさせたとして、強制わいせつ致傷の疑いで逮捕されました。

プロ野球の現役選手が逮捕された事例は当時、1991年に横浜大洋ホエールズ(2000年当時は「横浜ベイスターズ」)の所属選手だった中山裕章(2000年当時は中日ドラゴンズ所属)が強制わいせつ・公然わいせつ容疑で逮捕された事件以来でした。その後、被害者女性とは示談が成立し、社会的制裁を受けていることもあって、起訴猶予となりました。

逮捕に際しては、逮捕当日の午前中、「プロ野球選手のまま逮捕されるのは嫌だ」という杉山の意向もあって、事情聴取される直前に球団に退団願が提出され、それを受けて球団が解雇しました。そのため、日本テレビ『NNNきょうの出来事』、『読売新聞』や『朝日新聞』は、元プロ野球選手、元巨人として報道されました。

巨人の私設応援団が復帰嘆願の署名を集めましたが、約2万人でした。中山さん選手の10分の1であり、これは選手の実力、知名度と世論の後押しがあるかないかで復帰できるかできないかの異なる例になります。



※最後に
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西武・山川穂高が登録抹消…知人女性とトラブルと文春報道(2023年5月12日)

 西武の山川穂高内野手(31)が12日、出場選手登録を抹消された。球団は抹消理由について、「総合的に判断してコンディション的に抹消」と説明している。山川については「文春オンライン」が11日、知人女性とのトラブルを報じている。

11日にベルーナドームで行われたロッテ戦後、山川は報道陣に対し、「僕から言えることはありません」と答えた。同ドームで行われた12日の楽天戦前の練習には姿を見せなかった。

山川は3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表メンバー。今季は17試合で打率2割5分4厘、0本塁打、5打点にとどまっている。

■知人とのトラブル
『文春オンライン』によると、山川選手は2022年に知り合いの20代女性・A子さんを都内のホテルに連れ込み、下半身などから出血するケガを負わせたという。警察は強制わいせつ致傷容疑でA子さんの被害届を受理し、山川選手に事情聴取を行うなど捜査中だと報じられた。記者の直撃に対して、山川選手は「弁護士をつけているので詳しいことは話せない」としつつ、「絶対に無理矢理ではない」と繰り返している。
山川穂高どすこい

西武ライオンズの山川穂高選手に強制わいせつ容疑がかけられてニュースが飛び込んできました。

過去3度のホームラン王と日本球界のホームランアーチストとして実績は十分ですし、2023年のWBCにも選ばれるぐらいの日本を代表する選手であることは間違いありません。

被害者の方からの被害届を警察が受理していますので、山川穂高選手に事情徴収を含めて捜査中ですので、事態を見守るしかありません。

ただし、選手生命がピンチになっているのは間違いなく、不起訴でも長期間の出場停止、起訴されれば選手生命が経たれてしまうでしょう。

2022年はホームラン王、打点王の2冠で選手として脂ののった時期でありますし、まだ年齢は31歳です。そして今年FA(フリーエージェント)の資格を得る予定でしたので、これだけの選手であれば、年俸はマネーゲームでかなりの高騰をすることは間違いありませんでしたので、非常に残念な結果になってしまいました。

過去にも選手が女性とのトラブルで選手生命が絶たれてしまった選手がいましたので紹介します。

こんなことでキャリアが絶たれてしまうなんて非常に残念です。

千葉ロッテマリーンズ 清田育弘選手
これは近年なので覚えていると思います。千葉ロッテマリーンズが2021年5月23日、清田育宏外野手の契約を解除した件です。

清田選手は2020年9月末からの札幌遠征中に不倫相手の女性と連日会食に繰り出して不貞行為に及んだことを写真週刊誌に報道され、コロナ禍で内規違反を犯していたにもかかわらず〝隠蔽工作〟を行うなど極めて姑息で悪質な愚行が発覚しました。

2021年1月15日付で無期限謹慎処分となった後、2021年5月1日付で解除され二軍戦にも出場しましが、再び同じ写真週刊誌によって21日に今度は違う女性との不倫疑惑を報じられました。

千葉ロッテマリーンズは、今度ばかりはもうさすがに庇えないと判断したようで決断は早かったです。

何せ前回に下した無期限謹慎処分は決定から僅か3カ月半で解除されており、結局名ばかりの大甘ペナルティが清田の無自覚を増長させていたとみられても仕方がないですし、一度ならず二度までも背信行為を繰り返しながらズルズルと契約を結んだままであればチーム全体に悪影響を与え、球団はもちろんのことロッテ本社のイメージダウンも避けられなくなります。

2021年2月で35歳となった清田選手はプロ12年目でした。2015年には打率3割1分7厘、15本塁打、67打点をマークし、ベストナインに選出された経歴を誇ります。2020年もシーズン終盤に4番を任されるなどベテランながらも主力としてチームで存在感を見せていたのです。

清田選手の契約解除発表は写真週刊誌による2度目の不倫疑惑報道から、たったの2日後の2021年5月23日でした。異例の「スピード解雇」には、批判覚悟で一度は手を差し伸べたにもかかわらず、その恩をアダで返された球団側の激しい怒りがにじみ出ているとみられています。

清田選手は2021年11月、新型コロナウイルス禍で不要不急の外出をしたことなどを理由に契約を解除されたことについて「処分は違法で無効」として、球団選手としての地位確認や計約9700万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしました。

そして、清田選手は2023年2月8日、契約解除をめぐり裁判で争っていた元所属先の千葉ロッテマリーンズ球団と円満和解したことを自身のInstagramアカウントで発表しました。清田選手が訴訟を取り下げ、裁判外で和解しました。和解内容は公表されていません。

訴訟の取り下げですので契約解除の無効は主張しないということになり、清田選手のロッテ復帰は完全になくなりました。
真面目に生きていれば千葉ロッテマリーンズで引退し、コーチになれたものを・・・。
清田育宏

横浜DeNAベイスターズ 綾部翔選手
横浜DeNAベイスターズの 綾部翔選手ですが、未成年と付き合っていたことは問題ですが、それ以上に注目を集めたのが、付き合っていた人数です。

横浜DeNAベイスターズは2019年7月16日、綾部翔(当時22歳)選手が神奈川県の青少年保護育成条件に抵触する可能性があるとして、同投手の無期限の謹慎処分にしたと発表しました。

球団によりますと、綾部選手は2017年12月にインターネットを介して知り合った女子高校生と不適切な関係を持ったといい、本人も相手が高校生と認識していたとのことです。

綾部選手は2015年秋のドラフトでDeNAから5位指名を受けて、茨城 霞ヶ浦高校から入団しました。

プロ2年目の2017年10月3日の中日戦(横浜)でプロ初登板初先発し、5回4安打無失点でプロ初勝利をマーク。将来を嘱望されましたが2018年からは右肩手術の影響から1軍での登板はありませんでした。プロ通算登板は1勝0敗、防御率0.00です。

綾部選手はSNSを介してDeNAファンだった女子高生にメッセージを送り、知り合ったといいます。これをリークしたのが妻のA子です。

そのA子さんの証言ですと
「昨年、彼が複数の女性と不倫していることが分かり、11月末に女性の名前を問いただしたところ、当時高校生だった少女の名前もあがりました。

彼は会った当時、少女が18歳未満だったことを認め、『2017年12月にホテルに行った』と肉体関係も認めました。

その後、『法に触れることと触れないことの区別はつくと思う』と追及しても、うなだれるだけで言葉を返しませんでした。女子高生と関係を持った時期は、私の妊娠がわかって2カ月後の入籍に向けて婚約中でした」

奥さんを裏切った代償がリークというわけです。

そして、綾部選手は未成年者との不適正な関係以外にも18人との関係をもっていました。交際範囲が広く、球団職員、主婦や艶系女優さんらがいたそうです。

横浜DeNAベイスターズをトライアウトを受けてプロ野球界に復帰しようと試みましたが、主催者側に混乱になるとのことで断られました。

当時は「流石!DNAのエース」と揶揄されたものです。
綾部翔



※最後に
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カタールワールドカップが開幕しました。

初戦は開催国カタールと南米予選4位のエクアドルとの対戦でしたが、結果はご存知とおり、エクアドルが2点を挙げての勝利でした。

開催国カタールは開催国初戦黒星がワールドカップ史上初という汚名を負いました。

もともと開催国での出場として初出場でしたので実力が危ぶまれておりましたが、この一戦で見事にホスト国の実力不足が露呈してしまいました。

国をあげてサッカー代表の強化プロジェクトを立ち上げてワールドカップに向けてやってきましたし、2019年にはアジアカップの王者となりました。

しかしながら、アジアカップの王者も3年前の話ですし、何と言ってもワールドカップのアジア予選を突破して出場したことのない国でしたので、ちょっと厳しかったのかもしれません。

カタールのいるグループAは、エクアドルの他に、オランダ、セネガルがいますので、残り2戦も厳しい戦いになると思います。

先制された後にガッカリ肩をおとすカタールイレブン
前半エクアドルに先制されて肩をおとすカタールイレブン
かつては2002年の日韓ワールドカップで、ホスト国の日本が、ホスト国で初出場は世界の恥だということで、必死に戦って1998年のフランスワールドカップで初出場をはたしたのを覚えています。

その1998年のフランスワールドカップは、世界に出たばかりの日本は厳しい洗礼を浴びて3連敗でした。

1勝もできずに迎えた2002年日韓ワールドカップですが、初戦のベルギー戦では何とか前半を0ー0で折り返しますが、後半57分にベルギーのヴィルモッツ選手にオーバーヘッドキックをきめられて先取点をとられます。

この瞬間から埼玉スタジアムに流れる嫌な空気、「もしかしたら勝てないじゃないか?」「まだワールドカップに出るレベルじゃないかも?」というイレブンはともかく、埼玉スタジアム、そして日本中が疑心暗鬼になりかけたと思います。

しかしながら、ここで後々語り継がれる伝説となる「鈴木隆行」選手のゴールが生まれます。

先制されたからのたった2分後の後半59分、小野選手の裏を狙った縦パス1本が、ベルギーのゴールキーパーと「鈴木隆行」選手の中間に落ちます。「鈴木隆行」選手は足先を伸ばしてボールをとりにくるキーパーより前につま先で触り、ゴールキーパーの横を抜けてゴールにボールが吸い込まれていくのです。

「今回はいける!」「互角に戦える!」と日本中が確信した瞬間でもあります。

カタールを見ていて思ったのが、このような自らを振るいたたしてくれるゴールが必要なのではということです。
日韓W杯ベルギー戦鈴木隆行選手
カタールは国家規模でアスリート育成機関「アスパイア・アカデミー」を立ち上げ、2014年から本格強化。その強化費用は年間約50億円にものぼり、2019年には日本を破ってアジアカップ初制覇を果たしました。
難点はワールドカップに挑むカタール代表のほとんどが、国内クラブチームのアルサッドとアルドゥハイルの2チームで構成され連携はバッチリですが、海外経験が少ないところです。

しかしながら、ワールドカップが盛り上がるためにはホスト国の躍進が必要ですので、ぜひ2戦目、3戦目は盛り返してほしいところです。



※最後に
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いよいよお待ちかねの『カタールワールドカップ』が近づいてまいりました。

日本のいるグループリーグEは、言うまでもないですが、ドイツ、スペイン、コスタリカと優勝国2か国が入りましたので、ラウンド16にいくのは至難の業と言われております。

コスタリカだけには一勝ということも、直前に行われたカナダとの一戦を見る限り、何だか怪しくなってきました。

11月23日(水)にドイツ戦がありますが、勝てる要素がなかなか見当たりません。10回やって運よく1回勝てる程度の実力の差です。

現に日本は同じく優勝候補のブラジルと過去12回対戦していますが、2分10敗と未勝利です。 5得点34失点と、通算スコアでも力の差を見せつけられています。

ちなみにドイツと過去2回対戦し、0勝1分1敗で2得点し5失点です。スペインとは過去1回対戦し、0勝0分1敗です。今まで1勝もしていない相手に本番で勝つのがいかに難しいか数字の上でもわかると思います。

何か、強豪国に勝てる要素、何でもいいんですがあるのでしょうか?

振り返りますと、前回2018年のロシア大会の初戦のコロンビア戦のように前半6分でコロンビア1人退場でPKを1点とる、他に1996年アトランタオリンピックで「マイアミ奇跡」でアウダイールとGKとの衝突が起点となる1点など、ハプニングが起きない限り難しい状況となっています。

しかしながら、とても他力ですが勝てる要素が1つありました。

それは、カタールの異常なまでの蒸し暑さ(気温と湿度)です。

ドイツ、日本とも同じ条件なので意味がないかもしれませんが、アジア人種の方が蒸し暑さに慣れていますので味方になってくれるかもしれません。

開催地のカタールでは今月(11月)上旬に37.2℃を記録して、11月の国内最高気温に匹敵する暑さだったそうです。11月の平均気温は29℃ですので、東京でいえば、初秋くらいの陽気だそうですから、暑さはなんとか収まります。しかしながら、11月は雨季の始まりでもあり、湿度が高くなるのです。

大多数の試合会場は冷房を完備しており、空調温度は22度に保たれるそうです。ピッチ脇や観客席の足元に設けられた送風孔から涼やかな風が吹き出し、暑さを和らげますが、ピッチ上はそうはいかないと思います。
Goal_WC_Draw_Costa_Rica

2002年の日韓ワールドカップを思い出してください。

前回(1998年)大会優勝のフランスがグループステージ敗退、死のグループに入ってしまってことはありますが優勝候補のアルゼンチンの敗退や、前評判の高かったポルトガルの敗退がありました。

審判の誤審も問題となりましたが、韓国と対戦したスペイン、イタリアの決勝トーナメント敗退など、アジアの地で初めて開催されたワールドカップは、6月であり気温25℃前後、温度65%で、蒸し暑い中でのパフォーマンスは、強豪国、特に欧州の強豪国は軒並み低調でした。

いくら誤審とはいえ、欧州の強豪チームが通常のパフォーマンスを発揮すれば、韓国は勝ててないと思うのです。

とても他力本願ですが、カタールでも、もしかしたら・・・と思うのです。この温度と湿度、そしてハプニングがあれば、強豪国ドイツ、スペインを撃破する場面がみれるかもしれません。
カタールFIFAワールドカップ決勝戦会場ルサイル・スタジアム



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フィギュアスケート年齢制限ミラノ五輪は17歳 ISU総会で段階的引き上げ可決(2022年6月7日)

国際スケート連盟(ISU)は7日、タイで行われている総会で、フィギュアスケートの年齢制限を段階的に17歳に引き上げることを可決した。投票の結果は賛成が100、反対が16。3分の2を満たした。

これまではシーズンに入る7月1日までに15歳に達することが条件だった。来季の22~23年シーズンは15歳とし、23~24年は16歳、24~25年は17歳に引き上げる。

スピード、ショートトラック、シンクロナイズドスケーティングにも適用され、新シーズンが始まる7月1日より前に17歳に達していることが条件となる。

低年齢の選手に対する心身の負担が大きな理由。ISU選手委員会が加盟国・地域を対象に20年12月と21年1月に実施した調査では、86・2%が引き上げに賛成していた。この日の会議でも、各国から「選手の健康を守ることが最優先されるべき」「特に女子の選手寿命が短すぎる」などの声があがった。

北京五輪で15歳だった女子のカミラ・ワリエワ(ロシア)にドーピング問題が発覚。世界反ドーピング機関(WADA)の規定で16歳未満の「要保護者」に該当し、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が出場継続を認めた判断が物議を醸した。

女子で4回転ジャンプを跳ぶ注目の13歳、島田麻央(木下アカデミー)は26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に出場できないことになった。

※シンクロナイズド・スケーティング(Synchronized skating)は、フィギュアスケートの一種で氷上におけるシンクロ競技にあたる。男子シングル、女子シングル、ペア、アイスダンスに続く新たな競技として生まれた。1チーム16人で演技を構成する。

フィギュアスケートの年齢制限が15歳から17歳に引き上げられます。北京五輪のカミラ・ワリエワ(ロシア)のドーピング問題から発した問題は、年齢制限の引き上げで幕引きとなります。

ドーピング検査で陽性反応を示しながら出場を認められたカミラ・ワリエワ(ロシア・オリンピック委員会=ROC)は、ショートプログラム(SP)こそ1位でまとめたもののフリーで大きく崩れ、「4位」にとどまりました。

ここが一番の問題でして、本来であれば、陽性反応が出た段階でワリエワ選手は出場できないと判断すべきだと思います。

そのまま出場させてしまいますと、ドーピング陽性の選手と陰性の選手が競うことになり、公平性の観点から、大きく逸脱してしまうことになります。

ワリエワ選手は15歳でした。彼女は周りの選手から、『ドーピングをやったかもしれない』という冷たい目に加え、『なぜ、あなただけ特別扱いなのか』という2つの目で見られるところが気の毒です。そういう環境に彼女を置くこと自体が間違いで、出場させないことが、彼女の健康や将来の為にも良かったと思います。

選手を周りの好奇な目や疑惑の目から保護するためにも出場停止にすべきだったのです。

そして、ロシア勢の4回転ジャンプに象徴される、フィギュアスケート界のジャンプ偏重の採点に問題もあるかと思います。

2022年4月4日に米スタンフォード大学で東アジア研究を専門とする元フィギュアスケート選手のナンシー・ハミルトン氏が、国際スケート連盟が規定する現行のフィギュアスケートの採点システムを批判し、4回転ジャンプを重視せず芸術性をより高く評価するよう提言しました。

米紙「スタンフォードデーリー」はハミルトン氏のコラムを掲載。現在の採点システムでジャンプばかりが高得点を獲得し、特に女子のロシア勢で身体的負担が顕著になっていることを危惧しています。

採点システムに関しては、何らかの変更が必要ですが、フィギュアスケート界のロシアとアメリカの覇権争いもあります。

そもそも、オリンピックに年齢制限はあるのでしょうか?

これはオリンピック憲章第5章42(2021年版)「オリンピック競技大会」にて『オリンピック競技大会では競技者の年齢制限はない。』と明記されています。

❖オリンピック憲章(75ページ)

第5章 オリンピック競技大会

42 年齢制限

42 オリンピック競技大会では競技者の年齢制限はない。ただし、IFが競技規則でそれを定め、IOC理事会より承認されている場合は、その限りではない。

オリンピック憲章(電子ブック)

「ただし、IFが競技規則でそれを定め、IOC理事会より承認されている場合は、その限りではない。」と書かれておりますね。


IFとは「国際競技連盟(こくさいきょうぎれんめい、International Federations)」のことで、競技ごとにルールや大会などを統括する国際機関のことです。

各国の競技団体を国際的に統括する非政府組織。略称IF。各IFはオリンピックや世界選手権などでそれぞれの競技の運営にあたると同時に、国際的に適用する大会参加規定や競技規則(ルール)を独自に制定する。

国際オリンピック委員会(IOC)が2020年のオリンピック憲章で夏季オリンピック大会の実施競技として公認しているIFは世界陸連、国際サッカー連盟、国際柔道連盟など28団体で、冬季オリンピック大会としては国際スキー連盟、国際スケート連盟など7団体がある。

国際競技連盟が出場者に関する年齢制限を定め、IOC理事会に承認されている場合には、該当する競技に年齢制限が設けられます。

つまり、オリンピック全体に統一された年齢制限は設けられていないものの、競技ごとに年齢制限が存在する場合があるという答えになります。

制限がある理由として、選手の健康面に配慮するためです。

身体がまだ出来上がっていない状態で過度な練習を繰り返すことは、ケガや故障につながる恐れがあます。

また、種目によっては大人の中で競技を行う危険性も大きいです。

このようなリスクを避けるため、年齢制限を設ける競技も少なくありません。

年齢制限のある競技はどんなものでしょうか?

❖年齢制限のあるスポーツ(一部)

・サッカー
 男子はオリンピック前年の12月31日時点で23歳未満。女子は年齢制限なし。
・ボクシング
 競技者の年齢は17〜34歳。
・競泳、飛び込み
 15歳以上。
・新体操
 16歳以上。
・体操
 男子16歳以上、女子15歳以上。

一番有名なのはサッカー男子の23歳未満ですよね。よくオリンピック代表のことをしばしばU-23代表と言っている場合がありますし、本大会に限り前年の12月31日時点で23歳以上の選手を最大3人まで加えることができるオーバーエイジ枠があり、誰が選ばれるんだろう?なんて議論の対象になりますよね。

他にも東京オリンピックの陸上競技の年齢制限は以下のとおりです。

❖2020年東京オリンピックの陸上競技
 20歳以上(~2001年生まれ)    全ての種目
 18~19歳(2002~2003年生まれ) マラソン、50km競歩を除く種目
 16~17歳(2004~2005年生まれ) 投擲競技、十種競技/七種競技、10000m、マラソン、競歩を除く種目
 16歳未満(2006年以降の生まれ) 参加資格なし

本来は、オリンピック憲章に謳っている通り『オリンピック競技大会では競技者の年齢制限はない。』でいいと思うんですが、その時々の政治的な判断で決められてしまうことが多いです。結果的に、門を閉ざされた選手が一番の被害者なんですけどね。



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サッカーワールドカップの2022年カタール大会のグループステージの抽選会が行われました。

サッカー日本代表はスペイン、ドイツ、大陸間プレーオフ勝者(コスタリカorニュージーランド)と強豪がひしめくE組に入りました。

最初の頃は現実路線の論調で「どれくらい通用するのか楽しみ!」「スペイン、ドイツの2強状態」「日本にとって死の組」などでしたが、時間が経つにつれて、何と言っても自国ですし、どうしても夢を見たくなりますので徐々に「日本がグループステージ突破するにか初戦のドイツに勝つこと」「日本がドイツ(スペイン)に1敗、プレーオフ勝者に1勝、ドイツ(スペイン)に引き分けで1分でグループステージ突破」などの決勝トーナメント進出する為の論調に変わってきています。悪くても「3連敗はない」「ドイツ、スペインのどちらかに引き分けは可能」などの論調もあります。

もちろん、日本が強豪国に勝ってグループステージを突破するのがうれしいのですが、現実的には3連敗となる可能性が高いです。


❖1998年のフランス大会に似てる

日本が一番最初に出場した1998年のフランス大会は、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと同じグループHでしたが、下馬評では、アルゼンチン、クロアチアの2強、日本とジャマイカの2弱でした。

日本は、初戦のアルゼンチン戦、2戦目のクロアチアのどちらかに引き分け或いは勝利して、ジャマイカは勝てそうだといった予想が大方の見方でした。

1戦目のアルゼンチン、2戦目のクロアチアに善戦はするものの、どちらも1対0で敗戦。ジャマイカには初得点はあげましたが、2点をとられて敗戦ということで3連敗でした。

とりあえず、日本としては4年後の2002年の日韓大会があり、ホスト国が過去にワールドカップに出ていないことはないといった汚名だけは免れた大会ではありました。


❖強豪国に勝っていない

過去、日本はFIFAランキング上位の国には、まともに勝っておりません。前回のロシア大会でコロンビアにジャイアントキリング(大物喰いの番狂わせ)を達成しましたが、開始早々にコロンビア側のハンドによる退場でコロンビア川が10人となりましたので、ジャイアントキリングのカウントに入っているか微妙です。

あとは、1996年アトランタオリンピックのマイアミの軌跡と呼ばれるブラジルに勝利した試合ですが、あれはフル代表ではありませんのでカウントに入りません。

日本は過去に強豪国にガチで11人同士で90分戦って勝利したことが1回もないのです。


❖1戦目で負けると2戦目、3戦目で挽回できるメンタルがない

過去の大会でも1戦目で負けると100%の確立でグループステージ敗退です。逆にいいますと1戦目で勝利すると100%の確立でグループステージ突破です。

顕著な例は、2006年ドイツ大会です。1戦目の名将ヒディング率いるオーストラリアにクロスボールがそのままゴールに吸い込まれる1点をとりますが、その後追加点を奪えずに、後半パワープレイに持ち込まれて疲弊して3失点で大敗します。

1戦目をひきづって、2戦目の1998年フランス大会よりは弱いクロアチアにスコアレスドローとなります。これは3戦目のブラジル戦があるからでして、1戦目のオーストラリア戦を落とした時点で、3戦目も1敗となりますと、2敗となり、グループステージ突破がもう難しいと頭で想像してしまったからだと思っています。

❖まとめ

この記事が誤りであることを祈ります。この記事どおりにならずにグループステージを突破してくれうことを祈っております。



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サッカーワールドカップの2022年カタール大会のグループリーグの抽選がありました。日本は、スペイン、ドイツ、コスタリカとニュージーランドの大陸間プレーオフの勝者の組に入りました。

過去に優勝したことのあるチームであるスペインとドイツがおりますので、この2チーム中心にグループステージの戦いが繰り広げられることになります。

1993年に始まりましたJリーグとともに1994年アメリカ大会のドーハの悲劇から見始めたミーハーな人間ですが、1998年あたりのフランス大会含めて、予選を見ていて、まだ1対1でもガンガン抜かれていく日本代表でしたので、ディフェンダーが抜かれて突破されるのをヒヤヒヤしながら見ておりました。

2002年の日韓大会を挟んで、徐々にレベルが上がってきたのと、本大会のアジア枠が増えたこともあって、アジア予選のドキドキ感がなくなっていきます。ワールドカップの連続出場を重ねていく中で本大会のグループステージが、以前のアジア予選のドキドキ感を味わえる場所になっていくのです。

以前であれば、本大会のグループリーグで、強豪国のブラジル、アルゼンチン、ドイツ、イタリア、フランス、スペイン、イングランドあたりは当たってほしくない、決勝トーナメントに行くにはできるだけ弱い国(実際は1ヶ国もないのです)との組み合わせを望んでいましたが、それは前回のロシア大会でコロンビア相手に勝利して決勝トーナメントに進出してベスト16に敗れはしましたが、再び見方が変わりました。

それは、コロンビアに勝利したといっても前半早くにコロンビア側が1人退場しての棚からぼた餅的な勝利、1勝1敗1分での決勝トーナメント進出、そして決勝トーナメントでベルギーに最初2点を奪い勝利を期待させた後の逆転勝ちといったことからきていると思います。

そこで2022年カタール大会で強豪国のスペイン、ドイツとの組み合わせです。これはとても楽しみであり、ワールドカップで強豪国とガチンコ勝負ができる為、ワクワク感しかありません。

過去の大会で強豪国は2006年ドイツ大会でのグループステージ第3戦のブラジルであり、この時は4点取られての大敗(ブラジル 4対1 日本)でしたが、あの頃とは違い、今の日本代表は外国のリーグでもまれている精鋭達でありますので『どれくらい戦えるのか?』『もしかしたら勝てるかも?』という期待と、外国のリーグでもまれているもののレギュラーである選手は一部であり、まだまだ世界との差があるので『ぼろ負け?』『前線しての敗退』という複雑な心境であります。

2022年カタール大会で日本の入ったグループを「死の組」と呼ばれておりますが、「死の組」とは実力が拮抗してどこのチームが決勝トーナメントに進出するのかわからない状態のことであり、日本のグループは2強(スペイン、ドイツ)2弱(日本、プレーオフ勝者)というのが現実的だと思います。

たぶん、日本にとっての『死の組』という言い方なんですね。

実際は2022年カタール大会は「死の組」はないとの見解が大方の見解となっています。

「死の組」自体は各ワールドカップの大会で存在しますが、私自身が実際に「死の組」を感じたのは1994年アメリカ大会のグループEです。

1994年アメリカ大会グループE

❖アメリカ大会とは
FIFAがアメリカでの新たなサッカー市場を開拓するために開催されたのが、このアメリカ大会です。

アメリカは「サッカー不毛の地」と呼ばれていました。

「ペレ」「ヨハン・クライフ」や「ベッケンバウアー」などスーパースターを掻き集めて鳴り物入りで立ち上げられたアメリカの北米サッカーリーグ(プロ・リーグ)は不人気で早々と崩壊しました。

サッカーがメジャーリーグ(野球)、アメリカン・フットボール、バスケット、アイスホッケーの人気に対抗できなかったのには、いくつもの理由が考えられます。

 ・アメリカのスーパースターがいなかった(育たなかった)
 ・45分間CMを入れられずテレビ向きとはいえない
 ・引き分けや1~2点しか点が入らない盛り上がりの少ない
 ・メジャーリーグ(野球)、アメリカン・フットボール、バスケット、アイスホッケーが最高のスポーツである国民の意識。

しかし、FIFAにとってアメリカの巨大市場にどうしても参入したくなるほど魅力的なものでした。1990年代のアメリカはIT産業を中心に好景気だったこともありました。

なんとかアメリカでのサッカー人気を盛り上げようと、様々な条件を持ち出して開催にこぎつけました。FIFA側が招致を誘導して、数々の条件を譲歩する大会は非常に珍しい大会だったといえます。

北米リーグの失敗や前回イタリア大会の反省も生かし、アメリカの観客が楽しめるように大きなルール改正がされました。それは予選リーグでの勝ち点の変更です。前回のイタリア大会、勝ち点を確実に確保するために引き分け狙い(グループFが6試合中5試合引き分け)の試合が激増しました。そのため、ワールドカップ史上最も面白くない大会と言われることになりました。

そこでこの大会から、勝ったチームに与えられる勝ち点はそれまでの2から3に変更されました。そうなると、引き分け2試合では勝ち点2にしかなりませんが、1試合勝てばそれで勝ち点3となるので、引き分けを狙うより勝ちを狙う方が予選リーグでは有利になるのは明らかでした。

この変更に対応し各チームもこの大会では常に勝利を目指すようになり、前回イタリア大会に比べこの大会は総得点が大幅に増える(※)ことになりました。

※1990年イタリア大会 総得点115点(1試合平均 2.21点)
 1994年アメリカ大会 総得点141点(1試合平均 2.71点)

当然、試合内容も面白くなり、その結果としてこの大会の観客数もまた大きく伸びることになりました。最大で10万人を収容できるローズボウル・スタジアムをはじめ、野球やアメフト用の巨大スタジアムを使用したせいもありますが、平均で7万人の観客を動員できたのは明らかに成功だったといえるでしょう。

そして、アメリカ代表チームの躍進も大会を盛り上げた一つの要因となりました。
それまではホスト国で予選リーグ敗退は一度も前例がないのですが、実力が劣っていると前評判では決して期待されておらず、大会前は盛り上がりに欠けておりました。

しかしながら、知将ボラ・ミルティノビッチを招聘したアメリカ代表はグループリーグで強豪コロンビアを退け、開催国のノルマである決勝トーナメント進出に成功しました。アレクシー・ララスやトニー・メオラのような人気選手も生まれ、国民の声援も高まっていきました。決勝トーナメント1回戦では7月4日の独立記念日に王国ブラジルと対戦し、0-1で敗れるも善戦しました。

この大会の成功をステップにして、1996年には新たなプロリーグ、メジャーリーグサッカー(MLS)が創設された次第です。

❖グループE
1994年アメリカ大会のグループEは、準優勝のイタリア、メキシコ、アイルランド、ノルウェーの4ヶ国です。どちらかというと結果的な感じな「死の組」という感じもしますが、全チーム勝ち点4であり、紙一重であったことがわかります。

先に言った結果的なということと、まだ当時は24チームでしたので、グループステージ3位のチームでも6チーム中4チームが決勝トーナメントに進出と、グループ2位以上の12チームとワイルドカードの4チームの16チームがファイナル16に進めた時代で、準優勝のイタリアはワイルドカード6チーム中4位とギリギリでファイナル16に進めたわけです。

準優勝のイタリアは名将サッキ監督のもと、GKジャンルカ・パリュウカ、リベロで主将のフランコ・バレージ、左サイドバックのパオロ・マルディーニ、右ウイングバックのロベルト・ドナドーニ、終盤の指揮官デメトリオ・アルベルティーニ、そして前年のバロンドール受賞者でありトップ下で輝きを放つワールドカップで最後のスーパースターといっていいFWロベルト・バッジョと、いずれも世界的な名手が揃っていました。

1994年アメリカ大会のイタリア代表
1994W杯グループEイタリア

ワールドカップでの最後のスーパースター「ロベルト・バッジョ」
1994W杯グループEイタリア_バッジョ

メキシコはFWもできる伝説的なGKカンポス中心とした守りのチーム、伝説的な闘将で問題児ロイ・キーンのいるアイルランド、中盤でハードワークを見せながら、チームで数少ない、テクニックでアクセントをつけられる存在としても期待され、本大会の初戦では優勝候補イタリア相手のジャイアントキリング達成に貢献しました。ノルウェーはオルセン監督率いられて、1994年、1998年と連続出場した黄金世代(以降はヨーロッパ予選敗退)でした。

メキシコ代表ゴールキーパーの「ホルヘ・カンポス」
1994W杯グループEメキシコ_カンポス

この後、イタリアは決勝トーナメントでも苦労しながら、なんとか不屈の精神で勝ち上がり、決勝戦のブラジル(イタリア 0対0(PK2対3)ブラジル)でPK戦の上に敗戦となります。

優勝したブラジル代表。ワールドカップトロフィーを持っているのは「ドゥンガ」。
1994W杯ブラジル

❖ワールドカップらしい最後のワールドカップ
自分が生きている時代もありますが、ワールドカップらしさが残っていたのは「1994年アメリカ大会」が最後となりました。特にFWやMFのスーパースター、いわゆる「10番」が中心となって輝きを放っていました。

イタリア「ロベルトバッジョ」、アルゼンチン「マラドーナ」、ブルガリア「スト一コフ」、メキシコ「カンポス」、ドイツ「マテウス」、そしてブラジル「ロマーリオ」「ベベット」の最強2トップ。「マラドーナ」は大会中のドーピング検査に引っかかって失格となり、その後、アルゼンチンは失速して16強で敗退しました。

スーパースターたちの競演があった大会は、むろん、この後の大会でもありますが、古きよきワールドカップは、この大会が最後だったと思います。

アルゼンチン代表「マラドーナ」。
1994W杯アルゼンチン_マラドーナ



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いよいよ、本日7月23日20時から「東京オリンピック」が開会します。すでに女子ソフトボールやサッカーなどが一足早く開幕して勝利を収めております。

コロナ渦にあり、開会の是非はもとより、無観客や夕観客などの運営方法で様々な意見がありますが、とにかく開会するということで、今はただ無事には終わればいいなと思います。すでに選手や大会関係者にコロナ陽性がでている状況ですが、コロナにより競技種目が中止される事態は避けたいところです。

この「東京オリンピック」を是が非でも開会する為に、大会を1年間延期しましたし、聖火リレーのルート変更、無観客対応、そして緊急事態宣言やまん延防止重点措置などの数々の対応をとりました。

「東京オリンピック」の為になりふり構わずといった政府の「官民一体?のコロナ対策」ですが「東京オリンピック」が終われば、その必要性がなくなります。本来は国民の平穏な生活を取り戻す為の対策かと思いますが、大きく方向性がそれております。

そんな「東京オリンピック」後がはたしてどうなるのか?勝手に想像してみました。

あくまで勝手に想像しているだけですので根拠はありません。ご留意ください。


東京オリンピックは盛り上がる(潜在的な観客希望は結構いる)
実は「東京オリンピック」は意外にも盛り上がるんじゃないかなと思っています。緊急事態宣言やまん延防止重点措置などで効力はないかもしれませんが、国内旅行を控えるなど、巣ごもり需要が続いております。

おのずと「東京オリンピック」をテレビで観戦する機会は増えますし、オリンピック関連の野外イベント、直接オリンピック委員会が関わっていなくでも、オリンピックイベントには人が集まるんではないでしょうか。

今日のブルーインパルスの展示飛行の来た観客を見て思いましたが、「コロナ渦の中、何事だー!」という風潮で、あまり声を大にしての観戦希望が表立って出てきませんが、潜在的ににかなりの数の観戦希望、有観客がいるのかなと思いました。

緊急事態宣言・まん延防止等重点措置は発令されなくなる
今まで何度となく発令されました緊急事態宣言やまん延防止等重点措置は発令されなくなるかもしれません。

恐らく「国民にワクチンがいきわたり、●万人が摂取しており、重傷者や死者が少ない状況ので、発令には至りません。」となんだかんだ理由をつけて発令しないと思います。また、何といっても現在発令している緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の効力が疑われている状況ですので、形を変えていくと思います。

発令する為の判断基準も大きく変わると思われます。かなりの数の発症数があっても「コロナと共存していく社会」ということで、考え方も方向転換するのかなと思います。

大増税(消費税、住民税)
コロナ渦で、国民への給付金、アベノマスク、Gotoシリーズ、飲食店の保証、そして「東京オリンピック」の無観客、外国からの入国制限で、当てが外れた経済効果です。

政府や地方自治体は「金庫は空」の大義名分で、大増税に持っていきます。消費税は10%から最低でも15%ぐらいには上げてきそうですね。また、新しい「税金」を作って徴収する可能性が大ですね。

それとともに、何かセットで、クーポンか、ポイントなどを付与して、増税の不平不満を抑え込みに走る可能性があります。一番はGotoトラベル、Gotoイート、Gotoイベント、Goto商店街(4つあるんですね)を復活させて、消費を促すと思います。

ニューノーマルの二極化(メインオフィス出社とオフィス削減)
コロナ渦により、在宅勤務や会議でのWeb会議ツールにより、仕事に仕方は大きく変わりました。

ただし、今も一部の業種であり、在宅勤務をフルタイムで導入している企業は2割とも言われており、浸透しているとは言い難いです。

コロナ渦が終われば「原点回帰」を名目に在宅勤務は見直されて更に少なくなる企業と、このニューノーマルな働き方を継続して、オフィスを引っ越したり、賃貸契約を見直して減らす企業の二極化になると思います。

まとめ

「東京オリンピック」が開会されますが、こうなれば何とか閉会してくれることを祈ります。そして、
「東京オリンピック」後は国民の為の政策を期待しております。



※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。

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東京オリンピックのウガンダ選手団で、陰性だった8人のうち1人が、PCR検査の結果、新たに新型コロナウイルスに感染していることがわかったそうですね。ウガンダ選手団で新型コロナ感染がわかったのは2人目です。

ウガンダ選手団は、6月19日に9人で来日しましたが、成田空港の検疫検査で1人に新型コロナの感染が確認された時点で隔離されています。検査で陰性だった他の8人はその後、事前合宿地の大阪府泉佐野市に入った後、6月22日に濃厚接触者と判断されたそうです。

世界的にコロナウィルスの猛威が消えたとは思えず、ワクチン接種も日本総人口の18.9%に留まっています。

イスラエルの1回目接種率は63.5%、2回目接種率は59.5%と世界トップ圏ですが、そのイスラエルでも集団感染が再び発生しているそうです。

はたして、東京オリンピックはどうなるんでしょうか。

皆に祝福されて行われるオリンピックであるといいんですが、それが程遠い状態ですので、日本国民全体で盛り上がりませんし、競技を行う選手も、国民が盛り上がらない中で、ホスト国のアドバンテージもなく、いい記録やいい戦い、そしてメダルがとれるのか?ということなのです。

そのメダルも世界各国からライバルである選手が来日してくれないかもしれませんし、十分な練習を積んでいないですし、メンタルも通常のメンタルでないかもしれませんので、そんなライバルたちを尻目に勝ってメダルをとったところで、うれしいのでしょうか。

何か皆が心から競技を楽しめないオリンピックになりそうで、異例のオリンピックになりそうです。



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