竜ヶ崎竜之介のスマホ閲覧で通勤通学を有意義にするプログ

アクアリウムを中心として、他にもホラーやパソコンなどの趣味や仕事、他に日常の出来事について好き放題書いていこうと思います。虎ノ門虎之助でメダカのプログを書いていますが、他のことも書きたくなりましたので新しいプログを立ち上げました。

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カテゴリ: 凶悪事件データベース


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◆ドキュメント
作成日付:2022/10/17
更新日付:2023/01/31(パート1)
更新日付:2023/03/06(パート2)
※事件数が多くなりましたので、プルダウンメニューに対応しました。
※事件数が多くなり、文字数制限を越えましたので分割しました。


◆はじめに

最近、Youtubeで犯罪や事件などの紹介動画をよく見るのですが、動画の中やコメントで結構な確率で言われているのが『犯罪者の刑期が短い!』というものです。罪の内容によって大きく左右されるのですが、私自身も「えっ」と思うような懲役刑の判決結果があります。

動画の中でもよく警告しており『〇〇は早くて〇〇年には出所する』ということ語っています。

罪を償って世の中にでてくるわけです。

もちろん罪を償って改心された人もいるでしょう。でも怖くありませんか?

全員が全員、そんな人間ではありません。

そして、もしかしたら自分の隣に住んでいる、偶然に遭遇してしまう、なんてことがあるかもしれません。

満期出所者のうち、およそ2人に1人は再び犯罪を犯し、刑務所に再入所しているデータもあるぐらいです。

最悪の例として、三菱銀行人質事件(1979年(昭和54年)1月26日)があります。三菱銀行北畠支店に猟銃を持って押し入り、客と行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質・猟奇殺人事件)の梅川昭美みたいな極悪人もおります。銀行員2名、警察官2名が死亡したのです。

梅川昭美は、殺人(大竹市強盗殺人事件)を当時15歳でおこしましたが、当時16歳になるまで2ヶ月ほどを残していた梅川は未成年に当たったため、少年法が適用されて少年院送致となり、僅か1年半で退院となったのです。

そして、収監した少年院は梅川の性格を「このような資質の少年を社会に放任することはきわめて危険であり、積極的に規制する必要がある。この病的な人格はすでに根深く形成されており、矯正は困難であり、些細なことで反社会的行動や犯罪に結びつきやすく、累犯の可能性が極めて高い」と鑑定しているのにも関わらず、再び世に解き放たれて、予想通りに前出の人質・猟奇殺人事件をおこすわけです。

アメリカのミーガン法(ミーガンほう、英:Megan's Law)は、性犯罪者の情報公開がされています。内容は各州によって差がありますが、出所(仮釈放)時や転入・転出に際して、住居周辺の住民への告知が行われるのです。

ミーガン法は性犯罪者の情報公開ですが、日本はどうでしょうか?

そんな犯罪者の情報公開を行う制度はまったくありません。

あくまで被害者の方などが、検察庁に申出をすれば、犯人の出所の予定時期などを事前に通知してくれるぐらいです。

一般人は、隣人や知人が凶悪犯罪を犯しているとしても、それを知る術はないのです。

※以下の事件は除外としています。
 ・未解決事件
 ・指定暴力団殺人事件
 ・公訴時効
 ・不起訴処分
※以下の書き方をしています。
 ・無期懲役は仮釈放30年と仮定
 ・冗長になるのを避ける為、事件背景は書かず、犯罪内容と判決内容を記載
  (ただし、犯罪内容だけだと意味不明になる場合は、事件背景は記載)
 ・主犯を主に記載(共犯者多い場合は省略)
 ・主犯を実名で記載

<目次>・・・プルダウンで事件簿にジャンプします!








※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。

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◆ドキュメント
作成日付:2023/01/31
更新日付:2023/03/06
※事件数が多くなり、文字数制限を越えましたので分割しました。

<目次>







岡山金属バット母親殺害事件(少年17歳)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 少年が母親を金属バットで撲殺した事件。殺人の動機としては、高等学校の部活動で後輩部員からいじめを受けていたのが背景にあるといわれている。

2000年(平成12年)6月21日、岡山県内の公立邑久高校の野球部員の少年(当時17歳・高校3年生)(以下、少年A)が練習中にそばにいた後輩部員4人を突然バットで殴り逃走。少年Aは自宅に戻った後、居間でテレビを見ていた母親(当時42歳)をバットで殴打し逃亡。母親はほぼ即死状態だった。

少年Aは去年の秋から日常的に後輩集団に自身の動作のまねをされたり、所属の野球部でからかわれるなどのいじめを受けていた。事件当日は雨天のため高校の武道場で部活を行っていた。少年Aは、普段から自身をからかうなどしていた後輩ら四人をバットで殴打し、重軽傷を負わせた。

その後、自宅において別のバットで母親を殴打し殺害した。また母親を殴打・殺害したのは、自分が野球部員の少年を殺して殺人者になったと早合点し、そのまま母親が生きていれば不憫であると思ったためであるという。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 岡山家裁(新井慶有裁判官)は8月31日、少年Aを特別少年院へ送致する保護処分を決定した。
新井裁判官は「(男子生徒は)円滑な対人関係を築く能力に乏しく、長期の専門教育を受けるべきだ」とし、「2年ないし2年半の専門教育が必要」との処遇勧告をつけた。

❖保護観察処分「詳細」

 決定によると、新井裁判官は「重大犯罪であり、社会に与えた影響は大きい」としながらも、男子生徒が昨年秋ごろから、複数の後輩にからかいや嫌がらせを受け、事件前日の6月20日、後輩の1人から受けた(丸刈りにしないことで責め、殴るなどの)言動が限度を超えたため、抑えてきた感情が爆発したと認定。母親殺害については「自分が殺人犯になると、母がつらい思いをする。それが自分には耐えられないという自己中心的な思考によるもの」とした。

さらに「被害者(後輩)側は厳罰を求める姿勢を示していない」「男子生徒の父親は今後も被害弁償や慰謝の措置をできる限りすることを誓っている」と述べた。

その上で、「男子生徒は生活態度もまじめで、これまで非行歴もない。知的能力は高いが情緒性が未発達で、円滑な対人関係を築く能力に乏しい。感情の表し方が不得手で、人格に問題性がある」とし、「長期の専門的教育が必要」とした。。

❖出所予定(年齢)
 2003年2月頃、19歳、すでに退院(特別少年院2年半の保護処分)

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岡山元同僚女性バラバラ殺人事件(住田紘一)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2011年(平成23年)9月30日に岡山県岡山市北区で発生した強盗強姦・強盗殺人などの事件。

住田紘一(事件当時29歳)は2009年11月にある女性と交際を始めたが、翌年6月頃に破局した。その後、住田は女性が別の男性と交際したことを知り、その男性の殺害を計画したが実行することはできなかった。

交際相手に関係を絶たれたことでフラストレーションが溜まっていたSは、それを解消する手段として誰かを強姦した上で殺害することを企てた。住田は自身が居住していたマンションの隣人女性を襲うことを計画したが、それも失敗に終わった。その後、住田は勤務先であるシンフォームの同僚の中から自身の好みである女性3人を候補に選び、その中から1人を襲うことを決意した。

住田は2011年9月20日付でシンフォームを退社し、2011年9月30日に岡山市内の自宅アパートを引き払った。住田は同日夜に社員証の返却という名目で岡山市北区の同社を訪れた際に、3人の中で最初に同社から出てきた被害者・同社派遣社員の派遣社員の加藤みささん(当時27歳)に「見てもらいたいものがある」と話しかけ、加藤さんを社内の倉庫に呼び出すことに成功した。

住田は倉庫の鍵を掛けるなり加藤さんを殴り倒した。そして所持していた手錠で手を縛った上で、加藤さんを強姦した。その際住田は、住田さんから現金24,000円・バッグを奪い取った。加藤さんは「誰にも言わないから助けて」と命乞いをしたが、住田はそのような懇願を無視し、バタフライナイフでAの胸を10回以上刺した。しかしなかなか絶命しなかったため、頸動脈をかき切って加藤さんを殺害した。

その後、住田は、加藤さんの遺体を自身の車に積んで「実家のある大阪で頑張りたい」と両親と妹がいる大阪市住吉区の実家に帰宅した。住田は証拠隠滅を図るため、加藤さんから奪った現金で実家近くにガレージを借り、毎日遺体を解体した。骨を細かく手で折り、肉片は大和川や近所のゴミ捨て場などに遺棄した。

事件翌日の2011年10月1日、被害者加藤さんの家族が「娘が帰宅しない」と岡山県警赤磐警察署に捜索願を届け出した。同6日、会社の防犯カメラに一緒に歩く加藤さんと住田が映っていたことから、住田を割り出し、大阪府警住吉署に任意同行して取り調べたところ、住田が殺害を自供したため岡山県警は住田を逮捕した。
岡山元同僚女性バラバラ殺人事件(住田紘一・加藤あいさん)
左が加害者の住田紘一、右が被害者の加藤あいさん。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2013年2月14日、岡山地裁(森岡孝介裁判長)は被告人住田に求刑通り死刑判決を言い渡した。裁判長は判決理由で「被害者が1人でも性的被害を伴っており、結果は重大だ」と指摘した。当時、裁判員裁判の死刑判決は16人目で、1人殺害のケースでは3人目だった。裁判員制度下で前科がなく、1人殺害の場合では初の死刑判決だった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2017年(平成29年)7月13日に広島拘置所で死刑を執行(34歳没))

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沖縄うるま市強姦殺人事件(シンザト・ケネフ・フランクリン)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2016年(平成28年)4月に沖縄県のうるま市で発生した強姦致死、殺人および死体遺棄事件である。

うるま市に住む被害者の島袋里奈さん(当時20歳)は、2016年4月28日午後8時ごろにウォーキングに出発したが、翌日になっても帰宅しなかった。同居人が捜索願を出したものの消息はわからなかった。女性のスマートフォンの位置情報は、翌29日午前2時40分ごろ、自宅から1-2キロ離れたうるま市州崎で途絶えていた。記録が途絶えていた付近の防犯カメラにて、警察捜査員が周辺地域を通過した262台の車の所有者を特定し聞き取りを行った。そのうちの1人として米軍関係者が乗るシンザト・ケネフ・フランクリン(当時32歳)のナンバーの男の車が映っていた。

5月18日に在沖米軍のシンザト・ケネフ・フランクリンが被疑者として浮上。重要参考人として任意聴取し、その供述に基づく捜索により翌19日に遺体を発見、男は死体遺棄容疑で逮捕された。遺体の大部分は白骨化していた。

事件当日、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は自分の車(Yナンバー)で、2~3時間、米軍嘉手納基地近くを走られ、信じられないことに、強姦暴行できる女性を探していた。そこで目に入ったのが、島袋里奈さんだった。

後ろから、島袋里奈さんの頭を棒で殴り、近くの草むらで強姦(レイプ)した。激しく抵抗する島袋里奈さんを刺し首を絞め殴り殺害し、スーツケースに包み、恩納村の雑木林に島袋里奈さんの遺体を捨てた。
沖縄うるま市強姦殺人事件(シンザト・ケネフ・フランクリン)
沖縄うるま市強姦殺人事件(島袋里奈さん)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 一審、二審で無期懲役判決を受けた被告が、最高裁判所へ上告しなかったため、2018年10月5日に無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2048年10月頃、62歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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桶川ストーカー殺人事件(主犯:小松和人)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 桶川ストーカー殺人事件(おけがわストーカーさつじんじけん)は、女子大学生 猪野詩織さん(当時21歳)が元交際相手の男 小松和人(当時26歳)を中心とする犯人グループから嫌がらせ行為を受け続けた末、1999年(平成11年)10月26日に埼玉県桶川市の東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線桶川駅前で殺害された事件。警察捜査上の名称はJR桶川駅西口女子大生路上殺人事件。桶川事件とも呼ばれる。本件の発生が契機となり、2000年に「ストーカー規制法」が制定された。

事件はどこにでもあるような男女の出会いから始まる。
平成11年1月6日、埼玉県内のゲームセンターで友人と一緒にいた被害者の猪野詩織さん(21歳)が、小松和人(当時26歳)に声をかけられたことがきっかけで交際がスタート。

当時「和人」は本名を隠して「誠」と名乗り、年齢も23歳と偽っていたほか、実際は東京池袋で実兄 小松武史(元消防庁職員 当時32歳)と共同経営で複数の風俗店を経営していることも隠し、自動車販売などを手がける青年実業家を騙っていた。

3月に入り和人の住むというマンションに遊びに行くが、室内にビデオカメラが隠されていたことに気づきこれ詩織さんが問いただすと、詩織さんの顔スレスレに壁を何度も殴りつけるなど激怒。

こういったことから徐々に和人の暴力的な恐ろしい面を知ることとなり、詩織は和人と別れることを決意するが、別れを告げる詩織に対し和人は「俺に逆らうな」「俺から逃げられると思うな」などと脅し、交際の継続を強要。

詩織さんはこの後も機会を見て何度も別れを切り出すが、和人はその度に脅迫して交際の継続を強要。

ついには和人と兄の武史、柳直之(当時29歳)の三人でしおりさんの自宅に押しかけ、でっち上げた話で金銭を要求。詩織の父親が毅然として追い返し事なきを得た。

この特の様子をこっそり録音していた詩織は翌日上尾署にテープを持参して相談に訪れるが、対応した署員は「民事ギリギリだね」「これは事件にはならない」と、事件として対応しなかった。

和人は兄の武史に詩織さんの殺害を相談。

10月26日、武史に詩織さん殺害を依頼された実行犯の久保田祥史を含む3人が桶川に向かった。

10月26日午前8時ごろ、殺害実行役の風俗店の店主・久保田祥史(当時34歳)、久保田の輸送役の伊藤嘉孝(当時32歳)、見張り役の川上聡(当時31歳)は池袋に集合したのち、2台の車に分乗して午前9時ごろに桶川市へ到着した。

そして午後0時53分ごろ、桶川駅西口前の商業施設「マイン」前の路上において、大学へ向かうため駅前に自転車を駐めた詩織さんは、右背部を久保田にナイフで突き刺され、更に振り返ったところを左前胸部を刺された。

被害者は悲鳴をあげて倒れ、久保田はその場から逃走した。その後詩織さんは上尾中央総合病院へ搬送されたが、午後1時30分に死亡が確認された。死因は肺損傷に基づく大量出血によるショック死で、死亡推定時刻は事件が発生した午後0時50分とされた。

犯行グループで最初に逮捕されたのは実行犯の久保田で、12月19日のことであった。さらに翌20日は兄 武史、伊藤、川上がいずれも殺人容疑で逮捕、4人は翌2000年1月6日に起訴された。同16日には新たに8人が名誉毀損容疑で逮捕され、先に逮捕されていた4人も同容疑で再逮捕された。和人は同日に名誉毀損容疑で全国に指名手配された。

兄 武史の弁護人によれば、逮捕された兄 武史は事情聴取において和人が北海道にいると供述し、さらに和人に「死に癖がある」ことや異常な人間性を繰り返し伝えていたが、捜査員は「死ぬ死ぬといって死んだためしはない。お前が弟を狂人にしているだけ」と取り合わなかったとされる。

そして2000年1月27日、和人は北海道の屈斜路湖において水死体となって発見され、警察により自殺と断定された。和人が残した2通の遺書(1通は実家へ郵送、1通は遺品のバッグから発見)には、いずれも被害者と家族、マスコミへの怨嗟の言葉が並べ立てられ、自身の冤罪を主張する一方で、自身の家族には事前に自らにかけていた生命保険金を老後資金として役立てて欲しい、との言葉が綴られていた。

和人の名誉毀損容疑については、2月23日に被疑者死亡のまま起訴猶予処分となり、和人が責任を問われることはなくなった。
桶川ストーカー殺人事件(主犯:小松和人)
桶川ストーカー殺人事件(猪野詩織さん)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2001年7月から2002年3月にかけて、殺人実行犯 久保田祥史(当時34歳)には懲役18年、輸送役の伊藤嘉孝(当時32歳)、見張り役の川上聡(当時31歳)にはそれぞれ懲役15年の判決が下された。

 2005年12月20日、東京高裁は地裁判決を支持し控訴を棄却した。実兄 小松武史(元消防庁職員 当時32歳)は即日上告したが、2006年9月5日、最高裁第2小法廷は上告を棄却し、無期懲役が確定した。

❖警察の杜撰な捜査で殺人防げず

目を疑いたくなるような警察(埼玉県警)の不始末と改竄・隠蔽工作、杜撰な捜査でありました。

また、報道被害もすさまじく、事件発生からしばらくは犯人についての情報が乏しかったことから、マスコミの注目は被害者の私生活へと向けられた。そして週刊誌を中心として、被害者について「ブランド狂いだった」「風俗店に勤務していた」といった情報が次々と報道された。しかしこうした情報は正確性を欠いたものであった。

名言『捜査一課長代理ですから、厳しい質問がないようにお願いします。』はあまりにも有名。時折笑顔で会見するのは、もはや感覚が麻痺していんでしょうね。
桶川ストーカー殺人事件(捜査第一課長代理)

❖出所予定(年齢)
 主犯 小松和人・・・死亡(自殺)
 主犯 小松武史・・・2035年12月頃、62歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)
 実行犯 久保田祥史・・・2019年7月頃、52歳(出所)
 輸送役 伊藤嘉孝・・・2016年7月頃、47歳(出所)
 見張り役 川上聡・・・2016年7月頃、46歳(出所)

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お台場フィリピン人バラバラ殺人事件(野崎浩)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 お台場フィリピン人バラバラ殺人事件とは、2008年(平成20年)4月3日に東京都・港区台場一丁目のマンションで発覚した殺人・死体損壊・遺棄(バラバラ殺人)事件。

加害者 野崎浩(当時48歳)はマンションで同居していたフィリピン人女性 ラティリアさん(事件当時22歳)を絞殺して死体を切断・遺棄したほか、9年前の1999年(平成11年)4月22日にも当時住んでいた神奈川県横浜市神奈川区のマンションで別のフィリピン人女性 ヨネダ・ロンガキット・エルダさん(事件当時27歳)の首に布団を押し付けて窒息死させた。野口は被害者ラティリアさんの死体を損壊・遺棄したとして2000年(平成12年)に死体遺棄・損壊罪などで懲役3年6月の刑に処されたが、当時は被害者Aの死亡経緯が不明だったため殺人罪では立件されず、刑務所出所後に被害者B殺害事件で逮捕された際にヨネダ・ロンガキット・エルダさん殺害も認めたため、2人に対する殺人罪で起訴された。
お台場フィリピン人バラバラ殺人事件(野崎浩)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2012年(平成24年)12月14日、最高裁判所第二小法廷(小貫芳信裁判長)は上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人 野崎の死刑が確定した。判決理由で同小法廷は「関係が悪化し、自分の思い通りにならないことに激怒して殺害し、遺体を解体しており、残忍で悪質極まりない」と事実認定した上で「以前にも同様の事件で服役し反省の機会があったにもかかわらず、再び犯行に及んだことなどから矯正可能性が認められず、死刑はやむを得ない」と述べた。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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香川・坂出3人殺害事件(川崎政則)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 香川県・坂出市で女性とその孫の幼児姉妹2人の計3人が2007年11月16日未明に殺害され、死体が遺棄された事件である。

幼児姉妹 姉の茜ちゃん(当時5歳)と妹の彩菜ちゃん(当時3歳)は11月15日の18時頃に隣の祖母 三浦啓子さん(58)の家に泊まりに行き、翌日の16日の朝に母親が迎えに行ったところ3人ともいなくなっていた。香川県坂出警察署捜査本部は11月16日未明から早朝までに何らかのトラブルがあったと見方を強め、捜査を行った。

父親によれば、寝室や玄関、浴室に血痕があり、さらに寝室のカーペットはL字形に切り取られ、血はカーペットの下の畳まで染みこんでいた。

捜査本部の任意取調べに対し、祖母の義弟(祖母の妹の夫。妹は事件当時既に故人)である義理の大叔父 川崎政則(当時61歳、三浦さんの妹の夫)が、27日までに「3人を殺害し、山中に遺体を捨てた」と犯行を認める供述をし、11月27日夜に死体遺棄容疑で逮捕された。11月28日には、当初の供述通りに山中に向かったところ、Kが「本当は港に捨てた」と一変し、捜査員らがその港に向かったところ、祖母と幼児姉妹の遺体が発見された。

祖母は借金の返済に追われており、その関係上、川崎の妻(自分の妹)から金を借りており、その怨恨と見られる。最終的に単独犯と断定される。
香川・坂出3人殺害事件(川崎政則)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2012年7月12日に最高裁判所は上告を棄却し、川崎の死刑が確定した。
2014年6月26日、大阪拘置所で川崎の死刑が執行された。確定から1年11ヶ月と、比較的早い執行だった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2014年6月26日午前、大阪拘置所で絞首により死刑執行(当時63歳没))

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架空請求詐欺仲間割れ殺人事件(主犯:清水大志)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)10月に東京都で発生した架空請求詐欺グループの仲間割れによる殺人事件である。

主犯の男 清水大志(当時26歳)は2004年5月頃から、友人の男 伊藤玲雄(れお)(当時31歳)らと共に広告関係の会社を設立した。しかし経営がうまくいかず、たちまち資金繰りが悪化した。このため、清水は伊藤らと共謀して融資保証金詐欺を始めた。

清水は詐欺が次第に大きくなると、新たなメンバーを加え出した。これは一説に万一摘発を受けた際、自らの罪を軽くするためだったともされているが、清水は詐欺で得た莫大な金の大部分を自らの会社の運営費やテレビ番組のスポンサーになるなど、実業家としての表の顔のために使い込んでいた。そのため、一部の詐欺グループ構成員が次第に自らの待遇などに不満を抱き出した。そして、そのひとり男 西村徳也(当時25歳)は詐欺グループ構成員の3人 飯村修一(当時31歳)、横山佳史(当時34歳)、山口泰崇(当時22歳)と共謀して清水を殺害して金を奪うという計画を立てる。

だが、事前に計画を察した清水は伊藤や元暴力団員の友人 渡辺純一(当時28歳)らの支持者らと共に2004年10月13日22時20分、JR船橋駅近くで西村ら4人を襲撃して拉致し、事務所で凄絶なリンチを行なって計画の全貌を吐かせた。そして清水をはじめ伊藤や渡辺など清水に近いメンバーの大半を殺害しようと計画していたことが発覚したため逆上し、西村らを徹底的にリンチにかけた後、事務所に監禁した。

清水らは都内の高級ホテルでルームサービスを囲みながら、渡辺の伝手を頼って暴力団員 阿多真也(当時27歳、無期懲役)も巻き込んでの西村ら4人の殺害を計画。そして10月16日未明から午後にかけて西村ら4人を殺害し、報酬を渡すことで暴力団員に死体の始末を依頼した。後に2005年6月18日に茨城県小美玉市で4人の遺体が見つかるが、その遺体は脛から下がちぎれているなど凄惨なものだったとされる。

2013年1月29日、清水の上告審で最高裁判所第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は上告を棄却し死刑が確定した。同日、渡辺の上告も棄却され死刑が確定した。理由について裁判長は、「4人の命が失われた結果は重大。事件の中で重要な役割を果たしており、死刑はやむをえない」などと述べた。同年2月28日、伊藤の上告審でも最高裁判所第1小法廷(桜井龍子裁判長)により上告が棄却され、死刑が確定した。
架空請求詐欺仲間割れ殺人事件(清水大志)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2013年1月29日、清水の上告審で最高裁判所第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は上告を棄却し死刑が確定した。同日、渡辺の上告も棄却され死刑が確定した。理由について裁判長は、「4人の命が失われた結果は重大。事件の中で重要な役割を果たしており、死刑はやむをえない」などと述べた。同年2月28日、伊藤の上告審でも最高裁判所第1小法廷(桜井龍子裁判長)により上告が棄却され、死刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 主犯:清水大志・・・死刑判決(東京拘置所収監中、死刑未執行)
 主犯:伊藤玲雄(れお)・・・死刑判決(東京拘置所収監中、死刑未執行)
 主犯:渡辺純一・・・死刑判決(東京拘置所収監中、死刑未執行)
 実行犯手伝い:阿多真也・・・2033年1月頃、57歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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加古川7人殺害事件(藤城康孝)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)8月2日に兵庫県加古川市西神吉町大国で発生した大量殺人事件。無職の男 藤城康孝(犯行当時47歳、加害者被害者ともに藤城姓である為、以後は康孝)が両隣に住む親類ら2家族の男女8人を刃物で刺して7人を殺害、1人に重傷を負わせた。

藤城康孝(当時47歳)は、まわりから邪魔者扱いされていると感じており、恨みを抱いていた。それは少年時代から続く根深いものであり、恨む対象は本家の人間やその周辺だった。

母親はこの土地に嫁いできた当初から、本家にいじめられていたという。しかし、それを考慮しても、藤城の恨みの深さは異常だった。

2004年8月2日午前3時頃、康考は予め用意していた刃渡り約15cmの大型牛刀2本と金槌のうち[7]、牛刀1本と金槌を持って自宅の東隣にある藤城とし子さん(当時80歳)宅母屋に、隣接する離れのトイレの屋根伝いに脚立を使って2階から侵入し、最初にとし子さんの次男 藤城義久さん(当時46歳)を牛刀で刺殺し、とし子さんを金槌で殴りつけた。

直後にいったん自宅に戻り、座布団の下に直前に使用した包丁と金槌を隠し、新しい包丁に持ち替えた後、とし子宅から自宅を挟んで西に60m離れた藤城利彦さん(64歳)宅に向かった。玄関の横の窓が開いていたため、そこから利彦さん宅に侵入して就寝中の利彦さん、妻 澄子さん(当時64歳)、長男 伸一さん(当時27歳)、長女 緑さん(当時26歳)の一家4人を次々と刺殺した。

その後、いったんは自宅に戻ったが、とし子が助けを求める声を聴いたため、再度とし子さん宅に侵入した。騒ぎを聞いてとし子さん宅に駆け付けたとし子さんの長男 勝則さん(当時55歳、とし子さん宅の東隣に夫婦で住んでいた)と、勝則さんの妻(当時50歳)夫婦を襲い勝則さんを殺害、勝則さんの妻にも一時意識不明の重体となる重傷を負わせ、逃げようとしたとし子さんを刺殺した。
加古川7人殺害事件(藤城康孝)
加古川7人殺害事件(藤城とし子さん宅)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は2015年5月25日に開かれた上告審判決公判で一・二審の死刑判決を支持して被告人Fの上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった。

被告人 藤城康孝(当時47歳)は上告審判決を不服として最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)へ判決訂正申立書を提出したが2015年6月10日付で棄却決定がなされたことで正式に死刑判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2021年(令和3年)12月21日、大阪拘置所で絞首により死刑執行(当時65歳没))

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柏市連続通り魔殺傷事件(竹井聖寿)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2014年3月3日に千葉県・柏市で発生した通り魔による殺人・傷害・強盗事件。

2014年3月3日午後11時34分頃、千葉県柏市の市道で通り魔による連続事件が起こる。最初に襲われたのは帰宅途中の女性で「すいません、ちょっと」と竹井聖寿(当時24歳)に声をかけられる。女性は「気持ち悪い」と感じて駆け足で逃げた。次に同36分頃、自転車に乗っていた男性(当時25歳)がナイフのような刃物を突き付けられて脅された。男性は「何ですか?お金ですか?」と質問し、男性は左手で払いのけた際に切られて軽傷を負った。

続いて同時刻、事件現場の近くに住む会社員の男性 池間博也さん(当時31歳)が襲われ、ナイフのような刃物で刺された。次に同40分頃、近くに停車中の車に乗っていた男性D(当時44歳)に対して「金を出せ。もう人を殺している」と脅して財布を奪った。同44分頃、車を運転していた別の男性(当時47歳)が倒れていた池間さんを発見して車を降りた隙に男に車を奪われた。池間さんは首や背中の複数個所を刺されており、病院で死亡が確認された。

司法解剖の結果、池間さんの死因は出血性ショックで、抵抗した形跡は無くほぼ即死だったという。

3月5日午前7時25分頃、柏署は殺人容疑で池間さんと同じマンションに住む竹井聖寿(当時24歳)に任意同行を求める。その際、竹井は「チェックメイト」と呟いたという。同日午後5時50分頃、柏署捜査本部は竹井を立ち合わせて自宅を家宅捜査し、凶器とみられる刃物を押収した。
柏市連続通り魔殺傷事件(竹井聖寿)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2016年10月11日、最高裁判所第三小法廷は被告側の上告を棄却し、一審・二審での無期懲役の判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2046年10月頃、56歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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神奈川県警女性隊員殺害事件(岡部伸次)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年に神奈川県警察の女性隊員 貝塚しのぶさん(当時28歳)が刺殺された事件である。

2000年12月4日、女性の悲鳴が横浜市旭区のマンションに響いた。悲鳴に隣人が駆けつけると、女性の胸に刃渡り17cmものサバイバルナイフが突き刺さっていた。その後、救急隊が駆け付けるも死亡が確認された。被害者は神奈川県警察警察音楽隊の女性隊員であった。そして、被害者の部屋で同音楽隊のメンバーの岡部伸次警部補(当時42歳)が首をつって自殺していた。

県警監察室は事件の前、事情聴取をしていて、女性隊員は「交際を迫られ、困っている」と相談していたという。男はあらかじめ遺書を上司などに残していたことから最初から自殺するつもりだったと見られた。警部補が自殺しているため、2000年12月26日に横浜地方検察庁に書類送検した。神奈川県警は殺人を犯したとみられる警部補に対して退職金を支給したため、非難が殺到した。これに対して県警は地方公務員法に基づき被疑者死亡のため懲戒免職にできず支給せざるを得ないとした。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2001年3月5日に横浜地検は警部補を被疑者死亡で不起訴処分とした。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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金沢市夫婦強盗殺人事件(少年(17歳))
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)9月13日に石川県金沢市の民家で発生した強盗殺人事件(少年犯罪)。

2004年9月13日午前3時20分頃、石川県金沢市神野2丁目の民家に強盗目的で少年(当時17歳)が勝手口の窓ガラスを割って侵入したが、家主の男性神後武雄さん(当時66歳)と妻 信子さん(当時64歳)に気づかれ、抵抗されたためサバイバルナイフ(刃渡り約30cm)や鉄製の杭(刃渡り約10cm)で全身を刺して、夫婦を出血性ショックで死亡させた上、現金3700円とカードが入った財布を奪った。妻からの110番通報を受け、石川県警金沢西署の署員が現場に急行すると、ナイフを持って立ちつくす少年を発見し、少年が「人を刺した」と供述したため、同署員は少年を現行犯逮捕した。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年12月18日、金沢地裁(堀内満裁判長)は検察の求刑通り、元少年に無期懲役を言い渡した。判決理由で裁判長は、元少年が「凶器を複数用意していたこと、返り血が目立たない服に着替えたこと、通報を阻止するために電話線を切断したこと」を挙げ、完全責任能力があったと認定した。その上で「死刑を選択すべき事案であるが、少年法第51条の規定が適用される」と結論付けた。遺族は判決後の会見で「年齢に関係なく死刑が適用できるように少年法の見直しをお願いしたい」と発言した。

❖出所予定(年齢)
 2036年12月頃、47歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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鹿沼市職員殺害事件(主犯:曽根正志)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2001年に廃棄物行政に絡み栃木県・鹿沼市役所の職員 小佐々守さん(当時57歳)が廃棄物処理業者社長 曽根正志(当時61歳)の不当要求に応じず逆恨みされ、帰宅途中に拉致されて殺害され、群馬県内の山中に遺棄された行政対象暴力事件。

鹿沼市と産業廃棄物処理業者との癒着を正そうとした職員が逆恨みされ、殺された。実行犯4人(高木誠(当時52歳)、田村好(当時62歳)、吉田義雄(当時61歳)、佐々木京一(当時48歳))は逮捕されたが、犯行を依頼した産業廃棄物業者は、逮捕される前に自殺した。また、癒着に深く関わっていたと思われる鹿沼市幹部職員も自殺した。被害者の遺体は発見されていない。

❖廃棄物処理業者「鹿沼環境美化センター」

 社長 曽根正志         営利目的略取誘拐などの疑いで逮捕状取得後自殺
 役員 佐々木京一        小佐々さん営利目的略取容疑などで逮捕
 役員 現職市幹部の実弟の妻   元市議会議長が自宅を訪れ、役員への就任を依頼
 役員 元鹿沼市市幹部      清掃事務所長や廃棄物行政担当の民生部長
 役員 現職国会議員の実弟
 役員 元鹿沼市議会議長(故人)

鹿沼市役所(鹿沼環境美化センターではありません)
鹿沼市職員殺害事件(市役所)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 実行犯にはそれぞれ懲役14年から18年の判決が確定している。

 佐々木京一 懲役18年(2004年9月判決)
 吉田義雄  懲役17年(2004年6月控訴棄却)
 高木誠   懲役14年(2004年9月判決)
 田村好   懲役18年(2004年5月編決)

❖出所予定(年齢)
 主犯:曽根正志・・・死亡(自殺)
 実行犯:佐々木京一・・・2022年9月頃、66歳(出所)
 実行犯:吉田義雄・・・2021月6月頃、78歳(出所)
 実行犯:高木誠・・・2018年9月頃、66歳(出所)
 実行犯:田村好・・・2022年5月頃、80歳(出所)

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川口強盗強姦殺人事件(清田龍也)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年10月30日に埼玉県・川口市で起こった強姦・強盗殺人事件。

2007年10月30日、川口市柳崎のアパート2階で、会社員女性 渡辺沙織さん(当時26歳)が川口市源左衛門新田の自称配管工 清田龍也(当時39歳)に強姦された上で殺され、現金8000円とキャッシュカード3枚、運転免許証を奪われた。

11月1日、女性の無断欠勤が続くことを心配した会社の同僚が訪ねてきたことから事件が発覚。警察は、女性が殺害される前後に女性のキャッシュカードから現金を引き出そうとしている男の姿(割と有名な姿)がカメラに映っていたことから捜査を進め、犯人の男は強盗殺人や住居不法侵入などの容疑で逮捕された。また当初は本事件の3か月前に本事件現場と同じアパートの別の部屋で起きた強盗事件での逮捕であった。
川口強盗強姦殺人事件(清田龍也)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 清田は強盗殺人や強姦罪などで起訴され、2008年11月12日に無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2038年11月頃、69歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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川崎市中1男子生徒殺害事件(舟橋龍一)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2015年(平成27年)2月20日に、神奈川県・川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で13歳の中学1年生の上村遼太さんが殺害された上に遺体を遺棄され、事件から1週間後に少年3名(舟橋龍一(当時18歳、以下X)、Y、Z)が殺人の疑いで逮捕された少年犯罪。

2月20日午前2時頃に上村遼太さんが死亡したと推定される。

被害者の死因は首を刃物で傷つけられたことによる出血性ショック。上村遼太さんの遺体に着衣はなく、首の後ろから横には鋭利な刃物により切り傷が集中し31カ所に達していた。顔や腕にも切り傷があり、少年の全身に刻まれた作業用カッターによる切創は43カ所であった。数本の拘束バンドが殺害現場から発見されており、手足を縛られて激しい暴行を受けた可能性あり。

2月27日午前11時、捜査本部は母親と弁護士と共にタクシーで川崎署に出頭してきたリーダー格とされる当時18歳の無職の男Xを(この際、弁護士がXは死亡推定時刻当時に家にいたという旨を捜査本部に述べてから出頭させている)、午後0時30分に自宅で当時17歳の男Yを、午後1時30分に同じく当時17歳の男Zを署内でそれぞれ殺人容疑で逮捕した。

被害者の上村遼太さん。
川崎市中1男子生徒殺害事件(上村さん)
主犯の舟橋龍一(当時18歳)。SNSで実名を暴かれる。
川崎市中1男子生徒殺害事件(舟橋龍一)
左から少年Y(当時17歳)、中央が舟橋龍一(当時18歳)、右が少年Z(当時17歳)。
川崎市中1男子生徒殺害事件(舟橋龍一、Y、Z)

❖屑の親の発想

 舟橋龍一の両親のしつけは暴力を使ったもので、父親は「2回言うことを聞かなければ殴る」ということを実行しており、言うことを聞かない舟橋龍一を殴ったり、顔を足で蹴ったり、6時間も正座をさせることもあり虐待をしていました。

また、フィリピン人の母親もそれを止めることは無く、むしろ自らもハンガーなどで舟橋龍一を殴りつけていました。

事件後、取材を受けた父親が「話、無いっつーの」と軽く記者をあしらっていた態度からも、どうしようもない責任能力の無い男だということが分かりました。
川崎市中1男子生徒殺害事件(舟橋龍一の親)

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2016年2月10日、横浜地裁は舟橋龍一(X)に懲役9年以上13年以下の不定期刑を言い渡し、検察側・弁護側共に控訴期限までに控訴せず、刑が確定した。
 2016年3月14日、横浜地裁はYに懲役4年以上6年6ヶ月以下の不定期刑を言い渡し、検察側・弁護側共に控訴期限までに控訴せず、刑が確定した。
 最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)は2017年1月25日付で上告の棄却を決定し、Zを懲役6年以上10年以下の不定期刑とした一審・二審判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 主犯:舟橋龍一(X)・・・2029年2月頃、31歳(不定期刑で最も重い懲役の13年と仮定 )
 少年Y・・・2022年9月頃、24歳、すでに出所(不定期刑で最も重い懲役の6年6ヶ月と仮定 )
 少年Z・・・2027年1月頃、27歳(不定期刑で最も重い懲役の10年と仮定 )

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河瀬駅前交番警察官射殺事件(大西智博)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2018年(平成30年)4月11日夜に滋賀県彦根市南川瀬町の滋賀県彦根警察署河瀬駅前交番で発生した殺人事件。

勤務中の警察官(大西智博、犯行当時19歳巡査、逮捕後に懲戒免職)が貸与された拳銃で上司の警察官(井本光(あきら)当時41歳、事件当時41歳巡査部長、事件後に警部へ2階級特進)を射殺した。

警察庁によれば「警察官が貸与された拳銃で同僚を射殺した事件は初めて」であり、この「前代未聞の不祥事」は日本社会に大きな衝撃を与えた。

❖密室のやり取り、果たして・・・。

 井本巡査部長の厳しい指導の裏に隠された部下の成長を願う気持ちと、それを苦痛に感じていた元巡査の心のすれ違い?があったことも公判で明らかにされた。

それは大西智博巡査が警察学校を卒業し、初めて彦根署河瀬駅前交番に配属されてから約2週間たった2018年4月11日の夜のことでした。

「おまえがアホなんは親がアホやからちゃうんけ」

同僚であり厳しい指導役でもあった井本巡査部長が、夕食のお弁当を電子レンジで温めていた大西智博巡査に対して聞こえよがしに吐き捨てた言葉です。

この言葉は、やっとのことで保っていた、当時19歳だった大西智博巡査の心の中の一本の糸を断ち切りました。

大西智博巡査は、そのまま交番内の別の部屋へ移動し、上司に悟られぬよう拳銃の撃鉄を起こします。

そして、再び井本巡査部長がいる部屋に戻ると、パソコンの前で作業していた上司の背後に立ち、目をつむったまま引き金を引いたと言います。

至近距離から後頭部に1発。そして、机に突っ伏した井本巡査部長の背中めがけて、さらに1発。

その後、駆けつけた署員に発見された井本巡査部長は、同市内の病院に緊急搬送されるも、22時過ぎに死亡を確認。

その後の司法解剖の結果、井本巡査部長の死因は頭部を撃たれたことによる脳幹部損傷で、ほぼ即死の状態でした。

上司を撃った大西智博巡査。
河瀬駅前交番警察官射殺事件(大西智博)t

部下に撃たれた井上光巡査部長。
河瀬駅前交番警察官射殺事件(井本光さん)

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 被告人・元巡査 大西の弁護人は控訴期限となる2019年2月22日までに大阪高等裁判所へ控訴するための控訴状を大津地裁に提出しなかったため、2019年2月23日付で懲役22年判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2041年5月頃、41歳(懲役22年)

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河内長野市家族殺傷事件(少年(18歳))
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2003年に大阪府河内長野市で発生した事件である。

2003年11月1日午前2時頃、大阪府河内長野市の会社員から 「息子がいきなり切りつけてきた」との119番通報があり救急隊が駆けつけると、1階で会社員の妻が首などを切られ倒れており(搬送先の病院で死亡)、2階で寝ていた次男や、長男を取り押さえようとした会社員も刺され重傷を負っていた。

大学生の長男(当時18歳)は会社員の車で逃走したが、午前3時過ぎ、緊急配備中のパトカーに発見され緊急逮捕された。凶器の包丁は、犯行2、3日前にホームセンターで購入したと供述。同日、車に同乗していた高校1年の少女(当時16歳)が、自分も家族を殺そうと思い包丁を買ったと供述したため、殺人予備容疑で逮捕された

調べでは、少年と少女は幼なじみで、9月ごろから交際を始めた。2人は10月初めごろから、お互いの家族を殺害する話を始め、頻繁に会って打ち合わせを重ねていたという。計画を実行に移す時期については事件当日前後に絞っていたという。2人が親密に話す姿は少年が通う大学構内や自宅近くの私鉄の駅、少女の自宅周辺で、たびたび目撃されていた。

これまでの供述によると、少女は「2人で暮らしたかった。それにはそれぞれの両親が邪魔だった」と話し、事件後は「住まいを確保して一緒に暮らしても、事件を起こした以上、長続きしないことはわかっていた。最後は2人で死のうと考えた」と明かしている。少年は事件直前に家族とトラブルを起こしていなかったという。「1人で自殺するのが怖かったので家族を道連れにしようと思った」などと供述している。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2004年3月18日、大阪家庭裁判所はいずれも医療少年院送致とする保護処分を決定。

❖出所予定(年齢)
 保護観察処分(※)

※保護観察とは、犯罪をした人または非行のある少年が、社会の中で更生するように、保護観察官及び保護司による指導と支援を行うものです。 刑務所等の矯正施設で行われる施設内での処遇に対し、施設外、つまり、社会の中で処遇を行うものであることから、「社会内処遇」と言われています。

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吉祥寺女性刺殺事件(飯塚浩輝(当時17歳)、今井アレックス(当時17歳))
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2013年2月28日に発生した強盗殺人事件。

2013年2月28日午前1時50分頃、東京都・武蔵野市吉祥寺の路上で帰宅途中のアルバイト女性 山田亜理沙さん(当時22歳)が少年2人 飯塚浩輝(当時17歳)、今井アレックス(当時17歳)に襲われ、背後から刃物で刺されて財布などを奪われる事件が発生した。被害女性は病院に搬送されたが、背中の傷2か所のうち1か所は肺にまで達しており、ほぼ即死であった。

少年2人 飯塚と今井は犯行直後に殺害現場近くのコンビニエンスストアで被害女性のキャッシュカードから現金を引き出そうとするも失敗したうえ、路上で警察官から職務質問を受けて逃走した。

当日朝になり、ルーマニア国籍の少年 今井アレックス(当時17歳)は他人名義の銀行通帳を所持していた占有離脱物横領容疑で逮捕され、翌3月1日には強盗殺人容疑で再逮捕された。

もう1人の日本国籍の少年 飯塚浩輝(当時18歳)は当日こそ身柄を拘束されなかったものの、防犯カメラを解析した結果、駅から電車を乗り継いで立川方面に向かっていたことが判明した。日本国籍の少年は3月2日夜に出頭し、翌3月3日に強盗殺人容疑で逮捕された。

飯塚浩輝(当時17歳)
吉祥寺女性刺殺事件(飯塚浩輝(当時17歳)

今井アレックス(当時17歳)
吉祥寺女性刺殺事件(今井アレックス(当時17歳))
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2014年1月から3月にかけて東京地裁で裁判員裁判が開かれた。少年2人は殺意を否認したが、東京地裁は強盗殺人罪を認定し、求刑通り無期懲役判決を言い渡した。その後、少年2人は控訴したが棄却され、無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2044年1月頃、47歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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旧清川村強盗殺人事件(伊東順一)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2005年3月に大分県・大野郡清川村(現:豊後大野市)で起きた強盗殺人事件である。

大分県清川村(現豊後大野市)で2005年3月19日に山口範子さん(当時61歳)の顔が判別できない程殴打された状態の遺体が自宅裏庭で見つかった。乗用車が奪われていた。

大分県警は、2007年2月、被害者と顔見知りでこの事件とは別の窃盗罪により服役中だった伊東順一(当時61歳)を強盗殺人、窃盗、住居侵入の罪で逮捕した。

当初は容疑を否認していたが、数日後に容疑を認めた。検察はこれを受けて2005年3月8日に被害者宅に侵入して現金13万円を盗んだうえに、同14日に山口さん宅に侵入してコンクリートの塊で被害者を殴り倒してビニール紐で首を絞めるなどして殺害した後に乗用車や商品券を奪った容疑で逮捕していた伊東を起訴した。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2015年10月6日、最高裁で無期懲役判決。確定した。

❖出所予定(年齢)
 2045年10月頃、91歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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京田辺警察官殺害事件(少女(当時16歳))
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年9月18日に京都府・京田辺市で、当時16歳の少女が警察官(京都府南警察署勤務)である父親を殺害した事件。

2007年9月18日午前4時頃、少女は自宅2階の寝室で寝ていた父親の首を手斧(刃渡り11cm、柄約30cm)で切りつけて失血死させた。午前4時40分頃、少女の母親が「父親が首を切って自殺した」と119番通報。消防からの連絡で田辺署員が駆け付けたところ、2階の寝室のベッドで血塗れで死亡していることが確認された。1階キッチンに手斧が落ちており、側にいた少女の服に返り血が付いていたため、署員が事情を聞いたところ犯行を認めたため、殺人容疑で緊急逮捕した。
京田辺警察官殺害事件(少女(当時16歳)・中等少年院送致)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2008年1月23日、京都家裁の決定で裁判長は動機について、厳しいしつけをしてきた父に女性関係があって、生理的な嫌悪感や不快感を抱いていたが、そんな父親に専門学校進学の許諾を得なければならなかったことに強い屈辱感を持ったためとし、6月頃には殺害を計画したとした。

そして、犯行が残忍で計画性が認められる重大事案として、原則検察官に送致すべき事件としつつも、少女の、こだわりが強いという特性や潔癖を願う気持ちが強い性格により、抑うつ症状が強まっていたとして、保護処分とする特段の事情があると結論。

謝罪する気持ちがあることや家族の処罰感情が強くないことも考慮し、長期間の矯正教育を施して更生を図るべきだとして、中等少年院送致の保護処分を決定した。異議はなく、そのまま確定した。

❖中等少年院

中等少年院とは、心身に著しい故障のない、おおむね16歳以上20歳未満の者を収容する少年院です。少年院送致を言い渡された少年は、ほとんどが中等少年院に送致されます。

少年院の処遇課程には、特修短期処遇(4か月以内での仮退院を目指す矯正教育メニュー)、一般短期処遇(6か月以内程度での仮退院を目指す矯正教育メニュー)、長期処遇(12か月以内程度での仮退院を目指す矯正教育メニュー)、超長期処遇(12か月以上かけて矯正教育を授けるメニュー)があり、これらの処遇課程の振り分けは、短期処遇については、家庭裁判所の処遇勧告に従うのが原則とされ、長期処遇については、比較的長期(18か月程度)や相当長期(24か月以上)などの勧告を尊重することとされています。

❖出所予定(年齢)
 2011年1月頃、19歳(中等少年院で最も長い3年と仮定)

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京都・神奈川親族連続殺人事件(松村恭造)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年1月に京都府・神奈川県で発生した連続殺人事件。

2007年1月16日、犯人 松村恭造(当時25歳)は京都府・長岡京市在住の叔母 岩井順子さん(当時57歳)を襲って殺害し、現金およそ2万円とキャッシュカードを強奪して逃走した。京都府警察は1月20日、犯人を特定して全国に指名手配(非公開)する。

松村はその頃には東京都に逃走しており、奪った金で風俗店で遊びまわって使い果たしてしまっていた。金に困った松村は、1月22日に神奈川県・相模原市在住の大叔父を頼って金を無心したが断られた。宿泊を頼み込んで認められたが、1月23日の深夜、松村は大叔父 加藤順一さん(当時72歳)が就寝しているところを鈍器で滅多打ちにして殺害。遺体を押入れに隠し、現金およそ1万円と携帯電話を盗んで逃走した。大叔父の遺体は早朝に発見された。

松村は1月23日の夕方、東京都・練馬区内を歩いていたところを京都府警の捜査員に発見され、叔母 岩井さんに対する強盗殺人で逮捕された。2月21日には大叔父 加藤さんに対する強盗殺人の容疑で再逮捕された。
京都・神奈川親族連続殺人事件(松村恭造)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 裁判でも松村は傍若無人な発言を繰り返した。初公判では「人殺しくらいやって当然」と述べた。さらに「2人の冥福を祈るつもりは全くない」などとも述べた。

2008年3月17日、京都地方裁判所で裁判長の「犯行を認めますか」という罪状認否に対して、「俺が2人を殺した。俺は人殺しという大仕事を冷静に成し遂げた。俺は自分をほめてやりたい」と発言した。動機に関しても、「人生がうまくいかない。どうせ死ぬのなら恨みがあるやつを殺してからにしようとした」と発言した。

また、自身を勘当した父親を憎んでか、父親に対して「事件はてめえの責任」と述べるなど、不規則発言を繰り返した。また、自分を馬鹿にしたとして同級生を3人目の殺害対象にしていたとも証言した。

これらの不規則発言から反省の意思がまったくないとして、3月28日に京都地裁は「事件の責任は重大。被告人の反省の態度が見られず、更生を期待するのは極めて困難」として松村に死刑判決を言い渡した。

弁護側は大阪高等裁判所に即日控訴したが、松村が自ら取り下げて4月8日に死刑が確定し、2012年8月3日に大阪拘置所で松村の死刑が執行された。奇しくも、この日は松村の誕生日であった(生没同日)。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2012年8月3日、大阪拘置所で絞首により死刑執行(当時30歳没))

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ここに文章を入れる
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年(平成11年)12月21日に、京都府京都市伏見区の京都市立日野小学校で起きた殺人事件。

校庭で遊んでいた2年生の中村俊希くん(当時7歳)が、岡村浩昌(当時21歳)に刺殺された。岡村は「私を識別する記号→てるくはのる」などと記した犯行声明を現場に残し逃走。翌2000年(平成12年)2月5日、警察がOを訪ね任意同行を求めたところ、岡村は捜査員の隙をついて逃走し、高層アパートの屋上へ逃げ込んで飛び降り自殺を遂げた。
京都小学生殺害事件(岡村浩昌が書いた犯行声明)
京都小学生殺害事件(岡村浩昌)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2000年4月22日、捜査本部は被疑者死亡のまま、Oを殺人罪、銃刀法違反など四つの容疑で、京都地検へ書類送検した。2000年4月28日、京都地検はOの犯行を認定した上で不起訴とし、これで捜査は全て終結した。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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工事中



※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。

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◆ドキュメント
作成日付:2022/12/24
更新日付:2023/02/25

◆はじめに

 宮刑(きゅうけい)。

 宮刑は、去勢する刑罰です。この刑は世界的にみても実施例が数多くありますが、中国におけるものが最も有名です。男性器を機能不全にする刑で、家系繁栄を重んじる中国で子孫ができないことは重い恥辱でした。

現代でも、このような刑は存在しており、アメリカ合衆国の一部の州において、性犯罪者に対して、本人の希望により、あるいは懲役刑との自由選択の形で、去勢刑が行われています。

去勢の多くは薬物注射で睾丸を萎縮させる「化学的去勢」といわれる方法を取りますが、テキサス州においては、手術による睾丸摘出が実施されており、1997年と2007年に執行された例があります。

つい最近では、アフリカ最大の国ナイジェリアのカドゥナ州でこのほど、レイプが厳罰化され、有罪となった場合は、去勢(睾丸または卵管を摘除)された上に死刑または終身刑となることになった。同州知事が2020年9月11日に署名し、即日施行された。

いやー痛い!痛い!ですね。聞いてるだけで痛くなってきます。

現在の日本では、このような刑はありませんが、この刑に相応しい人間がいるのも事実です。


渡辺陽太(6度とも不起訴で釈放)
【氏名】
 渡辺陽太
渡辺陽太 (2)
【プロフィール】
 年齢 22歳(2020年逮捕当時)
 学歴 慶応義塾大学経済学部
 身長 182.5cm
 実家 土木業会社経営で総資産100億円

【生い立ち】
 高校に進学したころから素行が悪くなり、万引きで退学処分を受けました。そこで体面を気にしてスイス、ニュージーランド留学しました。
 そして、留学生枠を使用して慶応義塾大学で入学となりました。
 学生当時には2つの会社の取締役についており多額の報酬を受け取って悠々自適の生活でした。
 また、2016年ミスター慶応コンテストでファイナリスト5人に選出されてぐらいに容姿端麗でした。

【犯罪(容疑)内容】
❖逮捕1度目、2度目(昏睡強盗・準強制猥褻)
 2018年9月29日、渡辺陽太(当時22歳)は、神奈川県横浜市の路上で泥酔している女性のを発見し、暴行を加えられる前に、雑居ビル1階の踊り場で性的暴行した後に近くの路上に連れ出し女性の腹を蹴ったり、頭にかかと落としをするなどしていたところ警察官に発見され、その場で暴行罪の現行犯逮捕を現行犯逮捕されました(1度目)。取り調べで先の暴行も発覚して2度目の逮捕となりました。

◆サイン
 渡辺は、驚くべきことに犯行の様子をスマートフォンで撮影保存しており、警察は証拠として、過去の余罪、共犯者を追及しました。

❖逮捕3度目(昏睡強盗・準強制猥褻)
 2018年5月10日未明にナンパに成功してカラオケ店女性を酒に酔わせて酩酊状態にして下半身にさわる、わいせつな行為をし、さらに財布を盗んだとして、共犯の慶応大生 光山和希(当時22歳)、X(当時19歳)とともに3度目の逮捕となりました。
光山和希
❖逮捕4回目(強制性交・窃盗)
 2018年3月27日には、友人のマンションで、男女複数人で食事をしていました。そのうちの1人の女性を離れた場所に連れて行き、女性に性的暴行を加えた上で、現金6万円とキャッシュカードが入った財布を盗んだとし、強制性交と窃盗の疑いで4度目の逮捕となりました。

❖逮捕5回目(準強制性交未遂容疑)
 2018年9月1日に友人のマンションで女性にアイマスクを着け、両手首をひものようなもので縛った上で暴行しようとした準強制性交容疑で5度目の逮捕をされています。

❖報道と不起訴処分(1~5回目)
 報道されると窃盗と性犯罪を申し出てくる人が多数おりました(どうなったか不明です)。
 横浜地検が2019年1月25日に不起訴処分としました。理由はあきらかにしていません。

❖逮捕6回目(準強制性交未遂容疑)と不起訴処分
2019年3月24日、JR大宮駅近くで女性に声を掛けて、埼玉県さいたま市大宮区カラオケ店とインターネットカフェでそれぞれ性的暴行を加えたました。20代の男性が解放されて泣いている女性を発見、事情をきいて警察に通報しました。
2020年11月21日に渡辺陽太(当時24歳)6度目、光山和希(当時24歳)2度目で逮捕されました。
2020年12月11日にさいたま地検が不起訴処分としています。理由はあきらかにしていません。

❖さいごに
このように全てが不起訴処分で罪を免れている渡辺ですが、何度犯罪に手を染めても金の力で解決できると思い、悔い改めることはないと思います。

女性を酩酊状態にしてから性犯罪を犯していることが多いのが特徴ですのでご注意願います。

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丸田憲司朗(異例の10回逮捕)
【氏名】
 丸田憲司朗
丸田憲司朗
【プロフィール】
 年齢 31歳(2021年逮捕当時)
 学歴 甲南大学
 職業 リクルートコミュニケーションズの元社員(懲戒解雇)

【生い立ち】
 出身地の奈良県五條市にあると思われる、丸田の実家情報については不明のようです。
丸田は取り調べで「以前、交際していた女性に睡眠薬を飲ませてセックスしたときに、興奮を覚えたのがはじまりです。セックスしたい、動画を撮影して、後で楽しみたいと思った……」と述べています。

【犯罪内容】
 丸田は2020年11月から2021年10月までの間に、準強制性交等、住居侵入、準強姦、準強制猥褻の罪で計10回の逮捕・起訴を受けている。事の発端は30代の知人女性に睡眠薬を飲ませ自宅に連れ込み、わいせつな行為をしたとして昨年11月12日に逮捕されたことでした。

丸田は2020年6月27日の夜に知人宅のホームパーティーで知り合った30代の女性に対し睡眠薬を飲ませたうえで、自宅に連れ込み性的暴行に及びました。翌日に女性が丸田被告の自宅で目を覚ました際、舌が真っ青になっており、体にも違和感を覚えたために被害届を提出。その後、女性の体内から睡眠薬の成分が検出され、丸田の逮捕につながりました。

押収されたスマートフォンからは40人近くの女性がこん睡状態で映った動画や画像が見つかり、ほかにも被害者が多数いることが明らかになりました。勾留中に余罪の捜査が進み、2020年12月に「OB訪問アプリ」を通じて知り合った就職活動中の女子学生に対して「資料作成を手伝う」と誘い出し暴行した件で再逮捕となりました。

丸田は就活アプリや出会い系アプリなど合わせて4つのアプリを使い分け、彼の自宅からは10種類合わせて約700錠もの睡眠薬が押収されており、複数の女性からの被害届が出ているといいます。

【逮捕歴】
 2020年11月12日・・・30代女性会社員(逮捕1回目)
 2020年12月03日・・・就活中女子大生(逮捕2回目)
 2021年01月13日・・・女子大生(逮捕3回目)
 2021年03月05日・・・20代女性(逮捕4回目)
 2021年05月06日・・・20代知人女性(逮捕5回目)
 2021年05月26日・・・10代女子大生(逮捕6回目)
 2021年06月23日・・・20代女子大生(逮捕7回目)
 2021年08月11日・・・女子大生(逮捕8回目)
 2021年09月01日・・・女子大生(逮捕9回目)
 2021年10月05日・・・知人女性(逮捕10回目)

 2020年7月と10月には、就活マッチングアプリを介して知り合った大学生のBさん、Cさんに対してもそれぞれ、同様の手口で抗拒不能状態に陥らせたうえ性交したとされている。また犯行時は、その様子をスマホなどで撮影していました。
 
 2020年7月に就活マッチングアプリで丸田と知り合ったBさんには「課題手伝おうか?」と声をかけ、都内のホテルで飲食したのち、予約していた客室に連れ込み「資料のアドバイス」をした。こうして頼れる社会人を装いながらも、客室でBさんの飲み物に睡眠作用のある薬物を混ぜ、意識を朦朧とさせた上で性的暴行を加えたとされています。

 2020年10月に就活マッチングアプリで丸田と知り合ったCさんにも「そろそろ本格的な就活対策しようか」とアドバイスを行う名目で食事に誘い、その後「バーテンやってたから、甘いカクテルとか作れるよ、眠くなったら寝ちゃっていいから」などと声をかけ、Cさんを自宅に誘い込んで性的暴行を加えたとされています。

 「丸田は自宅で自らカクテルを作るなどして飲酒する中、Cさんに悟られないよう睡眠作用のある薬物を飲み物に入れ摂取させた。その後突然Cさんに近づき『この後絶対記憶なくすから、キスしとこう』と言い、キスをした。その直後にCさんは熟睡した・・・」

【判決】
 公判中であり、余罪追及中でもあるので、判決は当面先と思われます。

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植園貴光(6回逮捕)
【氏名】
 植園貴光(6回逮捕)
植園貴光
【プロフィール】
 年齢 36歳(2006年逮捕当時)
 学歴 中卒
 職業 解体工

逮捕容疑は「準強制性交の疑い」となっており、かなりの数の女性を毒牙にかけていたようです。

【生い立ち】
 知人によると、植園貴光は九州出身の父親と、地元出身の母親の長男として生まれ、両親と妹の4人で公営住宅で暮らしていた。地元の小、中学校を卒業後、父親の建設業などの手伝いをしていたという。「17、18歳の女の子の後を付け、家に入る一瞬を狙って押し入っていた。家人がいれば逃げるが、不在なら、わいせつ行為に及んでいた。同じような被害を受けたのは、たくさんいたが、田舎のことなので、みんな警察に届けるのを渋っていた」

また、別の関係者によると、同容疑者は約10年前、隣の家に侵入し、若い女性の部屋に侵入し、パンティーを被って部屋を物色していたところを、女性の家族に見つかったこともあるという。

【犯罪内容】滋賀電車内駅構内連続強姦事件
❖事件その1(2006年8月3日午後9時20分頃)
滋賀県湖南市石部南(当初の報道では大津市坂本)の男性解体工(逮捕時35歳)が、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線福井駅を出発した直後の富山駅発大阪駅行き特急「サンダーバード」車内で、大阪市内の女性会社員(当時21歳)の隣に座り「俺はヤクザだ」「逃げると殺す」などと脅し下半身を触るなどしたうえ、午後10時半頃から約30分間にわたりトイレに連れ込み強姦した(新大阪駅で下車した女性から被害届を受けた大阪府警が、2007年4月21日に逮捕した)。JR特急「サンダーバード」車内で女性に暴行。40人乗客制止できなかった。

❖日本人特有の資質が出てしまった「サンダーバード事件」

犯行が行われた当時、車内には約40名の乗客がいたとされています。

1車両に40名の乗客が乗っている特急の車両は、混雑しているとは言えませんが、そこそこに人がいる状態です。

被害者は前から3列目の席に座っていて、その隣に犯人が座ってきました。女性は泣いていたとのことですので、周囲の乗客は異変に気づいていました。

また、トイレに連れて行かれた時も女性は泣いており、不審に思う乗客はいたようです。

しかし、それらの乗客に対して、犯人は「何を見とるんじゃ!」とすごんだために、乗客は怖くなって何もできなかったとのこと。

被害者が泣いていたことに他の複数の乗客が気付いていながらも、誰も被害者を助けなかったし、それどころか車掌や警察に通報することもなかったそうです。

つまり、被害者はされるがままであり、犯人はやりたい放題だったということですね。
被害者は「声を出したら殺す」と脅されていたために、周囲の人に助けを求めることができませんでした。

被害を受けている女性が目の前にいるのに、乗客はみんな「見てみぬふり」。日本人のモラル・日本人の道徳観が問われることになり、「見てみぬふり」が糾弾されることになりました。

このサンダーバード事件を受けて、現在は多くの鉄道会社で女性専用席が導入されるようになりました。女性としては、やはり隣に見知らぬ男性が座るのはちょっと怖いですよね。

❖事件その2(2006年12月21日(2件発生))
午後10時半頃、JR西日本湖西線堅田駅発京都駅行き普通電車の乗客のいない先頭車両で、大津市の女性パート店員(当時27歳)を脅し強姦した(滋賀県警が2007年2月13日に逮捕)。
その直後、京都駅で反対方向の電車に乗り換え、午後11時20分頃雄琴駅(現・おごと温泉駅)で下車、女子大生(当時20歳)を脅し駅構内の男子トイレに連れ込み強姦した(滋賀県警が2007年1月17日逮捕)。

【逮捕歴】
1991年06月・・・傷害と公務執行妨害により懲役1年、3年間執行猶予保護観察付(その後執行猶予取消)
1992年11月・・・暴行、脅迫、傷害、住居侵入、恐喝により、懲役1年10月
1996年03月・・・覚せい剤取締法違反、毒物及び劇物取締法違反により、懲役1年
1997年11月・・・強制猥褻により、懲役1年6月
1999年12月・・・強姦、条例違反により、懲役3年6月
2003年09月・・・暴行、強制猥褻により、懲役3年

【判決】
 2008年1月17日、大津地方裁判所は植園貴光に対し、懲役18年を言い渡した。

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工事中



※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。

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◆ドキュメント
作成日付:2022/10/17
更新日付:2023/01/31
※事件数が多くなりましたので、プルダウンメニューに対応しました。
※事件数が多くなり、文字数制限を越えましたので分割しました。


<目次>







2016年愛知県稲沢市殺人放火事件(菅井優子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2016年10月に角田幸司さん(当時60歳)が殺され、自宅が放火され全焼した事件。被害者は、結婚相談所の紹介で知り合った菅井優子(当時54歳)と2015年7月に結婚したが、その7か月後に殺された。結婚の翌月に、妻菅井優子(当時54歳)を受取人とした生命保険がかけられていた。

 2019年9月18日、愛知県警は菅井優子(当時54歳)およびその交際相手の男で美容院を経営する浅野勉容疑者(当時65歳)を殺人容疑で逮捕した。
菅井優子被告(54)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 名古屋地裁の裁判員裁判で、検察側は2022年3月17日、無期懲役を求刑した。名古屋地裁は、2022年4月14日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2052年4月頃、84歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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2015年愛知県春日井市ラーメン店殺傷事件(宮地良多)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2015年9月24日に愛知県春日井市のラーメン店で発生した殺傷事件。

 2015年9月24日朝、宮地良多(当時27歳)は愛知県春日井市のラーメン店に鉄パイプのようなものを持って押し入り、店員2人の頭部を複数回殴った。従業員の荻原典章さん(当時35歳)は頭の骨を折り死亡、もう1名の従業員(当時39歳)は顔面骨折の重傷を負った。店の金庫からは売上金250万円がなくなっていた。

 県警によると、2015年9月27日、大阪府内にいた宮地容疑者から任意で事情聴取。その後、春日井署に任意同行した。28日夜、宮地良多(当時27歳)が任意聴取を拒否して署を出たため、捜査員1人が追いすがって戻るよう説得を続けたが、29日午前2時ごろ、同容疑者が突然走り出し、姿を見失ったという。

 県警は2015年9月29日、宮地良多(当時27歳)を全国に指名手配し、6時間後に大阪府岸和田市の実家付近で発見して身柄を確保した。
宮地良多被告
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2017年2月27日に名古屋地裁(奥山豪裁判長)は、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。「無防備な被害者を襲う甚だ危険な犯行で結果は誠に重大。奪った現金も高額」と述べた。

❖出所予定(年齢)
 2047年2月頃、57歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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愛知県蟹江町母子3人殺傷事件(林振華)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2009年(平成21年)5月1日深夜から翌5月2日昼にかけて愛知県海部郡蟹江町の民家で発生した強盗殺人・同未遂事件である。

 林振華(りんしんか・当時25歳・三重大学在学の中国人留学生)は万引きにより罰金刑を受ける見込みとなったことから、その支払いのために盗みを企て、侵入先の民家で遭遇した家人3人を殺傷した。

 被害者の山田喜保子さん(当時57歳)を鉄製のスパナで頭蓋骨(ずがいこつ)が割れるほど頭を何度も殴り撲殺、次男の山田雅樹さん(当時26歳)を台所にあった包丁で雅樹さんを刺殺、三男の山田勲さん(当時25)は首などを刺されて重傷であった。

 2012年(平成24年)10月に窃盗容疑で三重県警察に逮捕され、その際に採取された唾液のDNA型が事件現場の遺留品と一致したため、同年12月に本事件の被疑者として逮捕され、起訴された。
2015年愛知県春日井市ラーメン店殺傷事件_林振華
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2018年9月6日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人L側の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Lの死刑判決が確定することとなった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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愛知交際2女性殺害事件(兼石幸男)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年8月15日、愛知県海部郡蟹江町において、兼岩幸男(当時44歳)は借金の返済資金を調達できなかったことで不倫関係にあった渡辺愛子(当時49歳)さんからなじられてビールの缶を投げ付けられたことに腹を立てた。そのことがきっかけで、借金とともに渡辺さんを消し去ろうとして殺意をもって、頸部を両手でしめて窒息死させた。

 2003年5月25日には、愛知県一宮市において、不倫関係にあった村井栄子(当時43歳)さんも窒息死させた。兼岩は村井さんから結婚を求められており、不倫関係を妻に暴露するといわれており、また、兼岩の行っていた会社との背信行為についても公表すると言われていた。その後、カッターナイフで四肢などを六つに切断し、黒色ビニール袋にいれて岐阜県柳津町(現在は岐阜市)の境川に遺棄した。27日にも河川敷の雑木林の土に埋めるなど損壊・遺棄した。
愛知交際2女性殺害事件_兼岩幸男
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2011年11月29日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は、弁護側の上告を棄却して死刑判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(名古屋拘置所収監中、死刑未執行)

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愛知長久手町立てこもり発砲事件(大林久人)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年(平成19年)5月17日から5月18日にかけ、愛知県愛知郡長久手町(現:長久手市)で元山口組系暴力団組員 大林久人(当時50歳)が元妻を人質に取って民家に立てこもった事件のこと。発生から解決まで約29時間に及び、特殊急襲部隊(SAT)の林一歩警部(当時23)が銃撃されて殉職、また、男の妻子と警察官1人が負傷した。

この事件はSAT初の殉職者を出す事件となった。
愛知長久手町立てこもり発砲事件(大林久人)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2011年3月22日、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2041年3月頃、80歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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会津若松母親殺害事件(少年K:栗田恭平)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年5月15日午前7時ごろ、福島県会津若松市の会津若松警察署で、同市の県立高校3年の男子生徒 栗田恭平(当時17歳)が「母親を殺害しました」と言って自首する。栗田は切断された女性の頭部を通学用の黒い布製ショルダーバッグに入れて持ってきていた。その際応対した女性警官は生首と目が合い卒倒して医務室に運び込まれたという。

 署員が少年の自宅アパートに駆けつけたところ、布団の上で母親が頭部を切断されて死んでおり(5月15日午前1時30分ごろ寝ている母親を包丁で刺殺)、同署は少年K(実名報道で栗田恭平(当時17歳)と判明)を殺人容疑で緊急逮捕する。翌5月16日、殺人と死体損壊の疑いで少年を送検した。
会津若松母親殺害事件(少年K:栗田恭平)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2008年2月26日、福島家庭裁判所会津若松支部(裁判長・増永謙一郎)は、少年の完全責任能力を認定したうえで「充分な治療と教育が必要」と判断し、成人と同じ公開の刑事裁判につながる検察官送致(逆送)ではなく、医療少年院送致という保護処分を決定した。

❖出所予定(年齢)
 2009年2月頃、18歳、すでに退院(医療少年院は12ヶ月が標準期間)

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秋田園児殺害事件(進藤美香)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2006年10月23日、秋田県大仙市で男子保育園児の進藤康介ちゃん(当時4歳)が他殺体となって発見された事件。加害者は進藤美香(当時31歳)と交際相手の畠山博(当時43歳)だった。

「(男児が)うるさい」、「言うことを聞かない」と供述。
道の駅に駐車中の車内において、実母と交際相手が性交渉を行おうとしたところ、男児が声を上げて反対したため、凶行に及んだ。
秋田園児殺害事件(進藤美香)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 実母は、一審(秋田地方裁判所)で殺人罪で懲役14年の実刑判決を受けた。判決直後は控訴しない考えを示していたが、判決から8日後、仙台高等裁判所秋田支部に控訴手続きを取った。

2007年8月27日、秋田刑務所を通して、控訴を取り下げる文書を秋田地裁に提出していたことが判明した(懲役14年の刑が確定)。

❖出所予定(年齢)
 2021年8月頃、45歳(出所)

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秋田児童連続殺害事件(畠山鈴香)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2006年に秋田県山本郡藤里町で2人の児童が殺害された事件。
 2006年4月10日に小学校4年生の畠山彩香ちゃん(当時9歳、娘)が、自宅から10キロ離れた藤琴川の中洲で水死体となって発見され、さらに5月18日午後に被害女子児童の2軒隣の近所に住む米山豪憲君(当時7歳)が約12キロ離れた米代川の川岸で遺体で発見された。

 畠山彩香ちゃん(当時9歳、娘)を、自宅近くを流れる川の橋の欄干の上から転落して溺死と判明、米山豪憲君(当時7)の死因は、首を絞められたことによる窒息死と判明した。

 1件目の事案について秋田県警察は発覚直後は捜査本部を設置し、事件・事故の両面で調べるとしていたが、早々に事故と断定して捜査を打ち切った。しかし、2件目の事象発生から1件目についても再捜査を始め、6月4日に女子児童の母親である畠山鈴香(当時33歳)を事件の被疑者として逮捕した。
秋田児童連続殺害事件(畠山鈴香)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2009年3月25日 - 控訴審判決が仙台高等裁判所秋田支部であり、竹花俊徳裁判長は地裁判決を支持し、弁護・検察双方の控訴審を棄却。弁護側のみ上告。
 2009年5月19日 - 弁護側が上告を取り下げたため、地裁が下した無期懲役判決が確定。

❖出所予定(年齢)
 2039年3月頃、63歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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秋葉原通り魔事件
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。

 加藤智大(当時25歳)が2トントラックで赤信号を無視して交差点に突入し、通行人5人を次々とはねた上、降車して通行人や警察官ら17人を次々とダガーナイフで刺した。一連の犯行によって7人が死亡、10人が重軽傷を負った。警視庁や裁判所、報道、更に犯人自身からは主に、秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれている。犯人の加藤は2015年(平成27年)に死刑判決が確定し、2022年(令和4年)に東京拘置所で死刑を執行された(執行時39歳)。
秋葉原通り魔事件(加藤智大)
◆被害者
被害者 負傷詳細
無職男性 左背中刺創・死亡
男子学生 腹部打撲・死亡
男子学生 全身打撲・死亡
女子学生 大動脈及び肝臓の損傷・死亡
無職男性 背部刺創・死亡
調理人男性 背部刺創・死亡
男性会社員 胸部貫通刺創・死亡
秋葉原通り魔事件被害者
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2015年(平成27年)2月2日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)は「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるを得ない」として、一、二審の死刑判決を支持して加藤被告人、弁護人側の上告を棄却する判決を言い渡した。

 加藤は判決を不服として最高裁第一小法廷判決の訂正を申し立てたが、同月17日付で同小法廷の決定により棄却されたため、同日付で死刑が確定判決となった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2022年(令和4年)7月26日午前、東京拘置所で絞首により死刑執行(当時39歳没))

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足立区首なし殺人事件(小野悦男)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1996年1月に発覚した殺人事件。

 犯人の小野悦男(当時59歳)は過去に殺人事件で起訴されたが無罪を勝ち取った冤罪のヒーロー的存在となった男であった。

 1996年1月9日、足立区の駐車場で布団に包まれた女性(当時41歳)の首なし焼死体が発見された。女性死体は陰部が切り取られていた。警察は被害者が41歳女性であり、当時同居していた人物が小野 悦男だったことをつきとめた。

 小野悦男は、1968年から1974年にかけて首都圏(東京、千葉、埼玉)で発生した一連の連続殺人事件「首都圏女性連続殺人事件」の犯人ではないかと疑われた男だった。

 1986年9月4日に、無期懲役の第一審判決が下されたものの、1991年4月23日に東京高裁での控訴審で逆転無罪が言い渡され確定している。

 1996年5月2日、小野の家宅捜索で、裏庭の地中から首なし遺体と切断面が合致する頭蓋骨と遺体切断に使われたノコギリ、さらに切り取られた陰部を冷蔵庫から発見。これにより小野が殺害を自供した。
足立区首なし殺人事件(小野悦男)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 1999年2月9日、小野に対して殺人罪で有罪とし、無期懲役が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2029年2月頃、89歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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足立区女性整体師刺殺事件(藤井勝吉)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2009年5月に東京都足立区で発生した殺人事件。日本で初めて裁判員の参加する刑事裁判に関する法律に基づく裁判員制度が適用された事件である。
2009年5月1日11:50頃、無職の藤井勝吉(当時71歳)は、東京都足立区の路上で、自宅近くに住む女性整体師の文(ぶん)春子さん(当時66歳)と自宅前の路上で口論となった末に胸などをサバイバルナイフで数回刺した。被害者は病院に搬送されるが15:15頃に死亡が確認された。警視庁西新井警察署は殺人事件で捜査を開始。被疑者は現場近くに凶器のナイフを捨てて逃走するも、事件発生から約8時間後に足立区内で発見、警察は男を殺人の疑いで逮捕。

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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2010年5月31日に最高裁が被告側の上告を棄却し、懲役15年の判決が確定。

❖出所予定(年齢)
 2025年5月頃、86歳(懲役15年)

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尼崎事件(角田美代子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2012年(平成24年)10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人・死体遺棄事件。1987年(昭和62年)ごろに発生した女性失踪事件を発端に、主に暴行や監禁などの虐待により死亡したとされる複数名の被害者が確認されている。報道では尼崎連続変死事件などとも呼ばれることが多い。

 この事件の主犯格とされる角田美代子(当時64歳)は、少なくとも25年以上もの間、兵庫県尼崎市南東部で、血縁関係に無い人物を多く集め、疑似家族を築きながら共同生活を営んでいた。そして、角田美代子(当時64)の周辺では、1987年ごろに当時、角田美代子(当時64歳)と同居していた女性が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり、事件が表に出ることはなかった。

 しかし、2011年(平成23年)11月に角田美代子(当時64歳)らに監禁されていた40代女性が監禁状態から抜け出し警察に駆け込んだことで、40代女性に対する傷害容疑で逮捕され、次いで、その女性の母親の死亡事件が発覚する。さらに、この事件を端緒に捜査は進められ、2012年10月に別件(C・Cの母年金窃盗事件)で逮捕されていた従犯者が全面自供したことにより、ようやく一連の事件が明るみに出ることになった。この直後の2012年12月、角田美代子(当時64歳)は、事件について多くを語らないまま、兵庫県警本部の留置場で自殺した。
尼崎事件(相関関係図1)
尼崎事件(相関関係図2)
❖判決内容(判決内容・判決時期)・・・主犯格のみ(共犯者大杉!)
 裁判前に自殺

❖出所予定(年齢)・・・主犯格のみ(共犯者大杉!)
 死亡(自殺)

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安室奈美恵実母殺害事件(平良譲二)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年3月17日午前10時40分ごろ、歌手の安室奈美恵(当時21歳、以下安室と表記)の実母 平良恵美子(当時48歳)が再婚相手の弟である義弟 平良譲二(当時44歳、安室との血縁関係はない)に車で轢かれたあとにナタで殴られる事件が発生。実母は病院に搬送されたが、午前11時48分に死亡が確認された。殺害を犯した義弟は事件から4時間後に山中で死亡しているところを発見された。農薬による服毒自殺だった。
安室奈美恵実母殺害事件(平良譲二)1
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 裁判前に自殺

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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淡路島5人殺害事件(平野達彦)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2015年(平成27年)3月9日早朝に兵庫県洲本市中川原町中川原の集落(淡路島中部に位置する)で発生した大量殺人事件。
平野達彦(当時46歳)は2015年3月9日、洲本市の自宅近くの平野浩之さん宅と平野毅さん宅を襲撃し、男女5人(当時59~84歳)をサバイバルナイフで刺殺した。

◆被害者
・平野浩之さん(当時62歳) 両側性血気胸・死亡
・平野方子さん(当時59歳) 心臓・胸大動脈貫通刺創・死亡
 ※浩之さんの妻
・平野静子さん(当時84歳) 心臓・胸大動脈貫通刺創・死亡
 ※浩之さんの母
・平野毅さん(当時82歳) 多発性胸部大動脈刺創・死亡
・平野恒子さん(当時79歳) 心臓・上行大動脈多発刺創・死亡
 ※毅さんの妻
淡路島5人殺害事件(平野達彦)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 最高裁第三小法廷(林景一裁判長)は2021年1月22日付で被告人側の上告を棄却する決定を出したため、平野達彦(当時46)の無期懲役判決が確定することとなった。第一審(裁判員裁判)で言い渡された死刑判決が控訴審で破棄自判され、最高裁で無期懲役が確定する事例は7例目となる。

❖出所予定(年齢)
 2051年1月頃、76歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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飯塚事件(久間三千年)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1992年(平成4年)2月20日に福岡県飯塚市で2人の女児が行方不明になり、翌21日に同県甘木市(現:朝倉市)の八丁峠で他殺体となって発見された事件。事件から2年後の1994年(平成6年)、久間三千年(事件発生当時54歳、逮捕当時56歳)が殺人などの被疑者として逮捕された。
飯塚事件(久間三千年)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 略取誘拐・殺人・死体遺棄の罪で被告人として起訴された久間は、一貫して無実を主張したが、2006年(平成18年)に最高裁で死刑判決が確定(10月8日付)。

 一部報道は冤罪疑惑を採り上げ、翌2009年(平成21年)に久間の妻が1度目の再審請求をしたが、2021年に再審請求棄却が確定した。現在は2度目の再審請求中である。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2008年(平成20年)10月28日、福岡拘置所で死刑執行(当時70歳没))

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池袋通り魔殺人事件(造田博)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1999年(平成11年)9月8日に東京都豊島区東池袋で発生した通り魔(無差別殺人)事件。

 白昼の繁華街で通行人が次々と襲われ、女性2人が死亡したほか、通行人6人が負傷した。

 1999年9月8日11時35分 - 40分ごろにかけ、豊島区東池袋の東急ハンズ池袋店前で、加害者 造田博(当時23歳)が、包丁(刃体の長さ約14.4 cm)・玄能(重さ約270 g)で通行人を無差別に襲い、2人(66歳女性と29歳女性)を殺害し、6人に重軽傷を負わせた。

 造田博(当時23歳)はサンシャインシティの地下通路からエスカレータで東急ハンズ正面入り口前に出た後、「アー!むかついた。ぶっ殺す」と大声で叫んだ。まずサンシャインシティのエスカレーターをのぼってきた夫婦2人を包丁と金槌で襲い、66歳女性を殺害した。包丁は心臓に達していて、ほぼ即死。

 次に東急ハンズ前に差し掛かった夫婦2人のうち29歳女性を包丁で刺し、女性は同日16時20分ごろ、肝臓、腎臓等損傷による出血性ショックにより死亡した。輸血された血液は1万3千cc。全身の血液が3回入れ替わる量に相当する。

 その後、60階通りを池袋駅方向に走り、その途中で私立高校の1年生4人グループのうち3人を切りつけ、さらに2人に切りつけた。その後、Zは池袋駅前で通行人たちに取り押さえられ、その場で現行犯逮捕された。
池袋通り魔殺人事件(造田博)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)は2007年(平成19年)4月19日に原判決(第一審判決)を支持し、造田博(当時23歳)および弁護人による上告を棄却する判決を言い渡した。造田博(当時23歳)は訂正申立期限内に判決への訂正を申し立てなかったため、2007年5月2日付で死刑判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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池袋本町三丁目アパート内殺人事件(小林一生)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2001年に発生した殺人事件である。警視庁の特命捜査対策室による初の摘発事件。

 2001年4月28日、東京都豊島区池袋本町3丁目のアパート二階に居住していた矢萩昭造さん(当時66)が殺害されているのが見つかった。男性は死後1週間以上経過していると見られ、背中に傷跡があったことから池袋警察署は殺人事件として捜査。その後、2009年11月に警視庁の未解決の殺人事件などを専門に扱っている特命捜査対策室が設置されると最新技術を用いて再捜査された。その結果、現場に遺留された血痕のDNA型を調べると、アパート隣の住宅に住む小林一生(逮捕当時56歳)のDNA型と一致したため、警視庁捜査1課は2010年9月28日に殺人容疑で男を逮捕。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 小林一生(逮捕当時56歳)は初公判では無罪を主張したが、その後の公判で一転して罪を認めた。被害者の矢萩昭造さん(当時66歳)が部屋で飲酒して騒ぐことがあったといい、騒ぎ声に腹を立てたのが動機で2001年4月15日に部屋に侵入して心臓と背中をナイフで刺して殺害したと供述した。2011年10月7日、東京地裁(伊藤雅人裁判長)は、懲役12年(求刑懲役15年)の実刑判決を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2023年10月頃、68歳(懲役12年)

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石井紘基(いしいこうき)刺殺事件(伊藤白水)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2002年10月に発生した、民主党所属の衆議院議員・石井紘基が殺害された事件である。

 2002年10月25日、民主党の衆議院議員・石井紘基(当時61歳)が、世田谷区の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺され死亡した。翌10月26日、右翼団体『守皇塾』代表の伊藤白水(当時48歳)が警察に出頭し逮捕される。

 伊藤は「生活に困窮し家賃の工面を断られたため、仕返しでやった」と供述したが、石井が国会議員や官僚の腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」との見方もある。10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言したという事実などが挙げられている。
石井紘基(いしいこうき)刺殺事件
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2004年6月18日、東京地裁で無期懲役の判決が言い渡され、判決では被告が主張する「金銭トラブル」という動機を信用することができないとした。2005年11月15日、最高裁で無期懲役の判決が確定した。なお、公判では伊藤は一貫して事件の犯人は自分1人の単独犯であり、金銭苦による犯行であるという主張を変えなかった。

❖出所予定(年齢)
 2035年11月頃、78歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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石巻3人殺傷事件(千葉祐太郎)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2010年(平成22年)2月10日、宮城県石巻市清水町一丁目で発生した殺人事件(少年犯罪)。

 千葉祐太郎(事件当時18歳)が、かつて交際していた南部沙耶さん(当時18歳)の家に押し入り、少女の親族・知人3人を殺傷した。

 南部かつみさん(当時46歳)方で、千葉祐太郎(事件当時18歳)が南部さんの2階で寝ていた少女の姉(長女)、南部美沙さん(当時20歳)と友人の高校生、大森実可子さん(当時18歳)=石巻市を刃渡り約18 cmの牛刀で複数回刺して殺害した。同じく友人の建設作業員男性(当時20歳)=石巻市=を刃物のようなもので刺した。

 3人を目の前で殺傷されて恐怖に怯えるる元交際相手の次女、南部沙耶さん(当時18歳)の左脚を刺して全治1週間の軽傷を負わせ、無理矢理、車に乗せて拉致した。

 事件発生を受け、宮城県警察は石巻警察署に捜査本部を設置。加害少年2人は、途中で車を乗り換えて逃走したが、同日13時ごろ、同市内の友人宅で身柄を確保され、県警捜査一課と石巻署により、未成年者略取と監禁の現行犯で逮捕された。南部沙耶さん(当時18歳)は保護された。
石巻3人殺傷事件(千葉祐太郎)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2016年6月16日、最高裁第1小法廷は死刑とした一・二審判決を支持し、千葉祐太郎(当時24歳)の上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった。裁判員制度が2009年(平成21年)に導入されて以降、裁判員裁判で死刑判決が言い渡された少年事件で死刑判決が確定するのは史上初である。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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伊勢崎市同居女性餓死事件(金井幸夫)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 同居女性を餓死させた殺人事件である(2001年11月10日に餓死)。加害者の家庭が劣悪な環境であることも話題となった。

 金井幸夫(当時37歳)は1964年生まれで、年子の姉と2歳年下の妹がいた。母親による長男 金井幸夫(当時37歳、主犯の男)に対する態度は一貫したものではなく、ひどく甘やかす側面がある一方で、近所に金井幸夫(当時37歳)の泣き声が響き渡るほどの身体的虐待も加えていた。このような不安定な環境の中、金井幸夫(当時37歳)は周囲に対して内気な態度を見せながら、自分より弱い者に対しては徹底的に痛めつけるという嗜好を育てていった。

やがて、金井幸夫(当時37歳)は家庭内暴力を振るうようになり、姉や母親の悲鳴が近所に響き渡った。思春期に差しかかる頃になると、姉の悲鳴は何かを拒否するようなものに変わった(週刊誌などでは近親姦が行われていたのではないかと疑われた)。

さらに、金井幸夫(当時37歳)は自分が借りた金を払えないため、姉の身体を身代わりとして少年たちに姉を性暴行させた。両親はその間、庭に佇んでいたという。姉は精神を患い、精神病院へ入院する。この後、姉の障害者年金が一家の収入源の1つとなった(父親はアルバイトに従事していた)。

金井幸夫(当時37歳)は定職に就かないまま2回結婚し、被害者を含め4人の女性と同居していた。主犯の男は他の3人の女性に対しても日常的に暴行を行い、食事を与えないなどの虐待を行っていた。また、最初の妻との間に長女を儲けていたが、学校にはほとんど通わせていなかった。

幸夫の家には、6畳に4畳半、キッチン、バス、トイレという間取り。そこに、幸夫の父(当時72歳)、母(当時65歳)、姉(当時38歳)、そして長女(当時14歳)が暮らしていた。

2001年11月12日夕方、伊勢崎市消防本部に、金井幸夫(当時37歳)が119番通報する。この時の声は落ち着いたものであったという。救急隊員が現場に駆けつけてみたところ、長谷川三根子さん(当時36歳)の遺体は仰向けに寝かされ、毛布がかけられていた。司法解剖では、彼女は身長158センチに対し26キロの体重しかなかった。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2002年11月25日午後3時に前橋地裁で判決。主犯の男は懲役12年、姉と母親は懲役8年の実刑判決を受けた。

❖出所予定(年齢)
 2014年11月頃、49歳(出所)

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市川一家4人殺害事件(関光彦)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1992年(平成4年)3月5日夕方から翌6日朝にかけ、千葉県市川市幸二丁目(行徳地区)にあるマンションで発生した強盗殺人事件(少年犯罪)。

 少年 関光彦(事件当時19歳)が3月5日夕方、会社役員の男性A(当時42歳)宅に侵入し、翌朝までに一家5人のうち、4人を次々に殺害した。関光彦(事件当時19歳)は2001年(平成13年)12月に最高裁で死刑判決が確定し(少年死刑囚)、2017年(平成29年)12月19日に東京拘置所で死刑を執行されている(44歳没)。10歳代の少年による残忍な犯行として社会に衝撃を与え、その重大性から少年法の在り方などに論議を呼んだ事件でもある。

 犯人の関光彦(事件当時19歳)は、暴力団と女性関係を巡るトラブルを起こし、現金200万円を要求されたため、その金を工面する目的で、3月5日夕方に雑誌出版・編集会社役員A(当時42歳)宅へ侵入。
 留守番していたAの母親C(83歳)に金品を要求したところ、警察に通報されそうになったことから電気コードで絞殺し、次いで帰宅してきたAの妻D(36歳)、A本人、次女E(4歳:保育園児)の一家4人を相次いで柳刃包丁で刺殺したほか、長女B(当時15歳:高校1年生)も包丁で斬りつけて負傷させた。

この間、関光彦(事件当時19歳)は長女Bを連れ出し、A夫妻が経営していた会社にも金品を奪いに行ったほか、長女Bを現場の一室や、連れ出したラブホテルで複数回にわたって強姦した。翌朝、関光彦(事件当時19歳)は現場に駆けつけた千葉県警の警察官により、銃刀法違反で現行犯逮捕された。
市川一家4人殺害事件(関光彦)
◆一家4人殺人事件に至った流れ
 フィリピンパブの女性2人を監禁・暴行(1992年2月6日)
 店先の経営者が激怒し、暴力団を雇い賠償金を関光彦氏に請求(1992年2月)
 通行人の少女(長女)を誘拐・強姦(1992年2月12日)
 計画的犯行を目論んで、少女の家族を4人殺害(1992年3月5日)
 再度少女(長女)を強姦・次女を殺害(1992年3月6日)加害者・関光彦を逮捕(1992年3月7日)

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2001年12月3日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)は原判決を支持し、被告人 関光彦(判決当時28歳)側の上告を棄却する判決を言い渡した。Sは判決への訂正を申し立てたが、2001年12月20日付の第二小法廷決定[事件番号:平成13年(み)第7号、平成13年(み)第9号]で棄却された。このため、同月21日付で関光彦(判決当時28歳)の死刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2017年(平成29年)12月19日、東京拘置所で死刑執行(44歳没))

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一関市住職親子強盗殺人事件(千葉正子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2007年(平成19年)6月11日に岩手県一関市で発生した強盗殺人事件。
 加害者の女 千葉正子(当時46歳)が金銭強奪を目的として顔見知りの住職親子を殺害した。

 2007年6月11日夜、千葉正子(当時46歳)は2週間前に一関市東山町田河津の遠應寺で父親の墓参りをした際に、被害者 鈴木ウメ子さん(当時81歳 / 鈴木秀良さんの実母)が自分に話しかけてくれたことを思い出し、被害者 鈴木秀良さん(当時59歳 / 同寺住職)がパチンコを趣味としていて金銭を所持していると思えること、2人暮らしであることなどから寺に強盗に入り、2人を殺害することを決意した。

 2007年6月11日午後8時30分頃、千葉正子(当時46歳)は寺の庫裏で鈴木ウメ子さん(当時81歳 / 鈴木秀良さんの実母)、鈴木秀良さん(当時59歳 / 同寺住職)と共にこたつを囲み、話をしていたが、ウメ子さんが席を離れた直後に手提げ鞄から包丁を取り出して秀良さんの腕を掴んで引き寄せ、殺意を持って秀良さんの前胸部を包丁で刺した。秀良さんは深さ約13cmもの傷を負い、倒れ込んだ。

 その後、千葉Cは、部屋にあった灰皿を戻ってきたウメ子さんの後頭部に複数回振り下ろし、逃げ回るウメ子さんを執拗に追いかけ回した。

 負傷しながらも反撃をする秀良さんを千葉は叩き払い、必死に逃げるウメ子さんの前に回り込んで、殺意を持って抵抗するウメ子さんの首や胸、背中を繰り返し包丁で刺して、左総頚動脈・椎骨動脈等損傷による失血により死亡させて殺害した(強盗殺人罪)。胸への刺突行為で瀕死状態の秀良さんが、最後の力を振り絞り、受話器に手を伸ばしていることに気づいた千葉は、受話器を取り上げ、とどめとして再び秀良さんの左側胸部を突き刺して、秀良さんを肝刺創による出血性ショックで死亡させて殺害した(強盗殺人罪)。

 2007年12月5日、岩手県警が千葉正子(当時46歳)を本事件の被疑者として強盗殺人容疑で逮捕した。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2008年10月8日に判決公判が開かれ、盛岡地方裁判所(佐々木直人裁判長)は検察の求刑通り被告人 千葉正子(当時46歳)に死刑判決を言い渡した。弁護側は判決を不服として仙台高裁に即日控訴した。

 死刑判決を受け、千葉正子(当時46歳)は2008年11月中旬に宮城刑務所に隣接する仙台拘置支所に移送された。

 移送から約1ヶ月後の2008年12月28日午前11時35分ごろ、仙台高裁に控訴中で仙台拘置支所に収容されていた被告人 千葉正子(当時46歳)は、同所の独居房において窓枠にシーツを括り付け縊死して自殺した(46歳没)

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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一斗缶事件(藤森康孝)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2011年に大阪府大阪市天王寺区の公園で2人分の遺体がバラバラにされた状態で入れられた一斗缶が発見されたことにより発覚した殺人・死体遺棄事件である。

 2011年8月14日朝、大阪市天王寺区の公園で清掃活動をしていた男性が人の足首や頭部が入った一斗缶を発見。一斗缶は植え込みに立てかけるように置かれ、ビニールテープでふたが固定されていた。同日午後に近くの路上で手首などが入った第二の一斗缶が、翌15日には近くのゴミ捨て場から左足首が1つ入った第三の一斗缶が発見された。

 一斗缶には、バラバラにされた2人分の遺体が入っており、DNA鑑定したところ2人が母子関係にあったことが判明。その後の調べで母子は2006年から行方不明になって失踪届けが出されていた母親 充代(あつよ)さん(2006年当時46歳)、大学生の長男 庸了(のぶあき)さん(2006年当時21歳)であることがわかり、8月23日に母親の夫である男 藤森康孝(2011年当時57歳)が死体遺棄罪容疑で逮捕された。
一斗缶事件(藤森康孝)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2013年7月17日の地裁判決では「遺体を解体した上で一斗缶に入れて遺棄するという異常な行動を取るのは、死なせたことを隠すためと考えなければ合理的に説明がつかない」として、藤森康孝(判決当時59歳)が2人の死に関与したことを認定した。殺意については、「現場に長男の大量の血痕があったことから、長男への殺意を認定できるが、妻については暴行の態様を推認させる証拠はほとんどなく、殺意があったとは断定できない」として、長男には殺人罪としたが、妻には殺人罪ではなく傷害致死罪を適用し、懲役28年が言い渡された。また、犯行の動機や経緯は「不明」とされた。藤森康孝(判決当時59歳)は上訴したが、2014年4月24日に控訴棄却され、同年10月15日に最高裁で上告棄却されて判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2041年7月頃、87歳(懲役28年)

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伊東市干物店強盗殺人事件(肥田公明)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2012年(平成24年)12月18日に静岡県伊東市八幡野の八八ひものセンター内で発生した強盗殺人事件である。

 2012年12月19日午前8時30分ごろ、静岡県伊東市八幡野の干物販売店「八八ひものセンター」で、同店社長の清水高子さん(当時59歳)と男性従業員の小淵慶五郎(当時71歳)が遺体で発見された。朝出勤してきた女性従業員が店内に設置されたプレハブ型業務用冷蔵庫の中で血を流して倒れている被害者を発見した事で発覚。冷蔵庫の外側には扉が開かないようにテーブルが置かれていた。

 2人の死因は刃物のようなもので首を刺されたことによる出血性ショックであると判明。警察は、同店での当日までの売り上げ金と釣り銭の保管状況から、現金約29万円が奪われたと判断し、強盗殺人事件として対策本部を立ち上げて捜査を開始した。

 2013年6月4日、静岡県警伊東署捜査本部は、2009年5月から2010年10月頃までの約1年5ヶ月間同店に勤務していた元従業員 肥田公明(事件当時60歳)を強盗殺人容疑で逮捕した。
伊東市干物店強盗殺人事件(肥田公明)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2021年1月28日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(深山卓也裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人 肥田公明(判決当時68歳)の上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑が確定することとなった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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茨城女子大学生殺人事件(ランパノ・ジェリコ・モリ)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)1月30日の深夜から翌早朝にかけて、茨城県稲敷郡阿見町のアパート居住の茨城大学の女子大生 原田実里さん(当時21歳)が殺害され、美浦村舟子地内の清明川(河口付近)において遺体で発見された殺人事件。

 2004年1月31日午前0時頃 原田実里さん(当時21歳)が一緒にいた男子学生宛に「明日の朝には戻る」とメモを残し、阿見町の自宅から外出。行方がわからなくなる。

 女子大生が家からいなくなる前に、2人は喧嘩をしていた。どちらかが散歩に出掛けるというのが、2人が喧嘩をした際の習慣となっていた。

 2004年1月31日午前中 男子学生は原田実里さん(当時21歳)が帰宅していないことに気付く。テーブルにはメモが残されていた。原田実里さん(当時21歳)は視力が0.1程度しかなかったが、眼鏡もコンタクトレンズも室内に残し、携帯電話や財布も自宅に置いたままだった。

 2004年1月31日午前中午前9時頃 原田実里さん(当時21歳)が自宅から6キロ離れた美浦村舟子地内の清明川で遺体で見つかる。

 事件発生から13年を経て、遺体に付着した微物のDNA型がフィリピン国籍のランパノ・ジェリコ・モリ(犯行当時22歳、逮捕当時36歳)と一致。情報提供や関係者への聴取などから、当時茨城県土浦市に住んでいた容疑者が浮上、共犯関係とみられる知人の男B(不明・Cの2人を特定した。全員女子学生と面識はなかった。

 本件に共謀した疑いで、事件当時に少年だったフィリピン人B(不明)・C(不明)の逮捕状を取り、国際刑事警察機構を通じて国際手配をしている。しかし、2人は事件後に帰国しており、日本とフィリピンとの間には事件捜査の協力を要請できる「刑事共助協定」がなく、容疑者の身柄引き渡しに関する条約もないため、フィリピン政府に引き渡しを求めることができない為に、立件の見通しは立っていないが、B(不明)については日本に入国したところを逮捕された。
茨城女子大学生殺人事件(ランパノ・ジェリコ・モリ・無期懲役)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2019年(平成31年)1月16日に東京高裁にて判決が言い渡され、犯行の状況やランパノ・ジェリコ・モリ(犯行当時22歳、逮捕当時36歳)の役割から刑事責任は重大で、量刑が重すぎることはないとして控訴を棄却し、無期懲役を支持した。ランパノ・ジェリコ・モリ(犯行当時22歳、逮捕当時36歳)は上告せず確定し、B(不明)の裁判は2021年2月に水戸地裁で無期懲役の判決が言い渡され、控訴せず確定した。

❖出所予定(年齢)
 2039年1月頃、66歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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岩手県種市町妻子5人殺害事件(加鬮山秀武)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1989年(平成元年)8月9日朝に岩手県九戸郡種市町(現:洋野町種市)[注 2]の民家で発生した殺人事件。

本事件の加害者 無職の加鬮山秀武(かくちやま ひでたけ)(事件当時42歳)は漁船員として働いていたが、船主・船頭との関係がうまく行かなかったことなどから漁船を下り、そのことを咎めた妻に暴力を振るったことがきっかけで離婚話が浮上した。その後は一時期こそ真面目に働くようになったが、再び仕事の不満から漁船を下りて妻と喧嘩になり、「このままでは妻は4人の子供を連れて実家に帰ってしまう」と考えた。そこで「このまま1人になるなら、いっそ妻子を皆殺しにしよう」と決意し、日本酒を多量に飲んだ上で、就寝中の妻子5人をマキリ(漁業用の刃物)で刺殺した。その後、自殺を考えたが決行できず、事件4日後に自首して逮捕された。
岩手県種市町妻子5人殺害事件(加鬮山秀武・病没)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 弁護人・服部耕三は判決後、「死刑を違憲とするこちらの主張が認められず残念だ」と述べ、加鬮山秀武(かくちやま ひでたけ)(事件当時42歳)は翌日(6月5日)に最高裁へ上告した。このため、事件の決着は死刑制度の是非論も含めて最高裁の判断に委ねられることとなったが、1992年10月6日夜に拘置先・宮城刑務所仙台拘置支所で体調を崩して国立仙台病院(宮城県仙台市)へ入院し、同月16日午後に同病院で死亡した(45歳没)。このため、刑事訴訟法に基づき本事件は公訴棄却されることとなった。

❖出所予定(年齢)
 死亡(病没)

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宇治学習塾小6女児殺害事件(萩野裕)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 京都府宇治市の学習塾で2005年(平成17年)12月10日に発生した殺人事件である。

 被害者である小学6年生の女児 堀本紗也乃ちゃん(当時12歳)の母親が、講師との関係が上手くいっていないと塾に繰り返し相談した結果、犯人のアルバイト講師 萩野裕(当時23歳)が担当する国語の授業を受講させないことになったため、講師は女児に対して恨みの感情を抱くようになった。しかし、女児と講師との関係が上手くいっていないことに関しては塾側にも問題があったという向きもある。

 犯行当日、萩野裕(当時23歳)は模擬試験の監督を外されており、勤務予定はなかったが包丁とハンマーを用意して出勤した。模擬試験を受けに来た児童に「別室で国語のアンケートを取りたい」と言って退室を命じ、国語の授業を受けていない被害女児 堀本紗也乃ちゃん(当時12歳)と2人になったところを包丁で刺殺した。犯行後、警察に電話で自供し、駆け付けた宇治警察署の警察官によって殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。
宇治学習塾小6女児殺害事件(萩野裕・懲役15年)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2009年3月24日に大阪高等裁判所にて言い渡された控訴審の判決では、萩野裕(当時23歳)の心神耗弱状態を認定し一審判決を破棄、懲役15年が言い渡された。同年4月8日、大阪高等検察庁・弁護側とも上告せず、判決が確定した。

 この事件で殺害された女児の両親が、犯人の講師が勤務していた学習塾・京進を相手取り京都地裁に慰謝料1億3000万円などを求める訴訟を提起し、京都地裁は使用者責任を認め、2010年3月31日、京進に約9800万円の支払いを命じる判決を言い渡した(民事訴訟)。

❖出所予定(年齢)
 2024年3月頃、38歳(懲役15年)

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宇都宮実弟殺害事件(長谷川静央)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2005年(平成17年)5月8日に栃木県宇都宮市御幸町で発生した殺人事件。過去に別の殺人事件を起こして無期懲役刑に処された前科を有する長谷川静央(事件発生当時は62歳・仮釈放中)がホストクラブ勤務・鈴木克己(逮捕当時32歳)に栃木県宇都宮市で親から相続したアパートを経営する実弟の統康さん(事件当時60歳)殺害を2000万円の報酬で依頼し、貸家業者の実弟 統康さん(事件当時60歳)を殺害させた。

 長谷川は、統康さん(事件当時60歳)が父親から相続したアパート収入のうち1000万円は自分の権利であると主張しトラブルになっていた。そこで、統康さん(事件当時60歳)を殺害して財産を独り占めにしようと計画。そこで、知人である鈴木に殺人の依頼をしたのだった。
宇都宮実弟殺害事件(長谷川静央)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2007年8月16日に東京高等裁判所(阿部文洋裁判長)は第一審・死刑判決を支持して被告人 長谷川および弁護人の控訴を棄却する判決を言い渡した。長谷川は同判決を不服として同日中に最高裁判所へ上告したが、2008年(平成20年)3月17日に上告を取り下げ、死刑が確定した。

 2007年2月13日付で最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)から上告を棄却する決定を受け、被告人 鈴木の懲役30年の刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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宇都宮宝石店放火殺人事件(篠沢一男)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年6月11日に栃木県宇都宮市江野町にあるジュエリーツツミ宇都宮店で、産業廃棄物処理会社相談役を自称する男 篠沢一男(事件当時49歳)が指輪など293点約1億4000万円相当を奪った上、店長を含む当時店内にいた従業員全員を拘束した上で店内に放火し、6人全員を殺害した事件。

店長の荒井紀美子さん(当時49歳)、松山名美子さん(当時51歳)、堀美知子さん(当時51歳)、久野みち子さん(当時41歳)、立川正恵さん(当時24歳)、浅沼祥子さん(当時22歳)の5人の店員がこの取引のため残業をしていた。

2000年6月11日午後7時30分頃、栃木県宇都宮市のジュエリーツツミ宇都宮店に自称産業廃棄物処理会社相談役の篠沢一男(当時49歳)が入店してきた。篠沢は以前同店で貴金属を購入した実績があり店長や店員らと面識があった。

店長の荒井紀美子さん(当時49歳)は、以前も同様の取引を篠沢から持ちかけられたが、その時は篠沢がいう産業廃棄物会社の実体が無かったことから取引には至らなかった。だが、今回は現金で購入するという篠沢の言葉を信じて取引に応じた。

荒井店長は1億円以上の商品を揃えるには時間がかかるため、改めて7時30分頃に来店して欲しいと篠沢に伝えた。このため、篠沢は改めて指定時間に再び同店を訪れたのだった。この時、荒井店長の他、松山名美子さん(当時51歳)、堀美知子さん(当時51歳)、久野みち子さん(当時41歳)、立川正恵さん(当時24歳)、浅沼祥子さん(当時22歳)の5人の店員がこの取引のため残業をしていた。

篠沢は、大きなブランドのバックを持参して「この中に1億5000万円が入っている」と荒井店長らを騙して、バックの中に1億4000万円余りの貴金属類を入れさせた。その後、荒井店長ら6人を粘着テープで縛り上げ店舗奥の休憩室に押し込んだ。

すると、篠沢は持参したオイル缶からガソリンを6人の全身や付近の床などに撒いて放火して逃走した。同店はたちまち猛火に包まれた。通報で急行した消防車17台が懸命の消火作業を行ったが鎮火したのは翌日の午前0時15分頃だった。直後、消防署の現場検証で炭化した男女の区別もつかない6体の焼死体を発見。更にオイル缶が発見されたことで放火と断定した。直ちに栃木県警は放火殺人事件として捜査を開始した。
宇都宮宝石店放火殺人事件(篠沢一男)

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2003年4月23日、東京高等裁判所は「犯罪史上まれにみる凶悪な事件」として控訴を棄却し、2007年2月20日、最高裁判所は上告を棄却して死刑が確定する。確定死刑囚として東京拘置所に収監された篠沢は、2008年に死刑廃止団体が行ったアンケートに「死刑になるのか、きもちの整理がつきません。死刑とはざんこくなものです」と答える。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2010年7月28日、東京拘置所で死刑執行(当時59歳没))

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宇都宮・猟銃殺傷事件(高橋卓爾)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 この事件では、加害者 高橋卓爾(当時62歳)宅と被害者 田中道雄さん(当時60歳)宅とのちょっとしたトラブルから両家の隣人戦争が勃発。約20年間続いた。

ある日、高橋の妻が田中さん宅の布団を叩く音に不快感を示したのに気づいた高橋が散弾銃を持ち出し、田中さんの妻 田中公子(当時60歳)さんに向けて散弾銃の引き金を引いた。被弾した彼女がベランダに倒れた。さらに散弾でガラス戸を破って高橋は田中家に浸入。2階に上がると、ベランダで苦悶する公子さんに向かって、さらに5発を発射して殺害した。

隣に住む田中さんの義理の妹 海老沼志都子さん(当時57歳)ゴミを外に出すために家の裏口から外にでていたは急に近くで鉄砲の音が聞こえ、びっくりして声を上げてしまい、高橋に気づかれ、田中さんの義理の妹 海老沼志都子さん(当時57歳)にも銃撃を加えて重傷を負わせた。

その後、高橋は自宅に戻り、室内で散弾銃を口にくわえて自殺した。 この事件は、銃規制の厳しい日本で隣人戦争の末に加害者が銃を用いて、一人を射殺したという衝撃的な事件として社会に受け止められ、日本における銃規制の強化につながった。(これまでに、日本において隣人トラブルが殺人事件に発展することはあったが、ほとんどの場合凶器は包丁などの刃物であり、散弾銃などの銃を凶器として使用した例はなかった。)
宇都宮・猟銃殺傷事件(高橋卓爾・死亡)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 被疑者死亡のまま、書類送検された。
 田中さんは、高橋に銃所持を許可したのは違法として、7,700万円の損害賠償を求めて栃木県を訴えた。平成20年5月16日、東京高裁において、県が4700万円を支払うことで和解が成立した。しかし、海老沼さんの治療費は、時効ということで認められなかった。

❖出所予定(年齢)
 死亡(自殺)

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宇土市院長夫人殺害事件(田尻賢一)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年3月13日に熊本県宇土市にある診療所で院長夫人が刺殺された殺人事件。

2004年3月23日、ゴルフの練習を終えて帰宅した中津卓郎さん(当時54歳、夫)が、自宅の玄関先で妻 千鶴子さん(49歳)が血まみれになって倒れているのを発見し通報した。犯行時刻は夫が自宅を留守にしていた午後2時から3時半ごろとみられる。

◆熊本夫婦強盗殺傷事件
 田尻賢一(当時39歳)は2011年2月23日午後6時10分頃、熊本市に住む会社役員の右田孝治さん(当時72歳)宅で「車を家の壁にぶつけた」などとうそを言って、男性の妻 美子さん(当時65歳)に玄関のドアを開けさせ、美子さんの顔や首、背中などをバタフライナイフで刺して殺害。現金10万円や商品券2万円分を強奪した。さらに午後6時30分頃、帰宅した孝治さんの胸や脇腹などを複数回刺して、全治1か月の重傷を負わせた。

その後、宇土市の現場付近で目撃された車と同じ緑色系の乗用車に田尻が当時乗っていたことが判明。二つの事件の手口が似ていることから、県警が田尻を追及したところ、3月23日になって殺害を認めた。
宇土市院長夫人殺害事件(田尻賢一)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2012年4月11日に福岡高等裁判所で控訴が棄却された。同年9月10日に最高裁への上告を取り下げ、田尻の死刑が確定した。一審が裁判員裁判だった被告の死刑確定は3件目で、九州・沖縄地方では初となる。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2016年11月11日、福岡拘置所で死刑執行(当時45歳没))

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江田島中国人研修生8人殺傷事件(陳双喜)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2013年3月14日、遼寧省大連市出身(後述)の中国人研修生 陳双喜被告(ちんそうき、当時30歳)が工場の従業員を襲撃、工場の男性経営者社長川口信行さん(当時55歳)と女性従業員 橋下政子さん(当時68歳)の2名が死亡、工場の従業員合わせて6名が重軽傷(6名のうち1名は2013年3月14日報道によると重体)を負った。研修生は現場にて現行犯逮捕された。経営者は胸などに多発刺傷、多発外傷があり、スコップで頭を何回も殴られ殺害、女性従業員はスコップで頭を殴られて殺害された。

日中友好経済協同組合(江田島市大柿町)に紹介されて来日した研修生は日本語が理解できず、周囲から孤立しており、殺害された経営者と日頃から言い争いが絶えなかった[4]。広島県警への取材によると、研修生は経営者からの叱責や、低賃金に恨みを募らせていたと供述[5]。研修生は体調不良と称して怠業し、無断外出しようとしたところを経営者に叱責され逆上し、その直後に犯行に及んだ[6]。犯行時は激高してではなく、無言で被害者を襲撃した[7]。

事件の背景には過疎化、高齢化が進む同島内で、カキ工場等における労働力の調達を外国人研修生に依存していたことがあると見られている。
江田島中国人研修生8人殺傷事件(陳双喜)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2015年3月13日、広島地方裁判所(裁判員裁判)は被告人に無期懲役判決を言い渡した。

❖出所予定(年齢)
 2045年3月頃、60歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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恵庭OL殺人事件(大越美奈子)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年(平成12年)3月に北海道恵庭市で発生した殺人事件。

2000年3月17日午前8時頃、恵庭市の人気のない農道の路上に焼死体があるのを幼稚園バスの運転手が発見した。遺体はタオルのようなもので目隠しされ、後ろ手に縛られており完全に炭化していた。死因は頚部圧迫による窒息死で、絞殺後に灯油をかけられたものと見られた(確定判決では、犯行時刻は3月16日の午後9時半から11時5分頃とされている)。

この焼死体は苫小牧市在住で千歳市に勤務する橋向香さん(当時24歳)の遺体と判明。女性従業員は3月16日に同僚と退社して午後8時半頃に自宅に電話した後は行方不明となっていた。女性従業員の家族によって3月17日午後1時頃に捜索願が出され、同日午後3時頃に勤務先2階の女子更衣室ロッカーから女性従業員の携帯電話が見つかっていた。

同年5月、恋愛問題のもつれによる犯行として、同僚の女性 大越美奈子(当時29歳)が逮捕・起訴された。

手前の方の大柄の女性が、被害者。橋向香さん(当時24歳)/ 奥に写っている、小柄な優しそうな女性が、冤罪となっている大越美奈子さん(当時29歳) 
恵庭OL殺人事件(大越美奈子)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年9月25日、最高裁は上告を棄却した。同年9月29日、被告人は最高裁に異議申し立てを行ったが、10月10日に棄却され、一審の懲役16年が確定した。大越は刑務所にて服役後、2018年に刑期満了。

◆冤罪を主張
 被告人側は事件発生時に購入した灯油については「社宅の片付けのための暖房用」と主張した。また、「女による単独犯は不可能」「真犯人は男性による強姦目的の複数犯」として冤罪を主張している(検死における司法解剖で強姦の有無を調べられなかった)。

❖出所予定(年齢)
 2018年10月頃、46歳(出所)

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大分一家6人殺傷事件(高校1年生15歳)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年8月14日午前2時50分、大分県大野郡野津町(現:臼杵市)で発生した事件であり、当時15歳の少年による隣家殺傷事件。

隣家に住む当時15歳の少年は、兄の部屋からサバイバルナイフを持ち出して被害者 岩崎さん一家にあった農機具を入れる小屋に隠れていました。そして一家が寝静まるのを待ち、母屋の風呂場の窓を割って被害者宅に侵入し殺戮にいたる。

頬を刺された祖父(当時66歳)の傷は脳に達し、一命は取り留めたものの寝たきりとなりました。次男(当時11歳)はナイフが心臓に達していましたが、10時間に及ぶ手術に耐えて元気に回復しました。しかし長女(当時16歳)は背中に受けた傷が深く、その後車いすの生活を余儀なくされました。

祖母(66歳)、母(41歳)、長男(13歳)は即死。

「被害者宅の風呂を覗いた」との疑いをかけられ、父親に厳しく注意されたり被害者宅全員から無視されたりするなどの屈辱を受けた。このことを恨んでの犯行とされる。実際に風呂を覗いたかどうかは不明で、少年は「(風呂は覗いておらず)煙草を吸っていただけ」と自供している。
大分一家6人殺傷事件(高校1年生15歳)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2000年11月の少年法が厳罰化(14歳以上から刑事責任)される直前の事件であったため、刑事責任は問われませんでした。
家庭裁判所の非公開審理のため公にならず、重度の行為障害があると判定され、医療少年院に送致され、7年後に別の少年院を退院しています。
少年法の理念
少年法とは元々
戦後の食糧難などの混とんとした時代にどうしようもなく犯罪に手を染めてしまう子供達を事情を鑑みて守るためにできた法律

民事訴訟を起こして以下の条件で和解。
 ・少年が35歳までになるまで半年に1度、職業と住所、反省状況を遺族に伝えること
 ・賠償金を毎月6万円支払うこと

しかしながら、これまでに少年から遺族に連絡は一切ありません。
約束を反故にしてのうのうと生きている少年を罰する法律はありません。

❖出所予定(年齢)
 2007年頃、22歳、すでに退院(医療少年院と少年院で7年)

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大分夫婦殺傷事件(安・青年A・張・朴・金)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2002年に大分県速見郡山香町(現・杵築市)で起こった中国人留学生らによる強盗殺傷事件である。

別府大学の留学生、元留学生であった安逢春(当時23歳)、青年A(当時19歳)、張越(当時23歳)、朴哲(当時21歳)と韓国人 金玟秀(当時26歳)の5名は共謀し、留学生の身元保証人の建設会社社長 吉野諭さん(当時73歳)から現金やキャッシュカードを盗み、監禁して暗証番号を聞き出そうと計画。2002年1月18日未明、5名が被害者夫婦宅に押し入り、2階で寝ていた妻 恵美子さんを脅して腹部等を刺して1ヶ月の大けがを負わせ、妻を助けようと2階に上がってきた夫 諭さんを刺し身包丁で刺殺した。

その後、金、安、青年Aの3名が大分県警に逮捕されたが、主犯格 張と朴の2名は中国へ出国したため、大分県警が国際刑事警察機構を通じ、国際手配した。
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◆大阪事件
この国際指名手配となった朴と、19歳の少年は、吉野さん方を襲撃するわずか3週間ほど前、大阪で35歳の女性を強盗目的で殺害していた。

2001年12月26日16時30分。
大阪市北区のホテルで、派遣型風俗店従業員の女性(当時35歳)が刃物でめった刺しにされて殺害されているのが発見された。
女性はクラフトテープで両手足を縛られ、その上で心臓、首などを十数回刺され、心・肺刺創による失血死であった。
その後の調べで、女性は2枚のキャッシュカードを抜き取られており、強盗目的で呼び出されたのち、殺害されたとみられている。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2009年に最高裁判所第一小法廷はこれを棄却し、青年Aを無期懲役(求刑・死刑)、金を懲役15年(求刑・無期懲役)、安を懲役14年(求刑・懲役15年)とした二審判決が確定した。

2013年に、国際手配されていた張と朴が中国国内で身柄を拘束された。日中間には犯罪人引き渡し条約がなく、日本国内で処罰することができないため、日本側は中国側に対し代理処罰を要請するとみられると報じられている。

2017年3月に中国の裁判所で張越(判決当時38歳)に執行猶予(2年)付きの死刑判決、朴哲(変血当時37歳)に懲役15年がそれぞれ言い渡され、控訴せず確定した。

❖出所予定(年齢)
 安・・・・・2023年9月頃、37歳(懲役14年)
 青年A・・・2039年9月頃、49歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)
 金・・・・・2024年9月頃、38歳(懲役15年)
 張・・・・・死刑判決(中国・執行状態は不明)
 朴・・・・・2023年3月頃、52歳(中国で懲役15年)

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大口病院連続点滴中毒死事件(久保木愛弓)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 神奈川県横浜市神奈川区の大口病院(当時、現・横浜はじめ病院)で2016年(平成28年)9月に発覚し、2018年(平成30年)7月、同病院で当時勤務していた看護師の女が逮捕された連続殺人事件。事件の名称について、神奈川県警察は「大口病院入院患者殺人事件」、『神奈川新聞』は「大口病院点滴連続殺人事件」としている。

被害者として立件された死亡者2人のほか、同時期に死亡していた別の2人の入院患者の遺体からもヂアミトールが検出された。事件発覚前の7〜9月の82日間で48人の患者が死亡し、その後の約70日間の間は死亡者がゼロということから、4人以上の被害人数が疑われたが、発覚以前の死亡者は医師の診断により“自然死”扱いで火葬されていたため、既に証拠は失われていた。

事件は2016年9月、最初に判明した被害者の容体が急変した際、看護師が投与中の点滴袋をベッドに落とし、袋内の輸液が急激に泡立ったことから偶然にヂアミトールの点滴混入が発覚した。さらに調べると2日前に同じ部屋で死亡した別の患者の遺体からも同成分が検出された。ナースステーションに残されていた未使用の点滴袋約50個を調べると、10個ほどの点滴袋でゴム栓部分に封をする保護フィルムに細い針で刺した穴が見つかった。そして、同じフロアで亡くなった患者の数が、事件発覚までのおよそ3か月の間に48人に上ることが明らかになった。

神奈川県警察は、当時担当していた看護師全員の看護服を調べたところ、被疑者の服からのみ、ポケット付近からヂアミトールの成分が検出された。他にも、被疑者が事件発覚直後の夜勤中、投与する予定のない製剤を手に院内を歩き回る姿が県警の設置した防犯カメラに映っていたことや、被害者の病室に1人で入っていくのを同僚が目撃していて、そのおよそ5分後に容体が急変し死亡していた、といった状況証拠から絞り込んでいった。

2018年6月末、県警は状況証拠を踏まえ被疑者の看護師に任意の事情聴取を開始。この看護師は消毒薬(ヂアミトール)を注入したことを認めたうえで、「入院患者20人ぐらいにやった」との趣旨の話をした。7月7日、神奈川県警は被疑者 久保木愛弓(当時34歳)を殺人容疑で逮捕した
大口病院連続点滴中毒死事件(久保木愛弓)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2021年(令和3年)10月1日、横浜地裁(家令和典裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、被告人の元看護師は起訴内容を全面的に認めた一方で、弁護側は「被告人は犯行当時、統合失調症により心神耗弱の状態だった」と主張した。

同年10月22日に論告求刑公判が開かれ、横浜地検は元看護師に死刑を求刑した。

同年11月9日に判決公判が開かれ、横浜地裁は被告人の責任能力について、「犯行時は(発達障害の一種の)自閉スペクトラム症の特性があった」と認定[32][33][34]。その上で、弁護側が主張した統合失調症の影響については否定し、「違法な行為であることを認識していた」として完全責任能力があったと認めた上で、元看護師に無期懲役を言い渡した。

同年11月22日、検察側と弁護側の双方が一審の無期懲役判決を不服として東京高等裁判所に控訴した

❖出所予定(年齢)
 公判中(高裁に控訴)

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大阪2児餓死事件(下村早苗)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2010年7月30日に発生した大阪府大阪市西区のマンションで2児(桜子ちゃん(当時3歳女児)と楓ちゃん(当時1歳9ヶ月男児))が母親 下村早苗(当時22歳)の育児放棄によって餓死した事件。

2010年7月30日、「部屋から異臭がする」との通報で駆け付けた警察が2児の遺体を発見。死後50日 ほど経っていた。なお遺体が発見されるまで「子供の泣き声がする」と虐待を疑う通報が児童相談所に何度かあったが発覚しなかった。同日に風俗店に勤務していた2児の母親 下村を死体遺棄容疑で逮捕し、後に殺人容疑で再逮捕した。

2010年6月9日頃、居間の扉に粘着テープを張った上に玄関に鍵をかけて2児を自宅に閉じ込めて放置し、同月下旬ごろに餓死させた。7月29日、勤務先の上司から「異臭がする」との連絡を受け、約50日ぶりに帰宅した際に子供の死亡を確認した。死亡を確認した母親は「子供たちほったらかしで地元に帰ったんだ。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1ヶ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった」と上司にメールを送信するも、その後はそのまま交際相手と遊びに出かけてホテルに宿泊し、翌7月30日に逮捕されるまで過ごしていた。
大阪2児餓死事件(下村早苗)_大阪2児餓死事件(桜子ちゃんと楓ちゃん)

◆生い立ち
 被疑者は三重県四日市市に生まれた。両親の離婚などで中学生時代は家出を何度も繰り返していた。

 2006年12月、当時大学生だった男性(その後大学を中途退学し就職する)と結婚。2007年5月、20歳になった直後に第1子の長女を出産。2008年10月に第2子の長男を出産し、2009年5月に離婚した(自らの不倫が原因)。

 被疑者もまた幼少期に実母からネグレクトを受けていたうえ、中学生で輪姦体験での性被害もあり解離性障害の傾向もあったという。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
 裁判は最高裁まで争われ、2013年3月25日に懲役30年が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2040年3月頃、52歳(懲役30年)

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大阪愛犬家連続殺人事件(上田宜範)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1992年に大阪府で発生した殺人事件である。警察庁広域重要指定事件120号。

犯人である自称「犬の訓練士」の上田宜範(当時39歳)は犬好きであり、ある日かかりつけの獣医師が子犬に筋弛緩剤(塩酸スキサメトニウム)を注射して安楽死させているのを見て、獣医師から口実をもうけて筋弛緩剤を入手した。

犯人は十分な知識も持たずに長野県塩尻市内の土地を借り、犬の訓練所を開業。上田は知り合った人に対し、犬関連ビジネスの話を持ちかけ金を騙し取っていた。

1991年夏頃から、半年ほど物流会社のアルバイトをしたが、そこで同僚の瀬戸博さん(当時23歳)とよく仕事のことで衝突した。

1992年4月ごろ、瀬戸博さん(当時25歳)と散歩中に偶然再会、しかしそのうち口論などのトラブルにより筋弛緩剤を注射して最初の殺人を犯す。他にも1992年から1993年にかけて出資上のトラブルから計4人の男女を筋弛緩剤で相次いで殺害、遺体は訓練所の敷地内に埋めて遺棄した。

◆殺害された4人
 大阪市東淀川区の藤原三平さん(33歳)・・・共同経営の開業資金をせかされる
 アルバイト仲間の柏井耕さん(20歳)・・・犬の施設予定地の整地作業の作業料未払い
 行きつけの獣医で住吉区の主婦・高橋サチ子さん(47歳)・・・犬の共同経営で犬の仕入れ進まず
 堺市の主婦・志治信子さん(47歳)・・・犬の施設の共同経営で1000万円支払い後建設計画進まず
大阪愛犬家連続殺人事件(上田宜範)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2005年12月15日、最高裁は上告棄却。死刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(大阪拘置所収監中、死刑未執行)

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(小林正人、小森淳、芳我匡由・死刑判決(未執行))
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
1994年(平成6年)9月28日 - 10月8日にかけて大阪府・愛知県・岐阜県の3府県で発生した不良少年らによる連続殺人事件である。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(小林正人、小森淳、芳我匡由)
※他にも余罪があるが大阪・愛知・岐阜連続に絞り記述

◆大阪事件(殺人・死体遺棄事件)
 1994年9月28日に大阪府で発生。主犯格3人 (小林正人(犯行時19歳)、小森淳(犯行時19歳)、芳我匡由(犯行時18歳)) +共犯少年(暴力団の仲間)1人の計4人で大阪市中央区道頓堀一丁目の繁華街で、被害者・男性とその友人男性(いずれも当時26歳)の2人とトラブルになった。小林、芳我は2人を何度も殴りつけ、小突きながら事務所前まで連れて行ったが、Aの友人は隙を見て逃げ出したため、残る1人を拉致・監禁した。

事務所で19時間にわたって監禁・暴行を繰り返し、最後はベルトを使って絞殺した。遺体にタバコの火を押し付けて死んだ事を確認した後、暴力団員に遺体の処分を相談。結果、高知県安芸郡奈半利町の山中に遺棄した。男性の遺体には凄まじい暴行の痕があり、鎖骨・肋骨三本の骨折、及び内臓破裂していた。

◆木曽川事件(傷害・殺人事件)
 1994年10月6日深夜に発生。大阪事件後に発覚を恐れて愛知県稲沢市(主犯3人のうち1人「小林」の出身地)へ逃亡した主犯格3人は小林正人が所属していたグループと行動を共にしていたが、小林の不良仲間だった家でシンナーを吸引していたところ、少年グループの1人である型枠大工の男性(当時22歳)が訪れた。

男性の彼女は小林に強姦されていたため、トラブルとなり喧嘩となる。

小林は小森や芳我ら仲間7人と共に、男性をビール瓶や鉄パイプなどで約八時間にわたって激しく暴行。リンチはビール瓶などで殴打し、傷口をフォークで突き刺す・または面白半分で傷口にシンナーや醤油をかけて反応を笑うといった陰湿・凄惨なものだった事が判明している。

翌日未明には愛知県尾西市の木曽川河川敷で瀕死の男性を堤防から突き落とし、更に雑木林へ引きずりシンナーをかけた上で火をつけて殺害した。

遺体は1994年10月13日に同場所で発見されるが、火傷の痕はあまりにも痛々しいものであった。

第一審では「傷害致死罪」と認定され3人中2人 (小森淳、芳我匡由) への死刑適用が回避されたが、控訴審では一転して「殺人事件」と認定され、3人全員に死刑が適用されることとなった。

◆長良川事件(監禁・強盗殺人・強盗致傷事件)
 木曽川事件の翌日(1994年10月7日深夜)に発生。彼らは愛知県稲沢市のボウリング場の駐車場で物色しており、たまたま鉢合わせとなった20歳の男性2人、19歳の男性1人を襲って金品を奪った上に拉致する。

車の後部座席に押し込み連れ回し、現金11,000円を強取。その後、岐阜県安八郡輪之内町の長良川河川敷で会社員の男性一人(当時20歳)とアルバイトの男性(当時19歳)の2人を鉄パイプなどで執拗に暴行・殺害した。

2人がぐったりするとやはりタバコの火を押しつけ死亡確認したが、その後も遺体に暴行を加え続けている。一旦はその場を離れた少年たちだったが、「ツルハシでとどめを差しておけばよかった」と現場に戻っている。

遺体は翌日に同場所で発見されたが、両者の遺体は頭蓋骨や腕など全身骨折の上、身体の血管の大部分が損傷を受けて大量出血しているという無惨なものだったという。身を守ろうとしたのか両腕の骨は砕けてボロボロになっていた。

その際、少年グループはもう一人の20歳男性は解放している。この男性の供述から犯行が明らかとなり、警察は少年グループを指名手配する。

このため、小林は10月12日に出頭、10月14日に小森も出頭した。芳我は逃亡したが、1995年1月19日に大阪で逮捕され、他のメンバーも逮捕された。

❖判決内容(判決内容・判決時期)
・主犯格3人 (小林正人(犯行時19歳)、小森淳(犯行時19歳)、芳我匡由(犯行時18歳)) 
 刑事裁判では強盗致傷罪・傷害罪・殺人罪・監禁罪・強盗殺人罪・死体遺棄罪・恐喝罪・暴力行為等処罰ニ関スル法律違反に問われ、死刑囚3人では唯一、第一審・控訴審ともに死刑判決を受けた。

 共犯2人とともに2011年3月10日に最高裁判所で上告棄却の判決を受け、同判決に対する異議申し立ても同月30日付の決定で棄却されたため、2011年4月1日付で死刑判決が確定した。

・男T(大阪事件・事件当時45歳)
 小林・少年U・小森・芳我の4人(大阪事件の加害者)を順に暴力団の配下として加え、大阪事件の現場となったアジトを提供し、加害者KMらと共謀して殺害された男性Aの遺体を遺棄した。
大阪事件の死体遺棄罪に問われ、1995年4月21日に大阪地裁から懲役1年8月の実刑判決(求刑:懲役2年6月)を受けた。

・少年U(大阪事件・事件当時18歳)
 暴力団組員で、大阪事件では小林・小森・芳我の3人とともに男性を暴行し殺害した。10月2日に別の強盗致傷事件で南警察署(大阪府警察)に逮捕され、大阪家庭裁判所送致を経て保護観察処分になった。その後は行方を晦ましていたが、11月26日午前に両親に付き添われて南署へ出頭し大阪事件の殺人・死体遺棄容疑で逮捕された。1995年9月12日に大阪地裁から懲役4年~8年の不定期刑に処する判決を受けた。

・男V(木曽川・長良川事件・事件当時20歳)
 大阪府松原市内で大阪事件を起こし逃亡中だった3人 (小林・小森・芳我) と出会い、運転手として彼らの配下に加わった。そして木曽川・長良川事件に加担して10月15日に逮捕され、1996年3月19日に名古屋地裁で傷害致死幇助罪により懲役3年・執行猶予4年(保護観察付き / 求刑:懲役7年)の有罪判決を受けた。

・少女W子(木曽川事件・事件当時18歳)
 加害者小林とはかつてシンナー仲間で、事件当時はXたちとシンナー仲間だった。
木曽川事件の殺人容疑で逮捕されたが、同事件の直後にはXとともにグループから別れており、長良川事件には関与していなかった。傷害致死罪に問われた少年審判の結果、1994年11月25日に名古屋家裁一宮支部で少年院送致の決定がなされた。

・少年X(木曽川事件・事件当時19歳)
 W子とはシンナー仲間でKMとも面識があった。
木曽川事件の殺人容疑で逮捕され、同年12月1日には殺人罪・傷害罪で名古屋地裁に起訴された。1995年7月6日に名古屋地裁で殺人罪により懲役4年~8年の不定期刑に処する判決を受けた。

男Z(木曽川・長良川事件・事件当時21歳)
 シンナー仲間の古株で、1997年3月5日に名古屋地裁で殺人幇助罪により懲役3年・執行猶予4年の有罪判決を受けた。

❖出所予定(年齢)・・・主犯のみ
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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大阪個室ビデオ店放火事件(小川和弘)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2008年(平成20年)10月1日に大阪府大阪市浪速区難波中の個室ビデオ店で発生し、16人が死亡した放火事件である。

被疑者となった小川和弘(逮捕時46歳)は2014年(平成26年)に死刑が確定したが、冤罪を主張しており、日本弁護士連合会の支援対象事件になっている。

2008年10月1日午前3時ごろ、大阪市浪速区難波中3丁目の南海電気鉄道難波駅前商店街の一角にあった、7階建て雑居ビル1階の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」から出火し、約1時間40分後に鎮火した。同店には32室の個室があり、出火当時26人の客と3人の店員がいたが、15人が一酸化炭素中毒で死亡し、10人が重軽傷を負った。なお、10月14日朝には意識不明の重体だった男性客が入院先の病院で死亡し、事件による死者は計16人となっている。

「白い肌着とトランクス姿で避難していた小川は、現場から立ち去ろうとしたところを、『あの男が犯人や』と客から聞いた店員に止められ、追及されると、『すいません。弁護士もつけるんで。保証もしますんで』と口にしていた。

その後、火災現場に駆けつけた警察官に対し、『ごめんなさい。煙草を吸った』と話したため任意同行され、事情聴取で『死にたかった。火をつけて怖くなり逃げ出した』と容疑を認めたことで逮捕されました。逮捕後の警察で逮捕翌日の10月2日の取り調べでは、「生きていくのが嫌になり、持参したキャリーバッグ内の新聞紙と衣類にライターで放火した」ことを供述している。

そんな小川が否認に転じたのは、すでに警察での調べを終え、検察での聴取が行われている最中のことだった。

10月17日の弁護士との接見では翻して「火をつけていない」と放火を否認。10月20日の検察官の聴取にも「火をつけていない」と否認し、翌21日の検察官の聴取では「火をつけていない。たばこの失火と思い認めてしまった」との供述を調書にしている。
大阪個室ビデオ店放火事件(小川和弘)

大阪個室ビデオ店放火事件(店の中)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2014年(平成26年)3月6日、最高裁判所第一小法廷(横田尤孝裁判長)は被告人 小川の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人 小川の死刑が確定した。死刑囚 小川は2022年(令和5年)1月1日時点で大阪拘置所に収監されている。

死刑囚 小川の弁護団は2014年5月に大阪地裁へ再審請求を行い、死刑囚 小川は2014年9月に日本弁護士連合会(日弁連)へ本事件の再審請求支援を求めた。

2019年11月、第2次再審請求が行われ、2021年(令和3年)1月12日までに弁護団が火元が異なる可能性を示す燃焼実験の結果を大阪地裁に提出した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(拘置所収監中、死刑未執行)

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大阪市イタリア語講師殺害事件(亀山翔一郎)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2003年(平成15年)6月7日14時40分頃、大阪府大阪市淀川区在住のイタリア語講師、高知県出身の真辺愛子さん(当時26歳)が、自宅マンションを訪ねた友人らによって遺体となって発見された。真辺さんは布団にあおむけの状態で寝かされており、首に黒と赤の布製のベルトが巻かれ、口に粘着テープが張られていた。顔には殴られたような跡があり、両手には皮下出血がみられた。着衣についてはTシャツがめくれあがっていた(暴行については新聞各紙で記事の有無がわかれている)。死因は首を絞められたことによる窒息死で、死亡推定時刻は5日午前5時頃。

6月26日、長崎県出身、住所不定無職の亀山翔一郎(当時21歳)が被害者の預金口座から預金を引き出した窃盗の容疑で逮捕され、逮捕後の供述から強盗殺人容疑での再逮捕となった。

被害者 真辺さんは高知県出身でフリーのイタリア語講師として活動しており、2003年7月からイタリア語教室を開講する予定だった。
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❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2004年2月4日、大阪地方裁判所での判決公判で「被害者の尊厳をじゅうりんした短絡的な犯行に酌量の余地は全くない」と求刑通り無期懲役が言い渡された。

❖出所予定(年齢)
 2034年2月頃、51歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)

◆事件の背景
 加害者の男 山地悠紀夫は、中学卒業後の2000年7月29日、山口市内の自宅アパートで金属バットを使い母親を殺害した(山口母親殺害事件 事件当時16歳)。この際、「返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた」と姉妹殺害事件の大阪地検検事にのちに述べている。

山地は同年9月に中等少年院送致の保護処分を受けたあと、2003年10月に仮退院、2004年3月に本退院したが、この際精神科医師は、山地が「法律を守ろうとはそんなに思っていない」と話していたことなどから、更生に疑問を抱き意見を提示していた

山地悠紀夫(当時22歳)は、2005年11月17日午前2時半ごろ、まず飲食店での仕事を終えて帰宅した姉 上原明日香さん(当時27歳)がドアを開けた瞬間に背後から襲撃。ナイフで胸を突き刺し、片足のズボンと下着を脱がせ強姦、跡を残さないための工作を行った。

約10分後に妹 上原千姫路さん(当時19歳)が帰ってくるとナイフで胸を突き刺し、姉のすぐ側で強姦した。その後、ベランダで煙草を吸ったあとに姉妹の胸を再び突き刺して殺害、室内に放火し現金5000円や小銭入れ、貯金箱などを奪った上で逃走した。2人は病院に運ばれたが搬送先で間もなく死亡した。

大阪府警は同年12月5日、建造物侵入容疑で山地を逮捕。12月19日には強盗殺人容疑で再逮捕した。
大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫)

大阪姉妹殺害事件(被害者)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2006年12月13日午前、大阪地方裁判所(並木正男裁判長)において、死刑判決が下された。死刑判決の瞬間も、山地はまっすぐ前を見据えたまま微動だにしなかった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2009年7月28日午前、大阪拘置所で死刑執行(当時25歳没))

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大阪心斎橋通り魔殺人事件(礒飛京三)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2012年6月10日午後1時頃、大阪府大阪市中央区東心斎橋の路上で礒飛京三(当時36歳)が包丁で通行人を襲い、2人を殺害した。路上に倒された南野信吾さん(当時42歳)は礒飛に助けを求めたが、礒飛は無言のまま何度も刺し続けた。続いて、礒飛は逃げる観衆の中から自転車に乗っていたスナック経営 佐々木トシさん(当時66歳)を何度も刺し、被害者佐々木さんが動かなくなると、再び南野に馬乗りになって刺し続けた。

駆けつけた府警南署員が現場にいた礒飛に事情を聴いたところ、2人を刺したことを認めたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、その後、殺人容疑に切り替えた。礒飛は「誰でもいいから刺したかった」という趣旨のことを話していたという。
大阪心斎橋通り魔殺人事件(礒飛京三)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2017年3月9日、大阪高等裁判所(中川博之裁判長)は自己中心的ではあるものの精神障害の影響を認めると共に、これまでに死刑判決が適用された無差別通り魔殺人とは異なるとして、一審の死刑判決を破棄し、被告人Iに無期懲役を言い渡した。この判決に対し、検察側に同席していた遺族はぼうぜんとして頭を抱え、傍聴席からはブーイングのようなどよめきが起きた。

2019年12月2日、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は、検察・弁護側双方の上告を棄却した。これで礒飛の無期懲役判決が確定した。

❖出所予定(年齢)
 2049年12月頃、66歳(無期懲役で仮釈放30年と仮定)

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大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件(鈴木勝明)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2004年(平成16年)12月3日に大阪府和泉市府中町に在住していた織物製造・販売会社の元社長夫婦が殺害されたのち遺体をドラム缶詰めにされ、同府阪南市新町の貸しガレージ内に遺棄された強盗殺人事件。

鈴木勝明(当時43歳)は2003年(平成15年)9月、大阪府泉南市内の建設会社に入社した。

この会社は、大阪府和泉市府中町内の、織物製造・販売会社の元社長である、被害者男性(事件当時74歳)宅の新築工事を、過去に手掛けたことがあった。

鈴木は、集金した工事代金を会社に振り込まないことがあった上、会社事務所・会社社長宅から、高級腕時計・多額の現金がなくなることが頻発したため、建設会社の社長が、金銭トラブルを理由に、社長は2004年6月、鈴木を解雇した。

2004年12月3日午後7時40分頃から、翌4日8時30分頃までの間に、当時消費者金融などに数百万円の借金があった鈴木は、和泉市府中町の元カーペット製造販売会社社長、浅井建治さん(当時74歳)と妻のきよさん(当時73歳)の敷地内にある会社事務所にて、夫婦をそれぞれ、男性は1回、妻は2回、重量のある棒状の鈍器で、頭を殴って殺害した。

鈴木は、遺体の腐敗が進行するなどしたため、妻の遺体のみ、右脚部を切断しただけで、バラバラに切断することを断念し、ドラム缶2個に夫婦の遺体を詰めた上で、事件から4日後の12月7日、夫婦宅から直線約20kmの距離にある、阪南市新町の、シャッター付き貸しガレージを借りる契約を結び、ガレージまで運転してきた夫婦の乗用車を駐車、遺体入りのドラム缶をガレージ内に放置し、シャッターの鍵を返却しないまま、ガレージの管理者との連絡を絶った。

夫婦が失踪してから5年後の2009年(平成21年)11月21日午前、月極駐車場の屋根付きガレージの管理者が「もう1台分借りたい」という、月極契約者からの申し出を受けた。そのため、過去に鈴木が借りて以来、借り手がおらず未契約状態となっていたガレージのシャッターを開けたところ、ガレージ内に所有者不明、未契約の、銀色の乗用車が駐車してあり、これに加え、水色のドラム缶2個が前述の乗用車とともに放置されているのも発見された。同23日午前11時15分頃、管理者は大阪府警泉南警察署に「不審な車とドラム缶2個がある」と通報した。

これを受け11月25日午後1時半頃、泉南署員が現場を確認し、泉南署員がドラム缶を開けたところ、ドラム缶の中から成人の男女とみられる遺体各1体が発見された。

大阪府警は、5年前に契約し保証金・1か月分の賃料を払って以降連絡を絶ち、鍵も返却していなかった最後の借り主である鈴木が何らかの事情を知っている可能性が高いとみて、2009年11月26日午後、重要参考人としてSを事情聴取した。

事件発生から丸6年となる2010年12月3日、大阪府警は、鈴木が夫婦を殺害したとして、強盗殺人容疑で再逮捕した(2009年12月7日に窃盗容疑で逮捕)。
大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件(鈴木勝明)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2017年12月8日、上告審判決公判が開かれ、最高裁第三小法廷(戸倉三郎裁判長)は、一・二審の死刑判決を支持し、鈴木の上告を棄却する判決を言い渡した。これにより、鈴木の死刑が確定することとなった。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(大阪拘置所収監中、死刑未執行)

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大阪養子縁組連続殺人事件(宇野和馬、宇野ひとみ)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 宇野和馬(当時39歳、以下、和馬)はスナックの従業員 宇野ひとみ(当時35歳、以下、ひとみ)と知り合い2003年に結婚。和馬とひとみは内装業の傍らで知人ら10名前後と共に詐欺グループを結成。詐欺グループは6年間で約20件の交通事故に遭ったとして保険金6000万円を得ており保険金詐欺を繰り返していた。詐欺グループは、短期間に何度も保険金を請求しても不審に思われないために養子縁組や結婚、離婚で名字を変えていた。

また、詐欺グループの周辺では和馬が保険金受取人となる交通事故や死亡事件が相次いでいた。

◆養父殺害未遂事件(和馬は計約4000万円の保険金受け取り)
 2007年5月11日に宇野ひとみは知人2人と共同して、元大工の養父 宇野昭二(当時57歳、以下、昭二さん)に対して酒や睡眠薬を飲ませて泥酔させた上で大阪府柏原市の路上で交差点で車道に突き飛ばすことで、走行中のトラックとの交通事故を装って養父を保険金目的で殺害しようとした事件。トラックにはねられた養父 昭二さんは重傷を負った。

◆実母死亡事件(和馬は計約2300万円の生命保険金受け取り)
 2008年、宇野ひとみが所有する飲食店で働いていたBの実母が大阪府豊能郡豊能町の店舗兼住宅内の階段で転落して死亡した事件。この事件は刑事事件になっていない。

◆養父殺害事件
 2009年3月3日に、和馬は知人の暴力団組員2人と共謀して大阪府豊能郡豊能町の店舗兼住宅内で養父 昭二さんを殺害した上で、養父 昭二さんの両手首をナタで切断して、遺体と歯を山林に、手首を和馬の居酒屋兼住宅の敷地に埋めた事件。養父 昭二さんは行方不明と扱われていたが、実行犯の供述によって2011年2月に養父 昭二さんの遺体が発見された。

◆養女殺害事件
 2010年4月28日に和馬がひとみや知人らと共謀し、大阪府豊能郡能勢町の路上に止めた乗用車内で、養女 宇野津由子さん(当時36歳、以下、津由子さん)の首に針金を巻いて殺害した事件。和馬と養女 津由子さんは3歳しか年の離れていない養父子であった。また、和馬の妻にあたるひとみは、養女 津由子さんにとっては1歳年下であった。
翌29日に大阪府高槻市の淀川堤防で養女 津由子さんの絞殺体が発見された。養女 津由子さんの体内からは睡眠導入剤の成分が検出された。
養女 津由子さんはインターネットのゲームサイトでひとみと知り合い、2010年1月から和馬の家に移り住んで、住み込みで和馬の会社で働いていた。

養女 津由子さんは2010年2月に和馬との間に養子縁組を結び、同年3月に和馬を受取人とする生命保険が2100万円かけられていた。

◆逮捕・起訴
 2010年4月に和馬の養女 津由子さんが他殺体で発見されたことで津由子さんの養父 和馬のグループに対して警察の捜査が始まる。

 2010年5月17日から事件のキーマンと目された和馬と連絡が取れなくなり、翌19日に京都府舞鶴市の道脇で駐車している軽乗用車の中で和馬が死亡しているのが発見された。車内に七輪などがあった状況等から、警察では自殺と判断された。

2010年9月にひとみと和馬の知人らの計9人が交通事故に絡んで540万円の保険金詐欺を犯した詐欺罪で逮捕された。

その後、ひとみは2011年5月に養女事件に絡む殺人罪と死体遺棄罪で逮捕され、同年6月に起訴された。また、捜査の過程で和馬らによる養父殺害未遂事件と養父殺害事件が浮上し、和馬の知人6人も養父殺害未遂事件、養父殺害事件、養女殺害事件で殺人罪、殺人未遂罪、死体遺棄罪の罪状で逮捕・起訴された。

左上は宇野津由子さん、右上は宇野和馬、左下は宇野ひとみ、右下は佐々木一幸(懲役20年(犯罪内容は省略))
大阪養子縁組連続殺人事件_
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2013年に養女殺害事件の準首謀者であるひとみに懲役23年の有罪判決が、一連の事件で重要な役割を担った和馬の知人4人に懲役16年から懲役22年までの有罪判決が、養父殺害未遂事件の従犯である和馬の知人に懲役6年の有罪判決が、養女殺害事件の死体遺棄に関与した和馬の知人に懲役3年4ヶ月の有罪判決がそれぞれ言い渡された。なお、これらの裁判で死亡した和馬が一連の事件の首謀者であると認定された。

❖出所予定(年齢)
 宇野和馬・・・死亡(自殺)、宇野ひとみ・・・2036年、58歳(懲役23年)

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大阪連続強盗殺人事件(加賀山領治)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2000年(平成12年)と2008年(平成20年)に大阪府大阪市で連続して発生した強盗殺人・同未遂事件である。

◆中国人留学生殺害事件
 2000年(平成12年)7月29日午前1時頃、大阪府大阪市中央区上本町西2丁目の路上で帰宅途中だった被害者・中国籍の女性 韓穎さん(当時24歳)に加賀山領治(当時50歳)が近付き、拳骨で韓穎さんの顔面を殴り、現金6000円や財布の入ったバッグを強奪した。その後、加賀山は自転車に乗って逃走を図ったが、追いかけてきた韓穎さんに対して同バッグを取り返されることを防ぎ、逮捕を免れるため、加賀山は韓穎さんの腹部などをナイフで刺して、韓穎さんを腹部刺創により失血死させて殺害した(強盗殺人罪)。

現場を自車で通りかかった際に、自転車で逃走を図る加賀山を韓穎さんが追いかける様子を目撃し、車から降りて加賀山を取り押さえようと試みた男性(当時34歳)に対しても、加賀山は殺意を持って男性の腹部に骨削ぎナイフを突き立てた。しかし、男性が左足を踏み出していたため死亡させるに至らず全治10日間を要する左大腿部切創の傷害を負わせた(強盗殺人未遂罪)。

◆商業施設男性殺害事件(DDハウス事件)
 2008年(平成20年)2月1日午後10時頃、大阪府大阪市北区の複合商業施設「DDハウス」に強盗目的で侵入した加賀山領治(当時58歳)は犯行に使用する道具を点検するため、2階共用トイレに入った。その後、被害者 森永彰さん(当時30歳)がトイレに入ってきた。加賀山は「金を出せ。早く出せ。」と言って金品を要求したが、森永さんはこれに応じなかった。加賀山は森永さんに「泥棒でもするんか」と見咎められたため、警察に突き出されることを恐れて、殺意を持って男性会社員の胸部をナイフで刺して、胸部刺創により失血死させて殺害した(強盗殺人罪)。

◆逮捕と起訴
 2008年(平成20年)2月8日、加賀山は事件について大阪府警此花署に出頭した。そのため大阪府警曽根崎署捜査本部はKを殺人容疑で逮捕した。その後Kは殺害行為は強盗目的であることを認めたため、大阪地検は同年2月29日に強盗殺人罪で加賀山を大阪地裁へ起訴した。

大阪府警はKの余罪を調べるうちに、中国人留学生殺害事件の現場に残されていた犯人の血液のDNAが加賀山と一致していたため、同年3月21日にKを強盗殺人容疑で再逮捕した。
DDハウス殺人事件(加賀山領治)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2012年(平成24年)7月24日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人 加賀山の上告を棄却する判決を言い渡したため、2012年(平成24年)8月4日付けで被告人加賀山の死刑が正式に確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2013年(平成25年)12月12日、大阪拘置所で絞首により死刑執行※(当時63歳没))
 ※死刑確定から執行までわずか1年4ヶ月と異例の早期執行であった。

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大阪連続バラバラ殺人事件(鎌田安利)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 1985年(昭和60年)5月から1994年(平成6年)3月までのおよそ9年間、大阪府大阪市で4人の女性と1人の少女が殺害された事件。少女以外の遺体はすべてひとつにされた(バラバラ殺人)。

◆A事件
 第1の被害者は大阪市東住吉区西今川二丁目在住の主婦 東富佐枝さん(当時46歳)で、東富は夫と子供3人がいたが、1985年5月14日に家出してから西成区内の立ち飲み店で偽名で働いていた。加害者 鎌田安利(当時44歳)は1985年5月下旬ごろに被害者Aが働いていた立ち飲み店を客として訪れ、東富さんを食事に誘い2人で店外に出たが、自宅マンションで東富さんに飲酒を注意したところ、反抗されたため絞殺した。被害者Aの遺体は被疑者 鎌田の逮捕後(1995年5月29日)に兵庫県神戸市西区平野町の雑木林(国道175号から西へ入った林道沿い)でバラバラ遺体として発見された。

◆B事件
 第2の被害者は大阪府富田林市の知的障害者施設寮生 知念みどりさん(19歳)で、鎌田は東富さん殺害から1か月後となる1985年6月16日に通天閣付近で被害者 知念さんと出会い、同日14時ごろに2人で浪速区内の寿司店を訪れた。その後、鎌田は知念さんを自宅へ連れ帰り関係を持ったが、被害者 知念さんから小遣いとして10,000円を要求されたことに立腹し、15時ごろに室内で馬乗りになって知念さんの首を両手で絞め殺害。室内にカーペット・ビニールシートなどを敷き、部屋にあったのこぎり・包丁などで被害者 知念さんの遺体をバラバラに切断し、段ボール箱に入れてレンタカーで運び遺棄した。

◆C事件
 1987年(昭和62年)1月22日17時30分ごろ、加害者 鎌田はそろばん塾から帰宅途中の大阪市住吉区在住・大阪市立墨江小学校3年生 辻角公美子さん(当時9歳)を見かけ、わいせつ行為目的で誘拐した。鎌田は自宅に辻角さんを連れ込んでわいせつ行為をしようとしたが、辻角さんが泣き叫んだために犯行の発覚を恐れ、18時ごろに辻角さんを絞殺した。殺害後、鎌田は女児 辻角さん遺体を山中に遺棄したほか、辻角さんの自宅や辻角さんが通学していた墨江小学校に対し、計5回]にわたり「3,000万円用意しろ」などと電話して身代金を要求した。

◆D事件
 1993年(平成5年)7月24日ごろ、加害者 鎌田は自宅アパートでスナック従業員の大阪市西成区天下茶屋東一丁目に在住 須田和枝さん(当時45歳)から金銭支払いを求められ、両手でDの首を絞めて絞殺。被害者 須田さんの遺体をのこぎりなどで切断し、大阪府箕面市上止々呂美の山中に遺棄した。

◆E事件
 1994年(平成6年)3月下旬ごろ、鎌田は自宅アパートで飲食店員女性 大阪市中央区在住 中野喜美子さん(当時38歳)から体の関係の後、金銭支払いを求められ絞殺。中野さんの遺体をバラバラにして箕面市上止々呂美の山林(大阪府道4号茨木能勢線沿いのヒノキ林斜面)に遺棄した。

◆逮捕・起訴
 加害者 鎌田安利(当時54歳)は1995年(平成7年)2月23日に大阪市中央区内の倉庫で段ボール箱に入った衣類を盗み、同年4月に窃盗容疑で逮捕され、容疑を否認したがそのまま起訴された。鎌田はB事件の被害者が訪れた寿司店周辺の土地に詳しかったことに加え、事件当時借りたレンタカーの走行距離も知念みどりさん(19歳)の遺体発見現場までと一致していたため、大阪府警が指紋を照合したところ、B事件の犯人から奈良県警宛に送られてきた挑戦状から検出されたものと一致した。

さらに被疑者 鎌田は仕事上 須田和枝さん(当時45歳)・中野喜美子さん(当時38歳)両被害者との接点が疑われたほか、B事件と須田さん・中野さん両事件はいずれも被害者女性の遺体がのこぎり・鋭利な刃物で頭部・胴体・両手・両脚とほぼ6つに切断された状態で遺棄されていたため、1995年5月10日に大阪府警・奈良県警は連携して捜査に当たるため連続女性バラバラ殺人・死体遺棄事件の合同捜査本部を箕面署に設置した。

合同捜査本部が追及したところ、被疑者 鎌田は「知念みどりさん(19歳)を殺して遺体をバラバラにした」と自供したため、捜査本部は1995年5月12日に被疑者・被告人Kを殺人容疑で再逮捕した]。その後、鎌田は辻角公美子さん(当時9歳)・須田和枝さん(当時45歳)・中野喜美子さん(当時38歳)の各被害者のほか、まだ判明していなかった被害者 東富佐枝さん(当時46歳)の殺害・遺棄も自供した。
大阪連続バラバラ殺人事件(鎌田安利)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 2005年6月6日に最高裁第二小法廷(福田博裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人は「共犯者がおり、全て被告人 鎌田安利(当時64歳)の単独犯と認定した原判決は事実誤認」「操作段階の自白は警察官の暴行によるもの」などと主張して死刑回避を求めた。2005年年7月8日、同小法廷は控訴審判決を支持して被告人鎌田の上告を棄却する上告審判決を言い渡し、死刑が確定した。

❖出所予定(年齢)
 死刑判決(2016年(平成28年)3月25日、大阪拘置所で絞首により死刑執行(当時75歳没))

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岡山駅突き落とし事件(少年19歳)
❖犯罪内容(犯罪内容・殺人人数)
 2008年3月25日、岡山県岡山市(現在の岡山市北区)のJR西日本・岡山駅のホームで大阪府に住む19歳少年が、帰宅途中の岡山県職員の38歳男性を線路に突き落とした。38歳男性は電車にはねられ、翌3月26日に死亡した。事件直後に鉄道警察隊が駆けつけた時に、少年が犯行を認めたため、逮捕された。また、JR西日本は、発生直後から当駅を通る列車の運転を見合わせた。

少年は事件当日朝に家出していたため、両親が同日夜に大阪府四条畷警察署に家出人捜索願を出していた。また、少年は、「ホーム下に人を落とせば、電車にはねられて死ぬ。人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」と供述した。また刃渡り約12センチの果物ナイフを所持していた。

少年は大阪府池田市内の高校に進学。高校時代の少年は成績優秀で、高校1年で東大農学部、高校2年で京大を希望していた。少年はクラスでは上位の学力を有していたが、東大や京大に行けるほどではなかった。

また、家庭が学費を払えないことから進学を断念せざるを得なかった(少年の父は大工であったが不況で大工の仕事が減り、約6年前に派遣社員になっている)。実父からの「好きなところに行って鍛えろ」と突き放すような一言が、少年を「殺人しかない」と追い込む絶望的な心境に追い詰められた。
岡山駅突き落とし事件(少年19歳)
岡山駅突き落とし事件(新聞)
❖判決内容(判決内容・判決時期)
 岡山地方検察庁による簡易精神鑑定では広汎性発達障害と診断された。2009年(平成21年)6月17日、岡山地方裁判所は、少年に対して懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。佐賀少年刑務所に収容された。

◆不定期刑(平成26年改正)
 刑を言い渡す際に刑期を定めず、執行の状況によって釈放の時期を決める自由刑。刑期の範囲内で釈放の時期を決める相対的不定期刑を意味する。日本では少年犯罪で採用されており、不定期刑の判決は、例えば「被告人を懲役10年以上15年以下に処する。」など。

不定期刑の長期及び短期の上限について、それぞれ15年及び10年に引き上げ、少年に対して科すことのできる最も重い有期刑は10年以上15年以下の懲役となっている。

※上記の平成21年では、最も重い有期刑が5年以上10年以下の懲役

❖出所予定(年齢)
 2019年6月頃、29歳、すでに出所(不定期刑で最も重い懲役の10年と仮定 )

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※最後に
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